上 下
3 / 3

後編

しおりを挟む
 

 ひと気のない廊下の窓辺で、一組の若い男女が笑みを浮かべて立ち話をしている。

 そして……なぜかわたしはその光景を柱の陰からじっと見ていた。

 キャシーたちの「行っちゃいなさいよ」を、リズがこんなに素早く実行に移すなんて、と思いながら。

   ◇  ◇  ◇

 あの翌日から、国王陛下ご夫妻は近郊のお城に一週間ほど滞在されることになり、王妃さまの随行は先輩方が担当し、わたしたち若輩四人組は留守番を仰せつかった。

 実質お休みをもらったようなもので、朝からちょっとした雑務をこなせば、後は自由に過ごせるという楽ちんな日々が始まった。

 わたし以外の三人は、その〝ちょっとした雑務〟すらやる気が湧いてこなくなったようで、「優しいセシリーがいてくれて助かるわあー」などと言いながら、わたしが王妃さま宛てに届いた書簡の整理や身の回りのお品の手入れをしている傍らで、おしゃべりに興じるのが午前の日課となった。

 やるべきことを片づけてしまえばあの三人と一緒にいる必要はないので、わたしはできるだけ素早く雑務を済ませ、その後は図書室で本を読んだり、庭園を散歩したりと、一人の時間を満喫している。

 多くの廷臣や召使いたちも陛下たちについていったので、王宮のどこへ行っても人が少なくてゆったり過ごせて快適だ。

 ギャラリーにかかっている絵画もじっくり鑑賞できそうだと思いつき、わくわくしながら廊下を歩いていると、若い男女が立ち止まって話をしているのが目に映った。

 どうしてなのか自分でも分からないけど、それがエドワードとリズだと気づいたとたん、わたしはとっさに柱の陰に身を隠してしまった。

 甘ったるいリズの声が響いてくる。

「まあぁ、遠乗りがお好きですの? 素敵だわあ」
「ええ。子供のころから楽しみのひとつでした」

 そっと覗いてみると、二人は笑顔で言葉を交わしていた。

 胡桃色の髪に深緑色の瞳の端正な容姿の貴公子と、透けるように輝く金の髪に青い瞳の美しい令嬢……。なるほど、キャシーたちの言葉どおり二人は「美男美女でお似合い」に見える。

 わたしと同じ焦げ茶色の髪のリックは、よく「金髪の女の子っていいよね~」なんて言ってるけど、やっぱりエドワードもそうなのかなとか考えたら、変なふうに胸の奥が疼いた。

「ん……?」

 わたしはリズの仕草の不自然さに気づく。

 何かを訊ねるとき。
 答えを聞いて笑うとき。
 感心したように頷くとき。
 彼女はそのたびに体を少し前に傾け、両腕で左右から豊かな胸を挟むような体勢になった。

 そうすると、大きく開いた襟ぐりからはみ出しているふたつの膨らみの谷間がさらに深くなり……。

 喉が勝手にごくりと鳴った。
 リズは本当にエドワードを落としにかかっている。

 男女の駆け引きにやたら詳しそうな彼女が全力を出したら、わたしなんて到底太刀打ちできな……あれ、なんでわたしがリズに太刀打ちしなきゃなんないの?

「じゃあ今度、私の乗馬にも付き合ってくださいません?」
「エリザベス嬢は、馬にお乗りになるのですか?」
「ええ、たしなみ程度には」

 リズは少し顔を下げ、あからさまにエドワードのコッドピースに視線を送る。
「特に……大きい馬が好きですわ」

 き、きわどい発言なのでは!? と思ったが、エドワードは「そうですか」と爽やかに返した。

「眺めるぶんにはいいですけど、乗るならやはりご自身の体格に合った馬を選ぶのが一番ですよ」

 妙にいやらしく聞こえてしまう自分が嫌になる――なんて思ってたら、リズも意味を含ませたやり取りをしているつもりらしく、やけにしっとりとした声で告げた。

「大きくても……私は大丈夫です。相性も良さそうですし……」
「そうですか?」

「とても……魅力的だと思います」
「はあ……」

 胸の膨らみが触れてしまいそうなほど近づいてきたリズにエドワードもさすがに何か察知したようで、少し後ずさりして話を切り上げようとする。

「で、では私はこれで」
「エドワードさまっ!」

 リズはエドワードの腕にしがみつき、胸をぎゅうっと押しつけて引き止めた。

「どんなに大きくても、私は受け容れてみせますわ……!」

 頭がカッと熱くなる。次の瞬間、わたしは足を踏み出して叫んでいた。

「もうやめてっ!」

「えっ!?」
 突然姿を現した同僚に驚いたのか、リズはパッと手を放す。

 ほっとしたような顔をして「セシリー」と呟いたエドワードを見て、わたしは何だか泣きそうになった。
 かわいそうなエディ……。勝手に大きいことにされて。

「や、やだセシリー、どうしてここに」
「ギャラリーに行こうとして通りかかっただけだけど?」

 普段は波風を立てることのない〝優しいセシリー〟の珍しく挑戦的な態度に戸惑ったようなリズに、わたしはきっぱりとした口調で言った。

「彼を追いつめないで!」
「は……?」

「大きさなんて、どうでもいいことよ!」

 そう言い放つとわたしはエドワードの腕をつかみ、呆然としているリズを残してどんどん廊下を歩いていった。

「セ……セシリー?」
 ぐいぐい引っ張られながら、エドワードは困惑したような声を出す。

「最近はいつもよそよそしいから声を掛けてくれたのは嬉しいんだけど、どうして……」
「だってっ……」

 角を曲がったところで立ち止まってエドワードの顔を見上げると、さらに感情がこみ上げてきてしまった。

「み……みんなして素晴らしいことみたいに大きい大きいなんて言ったら、そうじゃないエディは辛くなるだけなのに……」
「セ、セシリー?」

「本当にごめんね……リックの鎧のせいで」
「えっ?」

「男性の価値なんて、そんなところの大きさでは決まらないからねっ……!」

 涙ぐんでしまったわたしをエドワードはしばらくぽかんと眺めた後、我に返ったらしく再び口を開いた。

「――相変わらずセシリーは優しいね。ありがとう」

 奇妙なことに、その声は全く感謝に満ちた感じではなくて、なんていうか……ちょっと怒ってるような?

「あ、あの、もし、わたしもあなたを傷つけたのなら」

 慌てて謝ろうとしたわたしを、前触れもなくエドワードは抱き上げた。

「えっ……!?」

 誰が通りかかるのかも分からないのに、そのままエドワードは廷臣たちの私室がある棟のほうに大股で向かっていく。

「――でも同情は無用だよ、セシリー」

   ◇  ◇  ◇

「分かった?」

 ベッドの飾り板にもたれて、乱れた前髪をかき上げながらエドワードが訊いてくる。

「……うん……」

 くたくたになって横たわっているわたしが掠れ声で答えると、彼は満足そうに微笑んだ。

 ベッドの傍に散らばっているのは、わたしが着てたものとエドワードが着てたもの、それから……コッドピース。

 あの同僚たちと一緒にいてそこそこ耳年増になってた気でいたけど、考えてみたらそもそも大きいとか小さいとかの基準もよく分かっていなかった。

 とにかく彼に関しては、噂を気に病む必要なんて全くなかったんだろうってのは……身をもって理解した。
 この数刻のうちに、成長というものの凄まじさや、寒いとそこは縮こまってしまうなんていう情報まで、いろんなことを知ってしまった。

「ぼくが君をずっと好きだってことも、ちゃんと分かった?」

 頬が熱くなるのを感じながらわたしは頷く。あれだけ何度も何度も囁かれたら、信じるしかないじゃない。

「絶対に結婚したいってことも?」

 それもたくさん言われたのは憶えてるし、そのたびに「うん」って答えてた気がする。

 でも、一番よく分かったのは……わたしがエディを大好きってことかな。
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。


処理中です...