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1章 出会い
4 魔族
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「さすがだな、朱明。怪我は無いか? 見事なものだ」
「大した傷はないよ。尿を振り撒いた近くで転げ回ったから、臭いと汚れが気になるぐらいかな」
戻ってきた黎泉は機嫌が良かった。声に喜色がそれはもう溢れている。朱明の返事も聞いているのかいないのか、「それで、」と食い気味に話し始めてソワソワしている。
「朱明はどんな料理が食べたい? 魔羆は臭みが回りやすい。最上の状態で食べられるのは今だけだ」
「せっかく雄を倒したんだし、雄ならではの料理がいいかなぁ」
何がいいと言われても、魔羆料理の種類をそもそも知らないのだ。深く考えずに黎泉のお勧めを希望するつもりでそう言うと、ふむ、と深く頷かれる。
「通なことを言う。では、先にお前を洗っておこうか」
「いや、さすがに夜の水場は……」
月明かりもろくに届かない森の中で今から水場を探すのも、濡れた足場で身体を洗うのも骨が折れる。難色を示した朱明に、黎泉はにやりと笑った。
「お前の得意が狩りなら、我の得意は水の扱いだ」
彼が指を伸ばす。いつ現れたものか、その先端にはあぶくのような丸くふわふわと揺らぐ物体が浮いている。
「なにそれ?」
「手を出してみろ。悪いようにはしない」
素直に黎泉へ掌を差し出すと、彼は鹿林檎を渡すような気やすさで指先のあぶくを乗せてきた。それは朱明の肌に触れた途端弾け、ぴしゃりと手を濡らす。驚いて手を引っ込め、匂いを嗅ぐ朱明を、黎泉は満足そうに見つめていた。
「これ……水? 黎泉、もしかして魔術師?」
「いかにも。ああ、だが我は魔術師として仕官しているわけではない。たまたま水魔術ができるだけだ」
「そうなんだ……。俺に言っていいの?」
つい、心配になってしまう。魔術師の扱う魔法の種類は多岐に渡るが、黎泉の使う水魔術がとても貴重なことは一目で分かった。水を得る能力者なんて、こんな地方都市所属の冒険者では風の噂にしか聞いたことがない。
「謙遜するな。お前は我の信に値する」
誰にでも言いふらしているわけではない。黎泉の目はそう語っており、朱明はじんわりと胸が温かくなるのを感じた。
* * *
焚き火の横で服を脱ぐ。黎泉は水魔術で出る水を温水にするため、焚き火を掠めて水球を飛ばしてくれるらしい。
「目立った古傷も無いのだな」
裸になった朱明と目が合った黎泉は感心した風だった。
「俺は血族魔法で身体強化があるんだ。だから魔羆とやり合っても少々のことじゃ怪我しない」
血族魔法は特定の家系に発現する魔法で、意思に関係なく自動発動する。魔法の強さは生涯ほぼ変動がなく、地域によっては祝福や加護と呼ばれることがある。朱明の血族魔法は、出身である少数民族タンラン族のもので、朱明は加護の厚い子供と言われて育った。
「【頑強】と、【身体把握】あたりがありそうだな」
「鑑定は受けてないんだよね。時間とお金がかかるし」
「もっともだ」
黎泉が苦笑して頷いた。
鑑定所での身体測定は面倒で有名だ。身体強化の系統判断となると、予約状況によっては一ヶ月はかかるし、費用も嵩むし、痛めつけられるしと良いことがない。公的機関に勤める一部の職種では定期的に鑑定を受けていると聞くから恐れ入る。
「では、水を送る。足元に水溜りが出来始めたら、一度水を回収するから言ってくれ」
「そんなことまでできるんだ。俺がまだ洗っている途中でも、疲れたら言ってよ」
「お前ひとりを洗い上げるぐらい問題ないさ」
黎泉は軽く笑い、先程よりも大きい水球を作った。ふわふわと漂うそれは焚き火の炎に炙られ、朱明の肌にぶつかって弾ける。
「湯加減はどうだ?」
「ちょうどいいよ、ありがとう」
「では、この要領で一気に飛ばすぞ」
