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大公殿下の妻は強くて怖い
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『時々お前はバルトールから送り込まれた間諜なんじゃないかと思う。……イシュトを骨抜きにしやがって』
憎々しげに言うゲーザに、レオカディアは笑みを返した。
政略結婚であるからには実家の利益を考えるようにと言い含められたのは事実だが、『間諜』呼ばわりは露骨で物騒すぎる。その割に文句の内容は『弟が妻に惚れ込んでいるのが気に食わない』という牧歌的な悩みと来れば、笑わずにいられようか。
『あら、ゲーザお義兄さまったら嫉妬しているの? 可愛い弟さんを取ってしまってごめんなさいね』
『兄と呼ぶな、お前のような可愛くない妹は要らん!』
『イシュトが可愛いことと嫉妬していることは否定しないのね。真面目に答えると、骨抜きにしたつもりはないわ。というか、毎晩激しくするのは体が辛いから控えてほしいとゲーザからも彼に言ってちょうだい』
『あー知らん知らん! 聞きたくもない!……俺は何も聞いちゃいないが、でも、イシュトに我慢させるなんて可哀想じゃないか』
『このクソブラコン小舅がっ!』
イシュトヴァーンとはバルトール語とオルドグ語を半々に交えて話しているが、ゲーザとのやりとりはほとんどオルドグ語だ。そのせいで、彼の使う上品ではない表現がうつってしまった。
今日も今日とてレオカディアが口うるさい小舅と口汚い舌戦を繰り広げていると、砦の見張り役が転がるように駆けてきた。
『大変です! ゲーザさま、奥方さま! あの方がっ、ディアドラさまが帰ってきました! イシュトヴァーンさまに会わせろと! どうしましょう、イシュトヴァーンさまは留守なのに……っ』
伝令の声を聞いて、二人は目を見開いた。
☆
砦に帰るや否や、イシュトヴァーンは大きな足音を立てて廊下を駆けて妻を探した。
「キティ! オレには隠し子なんていない、信じてくれっ、……え?」
眼前に広がる光景に目を丸くする彼を見て、レオカディアは『少しは落ち着きなさい』と窘めた。
「おかえりなさい、イシュト。誰かに『大公の子が訪ねてきた』と聞いたの?」
「ああ。でも、オレの子じゃ、その子は……?」
イシュトヴァーンはレオカディアの傍の子どもにじいっと視線を注いだ。これは彼が集中してものを見る時の癖だが、事情を知らない者は威圧的な大男に睨まれているように感じるらしい。
自分もそうだったとほんの少し前を懐かしみながら、レオカディアは子どもの背をそっと押し出した。大丈夫だ、イシュトヴァーンは怖い人ではない。
『は、はじめましてっ、たいこうさま、えと、わたしはエメシェです。たいこうさまのいもうとです、よろしくです!』
『妹!?』
おずおずと上ずった声で挨拶をする子ども――『エメシェ』という名前の幼い少女は波打つ黒髪と切れ長の目、浅黒い肌を持ち、イシュトヴァーンに似通った雰囲気がある。
『どういうことだ』と視線で訴えかけてくる夫に『今は合わせて』と視線で促すと、彼はぎこちなく笑顔を作って言った。
『よく来た。よろしくな、エメシェ』
『はい!』
『兄』に親しげな言葉をかけられた少女は、嬉しそうに瞳を輝かせた。
「……どういうことだ? 父さんの子が他にいたのか?」
遊び疲れたエメシェが眠りにつくのを待って、イシュトヴァーンは切り出した。べったりと引っついて離れない『妹』の前では詳しい説明もできなかったのに、事情が分からないまま何時間も遊び相手を続けられるなんて、彼は意外に辛抱強いらしい。
「ディアドラの話によると『不幸なすれ違いで大公家を出ることになった後に妊娠に気づいた前大公の子』らしいわ」
「母さんが来たのか!?」
