年下騎士は生意気で

乙女田スミレ

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35 すれ違う心

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 窓から射し込む光に、アイリーネが気だるげにまぶたを開けて身じろぎすると、間近で穏やかな声が響いた。

「――起きたか?」

  少し顔を上げると水色の瞳が映り、一糸まとわぬままフィンの腕の中にいたことに気がついたアイリーネは、恥ずかしそうに身を縮こまらせた。

 「お、おはよう……」

  もうずいぶんと日は高くなっているようだが、寝入ったのは薄明はくめいを迎えた後だったので、眠れた時間はそんなに長くはないだろう。

「廊下で人の気配がし始めたから、もうすぐ朝の支度の声が掛かりそうだぞ」
「うん……」

  フィンの指先がアイリーネの頬を撫でる。

「あの、もう無理だから……」
  アイリーネは予防線を張る。
 夜の間も繰り返しそう訴えたのだが、フィンはやんわりと聞き流して、何度も忘我の淵へとアイリーネを引きずり込んだ。

「分かってる」
  聞き分けの良い返事をしながらも、フィンはアイリーネをぎゅっと抱きしめる。目覚めた直後の生理現象なのか何なのか、二人の身体の間には力強い屹立が割り込んだ。

「む、無理……」
「ああ」
  そう言いながらもフィンは放そうとしない。

「リーネ、少し声が掠れてる」
  あられもない嬌声をずっと上げていたことを思い出して、アイリーネは赤くなった。
「色っぽいな」

  こめかみに口づけられたアイリーネは、また始められてはかなわないと、もそもそと寝返りを打ってフィンの腕の中から抜け出し、背中を向けて話題を探した。

「ねっ、ねえ、二番目と三番目のお兄様は、モードラッド伯爵領にいらっしゃるの?」
「ん? いや、結婚したときに独立して、二人ともそれぞれの家族とブロールの街にいる」
「ブロールに?」
  国の西南にある商業都市の名前だ。
「ああ。共同で事業をやってるんだ。三番目の兄貴の奥さんが商家の出身で、彼女の才覚のお陰でかなり順調だって聞いてる」

 フィンの手が後ろから伸びてきて、再びアイリーネの身体を抱く。
「だ、だめ」
「こうしてるだけ……」
「……こ、婚約が調ととのったら、ブロールのお兄様たちにもご挨拶しないとね」
「そうだな」

  フィンの腕に力が加わり、二人の身体は重ねられた二つの匙のようにぴったりと密着した。
 
「ブロールに行くなら、ちょっと足を延ばしてフォルザでゆっくりしたいよなあ」

  後ろからフィンの体温に包まれ、腰のあたりを硬いものに押されていると、昨晩のあれこれが生々しくよみがえり、アイリーネの身体は熱くなってくる。

「……フォルザに?」
「おまえんとこの別荘は落ち着かないだろうから、湯治宿にでも泊まるか。あの町にはたくさんあるんだろ?」
  吐息が首筋にかかり、アイリーネはぴくりと肩を揺らす。

「う、うちの別荘だと、落ち着かないの?」
「こういうこと、やりづれーし」
  フィンは後ろから回した手のひらでアイリーネの胸を優しく包み、指の腹で先端に触れた。
「あ……っ」
「おまえの可愛い声も存分に聴きたい」

「んんっ、フィン、本当にだめだからっ。もう起きないと……」
  戯れるように動き始めた手をアイリーネが掴んで抵抗すると、フィンは素直に従い、身体を離して仰向けになった。

 止められてもフィンは機嫌を損ねるようなことはなく、屈託のない様子でアイリーネに訊ねた。
「なあ、結婚したらどこに住もうか」
「どこ……って?」
  アイリーネは不思議そうにフィンの方を向く。

  正式に夫婦になったら、慣例に従ってどちらかが別の中隊に異動することになるだろうが、配属先は同じエルトウィンの教区内のはずだ。休日は中間地点あたりに構えた家で過ごし、勤務日は駐屯地に詰めることになるだろう。

「チェドラスの郊外もなかなか暮らしやすそうだし、テュアンあたりも環境が良さそうだよな」
「えっ、そんなところじゃ、どの駐屯地からも離れすぎて……」
「休みの日は馬を飛ばして、一目散におまえのとこに帰る」

