年下騎士は生意気で

乙女田スミレ

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15 レクリン男爵邸

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 ディトウの丘の上にあるレクリン男爵邸の門をくぐると、アイリーネたちは重厚な本館とは少し離れて建つ瀟洒しょうしゃな別館へと案内された。

  応接室に通され、物静かな女性の召使いが飲み物を置いて退出すると、気まずい沈黙が二人を包んだ。
 品のいい調度品が置かれている室内を興味深そうに見回したりしてみたが、じきに間が持たなくなった。

 用もないのにアイリーネは鞄を開けて中をごそごそと探り始める。長椅子の隣に腰掛けるフィンは、その横顔をそっと盗み見た。

 ためらった末に思い切ったようにフィンが口を開こうとしたとき、部屋の扉が勢いよく開いた。

「アイリッ!」

  麦穂色の巻き毛を結い上げた女性が姿を現し、動きやすそうな明るい緑色のドレスを翻しながら嬉しそうに駆け寄ってくる。
「久しぶりーっ」

「オディ!」
  アイリーネも笑顔を浮かべて立ち上がり、巻き毛の女性と固く抱き合った。

 二人は少し身体を離し、互いの顔を見る。

「なによう、アイリったらすっかりきれいなお姉さんになっちゃって! 小隊長になってずいぶん経つから、相当イカつくなってるのかと思ってたのに」
「今はこんな恰好してるから……。そっちこそ、もうどこから見ても麗しの男爵夫人だね!」
「ふふ、ありがと。……火傷のほうは?」
「もう大丈夫。心配かけてごめん」

  オディと呼ばれた女性はフィンの視線に気がつくと、向き直って優雅なお辞儀をした。

「失礼いたしました、騎士様。初めまして。あいにく夫は留守にしておりますが、わたくしがレクリン男爵の妻、オディーナ・ティライアンでございます。お聞き及びかも知れませんが、アイリーネやキールトと共に、かつては騎士を目指しておりました。今でもアイリとは折々に手紙をやりとりして、近況を報告し合っておりますの」

  フィンも挨拶するために立ち上がる。
「初めまして。フィン――」

  男爵邸に入るときには偽名を名乗ったので、本名を口にしていいものかとフィンが少し迷うと、察したオディーナはにっこりと微笑んだ。

「こちらの別館は人払いがしてあって、信用のおける召使いが一人いるだけです。ご遠慮なく、本当のお名前をおっしゃって」
「――フィン・マナカールです」

「マナカール様……」
 オディーナは小首を傾げる。
「もしかして、モードラッド伯爵家のご子息でしょうか?」

「まあ、そうです」

  オディーナは眉根を寄せてフィンをじっと見た。

「あいつの兄弟がこんなに男前だなんて……。あ、失礼。お二人ともどうぞお掛けになって!」

 オディーナは飲み物のお代わりをふるまうと、向かい側の長椅子に腰を下ろし、少し声を潜めた。

「――それで、あなた方はどこまでご存知なのかしら?」

  アイリーネも慎重に言葉を返す。

「逆に、オディにどこまで喋っていいのか分からないんだけど」

  オディーナは「そうねえ」と少し考えた後、口を開いた。

「わたくしは、四人の小隊長の方たちの任務については把握しているはずよ。鍵を持ったお一人は既に王都に到着していて、あなた方とキールトは巡礼者を装い、二手ふたてに分かれて密書を運んでいる……のよね?」