「ええ。でも、もう出て行ったわ。エメシェの『代金』と旅費を受け取ってほくほく顔でね」
『ディアドラと名乗る子連れの女が暴れている』という伝令を聞いて、レオカディアは彼女を砦内に入れることにした。お目付け役のゲーザには難色を示されたが、面倒ごとには早くけりをつけてしまいたかったし、それをするのはイシュトヴァーンの妻であり留守を任された自分の役目だと思ったからだ。
『だからイシュトと二人で話したいと言っているでしょう! 早く彼を出しなさい!』
『はじめまして、ディアドラさま。夫は出かけておりまして、わたくしが代わりにお話を伺いましょう』
『あら、貴女がイシュトのお嫁さんなの? レオカディアさん? わたくしはね、貴女の従叔母にも当たるの。どうか本当の親だと思ってちょうだいね』
現れたのは、確かに歳の割には美しいが蓮っ葉な感じがする女性と、おどおどとした様子の痩せた少女だった。
ディアドラはレオカディアを見た途端に嫌な笑いを浮かべた。『本当の親』のような親身な笑みでないことはもちろんだが、義母として嫁を意地悪く見定める視線でもない。『女として自分の方が優っている』とレオカディアを見下して優越感に浸ったような態度だった。馬鹿馬鹿しい、その年齢になっても人を測る尺度をそれしか持たない自分を恥じるべきだろうに。
『わたくしが頼りたくても、あなたは大公家にいらっしゃらなかったではありませんか』
挨拶がわりに軽く牽制すると、ディアドラは気圧されたように口を引き結んだ。
何もしなくても『お高くとまった女』に見られるのだ。高い身長を活かして相手の頭上から嫌みたらしいことを言えば、言葉以上の凄みが生まれることは知っている。特にレオカディアを舐めてかかっていたディアドラには効果覿面だろう。だが、彼女がおとなしく我が身を恥じるような女なら、こんな騒動は起こしていない。
『……しっ、仕方ないでしょう? 貴女も分かるでしょう、バルトールの姫がここでどんな辛い思いをさせられるか。あんまり辛くて少し離れたいと思ってしまうのは普通でしょう? まあっ、貴女は耳に穴まで開けられてしまったのね、可哀想に! イシュトには昔から強引で残酷なところがあったから、』
『これはわたくしが好きでしたことです。夫に『砂漠の商人との交易で小粒の金剛石をたくさん手に入れたが使い方を知らないか』と聞かれて、わたくしが考えました』
『……あら、そうなの』
レオカディアの両耳朶には、緩やかに捻った金の板に金剛石を散りばめた意匠の繊細な耳飾りが揺れている。
これまでに知る耳飾りは、挟み金具を隠すために台座に大きな宝石があしらわれ、長く着けていると重みで耳が痛くなってしまうものばかりだった。一方でオルドグの女たちが付ける耳環は耳朶に開けた穴に細い金の輪を通すものであり、装飾性に欠けるところがある。両者の欠点を補いつつ小粒の金剛石を使えないかと考えて、耳朶の穴に細い金具を通して細工をぶら下げることにした。
光を弾くそれらに物欲しげな目を向けていたディアドラは、同情と軽蔑の材料を一つ潰されて黙り込んだ。その隙を逃さずレオカディアは追撃を加えた。
『それで、あなたは『少し』離れるほど辛い思いをさせられた大公家に何をしに戻っていらしたのです? わたくしはあなたが病死したと伺っていましたが』
『大公殿下はわたくしのことをそれほど恨んでおられたのね……。でもね、それは何故だか分かる? 妻を激しく愛していたから、離れた時に愛が憎しみに変わったの! わたくしなんて死んでしまえばいいと思って『病死』なんて言ったのよ!』
『いいえ、辛抱強くて賢い方だったのでしょうね、バルトールとの関係悪化を防ぐための策だったのだと思いますが』