水球は一球ずつという制限でもないらしい。一気にたくさん飛んできて目を見張る。こんな山中で湯が使い放題なんて、とんでもない恵みだ。しかも黎泉は水球飛ばしを片手間に、魔羆の死体に水を流して血抜きを始めている。大量の水の行使から推察される、恐るべき魔力量と操作力から察するに、遠慮は本当に無用のようだ。
朱明は知らず、花の綻ぶような笑顔になって、無心に髪を流し、顔を洗い、脇や尻をこすって、ヘソをほじった。途中で黎泉から石鹸まで貸されて、毛先からつま先までピカピカでいい匂いがする。
「すっごく気持ち良かった。高級宿にいるみたいだ。ありがとう、黎泉」
「礼を言うのはまだ早い。お前は髪を乾かして待っていてくれ」
「至れり尽くせりだ……」
朱明が身体を洗うのに夢中になっていた合間に、どうやら調理はほとんど大詰めに至ったらしい。黎泉はことこと煮える鍋を味見して、難しい顔をしている。
「水が違うか……?」
「なに、どうしたの」
「以前に魔羆を調理した時に比べ、臭みの消えがやけに悪い。肉の処理や状態に違和感は無く、原因としてこの辺りの水の味がまろやかなことぐらいしか思い当たらなくてな……」
「水にそんな味とかあったっけ」
「ああ、飲み比べたら確実に地域差がある」
黎泉はまだ悩ましげに鍋から何かを捨てたり、足したりを繰り返していたが、朱明の方に漂い鼻をくすぐる香りは充分食欲を誘うものだった。
「すごくいい匂い。お腹空いたなー」
「うむ、うん……。では先にこれを食べてみてくれ」
鍋料理以外にも何か作っていたらしい。黎泉からタレのついた串焼きを渡されて、早速かぶりついた。
「コリコリする。タレが甘辛くて、とろっとして、すごく美味しい」
「そう褒められると嬉しいな。口に合うなら全部食べていいぞ」
「やった」
上の空の黎泉をよそに、朱明は喜んで何本もある串焼きをぱくぱく食べた。小さめに切られた歯ごたえの違う2種類の肉と、赤や緑の肉厚な野菜や茸が交互に刺さっていて、心身に沁みる味がする。
「……もう食べたのか。ふふ」
いつの間にか黎泉に慈愛のこもった視線を向けられていて、すっかり串焼きを食べ尽くした朱明は少し気恥ずかしかった。
「黎泉、料理上手いね」
「魔羆は美味いものだろう?」
「うん」
頷くと彼は我が意を得たように笑った。
「鍋もあるぞ。最高の状態とは言えないが、それなりには調理できた」
差し出された椀の汁を飲む。濃いめの味付けでコクがある割に、主張が強すぎない絶妙な味付けだ。白く脂身のついた肉は舌の上でほろりと溶けて、口いっぱいに旨みが広がる。確かにうっすら野生みはあるが、十分美味いの範疇だ。
今度は黎泉も一緒に食べ始める。品良く肉を咀嚼する彼の食事は、一向に手が止まらず、やがて朱明が満腹になってからも鍋を空けるまで食べ続けていた。とは言え食事量としては、黎泉の体格の一般成人男性そのもの程度に見える。
「美味しかった……ご馳走様……」
食後のお茶まで淹れてもらって、朱明はすっかり心地よく気を緩めていた。食器の後片付けをしていた黎泉が、そんな朱明を見て口を開く。
「明日の朝食分の肉や肝臓と、頼まれた素材として核と毛皮、胆嚢を取り出しておいた。残りは我が喰っても良いだろうか」
「まだ食べれるんだ。今から料理するの?」
「いや、このまま食べる。こちらの姿でな」
拘束された獣が解き放たれる瞬間のような、獰猛な笑みが印象に残った。黎泉の輪郭が急速に滲む。
彼のいた場所にぱさりと服が落ちた。焚き火の明かりの届かぬ暗がりで、何かが蠢いている。朱明は双剣に手を置き、気配を探った。大きく、そして前後に長い。
「朱明、我だ。今から顔を出すが、斬ってくれるなよ」
気配の位置から少しくぐもった黎泉の声がした。朱明は油断なく闇を見つめつつ、一度頷いた。
「お前は物分かりが良くて助かる」
闇からぬっと太い口吻が突き出された。草むら色の細かな鱗で覆われたそれは、少し頭を傾ける。側面についた真っ黒の瞳の奥には、黎泉と同じ夕陽の輝きがあった。
