年下騎士は生意気で

乙女田スミレ

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7 二組の新婚夫婦

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「見境ねえのかよ……」
「だから、寝ぼけてたんだって!」

 朝から三人でチェドラス大聖堂を詣でた後、西廻りの巡礼路を進むキールトとは別れ、アイリーネとフィンは東廻りの次の聖地であるリルという街を目指して辻馬車に揺られていた。

 他には誰も乗り合わせていないこともあり、起床時の件について二人は激しい泥仕合を繰り広げていた。

「そっちこそ、もう起きてたよね? なんでこっち見てたの?」
「ちょ、ちょうど目が覚めたとこだったんだよ」

 そのとき、馬車がゆっくりと停まった。
 扉を開けた御者から他の客を乗せると告げられ、二人は慌てて仲睦まじい夫婦の仮面をつけて笑顔を作る。

 乗り込んできたのは、気さくな雰囲気の若い夫婦だった。

「へえ、セアナから! あそこは魚が旨いんだってねえ」
「新婚同士、よろしくお願いしますね」

 チェドラスの隣町のパン職人だという細身の夫とふくよかな妻は、結婚の報告に親戚をおとなうところだという。

「叔父の家はナティ村にあるんで、今夜はリルで一泊しようと思って」
「巡礼ってことは、あなたたちもリルに泊まるんでしょう? 着いたら一緒に宿を探しましょうよ」

 アイリーネとフィンは笑みを浮かべつつも用心深く若夫婦の様子を探ったが、特におかしなところは見当たらなかった。
 親切に分けてくれようとしたパンは「今はお腹が空いていないので」と理由をつけて遠慮したが、若夫婦は和気あいあいとおいしそうに食べていた。

 怪しい人たちではないようだと判断した後も、仲の良い夫婦を演じる参考になればとアイリーネは密かに観察を続けたが、常に身体を寄せ合い、目が合えば微笑みや口づけを交わすなど、難易度が高すぎて到底真似できないという結論に至った。

「それにしても、美男美女のご夫婦よねえ」

 パン職人の妻が、アイリーネたちをほれぼれと眺める。

「あたしたちは昔なじみのパン屋の徒弟と粉屋の娘で、年頃になったときに親たちが決めた縁組なんだけど……」
「そのずーっと前から俺は可愛いって思ってたよ、イーマ」

 夫からこめかみにくちづけを落とされて、妻はふっくらとした頬をぽっと染めた。

「コノン、あたしも結婚話が持ち上がったとき、とっても嬉しかった……」

 見つめ合う二人の甘々な空気にアイリーネたちが胸焼けしそうになっていると、妻が再び柔和なまなざしを向けてきた。

「ぜひ、あなたたちの馴れ初めも聞かせて……!」

 アイリーネとフィンは愛想笑いを貼り付けたまま固まった。

「恋愛結婚だったの? それとも誰かの紹介で?」

 アイリーネは、キールトから聞かされた偽夫婦の設定を頭の中で振り返り、そんなところまでは作り込まれていなかったことを思い出した。

「え、えっと……」

 作り笑顔の下でアイリーネが大慌てしていると、ふいにふわりと肩が温かくなった。

「リーネ……、照れてないで話していいんだよ?」
 優しい囁きが耳許で響く。

 フィンの手が肩に回されていることに気がついた途端、ちゅ、と側頭部でくちづけの音が鳴り、アイリーネは目を見開いた。
 こいついま何した!? と動転しているアイリーネの頬にフィンはそっと触れ、きらきらとした水色の瞳で至近距離から顔を覗き込んだ。

「俺の長い片想いが成就した結果なんだって……」

 パン職人の夫婦が期待に満ちた目をして身を乗り出す。

「えぇ……」

 困惑するアイリーネに、フィンは今までに見せたことがないような柔らかい笑みを投げ掛けた。
「やっぱり恥ずかしい? じゃあ、俺が話すね」

 そして、アイリーネは呆然と肩を抱かれたまま、フィンの大ウソ話を延々と聞かされることとなった。

   ◇  ◇  ◇

 港町セアナの商人の息子であるフィン・ケランは、幼いころから葡萄酒商の美しい黒髪の娘フィリーネに憧れていた、らしい。
 しかし、フィリーネには親が決めた大店おおだなの跡取り息子である銀髪の婚約者がいた……そうで。

「リーネがいつかあのいけ好かない銀髪野郎のものになるんだと思うたびに、胸が張り裂けそうになったよ……」

 切なげな独白に同情を寄せるかのように、パン職人夫婦はつらそうな表情になる。

「俺の家も織物問屋を営んではいたが、豪商の銀髪野郎の家に比べたら取るに足りない小さな商家だった。しかも俺は、後妻として嫁いできた母親の連れ子で、継父けいふには実子がたくさんいるから跡を継げるわけでもなく……」

 込み入った設定を、フィンは見事に滔々とうとうと語っていく。

「でも俺はどうしてもリーネを諦めたくなかった。何をしたらこの想いが実るのかは解らなかったが、まずは一人前になろうと俺は必死で働いたんだ」

 家業の手伝いをしながら商売を学んでいたフィンは、夏至祭りの夜に連れとはぐれて無法者に絡まれていたフィリーネを助けたのだという。
 それをきっかけに、二人の距離は縮まったらしい。

「街ですれ違うたびに、この煙水晶けむりすいしょうみたいな綺麗な目でこっちを見て笑い掛けてくれるようになって……。それだけで一日中幸せな気分になれたよ」

 パン職人は「分かるなあ……!」と大きく相槌を打った。

 フィンとフィリーネは会えば立ち話をするようになり、次第に交わす言葉が増えていき、密かに待ち合わせて他愛もない会話を楽しむまでになったのだそうだ。
 ある日、ついに抑えきれずにフィンが想いを告げると、フィリーネも同じ気持ちで、親が決めただけの心が通い合わない相手との結婚は嫌だと打ち明けたのだという。

「夢みたいだったよ……。リーネも俺のことを好きになってくれたなんて」

 アイリーネの肩に回された手にぐっと力がこもり、パン職人夫婦は感激したように何度も頷いた。

「俺はもうリーネを離すつもりはなかった」

 その後、さらに仕事に精を出したフィンは、働きぶりを織物商組合長に見込まれ、後継者がいないその大商人の跡取りになることが決まったのだそうだ。

「これでもう銀髪野郎にも引け目を感じなくてもいい。たとえ奴と決闘することになったとしても、俺はリーネに求婚しようと思ったんだ」

 その矢先、フィリーネが流行り病に倒れてしまったのだという。
 幸いなことにしばらくして回復したが、フィリーネの額には目を凝らさないと分からない程度の水疱の痕が残った。すると、それが気に入らなかった〝銀髪野郎〟は、あっさり婚約破棄を突き付けたのだそうだ。

「たったそれだけのことでな……!」
 真に迫った顔でフィンはいまいましげに吐き捨てた後、表情を和らげてアイリーネに微笑みかけた。

「まあ、俺にとっては僥倖ぎょうこうだったけど」

 婚約破棄に値するほどのきずを負ってしまったのだと思い込んだフィリーネはフィンの求婚を拒んだが、フィンは何度もフィリーネのもとへ足を運んで変わらぬ愛を語り続け、ようやくフィリーネは心を開き、喜んで求婚を受け容れた……のだそうだ。

「大恋愛だったのね。すてきだわぁ……」

 パン職人の妻がうっとりとした声を漏らしたとき、辻馬車はちょうどリルの街に到着した。
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