24 / 52
24 胸がざわつくそのわけは
しおりを挟む振り返ると、杯を片手に持ったフィンが物騒な目つきで見下ろしていた。
「いっ、いや、これは、その」
うろたえた男の指先から、アイリーネの髪がするりと離れる。
「し、失礼しましたっ……!」
逃げるように立ち去った男が座っていた椅子に、フィンは荒々しく腰を下ろした。
「……何やってんだ」
咎めるような口調だった。
「あんなナヨナヨした奴なんか簡単に蹴散らせるだろ。なんで好きなように触らせてんだよ」
「さ、騒ぎを起こして不用意に目立ちたくなくて……」
水色の瞳に厳しく睨まれ、アイリーネは顔を逸らした。
「ど、どうしたら穏便に席に戻ってもらえるか考えてたとこだったの! 私ひとりでも何とかできたよ」
「――ああ、そうかよ。余計な世話を焼いて悪かったな」
フィンもそっぽを向いて、「……可愛くねえ」と呟く。
それを聞いたアイリーネは鼻で笑った。
「私に可愛げを求められてもね」
林檎酒をぐいとあおる。
「ルーディカみたいに可愛い人だけ助けてればいいよ」
「……は?」
「私は、絡んできた酔っ払いの対処も自分でできるし、岩だらけの道でも躓かずに歩けるし、馬車の乗り降りだって手伝ってもらわなくてもできるから」
フィンは杯を傾けていた手を止め、拗ねたように口を尖らせて喋るアイリーネの横顔を黙って眺める。
「ルーディカには個人的な打ち明け話ができるくらい気を許してるんだし、あの子を守ることだけに専念してなよ」
不思議そうな顔をして少し考えてから、フィンは訊ねた。
「個人的な打ち明け話って……もしかして、俺が婚外子の連れ子ってことか? おまえは、男爵邸でクロナンから聞いただろ?」
アイリーネは目を見開く。
「なんで……」
「あいつ無駄に声でけーから、ところどころ聴こえてきてたぞ。おまえだって知ってることなんだし、もう俺も別にこだわってねえし、誰に言ったっていいだろ」
少しうつむいて押し黙ったアイリーネの耳に、フィンのため息が届いた。
「わけわかんねえ……。なんかさっきからおまえ、妬いてるみたいだぞ」
アイリーネは静かに机の上に杯を置いた。
「――なんてな」
自嘲するように言いながらアイリーネの方を向いたフィンは、訝しげな表情になる。
「リーネ?」
アイリーネは呆然としたように、机上に置かれた杯のあたりを見ていた。
「どうした?」
問い掛けが聴こえていない様子に、フィンは眉根を寄せる。
「まさかその酒に何か入っ――」
はっとした煙水晶の瞳がフィンの方を向いてその姿を映した途端、アイリーネの頬は明かりが灯ったかのように赤く染まった。
「え……」
次の瞬間、アイリーネは跳ね上がるようにして席を立った。
そのまま何も言わず、酔客が酒杯を交わしているいくつもの机の横をすり抜け、居酒屋の出入り口の方へと足早に向かっていく。
「は? おい……」
ひとりになりたいという強い思いが、アイリーネの足を急がせた。
外に出ると辺りはまだ薄明るく、アイリーネは建物の横にある細い通路を見つけると、そこに駆け込んだ。
「リーネ……!?」
背後から聴こえてきたフィンの呼び声を振り切るようにアイリーネは通路の奥へと進もうとしたが、足下に無造作に置かれていた木箱の釘がスカートに引っかかってしまった。
「ああ……」
騎士の格好をしていたらこんなことは起きないのにと慌てて裾を引き抜いたところで、フィンに追いつかれた。
「どうしたんだよ。大丈夫か?」
腕を掴まれ、建物の壁に押し付けられるようにして向き合わされる。
「具合でも悪くなったんなら――」
心配そうにアイリーネの顔を覗き込んだフィンは息を呑んだ。
アイリーネの双眸は、今にも決壊しそうに潤んでいた。
「は……?」
「……見ないで」
顔を紅潮させたままのアイリーネは、弱々しい声で請う。
フィンに腕を掴まれているため難しかったが、アイリーネは自分の顔を隠したくてたまらなかった。
「なんで……」
混乱したようにフィンが呟くと、アイリーネは視線を落とした。
「――い、言われるまで気づいてなかったんだけど」
ほんのりと紅い唇が震える。
「私、妬いてたんだって……」
言葉にしてしまうと、よりいっそう情けない気持ちがこみ上げてくる。
フィンの手の力が緩んだので、アイリーネは両手で顔を覆い、消え入りそうな声で自分を戒めた。
「勝手にやきもち焼いて、八つ当たりして、恥ずかしい……」
単純に誰かを羨ましく感じたり、競い合った相手の強さに嫉妬したりした経験はあるが、焦げつくような切なさを伴って胸の中がざわつく感覚を味わったのは、アイリーネにとって生まれて初めてのことだった。
「お願いだから、ひとりにして……」
恥を忍んで不名誉なことを打ち明けて頼んでいるのに、覆った手の向こうにいるフィンが立ち去る気配はない。
「――リーネ」
フィンの声は掠れていた。
「もう一回言ってくれ」
「……ひとりにして」
「そこじゃなくて……」
フィンは少し黙った後、思い切ったように口を開いた。
「――俺、おまえにずっと恨まれても仕方ないこと、したよな?」
苦しげな声でフィンは続ける。
「まだ任務の途中だから、おまえはできるだけ平静を装って接してくれてるんだと思ってた。この旅が終わったら、もう口をきいたりすらできなくなるんだろうって……」
確かに、あの夜のフィンは強引だったし、アイリーネにとっては思いもよらない出来事だった。
「……でも」
記憶がよみがえるたび、やはりあのときフィンが与えたがっていたのは苦痛ではなかったようにアイリーネは考えてしまうのだ。
「私、フィンが他の女の人にばかり優しいと嫌みたい……」
ルーディカにまでそんな感情を持ってしまった自分が情けなくて、アイリーネは消えてなくなりたいと思った。