「れい、ぜん……なの?」
「ああ」
不意にべろりと長い舌が空中に出され、そのまま引っ込んだ。朱明は小さく肩が跳ねたが、剣は抜かなかった。
「口、動いてないけど」
「念話だ。この姿の喉は人語を話すようにできていない」
のし、のし、と明るみに出てきた黎泉の姿が分かるにつれ、顔を見た時の予感が確信に変わる。黎泉の姿は、トカゲだ。しかも相当に大きい。焚き火の明かりでは全体が見えず、また体型も異なっているが、少なくとも雌の魔羆とは同じぐらいの体重がありそうな気がする。
人間が獣に姿を変えるとなると、思い浮かぶのはひとつだ。
「魔族」
「そうだとも。なあ朱明、少しうるさくしてしまうが、もう食事をしてもいいだろうか」
「……いいよ」
「ありがとう」
太い脚が意外な速さで動き、ぶんと尾の一振りを残して姿を消す。魔羆の死体の方から肉を裂き、骨を噛み砕くような鈍い音が聞こえて、黎泉の食事が始まったことを知った。
残された朱明は呆然と柄から手を下ろす。魔族とは、魔術師よりもさらに希少な、二つの姿を持つ魔人たちを指す言葉だ。魔人は皆優れた魔法の才があるだとか、魔法に限らず人並み優れた能力があるだとか。朱明の立場で詳しいことは分からないが、とにかくすごいと尊敬や憧憬を集めている、雲の上の存在が魔族だった。
「なんでこんなところに……?」
呟いてみても返事はない。
朱明がまんじりともせずお茶を啜って待つこと一時間。黎泉は一向に食べ終わる様子が無く、相変わらず魔羆から戻ってこない。朱明はすっかり眠くなってきた。身体がぽかぽかと温かく、とうに黎泉を問い詰めるのは明日でいいやという気分だ。
「れーいぜーんー。俺先に寝るよ」
「分かった。残りは明日に回す」
意外にも返事がきて、こいつ……と呆れた気分になる。
「寝床半分空けておくけど、ちゃんと身体洗って人間の形で寝てよー」
それともトカゲのまま寝るのだろうか。ぼやっと浮かんだ疑問も特大のあくびで押し流される。
朱明はもぞもぞと寝床に潜り込み、そのままことりと眠りに落ちた。
「大した傷はないよ。尿を振り撒いた近くで転げ回ったから、臭いと汚れが気になるぐらいかな」
戻ってきた黎泉は機嫌が良かった。声に喜色がそれはもう溢れている。朱明の返事も聞いているのかいないのか、「それで、」と食い気味に話し始めてソワソワしている。
「朱明はどんな料理が食べたい? 魔羆は臭みが回りやすい。最上の状態で食べられるのは今だけだ」
「せっかく雄を倒したんだし、雄ならではの料理がいいかなぁ」
何がいいと言われても、魔羆料理の種類をそもそも知らないのだ。深く考えずに黎泉のお勧めを希望するつもりでそう言うと、ふむ、と深く頷かれる。
「通なことを言う。では、先にお前を洗っておこうか」
「いや、さすがに夜の水場は……」
月明かりもろくに届かない森の中で今から水場を探すのも、濡れた足場で身体を洗うのも骨が折れる。難色を示した朱明に、黎泉はにやりと笑った。
「お前の得意が狩りなら、我の得意は水の扱いだ」
彼が指を伸ばす。いつ現れたものか、その先端にはあぶくのような丸くふわふわと揺らぐ物体が浮いている。
「なにそれ?」
「手を出してみろ。悪いようにはしない」
素直に黎泉へ掌を差し出すと、彼は鹿林檎を渡すような気やすさで指先のあぶくを乗せてきた。それは朱明の肌に触れた途端弾け、ぴしゃりと手を濡らす。驚いて手を引っ込め、匂いを嗅ぐ朱明を、黎泉は満足そうに見つめていた。
「これ……水? 黎泉、もしかして魔術師?」
「いかにも。ああ、だが我は魔術師として仕官しているわけではない。たまたま水魔術ができるだけだ」
「そうなんだ……。俺に言っていいの?」
つい、心配になってしまう。魔術師の扱う魔法の種類は多岐に渡るが、黎泉の使う水魔術がとても貴重なことは一目で分かった。水を得る能力者なんて、こんな地方都市所属の冒険者では風の噂にしか聞いたことがない。
