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1章 出会い

2 鹿林檎

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 伯黎泉はくれいぜんの案内で森の奥に進む。この森は実りが豊かで、栗鼠りすや小鳥から猪、狼まで多数の動物が生息している。下草のない獣道は歩きやすく、傍には時に獣の糞で種子が運ばれたとおぼしき実りがある。
 先を行く男はそうした果実をもぎ取りながら歩き、朱明しゅめいにもお裾分けしてきた。

「鹿林檎だ。市場ではなかなか出回らないが、酸味と甘味が調和して美味いぞ」

 握り拳よりも少し小ぶりな赤い実を渡されて、つい素直に受け取ってしまう。

「ありがと。でもこの調子で道草喰ってると、暗くなってから魔羆と対峙ってことにならないか?」
「その可能性はある」

 シャグシャグと林檎を齧りながら黎泉は頷いた。

「だが、魔羆も生き物だ。我が見かけた場所にそのまま居着いている訳ではないだろう。運が良ければ向こうからもこちらに移動しているはずだ」
「逆に遠ざかっているかもしれないだろ」

 ごく、と喉仏が上下するのを見るともなしに眺める。果汁で濡れた唇を、厚みのある舌がぺろりと舐めとった。

「昨晩、雌の魔羆を喰った際に膀胱を残しておいた。もう少し行くと倒木でできた空き地がある。朱明さえ良ければそこで魔羆と戦えるように、周囲の木に雌の尿をかけて雄を誘き出そう」
「そんなもん持っていたんだ。というか、やけに用意周到だね」

 膀胱と尿は当然ギルドの買い取り対象の素材ではない。ということは、今日のためにわざわざ残していたと考えるのが自然だ。

「お前が死体の場所に来なかったら、我の方から訪ねて雄の討伐を持ちかけるつもりだった」

 続く黎泉の言葉は朱明の推測を裏付けるものであり、納得する。と同時に疑問が浮かんだ。

「それって、クマを喰わない方が取引きしやすかったんじゃない? 俺と交渉して要らない部分を貰う方が、話が拗れにくいでしょ」

 朱明の指摘を黎泉は一刀両断した。

「血抜きもせず放置された肉より、新鮮な肉の方が美味い」
「とことん食欲で動いてるな……」

 男の視線が手元の鹿林檎を向いていることに気付き、朱明は呆れながら林檎を齧った。

「人にあげたものまで物欲しげに見ない。ん、美味しいねこれ」
「な、違う。我はお前の好みを知ろうと」
「美味しいよ。鹿林檎だっけ、初めて食べた」

 市場の林檎よりも歯応えがあり、果肉は少し粗い食感がする。酸味が強くはあるが、野生の果物にしては意外なほどの甘さと相まって、好ましい味だった。

「……鹿の棲む山の奥で取れる実だ。畑ではうまく育たないことが多く、市場ではまず見ない。捥いでからは1週間程度保存できる」

 黎泉は無心に林檎を齧る朱明の様子を見て、小さく溜め息をついて笑い、もう一つ鹿林檎を渡してきた。

「朝は何を食べた?」
「ギルドで買った糧食」
「どこのギルドだ」
「えーと、興行ギルドだったかな? 安かったんだよね」

 残りを取り出して包み紙を確認した。ギルドの販売物はギルドごとの紋章が付くので一目でどこの品か分かる。黎泉も手元を覗き込み、頷いた。

「それは興行師が持ち運ぶ、隙間時間で食べるための軽食だ。すぐ身体に力が回る反面、腹持ちしない。朝に食べたきりなら、腹が減っていただろうに」
「言われてみれば、まあ」

 鹿林檎の2個目を齧りながら腹をさすってみていると、急に黎泉の手を重ねられて驚いた。

「わ、なに」
「肉付きの確認だ。見た目よりはきちんと身があるのだな」

 払い除けるより先に手は離れたが、なんとなく苦情を言いたくなる。

「肉付きって。俺も喰うつもりみたいなこと言うじゃん」
「お前を? そうだな、確かに……」
「本気で考えなくていい」
「冗談だ」

 くつくつと笑われる。つられて朱明も笑ってしまった。
 普段誰とも組まずに討伐をしていたが、黎泉と居るのは不思議と居心地が良い。出会ってまだ数時間なのに、以前からの仲間のように錯覚してしまう。
 もしくは、それが彼の手口なのかもしれない。だが、朱明を騙して何になるというのか。
 林檎を食べ終わった朱明を、黎泉はなんとも言えない表情で見つめてきた。

「我はお前の魔羆を全て食べるべきではなかったな。すまなかった」

 改まった口調で謝罪され、びっくりして目をぱちぱちしてしまう。

「クマなんて普段食べないから大丈夫だよ。どうしたの急に」
「お前に碌な食糧がなく、随分な粗食で魔羆と戦わせようとしていたことに気付いた。雌の肉を少しでも残していれば、もっとまともな食事を喰わせてやれたのにと思うと、己が情けない」
「粗食って。俺そんな大食いじゃないし、今はお腹いっぱいだよ」

 正確には、空腹に気付きにくいだけで朱明もそこそこの健啖家のつもりだが、今はそう慰める。それに、鹿林檎は十分に腹を満たしてくれていて、朝が意図せず軽食だったことの痛手も感じない。

「今後はお前の食事を確認してから我の食事を始めることにしよう」
「一緒に食べるので大丈夫だよ。それより、そんな後悔するなら今後は変な拾い喰いやめなよ」
「うむ……。我は食事に関してはつい、理性を失いがちでな……気を付けよう」

 悪い人じゃなさそうなんだよな。朱明はしみじみと思った。食に対するこだわりは強そうだが、朱明が腹を空かせていそうと分かると自分の食事を分けてくれる配慮もある。これまでどうやって暮らしてきたのか、聞いてみたい気がした。

「じゃあ、早く空き地に行って魔羆を討伐しよう。誘き寄せるネタもあることだし、ちゃちゃっと倒してみせるから」

 にっと笑いかけると、黎泉は眩しいものでも見るように目を細めた。
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