気まま冒険者の専属シェフ~最強魔人の旦那様~

88dori

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2章 街

7 冒険者ギルド

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「雄の魔羆を独りで倒したのか……」

 感嘆の言葉を漏らす冒険者ギルド職員の前で、朱明しゅめいが誇らしげに微笑んでいる。
 伯黎泉はくれいぜんと朱明の二人組は、森を抜けて辺境の村外れで一泊し、翌日には街に戻って朱明の所属する冒険者ギルドまでやって来ていた。今は討伐証明として魔羆の核、さらに素材として毛皮と胆嚢を納品しているところである。

「こんなに大きいとは思ってなかったから驚いたよ。でも、問題なかった」
「実力は黄金等級をとうに超えているな、朱明は」
「白金等級になったら報酬上がるんだよね。申請してみようかな」

 提示している身分証に刻まれた黄金等級の印に、朱明が目を落とす。気負いのない口振りからは彼の自認が伺えて好ましく思った。

 冒険者ギルドではギルドへの貢献度によって五段階の等級で評価される。上から、朱金、白金、黄金、黒金、青金だ。朱色は貴色の赤に近く、尊ばれる色であり、最高位の評価によく用いられるのでこの並びとなっている。評価は累積点のため、継続して納品していれば時間経過で自然と等級を上げられるようになる。朱明の歳で黄金等級は優秀な冒険者の証だ。
 ただし、等級が上がるのは良いことばかりではない。報酬の取り分が多くなる代わりに、簡単な任務は受託制限にかかり受けられなくなるのだ。このため、特に討伐を主とする冒険者では、昇級条件を満たしても敢えて下の等級に留まる者も多い。白金等級ともなると上級冒険者としての特別待遇を受けられるようになる一方、実力が伴わなければ高難易度の任務に伴う損耗ばかりが嵩むので、黄金等級への下降申請をする者も珍しくないぐらいだ。
ギルドの雇用等級とは別に、国の戦力等級もあるのだが、こちらは魔法同様鑑定の費用と時間負担が大きいため、あまり一般的でない。
 納品した素材を作業机に広げて検分しながら、職員は半ば独り言のように評価を告げた。

「いつもより毛皮の剥ぎ方が綺麗だな。首をさばいてわきから心臓を一突きとは恐れ入る。それに胆嚢もちゃんと持って帰っている。核の状態もいい。討伐速度を優先してお前に仕事を回したが、正直素材が期待できない分は勿体無いとも思っていた。これなら文句無しだ」

 毛皮から魔羆の状態を正確に判断するあたり、地方都市のギルドではあるが鑑定眼は確からしい。テキパキと毛皮に腐敗防止の塩を振り始めた職員に、朱明が訂正を入れる。

「素材の状態がいいのは俺の仕事じゃなくて、こっちの彼のおかげだよ」

 ね、と振り向かれて進み出た。

「朱明の魔羆を解体した者だ。伯黎泉の名で冒険者登録をしている。我の取り分は山分け済みだから、ギルドからの報酬は全て朱明の取り分でいい」
「あ、ああ……それは勿論いいが……」

 後ろに控えていた黎泉を連れとは思っていなかったらしい。周囲のざわめきが消え、たむろしている冒険者達の視線を感じる。驚き、呆れ、関心、揶揄。黎泉はともすれば排他的とも言えるそれらを、泰然と受け止めた。

 黎泉の身なりは見る者が見れば異邦人とすぐに分かるものだ。剣のこしらえは北方趣味の彫刻だし、靴の造りも周囲の者とは異なっている。それに、使用感はあるが全体的に装備の質がいい。だが、冒険者達の態度には、黎泉が余所者であるという以上に、朱明の連れであるということが大きな意味を占めているようだった。
 呆気に取られた様子の職員が、おそるおそるといった様子で質問する。

「あんたもしかして、これから朱明と組むのかい?」
「そのつもりだ」

 静かになったギルド内に黎泉の声はよく通り、小さなどよめきが起こった。
 職員は一瞬目を見張ってから唇を噛み、黎泉を探るように眺めてくる。

「見たところ、この辺りの者じゃないようですがね。中央から立ち寄りでもしたんです? 腕の立つ冒険者なら他にもいるだろうに、なぜ、朱明なんだい」

 黎泉の装備には確かに中央と呼ばれる王都で用立てたものもあり、職員の見立てはあながち間違いではない。
 職員の言葉からは敵意よりも朱明への心配が透けて見え、黎泉は一定の敬意を持った回答をすることにした。

「良い観察眼だ。その目を持つならば分かるだろう。朱明は優れた狩の腕前と戦士の誇りがあり、心根もよく気持ちの良い男だ。既に我は朱明と相棒の契りを結んでいる」
「れっ、黎泉! 声が大きいよ」

