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27 王都到着
しおりを挟む「アルナンも大きな街だと思いましたけど、やっぱり王都は違いますね……!」
堅牢な壁に囲まれた市街に入った馬車の窓から外を眺めながら、ルーディカが声を弾ませる。
「建物はどれも立派ですし、道路や花壇もきれいに整備されていて、なんて美しい街並みなんでしょう! 人々の賑わいなんて、フォルザのお祭りのときよりもずうっと――」
ルーディカは高揚のあまりずいぶん声高になっていたことに気がつくと、恥ずかしそうに肩をすぼめた。
「す、すみません。はしゃぎ過ぎました……」
「初めて来たんだから無理もないよ」
アイリーネが優しく微笑む。
「私だって、王都に親戚はいるけど数えるほどしか訪ねたことがないから、来るたびに『おお、都会だ!』って、キョロキョロしちゃうもの」
父であるドミナン伯爵は議会の召集がかかると親戚の邸に長期滞在するのだが、その際に遠方の領地から娘たちを伴うことはほとんどなかった。
フィンの故郷も王都から離れたところにある。
「俺も騎士の叙任式のとき以来二度目だから、あれこれ物珍しくてつい見入っちまう」
「こんな都心に複数のお邸を持ってるなんて、ヴリアンの家はすごいね」
「さすが侯爵家だな」
三人は、ヴリアンの父であるガーヴァン侯爵が所有する邸宅のうちのひとつに向かっている。アルナン大聖堂で受け取った隠密からの手紙によると、そこでヴリアンとキールトが待っているはずだ。
フィンは安堵したように息をつく。
「なんとか間に合って良かった……」
アルナンからここに向かう途中、落石による通行止めがあり迂回路を通るなどして余計な時間が掛かってしまったのだが、どうにか誕生日式典の四日前に着くことができた。明日は、最後の密書を携えて王宮に参じることができるだろう。
任務の完了を目前にしてフィンと同様にアイリーネもほっとしていたが、もうすぐこの旅が終わるのだと思うとどこか名残惜しさも感じた。
フィンと偽夫婦として旅に出るよう命じられたときには、まさかこんな気持ちになるなんて想像もしなかった。
「あの、シーホーン通りというのは、どのあたりにあるのかご存じですか?」
ルーディカから訊ねられ、アイリーネは少し申し訳なさそうに答えた。
「ごめん、めったに来ないから有名な施設や建造物くらいしか知らないんだ。その通りには何かあるの?」
「はい、フォルザの勉強会でお世話になったお医者様が住んでいらして、機会があればお渡ししたいものがあったのですが……きっとこの状況では難しいですよね。――あっ、あれはオルウィンの像ですか?」
街の中心にある広場のあたりに差し掛かった馬車の窓の向こうには、大きな銅像が見えていた。
「話には聞いていましたが、本当に立派ですね……!」
王の祖先だと言われる伝説の若き英雄の像は、引き締まった瑞々しい身体に腰を覆う布だけを纏い、台座の上で力強く剣を構えている。
敵に応じて形を変える〝自在の剣〟を使って蛮族から民を守ったという伝説の戦いの場面を表した、王都を象徴する像だ。
旅に出たばかりのころ、下着だけになったフィンを見てしまったときに、この像が浮かんだことを思い出し、アイリーネの頬がうっすらと染まる。
「――どうした?」
顔色の変化をフィンに気づかれて、アイリーネはうろたえた。
「な、なんでもない」
「あら、お顔が赤いですね。熱っぽいようでしたら……」
鞄を開けて薬を捜そうとするルーディカに、アイリーネは慌てて「大丈夫だからっ」と言い、窓の外を指差した。
「ほ、ほらルーディカ、あっちの噴水のとこには、伝説の乙女の像もあるんだよ」
「……まあっ」
英雄の像より二回りほど小さい女性の立像の足許には、たくさんの白百合が捧げられている。
「オルウィンの傷を癒した白い花の化身、ブローナですね。すてき……」
後ろに流れていく風景を、ルーディカはきらきらとした目で追った。
「アイリ様のお母さまは、ご結婚前に宮仕えをされていたとき、ブローナに喩えられていらしたそうですね」