「……リーネ」
フィンはアイリーネの手をそっと掴み、ゆっくりと顔から離す。
眩しそうな水色の瞳が、アイリーネのすぐ目の前に現れた。
「み、見ないでって言っ……」
「俺がどれだけ嬉しいのか分からないのか」
「え――」
フィンは両手でアイリーネの頬を包み込むと、唇を柔らかく重ねた。
驚いて身を固くするアイリーネをなだめるように、角度を変えて何度も優しいくちづけが降りそそぐ。
「ふ……」
アイリーネの身体から力が抜けると、ようやくフィンは唇を離した。
滲んだアイリーネの目尻を指で拭うと、フィンは改まったように真っ直ぐなまなざしを向けた。
「リーネ、俺は――」
その瞬間、がらんがらんと金属製の何かが地上を撥ねて転がるような音が、フィンの言葉を遮った。
音がした方をふたりが見ると、お下げ髪の少女が慌てたように身をかがめて、手から滑り落としてしまったらしい空っぽの大鍋を拾い上げていた。少女は厨房の下働きらしく、生成りの前掛けを着けている。
「すっ、すみません……!」
少女は気まずそうに身を縮こまらせて謝った。
「あ、洗った鍋を裏庭に乾かしに行こうと……。い、急ぎの用じゃないんで、ご遠慮なく続けてくださいっ」
0
お気に入りに追加
102
あなたにおすすめの小説
ラブ アンド コッドピース
乙女田スミレ
恋愛
王妃の側仕えを務めるセシリーは、最近王宮を賑わせている幼なじみのエドワードに関する噂に密かに胸を痛めていた……。
☆前後編の二話です
☆表紙、イラストは庭嶋アオイさん(テューダー朝大好き)ご提供です
☆エブリスタにも掲載を始めました(2024年2月11日)
あれは媚薬のせいだから
乙女田スミレ
恋愛
「ひとりにして……。ぼくが獣になる前に」
銀灰色の短髪に氷河色の瞳の女騎士、デイラ・クラーチ三十四歳。
〝鋼鉄の氷柱(つらら)〟の異名を取り、副隊長まで務めていた彼女が、ある日突然「隊を退きたい」と申し出た。
森の奥で隠遁生活を始めようとしていたデイラを、八歳年下の美貌の辺境伯キアルズ・サーヴが追いかけてきて──。
☆一部、暴力描写があります。
☆更新は不定期です。
☆中編になる予定です。
☆『年下騎士は生意気で』と同じ世界が舞台ですが、うっすら番外編とリンクしているだけですので、この物語単独でもお読みいただけるかと思います。
☆表紙は庭嶋アオイさまご提供です。
先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…
ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。
しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。
気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
宮廷魔導士は鎖で繋がれ溺愛される
こいなだ陽日
恋愛
宮廷魔導士のシュタルは、師匠であり副筆頭魔導士のレッドバーンに想いを寄せていた。とあることから二人は一線を越え、シュタルは求婚される。しかし、ある朝目覚めるとシュタルは鎖で繋がれており、自室に監禁されてしまい……!?
※本作はR18となっております。18歳未満のかたの閲覧はご遠慮ください
※ムーンライトノベルズ様に重複投稿しております
【完結】【R18】女騎士はクールな団長のお役に立ちたい!
misa
恋愛
アマーリエ・ヴェッケンベルグは「脳筋一族」と言われる辺境伯家の長女だ。王族と王都を守る騎士団に入団して日々研鑽に励んでいる。アマーリエは所属の団長であるフリードリッヒ・バルツァーを尊敬しつつも愛している。しかし美貌の団長に自分のような女らしくない子では釣り合わないと影ながら慕っていた。
ある日の訓練で、アマーリエはキスをかけた勝負をさせられることになったが、フリードリッヒが駆けつけてくれ助けてくれた。しかし、フリードリッヒの一言にアマーリエはかっとなって、ヴェッケンベルグの家訓と誇りを胸に戦うが、負けてしまいキスをすることになった。
女性騎士として夜会での王族の護衛任務がある。任務について雑談交じりのレクチャーを受けたときに「薔薇の雫」という媚薬が出回っているから注意するようにと言われた。護衛デビューの日、任務終了後に、勇気を出してフリードリッヒを誘ってみたら……。
幸せな時間を過ごした夜、にわかに騒がしく団長と副長が帰ってきた。何かあったのかとフリードリッヒの部屋に行くと、フリードリッヒの様子がおかしい。フリードリッヒはいきなりアマーリエを抱きしめてキスをしてきた……。
*完結まで連続投稿します。時間は20時
→6/2から0時更新になります
*18禁部分まで時間かかります
*18禁回は「★」つけます
*過去編は「◆」つけます
*フリードリッヒ視点は「●」つけます
*騎士娘ですが男装はしておりません。髪も普通に長いです。ご注意ください
*キャラ設定を最初にいれていますが、盛大にネタバレしてます。ご注意ください
*誤字脱字は教えていただけると幸いです
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
坊っちゃまの計画的犯行
あさとよる
恋愛
お仕置きセックスで処女喪失からの溺愛?そして独占欲丸出しで奪い合いの逆ハーレム♡見目麗しい榑林家の一卵性双子から寵愛を受けるこのメイド…何者?
※性的な描写が含まれます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる