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第一章
第1話 北の国
しおりを挟む次に目を覚ましたのは、とある民家のベッドの上だった。
頬を生温かい濡れたザラザラした感触がなぞる。その正体は自分と同じ大きさ位の白いトラの舌だった。びっくりしてその身を遠ざけようとするも、そのトラは自分をしっかり抱いて構わず舐め続けている。まるで私を自分の子どもとでも思っているかのように。
さっきまで暗く寒い洞窟の中で、人知れず竜に食い殺されそうになっていたところ、今度はベッドの上でトラに頬を舐められている。
混乱する中、部屋の中には夫婦と思わしき男女がいた。私の目覚めを心配して待っていたのか、二人ともほっと胸を撫でおろしている。
「良かった、目を覚ましたわ」
女性の方に優しく声をかけられた。
「……ここは?」
「心配しなくて良い、君が洞窟の中で倒れていたから連れてきたんだ」
私のその質問には男性が答えた。二人とも人の良さそうな顔をしている。
さっきまで竜に殺されそうになり、一時は本気で死を覚悟したのに、今は打って変わって温かいベッドの上で、トラに頬を舐められながらこの人の良さそうな夫婦に保護されている。
自分が無事であることを実感し思わず泣きそうになるのを堪えた。
「ありがとうございます、お二人が助けてくれたんですね」
「私達だけじゃなくて、その子もね。 あんな寒い洞窟の中にそんな薄着で行くなんて、その子が抱いて温めていなかったらとっくに凍死していたよ」
「そう、あなたも助けてくれたのね。 ありがとうね」
そう言われ自分の腰に抱き着いている白いトラの頭を恐る恐る頭を撫でてみる。水の国にはまず見ない獣だが、人懐っこく撫でる手に頬擦りをする様子がまた可愛くてこんな状況でも思わず顔が綻んでしまう。
すると二人は私の瞳を不思議そうに見つめながら尋ねてきた。
「あなた、名前はなんていうの?」
「イヴ・フェリシアといいます」
「イヴちゃんね。 私はリサよ、夫のソーマと小さなレストランをやってるの」
「本当に助けてくれてありがとうございます」
「いえ、でも本当に無事で良かったわ。 でも、どうしてあんなところにそんな薄着でいたの?」
「それが……、私にもよく分からなくて」
「どこから来たかは分かる?」
「はい、水の国から」
「あと覚えていることは?」
「……私は水の国の第一王女で、父と母と、年の近い妹と一緒に城に住んでいました」
「やっぱり王女様だったのね」
「やっぱり?」
「瞳の色が王族特有の色でしょう? 綺麗な水色だもの。 それにこの国にはそんな綺麗なプラチナブロンドの人はいないわ」
そう言って、珍しいのか私の瞳や髪の毛をまじまじと見つめる二人。そんな二人の瞳の色は茶色で、髪色も黒い。
ふと、ベッドの横にある窓から外を眺めると白い雪が降っていた。周りに民家がぽつぽつと散在しているのは分かったが、家の屋根の色や道がどこにあるのか分からない程雪が降り積もっている。
部屋の中は暖かいが窓の近くはひんやりしており、ふーっと息を吹きかけるとガラス窓が白く曇った。
外の様子と夫婦の温かそうな装い。部屋には暖炉があってポールハンガーには防寒具がかけられている。
私はなんとなく確証を得ながら、恐る恐る質問した。
「……ここはもしかして、北の国ですか?」
「あぁ、私達は竜の国と呼んでいるが」
困惑を悟られぬように、静かに「そうですか」と返す。
北の民とは、教科書の教えでしか知らない存在だが、良いことは何一つ書いていなかった。
……ん? 今竜の国って言った?
「わ、私、洞窟の中で竜に殺されそうになって。大きな黒い竜で赤い目をしていて」
竜と聞いて咄嗟に身を乗り出す私に、二人とも訝しげな表情をする。
「大きさってどれ位の?」
「私の2~3倍はあるような」
「そうか竜も進化していてね、どんどん小さくなっていて。それ位大きな竜はもういないんだよ」
「ほらこの子みたいに」
そうやって男性の影からひょこっと顔だけ出して様子を伺う、黄緑色のドラゴン。背丈は男性の腰位程しかない。
「今街にいるのはこんな第五世代の新生ドラゴンばかりさ。 この子はまだ小さいが大きくなっても君の身長を超えるか超えないか位にしかならない。 性格も温厚でね、この子は臆病な位だよ。チャップっていうんだ、ちょっと人見知りだけど噛みついたりしない優しい子だよ」
「そんな大きな竜いないはず、何かの見間違えじゃないかしら」
見間違え……?