  アイリーネは押し黙り、フィンが何を言っているのかを理解し、きつく唇を噛んだ。

「……私は、騎士を辞めろってこと……?」
「すぐにってわけじゃないけど」

 上掛けで身体を隠しながら、静かにアイリーネは起き上がる。気配が変わったことに気づくことなく、フィンは暖気のんきな調子で続けた。

「俺、家族と過ごすときはできるだけのんびりしたいから――」

  そこでようやく、フィンはアイリーネの様子がおかしいことに気づいた。
「……リーネ?」

  アイリーネは、悲しみと寂しさが入り混じった声で言った。

「私に……騎士は務まらない?」

 はっとしたフィンは、慌てて身体を起こす。
「い、いや、そうじゃなくて……」

「そりゃあ私は、しくじって半年も休んで隊に迷惑かけたし、鍛錬が足りなくて筋肉もずいぶん落ちたままだし、私心を抑えることもできずに嫉妬を丸出しにするし……」
「お……おい、俺はそんなこと全然思ってねえぞ?」

  王宮の歩廊でフィンが父に言ってくれたことを聞いたとき、騎士として認めてくれているのだとアイリーネは嬉しかった。でも――。

「そういえば、フィン、言ってたもんね……」
  アイリーネは、初めてフィンにすべてを見られたときに言われたことを思い出す。
「『こんな身体で戦えるのか』って」
「は……?」
  隊に復帰して間もないころに投げつけられた言葉もよみがえる。
「私が静養から戻ったときも、『騎士を辞めて結婚すれば良かったんだ』って怒ってたし……」

「リーネ、違うんだ。おまえが飛び抜けて有能な騎士だってことはよく分かってる。ただ、俺は……」
「――もういい」

  アイリーネの心の中をどうしようもない空虚感が占めていく。
「……結婚のことは、少し考えさせて……」
「リーネ、聞いてくれ」

  ちょうどそのとき、部屋の扉を叩く音に続いて召使いの声がした。
「おはようございます。そろそろ朝のお支度をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

    ◇  ◇  ◇

「フィン、アイリはどうしちゃったの?」

  朝食を兼ねた昼食の後、庭園の長椅子にひとりでぼんやりと腰掛けているアイリーネを応接室の窓から覗きながら、ヴリアンが気遣わしげに訊ねた。

「幸せな倦怠感に包まれてるって風情ではないよねえ……。二人で熱い夜を過ごしたんじゃないの?」

  答えずに蜂蜜酒を口にするフィンに向かって、ヴリアンは声をひそめる。
「……もしかして、調子に乗って変態みたいなことまでしちゃった?」

  水色の目に睨まれたヴリアンは「ごめんごめん」と苦笑いした後、考えを巡らすように顎に手を当てた。
「――じゃあ、君の事情を話したら、アイリからそんなの嫌だって言われた?」

  驚いたようにフィンは目をみはる。
「ヴリアンさん、知ってるんですか?」
「あ……うーん、ただの憶測だけどね。たぶん外れてないんじゃないかなあ」

  フィンは少し黙ったあと口を開いた。
「……詳細は伝え損ねたけど、リーネは俺がどんな立場でもいいって……」
「良かったじゃない! なのに、なんで二人とも浮かない様子なの?」

「……俺が」
  フィンは窓の外のアイリーネをちらりと見て、少しうなだれる。
「あいつに騎士を辞めて欲しくて……」

「ああ……」
  困ったような笑みを浮かべたヴリアンは、空になったフィンの杯に蜂蜜酒を注いだ。
「どちらの気持ちも分かる気がするけど……。まあ、よく話し合って、誤解があるようなら解くことだね」

「――おくつろぎのところ失礼いたします」
  廊下から声が掛かり、ヴリアンの返事を受けて扉が開くと、この別邸を取り仕切る従僕頭じゅうぼくがしらが姿を現した。

「先ほど、王宮から使者がお見えになりました。今宵、国王陛下の〝ごく私的な晩餐〟に、お三方をお招きくださるとのことでございます」 
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