年下騎士は生意気で

乙女田スミレ

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14 長くて明るい夜 後

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 激しい嵐が吹き抜けたような時からどれくらい経ったのだろうか。

 腹部を撫でられているような感触がしてアイリーネが重ったるいまぶたを開くと、すでに脚衣を整えたフィンが、乾いた手巾でアイリーネの下腹を拭っているのが見えた。

 アイリーネと視線が合うと、フィンは手を止めた。

「あ……」
 気まずそうに水色の目が泳ぐ。

「し、階下したで湯もらってくる。へそに俺の――」

 フィンは顔に朱を注いで言いよどむと、裸のままだった上半身に素早くシャツを着て、部屋から出ていった。

 アイリーネはあちこち痛む身体をゆっくりと起こす。

 窓の外はようやく陰り始めていたが、白い肌に散らばった鬱血痕も、押さえつけられた痕がついた腕も、敷布に付いた破瓜の赤色も、拭き取りきれなかったフィンの欲望の名残も、すべてを目視できるくらいには明るさが残っていた。

「ええ……」
 夢でも幻でもなかったのだと改めて思い知り、アイリーネは熱くなってきた頬を手で覆う。

 一体、何がどうなってこんなことになってしまったのだろう。
 数刻前まではいつものように宿を取り、いつものように過ごし、いつものように眠くなったらただ隣り合って横になるはずだった。フィンが突然あんな風になるなんて、思いもしなかった。

 アイリーネがさらに信じられないのは、自分自身の反応だった。
 始めから終わりまでずっとフィンに隙がなかったはずはない。手足を縄やかせで拘束されたり、武器で脅されたりしていたわけでもない。
 それなのに、キールトに手紙で忠告されたように「容赦なく叩きのめす」ことはできなかった。

 はっきりとは思い出せないが、聞くに堪えないような淫らな声をたくさん上げて、しまいには自分からフィンに思いきり抱きついてしまったような気がする。

「うぅ……」
 状況に頭がついていけなくて、アイリーネは呻き声を漏らした。

 見たことのない、熱情を迸らせた男の顔をしたフィンが浮かぶ。

 裸の胸を晒してしまった決まり悪さを紛らわすために、考えなしに口にした言葉をアイリーネは後悔した。
 あんな形で証明してもらわなくても、フィンが〝小さな男の子〟などではないことは分かっていた。あの発言が、フィンの感情をひどく逆撫でたのだろうとアイリーネは思う。

「だ、だからって、乱暴は許されるものでは……」

 ふいにフィンに触れられた感触が甦る。フィンは〝乱暴〟だっただろうか?
 強引ではあったし、奥まで挿入はいって来られたときは痛くてたまらなかったが、アイリーネを痛めつけようとするどころか、むしろ苦痛を与えていないか気にしているようだった。

「でもっ、一方的な行為は許されるものでは……」

 自ら手を伸ばしてしがみついたフィンの熱くて逞しい背中を思い出し、アイリーネは再び唸る。
 フィンからもたらされた未知の行為や感覚は怖かったのに、不思議とフィン自身のことは怖くなかった。だから縋りついてしまったのだ。
 何も失ったような気がしていない不可解さに、アイリーネは眉根を寄せる。

「とっ、とにかく、夫婦でも恋人でもないのに、あんな不適切なこと……」

 アイリーネが混乱から抜け出せないでいると、部屋の扉を叩く音がした。

「入るぞ」

 寝台の上に畳まれて置かれていた上掛けをアイリーネは慌てて引っ張り、身体を隠す。

「――俺、別の部屋取ったから」

 足早に入ってきたフィンはそう告げると、湯の入った桶を寝台のそばの小さな台の上に置き、自分の荷物をさっと手に取った。

「明日の朝、階下したで」
「う、うん……」

 ぎくしゃくとした空気が漂う。二人はお互いの顔を見なかった。
 部屋を出ていく寸前にフィンは足を止め、扉の方を向いたまま言った。

「……痛い思いさせて、悪かった」

   ◇  ◇  ◇

 倦怠感には包まれているのに、よく眠れぬまま夜が明けた。

 別々の部屋に泊まった若夫婦を心配した宿屋のおかみから「早く仲直りしてくださいねえ」と送り出されたふたりは、視線を合わせずに最低限の言葉だけを交わし、ディトウの街に向かう辻馬車へと乗り込んだ。

 いつものフィンの愛妻家劇場は鳴りを潜め、途中で乗り合わせた他の客たちにも軽く挨拶をする程度で、二人はそれぞれの傍にある窓から見える風景を黙って眺め続けた。

 流れていく景色に意識を向けている風を装いながら、アイリーネの神経は荷物を挟んで隣に座る同行者に集中してしまっていた。
 フィンが少し姿勢を変える気配がするだけで、心の中が波立つ。

 何を話していいのか、どう接していいのか、昨夜の出来事をどう扱っていいのか、渦巻くばかりで答えは出ない。
 罵りたいのか、向き合いたいのか、事を荒立てたくないのか、忘れたいのか、自分がどうしたいのかすら解らなくて、考えれば考えようとするほどアイリーネの頭の中はこんがらがった。

 とにかく馬車が速く進むようアイリーネはひたすら念じ続け、夕方近くに男爵邸に到着したころには、すっかり疲れ切っていた。
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