 アイリーネとフィンは驚きの目でオディーナを見る。自分たちが情報を得ていなかった先発のヴリアンの状況まで彼女は知っていた。

「オ、オディ、キールトから大切なものを預かってくれてるってだけじゃないの?」
「それだけじゃないわ。今回の任務の遂行には、私の夫も関わっているの」

  アイリーネが詳しく訊ねようと身を乗り出したとき、応接室の扉が妙に軽快な調子で叩かれた。

「ああ、どうぞ入っていらして!」

  オディーナに促されて扉が開くと、「失礼いたします」と澄んだ声がして、さらさらと揺れる長い金髪に秋空のような青い目をした、清楚な女性が現れた。

「――ルーディカ!?」
  アイリーネは大きな声を出し、椅子から腰を上げる。

「アイリ様……!」
  女性は花がほころんだような笑みをたたえながら、目を丸くしているアイリーネの方へと歩いてきた。

「ルーディカ……どうして」
「――おおっ、美女だらけで眼福ですねえ」

  金髪の女性の後ろから、癖のある赤毛を横分けにした若い男性が薄笑いを浮かべて入ってくる。

 「はあ!?」
  今度はフィンが嫌そうな声を上げた。

 「よお、フィン。いや、マナカール中尉」
  男性は親しげな様子でフィンに挨拶をする。

 「クロナン、なんでてめえがここに……」
 「だって、俺がこの男爵邸にルーディカちゃんを連れてきたんだもーん」

    ◇  ◇  ◇

「よく知った仲だったり、そうじゃなかったりして、なんだかややこしいですけど、順にご紹介させていただきますわね」

  オディーナは、金髪の女性の傍に立った。

「フィン様、こちらはルーディカ・ケニースさんです。温泉で有名なフォルザの街で薬師をなさっていて、おじい様とおばあ様はアイリのお宅の別荘番を長く務めていらっしゃるの。アイリとは同い年の幼なじみなんですよ」

  フィンはどこか眩しそうに目を細めてルーディカを見る。

「ルーディカさん、こちらはフィン・マナカール様よ。アイリの同僚で、今は二人で一緒に任務に当たっていらっしゃるの」

「初めまして」
  フィンが少し口の両端を上げて挨拶すると、ルーディカも可憐な笑みを返した。

「フィン様、初めまして。お噂は何度か耳にしたことがございます。お名前を聞かせていただくまでは、その方だと気がつきませんでしたが……」

  ルーディカにちらっと視線を向けられたアイリーネがハッとしたとき、オディーナも何かを思い出したかのように弾んだ声を上げた。

 「ああ……! 栗色の毛に水色の瞳!」

  アイリーネがオディーナを止めようとしたときには遅かった。

「アイリが小隊長になったばかりのころに、手紙でたまに愚痴ってた『懐かない仔犬みたいな後輩』って、フィン様のことでしたのねー?」

  オディーナは目を輝かせ、興味深そうにフィンを眺める。

「そうねえ、今は仔犬っていうよりは成犬になったグロートって感じかしら。あ、見習い時代にわたくしたちがお世話してた狼犬の名前なんです。かわいい顔してるのに最初は全然懐かなくて、わたくしなんか初対面で噛まれちゃったりしたんですけど。徐々に聞き分けが良くなって、とってもかっこいい大人の犬に成長したんですよ!」

「はあ……。ハハ……」
  フィンは鷹揚な態度を崩さなかったが、心中しんちゅうを想像したアイリーネの背中には冷たい汗が流れる。

 「い、ぬ!」

  無遠慮に笑い出したのは、先ほどフィンから「クロナン」と呼ばれた男性だった。

「吠えるわ噛みつくわ、こいつはさぞかし面倒くさいチビ犬だったことでしょうねえ」

  可笑しそうに肩を揺らす赤毛の男性をフィンは睨んだが、男性は何処どこ吹く風といった様子で、何かをしきりに催促するかのようにオディーナに目配せをした。

「あーはいはい。アイリ、こちらはクロナン・マナカール様」

 フィンと同じ姓を耳にしてアイリーネが不思議そうな顔をすると、オディーナは「そうよ」と言う。

「クロナン様は、モードラッド伯爵の四男で、フィン様のお兄様……ですわよね?」
「左様です。私の方が上です! 永遠に!」

  クロナンはアイリーネの前にすっと歩み出た。

「アイリーネ・グラーニ嬢、いつも不肖の弟がお世話になっております」
「わ、私のことをご存じで……?」

  クロナンはアイリーネの手を取ると、顔に視線を向けたまま指にしっとりと口づけた。
 アイリーネの表情が固まる。

 「これほど美しい方だとは存じ上げませんでしたが、お名前やお立場については、よく承知しております」

  弟と似たところが見つからない兄は、名残惜しげに指先をすべらせてアイリーネの手を放すと、赤い髪を撫でつけながら高らかにのたまった。

 「なぜなら私は、〝アルナンのリオール・コーヴァート〟!!……のうちの一人でございますから!」 
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