「謙遜するな。お前は我の信に値する」
誰にでも言いふらしているわけではない。黎泉の目はそう語っており、朱明はじんわりと胸が温かくなるのを感じた。
* * *
焚き火の横で服を脱ぐ。黎泉は水魔術で出る水を温水にするため、焚き火を掠めて水球を飛ばしてくれるらしい。
「目立った古傷も無いのだな」
裸になった朱明と目が合った黎泉は感心した風だった。
「俺は血族魔法で身体強化があるんだ。だから魔羆とやり合っても少々のことじゃ怪我しない」
血族魔法は特定の家系に発現する魔法で、意思に関係なく自動発動する。魔法の強さは生涯ほぼ変動がなく、地域によっては祝福や加護と呼ばれることがある。朱明の血族魔法は、出身である少数民族タンラン族のもので、朱明は加護の厚い子供と言われて育った。
「【頑強】と、【身体把握】あたりがありそうだな」
「鑑定は受けてないんだよね。時間とお金がかかるし」
「もっともだ」
黎泉が苦笑して頷いた。
鑑定所での身体測定は面倒で有名だ。身体強化の系統判断となると、予約状況によっては一ヶ月はかかるし、費用も嵩むし、痛めつけられるしと良いことがない。公的機関に勤める一部の職種では定期的に鑑定を受けていると聞くから恐れ入る。
「では、水を送る。足元に水溜りが出来始めたら、一度水を回収するから言ってくれ」
「そんなことまでできるんだ。俺がまだ洗っている途中でも、疲れたら言ってよ」
「お前ひとりを洗い上げるぐらい問題ないさ」
黎泉は軽く笑い、先程よりも大きい水球を作った。ふわふわと漂うそれは焚き火の炎に炙られ、朱明の肌にぶつかって弾ける。
「湯加減はどうだ?」
「ちょうどいいよ、ありがとう」
「では、この要領で一気に飛ばすぞ」
水球は一球ずつという制限でもないらしい。一気にたくさん飛んできて目を見張る。こんな山中で湯が使い放題なんて、とんでもない恵みだ。しかも黎泉は水球飛ばしを片手間に、魔羆の死体に水を流して血抜きを始めている。大量の水の行使から推察される、恐るべき魔力量と操作力から察するに、遠慮は本当に無用のようだ。
朱明は知らず、花の綻ぶような笑顔になって、無心に髪を流し、顔を洗い、脇や尻をこすって、ヘソをほじった。途中で黎泉から石鹸まで貸されて、毛先からつま先までピカピカでいい匂いがする。
「すっごく気持ち良かった。高級宿にいるみたいだ。ありがとう、黎泉」
「礼を言うのはまだ早い。お前は髪を乾かして待っていてくれ」
「至れり尽くせりだ……」
朱明が身体を洗うのに夢中になっていた合間に、どうやら調理はほとんど大詰めに至ったらしい。黎泉はことこと煮える鍋を味見して、難しい顔をしている。
「水が違うか……?」
「なに、どうしたの」
「以前に魔羆を調理した時に比べ、臭みの消えがやけに悪い。肉の処理や状態に違和感は無く、原因としてこの辺りの水の味がまろやかなことぐらいしか思い当たらなくてな……」
「水にそんな味とかあったっけ」
「ああ、飲み比べたら確実に地域差がある」
黎泉はまだ悩ましげに鍋から何かを捨てたり、足したりを繰り返していたが、朱明の方に漂い鼻をくすぐる香りは充分食欲を誘うものだった。
「すごくいい匂い。お腹空いたなー」
「うむ、うん……。では先にこれを食べてみてくれ」
鍋料理以外にも何か作っていたらしい。黎泉からタレのついた串焼きを渡されて、早速かぶりついた。
「コリコリする。タレが甘辛くて、とろっとして、すごく美味しい」
「そう褒められると嬉しいな。口に合うなら全部食べていいぞ」
「やった」
上の空の黎泉をよそに、朱明は喜んで何本もある串焼きをぱくぱく食べた。小さめに切られた歯ごたえの違う2種類の肉と、赤や緑の肉厚な野菜や茸が交互に刺さっていて、心身に沁みる味がする。
「……もう食べたのか。ふふ」
いつの間にか黎泉に慈愛のこもった視線を向けられていて、すっかり串焼きを食べ尽くした朱明は少し気恥ずかしかった。
「黎泉、料理上手いね」