あれはやっぱり夢だったのだろうか。私はあの洞窟で悪い夢を見ていただけだったのか。
「でも本当にどうして王女様があんなところにいたんだろう。 他には何も覚えてない?」
「はい、でも家に帰ったら必ず御恩はお返しします。 本当に助けてくれてありがとうございました」
二人で困惑した表情をしながら顔を見合わせる。
「……お嬢ちゃん、ここは残念ながら竜の国だ」
「はい?」
「こっちからあっちに戻るのは難しいんだ。 竜の国はほとんど他国と国交がなくて、他国へ行く交通手段もないんだ。 歩いて帰るにしても水の国と竜の国の間にはゴブリンの森があるし。 それに竜の国は谷底にあるから、国辺境まで行っても登る手段があるかどうか……」
「そ、そんな……」
困惑する私に、リサさんが気遣って優しく声をかけてくれた。
「ひとまず、お腹すいたでしょう? 何か温かいものでも作るわ。 何かお腹に入れてからまた考えましょう」
そう言ってリサさんは背を向け台所の方へ向かった。
突然の事態に困惑するばかりだったが、一体自分はいつから食事を摂っていないのだろうか。気付くと、今にもお腹から大きな音が聞こえてきそうな程の空腹を感じていた。
「クラムチャウダーが良いんじゃないか、体が温まる」
ソーマさんがそう言ってリサさんへ提案すると、そうねと返事をして準備に取り掛かり始めた。
「リサの作るメシは上手いんだ。 北の海で採れるハマグリは身が大きく、ダシもよく取れるから楽しみにしててよ」
そう言ってにこっと笑うソーマさんに、「任せて」と私に振り返って意気込むリサさん。
見ず知らずの私を保護し温かい食事まで提供してくれる。しかも寒くないようにと、薄着の上からもこもこの太い毛糸で編まれたセーターとズボンを着せてくれていた。
私が王女ということで、見返りを期待しているのかもしれないけれど、改めて二人の優しさに戸惑う。
この人達は本当に野蛮で冷酷といわれる北の民なのだろうか。今まで自分が水の国で教わってきた北の民とはまるで違う。
北の民とは、言語は一緒だが竜や獣への信仰が強く他国とほとんど国交をもたず、地理的にも北の国だけ谷にあることもあり未開の地とされていた。
歴史的にも世紀が変わる程、四国と長い間戦争をしてきただけに、特に貴族や富裕層の人間は恨みを買われていることが多く、今まで積極的な接触を避けてきたと言われている。そんな背景からか、祖国の教えでは、北の民は野蛮で人間の尊厳を持ち合わせず慈悲なく人を殺すと教えられてきたが……。
私が王女ということも加味しても、目の前の二人からはまっさらな善意しか感じられなかった。
「イヴちゃん、寒くないかい? ベッドから出れる?」
「は、はい」
ソーマさんに促されダイニングにあるテーブルの席に着く。二人がけの木製のチェアだった。手の込んだ可愛い刺繍が施された座布団の上に少し躊躇いながら座る。
「どうしたの?」
「あんまり刺繍が可愛いものだから、座るのに躊躇ってしまって」
素直にそう答えると、キッチンにいるリサさんにも聞こえたのか吹き出すような笑い声が聞こえた。
「北は寒いからね、どうしても家の中で過ごすことが多くなってしまって、そんなのばかり作ってるのよ。綻びだらけだからあまり見ないでちょうだい」
そう言って照れ笑いしながら、湯気のたったクラムチャウダーを3皿分、プレートに乗せて運んできた。
家の中を見渡してみると、毛皮の防寒着の他に、同じように刺繍が施されたマフラーや手袋などがポールハンガーにかけられている。
「すごい、もしかして全部お手製なんですか?」
「そんなにびっくりするものじゃない、どこの家にも普通にあるものよ」
「私も幼い頃から刺繍を習いましたが、こんな繊細で色使いが綺麗な刺繍は初めてです」
「そんなに気に入ってもらえたなら、今度編み物でもしましょうか?」
「ありがとうございます、色々教えて欲しいです」
そんなやり取りをしながら、自分の前に美味しそうなクラムチャウダーが置かれた。
「美味しそう」
「熱いから火傷しないようにね」
微笑むリサさんに、隣では難しそうな顔をしているソーマさん。
「良いな、俺も何か気に入ってもらえるものはないかな」
私達のやり取りに入れず、聞いていただけのソーマさんが口を尖らせながら言った。
「あらあなたってばヤキモチ?」
「俺も仲良くしたいんだよ」
子どものようにそう言うソーマさんに、私はここへ来て初めて声を出して笑った。
そんな私の姿に、二人は心底安堵した顔で見合わせる。
すると、隣に座るトラが自分の存在も忘れないでと、頭を体にこすりつけてきた。
「あなたに名前を付けなきゃね、何が良いかしら」
よくトラの顔を見ると、吸い込まれそうな程綺麗な青色をしていた。濃い青は祖国での私のシンボルカラーでもある。
「綺麗な瞳の色ね、ブルーにしましょうか」
「ブルー良かったね、良い名前をもらって」
……だけど、なぜ、自分が北の国にいるのか全然分からない。
覚えているのは、私は以前水の国のお城に住み、父と母、年の近い妹一人と従者がいるような裕福な暮らしをしていたこと。
父親の方は何故か朧気でよく思い出せないが、母親の方はとても大事に私を育ててくれたのを覚えている。自分によく似ていると、私の頬に頬擦りをしよく『私の宝物』と言って顔中にキスをしてくれた。だけどなぜかその母親の記憶も幼少の頃までに限定されている。
年の近い妹とはあまり容姿は似ておらず、自分とは違って幼い頃から愛嬌があって皆に愛されていた。
……私の記憶が抜け落ちている。それはきっと、私がここにいる理由とも関係している。
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