 顔を赤らめた朱明に小声で袖を引かれ、込み上げる愛おしさに目を細めた。

「何を恥じる所がある。お前にとって我は相棒と紹介するのに役不足の男か?」
「そんなことあるわけない。俺はただ、下世話な想像をされたくないだけ」

 つん、と顎を上げて真っ直ぐに見つめてくる。艶を帯びて輝く金茶色の瞳は力強く、誇り高い彼によく似合った。

「相棒という関係に下世話な勘繰りをされることは我も不本意だ。お前を穢そうとする者がいるならば、我が片付けよう」
「そのぐらい自分で対処できるよ」

 双剣の柄を撫でながら、朱明は何でもないことのように言う。黎泉とてその実力を疑っている訳ではない。だが、彼の矜持を尊重しつつも、譲りたくないことはある。

「そうだろうな。ただ、相棒にと申し入れたのも、それを喧伝したのも我だ。露払いぐらいせねばお前に面目が立たない」
「ふーん。なら、任せようかな」

 朱明は少し考える様子を見せ、それからにこりと微笑んだ。元々が可憐な美貌なので、笑顔になると周囲がぱっと明るく華やぐような印象になる。大変魅力的で愛らしい。
 黎泉が口を開きかけた時、コホン、と咳払いが聞こえた。
 二人が振り向くと、放置される形になった職員がワザとらしく「あー暑い暑い」とぼやいている。

「やれやれ、そういうことなら納得だ。聞いての通り、朱明は白金等級にも手の届く実力がある、ウチの有力な冒険者だ。なのに、可愛いからって変な気を起こす輩が多くてな。あんたがちゃんと朱明を相棒として認めてくれているなら安心だ。その、くれぐれもよろしく頼むよ」
「ああ、任された」

 随分と過保護な言い回しだが、それだけ朱明に良からぬ態度を取る者が多かったのだろう。黎泉がしっかりと肯定したことで、職員は傍目に分かるほど安堵した様子になる。

「本人の目の前でするやり取り?」

 呆れ顔で朱明がぼやき、和やかな空気が流れかけた時だった。

「いや、おかしいだろ」

 低い唸りと共に、怒気を滲ませた男が割り込んできた。身長は黎泉より少し低く、浅黒い肌の色をしている。顔を歪めてはいるがなかなかの美男子で、意匠の統一された装備は小洒落ていた。装飾の共通した装備を身に付けた男達が数人、さりげなく黎泉と朱明を囲む位置に移動してきたあたり、パーティーを率いる長なのかもしれない。
 その男が、やたら暑苦しくめ付けてくる。黎泉は閉口した。

「緋燕(ヒエン)。急に何?」

 朱明が非難の声を上げると、男は一瞬ぱっと喜色を覗かせたが、すぐに苦々しい顔になり朱明の方に振り向いた。

「朱明、お前は俺達の組織に入っているだろう。勝手な行動を取られては困る」
「そちらでしたら朱明の方から既に脱退申請が出ております」

 ギルド職員が固い声音で訂正した。黎泉が見つめると、「白金等級の冒険者で、自分の名を冠した緋燕団という組織の長です」と小声で教えてくれる。
 職員の指摘を受け、緋燕ひえんはむしろ堂々と胸を張った。

「そんなもの受領していない。朱明の申請理由については、手打ちを提案した筈だ。お前にちょっかいをかけた男の退団と、お前が切り落とした指であがないは済んでいる」

 ギルド内で数人の男が居心地悪そうに傷や欠損のある手を隠すのが目に入り、黎泉はその数に少し呆れた。全員が元団員ではないのだろうが、あまりにすねに傷ならぬ手に傷を持つ者が多い。
 緋燕の勢いに対し、朱明はあくまで落ち着いていた。

「それは、俺に手を出そうとしたことについての詫びだよね。水浴びしたり、昼寝したりするだけでいちいち人目がある生活は、俺には馴染まなかった。だから脱退したんだよ」
「お前に不埒な目を向ける奴がまだいたって話だな。対処の案は出しただろ!」
「その対処って緋燕と四六時中一緒にいろっていう内容だったよね。話にならない」

 黎泉はなんとなく事情が掴めてきた。この緋燕という男は、朱明に懸想けそうしている。仲間が朱明に手を出したのを機に、朱明と距離を詰めようとして、それで朱明に逃げられたらしい。

「緋燕さん、あなた方が受領しなくとも、ギルドは朱明の申請を受けて既に朱明は退団扱いになっています。いつの話を持ち出されるつもりですか」

 職員に窘められ、緋燕はさらに猛った。両手を拡げて周囲の仲間に訴える。

「朱明の心の傷が癒えて戻って来るのを待っていたんだ。俺は朱明が駆け出しの頃から気にかけて面倒を見てきていただろ? なのにこんなぽっと出の男が相棒!? おかしいだろ!」

 頃合いだな、と黎泉は思った。

「朱明。お前はそこの男を知っているようだが、よく吠えてうるさい。分を弁えさせて構わないか」

 固い表情の朱明が、少し哀しげな視線で黎泉を見上げた。その顔を見ただけで、黎泉は緋燕の口をもっと早く閉じさせれば良かったと悔やむ。

「世話になったことがあるのは本当だよ。緋燕は鈍い奴だけど……後遺症はないようにしてあげて」
「ああ。すまぬ朱明、我の判断は些か遅すぎた」
「黎泉……」

 見つめ合って語らう黎泉と朱明に、緋燕はワナワナと震え、彼の仲間も思うところのあるようだった。最も近くにいた男が、ずいと進み出る。腕も腿も赤子の胴程の太さがある巨漢だ。

「オイオイ、朱明。なにをヘラヘラ媚び売ってるんだ。お前がさっさとそのカワイイ尻をひ」

 ごぶっ。

 男は言葉の途中で奇妙な音を発して、棒のように立ち尽くした。天を仰いで喉を掻き、その場に倒れ込む。床の上でジタバタともがき始める男の顔色は赤黒く、鼻と口からは細かい泡が溢れ出ていた。

「貴様、俺の仲間に何をした」

 目を見開いた緋燕が黎泉に詰め寄りかけ、弾かれたように距離を取った。強い警戒を滲ませた男に向けて、黎泉は冷笑を浮かべる。

「分からぬか。我の相棒に無礼を働く口は塞ぐべきだろう。そこな男は窒息している。早く治療院にでも運んでやるといい」

 朱明に物言いをつけた男は、今や床の上で奇妙な姿勢となり、痙攣していた。鼻と口からタラタラととめどなく水が流れる。黎泉の言葉を受けて、数名の男が慌てて駆け寄り、筋肉で覆われた巨体を担ぎ上げた。その瞬間、ごぼりと大量の水を吐き、激しく咽こむ。

「水……?」

 緋燕の訝しげな呟きには、仄かな畏怖が混じっていた。仲間に運び出される男の咳きが次第に遠くなる。

「お前も飲むか?」

 黎泉は分かりやすく周囲に水球を浮かべてやった。先程の巨漢の男では鼻と口だけを覆うように当てがったものだ。

「魔術師か……! だが、人体に直接干渉できる魔術師など聞いたこともない……」
「魔術も使いようだ」

 直接干渉したわけではないのだが、黎泉と同じ精度で水球を制御する魔術師は見たことがないので、客観的にはほぼ同じことかもしれない。
 緋燕は低く身構えて曲刀の柄に手をかけた。

「朱明は……俺のものだ……」
「まだ分からぬか。朱明は誰のものでもない。我の相棒だ」
「ガアァッ!!」

 はやく正確な一撃がくびを狙うのを、黎泉は避けなかった。

「頭を冷やすがいい」

 大量の水の波濤はとうが緋燕を直撃し、ついでに背後の男を二人ほど巻き込んで、ギルドの壁に椅子や机ごと勢いよく叩きつけた。
 家具の間に折り重なったびしょ濡れの男達は、呻き声ひとつ上げず昏倒して動かない。
 水浸しの床にじわじわと血が滲み溶けていくのを見て、誰かがヒッと喉を鳴らした。冒険者の癖に気の弱いことだ。

「緋燕がやられた……」
「ギルドで一番強いのってアイツだったよな」
「聞いたことのある魔術師の話と全然違うぞ」

 騒めくギルド内をぐるりと見回すと、途端に静まり返る。

「悪いな、浸水させてしまった」
「いえ、ギルドもちょうど掃除の必要な頃でした。先に刃を抜いたのは緋燕で、彼に非があります」

 すっかり畏まってしまった職員に、黎泉は笑いかけた。

「もっと砕けた口調でいい。いずれ朱明の話でも聞かせてくれ」
「変な話したら怒るよ」

 事の成り行きを黙って見守っていた朱明が顔を上げ、黎泉と職員を交互に睨んでみせた。
 職員はそこでようやく肩の力の抜けたようだった。

「……ああ、分かった。伯さん、重ね重ね朱明をよろしく頼むよ。ここはこちらで収めておくから、伯さんと朱明は隣の任務受付へ報酬を受け取りに行ってくれ」
「世話になる」

 礼を言う黎泉の横で、朱明は少し唇を尖らせる。

「俺ばっかり手間がかかるみたいな扱いだけど、こっちだって黎泉の世話をしてるんだよ」
「そうだな。朱明は我にたくさん馳走してくれる甲斐性のある相棒だ」
「ふふっ。今のちゃんと聞いた?」

 機嫌良く問いかける朱明に、職員はすっかり普段の調子を取り戻して、「さっさと行きな」とぞんざいに手を振る。

「ま、緋燕がまたケチをつけてきたら、今度は俺だって怒るかな。だって黎泉は俺の相棒だし」
「そうか、では次はお前に譲ろう。我は手加減が上手くないからな」

 そんな話をしながら納品受付室を離れる二人を、冒険者達は畏怖の眼差しで見送る。未だ倒れている緋燕の横で、出入り扉がバタンと閉じた瞬間、室内は蜂の巣を突いたような騒ぎになるのであった。
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