「魔羆は美味いものだろう?」
「うん」
頷くと彼は我が意を得たように笑った。
「鍋もあるぞ。最高の状態とは言えないが、それなりには調理できた」
差し出された椀の汁を飲む。濃いめの味付けでコクがある割に、主張が強すぎない絶妙な味付けだ。白く脂身のついた肉は舌の上でほろりと溶けて、口いっぱいに旨みが広がる。確かにうっすら野生みはあるが、十分美味いの範疇だ。
今度は黎泉も一緒に食べ始める。品良く肉を咀嚼する彼の食事は、一向に手が止まらず、やがて朱明が満腹になってからも鍋を空けるまで食べ続けていた。とは言え食事量としては、黎泉の体格の一般成人男性そのもの程度に見える。
「美味しかった……ご馳走様……」
食後のお茶まで淹れてもらって、朱明はすっかり心地よく気を緩めていた。食器の後片付けをしていた黎泉が、そんな朱明を見て口を開く。
「明日の朝食分の肉や肝臓と、頼まれた素材として核と毛皮、胆嚢を取り出しておいた。残りは我が喰っても良いだろうか」
「まだ食べれるんだ。今から料理するの?」
「いや、このまま食べる。こちらの姿でな」
拘束された獣が解き放たれる瞬間のような、獰猛な笑みが印象に残った。黎泉の輪郭が急速に滲む。
彼のいた場所にぱさりと服が落ちた。焚き火の明かりの届かぬ暗がりで、何かが蠢いている。朱明は双剣に手を置き、気配を探った。大きく、そして前後に長い。
「朱明、我だ。今から顔を出すが、斬ってくれるなよ」
気配の位置から少しくぐもった黎泉の声がした。朱明は油断なく闇を見つめつつ、一度頷いた。
「お前は物分かりが良くて助かる」
闇からぬっと太い口吻が突き出された。草むら色の細かな鱗で覆われたそれは、少し頭を傾ける。側面についた真っ黒の瞳の奥には、黎泉と同じ夕陽の輝きがあった。
「れい、ぜん……なの?」
「ああ」
不意にべろりと長い舌が空中に出され、そのまま引っ込んだ。朱明は小さく肩が跳ねたが、剣は抜かなかった。
「口、動いてないけど」
「念話だ。この姿の喉は人語を話すようにできていない」
のし、のし、と明るみに出てきた黎泉の姿が分かるにつれ、顔を見た時の予感が確信に変わる。黎泉の姿は、トカゲだ。しかも相当に大きい。焚き火の明かりでは全体が見えず、また体型も異なっているが、少なくとも雌の魔羆とは同じぐらいの体重がありそうな気がする。
人間が獣に姿を変えるとなると、思い浮かぶのはひとつだ。
「魔族」
「そうだとも。なあ朱明、少しうるさくしてしまうが、もう食事をしてもいいだろうか」
「……いいよ」
「ありがとう」
太い脚が意外な速さで動き、ぶんと尾の一振りを残して姿を消す。魔羆の死体の方から肉を裂き、骨を噛み砕くような鈍い音が聞こえて、黎泉の食事が始まったことを知った。
残された朱明は呆然と柄から手を下ろす。魔族とは、魔術師よりもさらに希少な、二つの姿を持つ魔人たちを指す言葉だ。魔人は皆優れた魔法の才があるだとか、魔法に限らず人並み優れた能力があるだとか。朱明の立場で詳しいことは分からないが、とにかくすごいと尊敬や憧憬を集めている、雲の上の存在が魔族だった。
「なんでこんなところに……?」
呟いてみても返事はない。
朱明がまんじりともせずお茶を啜って待つこと一時間。黎泉は一向に食べ終わる様子が無く、相変わらず魔羆から戻ってこない。朱明はすっかり眠くなってきた。身体がぽかぽかと温かく、とうに黎泉を問い詰めるのは明日でいいやという気分だ。
「れーいぜーんー。俺先に寝るよ」
「分かった。残りは明日に回す」
意外にも返事がきて、こいつ……と呆れた気分になる。
「寝床半分空けておくけど、ちゃんと身体洗って人間の形で寝てよー」
それともトカゲのまま寝るのだろうか。ぼやっと浮かんだ疑問も特大のあくびで押し流される。
朱明はもぞもぞと寝床に潜り込み、そのままことりと眠りに落ちた。
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