語り継がれる伝説の乙女の姿そのものだという、白金色のつややかな髪や碧色の瞳、優美でたおやかな母の佇まいは、年齢を重ねた今でも変わりはなく、その特徴はアイリーネ以外の姉妹たちにも受け継がれている。
「ブローナにちなんで〝宮廷の真白き百合〟と呼ばれていらしたとか」
「娘としてはちょっと照れ臭いんだけど、そうみたいだね」
アイリーネはあることを思い出し、苦笑いを浮かべた。
「私にあだ名がついちゃったとき、父が『〝宮廷の真白き百合〟の娘が〝漆黒のハヤブサ〟とはな』って嘆いてたっけ」
フィンが不思議そうに訊ねる。
「――それ、どこに嘆くとこがあるんだ?」
アイリーネは虚を衝かれたような顔になった。
「え……」
「誇らしいことしかないだろ?」
「そうですよね」
ルーディカもフィンに同調する。
「どちらも素晴らしさを讃える呼び名ですもの」
アイリーネが呆然としていると、白壁が弧を描く円筒形の大きな建物が車窓に現れ、ルーディカが身を乗り出した。
「こちらの建物は何でしょうか?」
「ああ、確か王が後援されている劇場で――」
フィンが答えている声も、ルーディカの相槌も、どこか遠いところで聴こえる。アイリーネは過去の記憶へと引き戻されていった。
◇ ◇ ◇
幼いアイリーネに最初に剣を与えたのは、他ならぬ父、ドミナン伯爵だった。
姉たちとは違い人形遊びやお姫様ごっこなどには興味を示さず、外で活発に遊び回ってばかりいる黒髪の三女に、父は暇を見つけては剣の使い方から乗馬や弓の番え方まで指南するようになった。
「アイリーネは呑み込みが早いな。俊敏で体力もあって剣筋もいい。騎士になるか?」と問われるたびに「ぜったいになりますっ!」と元気に答えると、強面と言われる父が頬をゆるめて笑うのが小さなアイリーネは嬉しかった。
アイリーネの方は大真面目だったが、父にとってはあくまで冗談で、武術指南は娘しかいない父の〝いつか息子ができたときのための予行演習〟のようなものだったのだとアイリーネが知ったのは、母が末の子を身ごもったときだった。
妊娠中に母は体調を崩し、医師から「お産はこれで最後になさるように」との忠告を受けた。
国の定めでは、王位と同様に性別を問わず第一子が家督を継ぐことになっているが、長子が他家に嫁いだり婿入りしたりした場合には、その下のきょうだいに相続権が移る。
勇猛な騎士が始祖のドミナン伯爵家では、男児よりも先に女児に生まれた場合、上の娘は他家に嫁がせて後から生まれた息子を当主に据えるということを代々続けてきた。
一族の慣習に従うべく男児の誕生を切望していた父は、次に生まれるのが最後の子供になることを悟ると、願掛けでもするかのようにアイリーネへの武術指南をぴたりと止めた。
元気のない父を励ますように「おとうさま、とおのりにいきましょう!」と声を掛けたアイリーネに、ドミナン伯爵はきっぱりと告げた。
「アイリーネ、男のまねごとの時間はもう終わりだ」
きょとんと見上げるアイリーネから視線を逸らし、厳しい表情のまま父は言った。
「これからはお姉さまたちを見習って、将来お母さまのような善き妻となることを目指しなさい」
その数か月後に生まれた子は女児で、ドミナン伯爵家創設以来初めて女性である長姉が跡取りになることが決まった。
父は思い通りにいかなかった憤懣をぶつけるようなこともなく、愛する妻にひときわ似て生まれてきた末の妹を殊更に可愛がり今に至っている。
そして、あのときから父がアイリーネの鍛錬に目を向けたことは一度もない。
「――リーネ、着いたぞ」
フィンの声にアイリーネが我に返ると、馬車はいつの間にか細密な意匠が凝らされた立派な鉄製の門の前に停まっていた。
「なんかぼんやりしてたけど、大丈夫か?」
「あ、うん……」
ルーディカも心配そうに様子をうかがう。
「ご気分がすぐれないようでしたら、おっしゃってくださいね」
「ありがとう。でも平気だよ」
そう、もう平気だ。
振り返れば心が波立つこともあるが、今はもう生まれた家が世界のすべてだった小さなアイリーネではない。
アイリーネは自分を案じてくれる大切な人たちに向かって微笑んだ。
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