『彼はわたくしを愛していて、けっして離そうとはしなかった……その愛の結晶がこの子、エメシェなの。離れてから身籠もっていたと知って、わたくしも悩んだわ、何年も。でもやっぱり大公家の姫をわたくし一人で十分に育てることはできないから、涙を呑んで大公家に託そうと思ったの』
『そうですか。仰ることの意味は分かりました。あなたが大公家に留まって娘を育てるつもりは無いのですか』
『仕方のないこととはいえ、わたくしは一度大公殿下のお気持ちを裏切った身ですもの、これ以上、大公家で世話になるなんて厚かましいことはできないわ……けれど非力な女が一人で生きていくためにはどうしても……』
『分かりました、旅費と生活費がご入用なのですね』
大公家にエメシェを置いていく。自分は大公家には戻らない。旅費と生活費をくれ。――まとめると随分と厚かましい要求にハイハイと素直に頷いて、レオカディアは彼女を気持ちよく送り出してやった。せっかくだから豪奢な旅支度も整えようかと申し出た。義母を喜ばせることができて嫁冥利に尽きる。
見るからに金があると分かる身なりの女一人で旅をするなど盗賊や良からぬ輩の良いカモだろうが、ディアドラ自身が選んだことだ。もしかしたら彼女自身に剣豪と呼ばれるほどの腕があるのかもしれないし、余計な口出しは無粋だろうと、何も言わずに笑顔で見送った。
「頭が痛くなりそうな話し方をする方だったわね」
「待て、母さんが出て行ったのは十年以上前だ。どう見てもエメシェは年齢が合わない」
「それが、エメシェ曰く『エメシェは十歳です』だそうよ。母親の方をチラチラ見ながら言っていたわ」
明らかに『母親に言わされている』と分かる態度だった。
エメシェの見た目は六、七歳くらいに見えるし、そもそもディアドラが家を出る直前まで前大公と床を共にしていたとは思えない。エメシェはディアドラが家を出た後に、他の男との間に儲けた子と考えた方が自然だ。だが、彼女たちが口をつぐむかぎり、その証明はできない。
「……十年経っても変わらないな、あの人は。いや、変わったか。あれほど嫌っていたオルドグ人との間にまた子を作るなんて」
「一緒に逃げた愛人と何かのきっかけで別れて、裕福なオルドグ人に囲われるしか生きるすべが無かったんでしょう。その愛人が死んで遺族に追い出されたか何かでエメシェを自分の逃亡資金に換えようとしたのね」
イシュトヴァーンの言う通り、ディアドラの残酷な性根は全く変わっていないのだろう。エメシェのことも幾許かの金に換えられればと連れて行動していただけで、役に立たないと分かれば即座に捨てて行きそうな雰囲気だった。
「少し出費が嵩んでしまったけれど、ディアドラに『他に大公の子はいません。二度と大公家に近づきません』という念書を書かせたわ。今後あの女があなたを悩ますことは無いし、そう考えれば安い買い物だったと思うの。ゲーザの養女にすると決まったし、あなたには迷惑をかけない。お金は何年かかっても返すから――」
「キティ、どうしてそんな言い方をする?」
「え?」
「優しい貴女はエメシェを助けたかったんだろう? そして実際に助けてくれた。兄として礼を言う」
「っ、」
その通りだ。最初にエメシェを見た時に彼女を待ち受ける暗い未来を思い浮かべて、とても放っておけなかった。理屈はともかく、彼女をディアドラから引き離すことをひたすら急いだ。
「……わたくし、全然優しくなんかないわ」
でも、それはエメシェを純粋に憐れんだわけでもない。彼女の中に『過去のイシュトヴァーン』を見た気になって、今ではもう手が届かない彼の傷にしてやりたかった手当てをしただけだ。
「厚顔無恥なあの女が『イシュトと親子二人きりで話をしたい』と言った時、憎くて憎くて殺してやろうかと思った! なんであなたの愛称を呼ぶの、あなたを傷つけたくせにっ、母親気取りでっ! 不愉快だったから早く用件を片付けたかっただけなの」
「オレを気遣って会わせまいとしたんだろう」
「いいえっ、わたくしは、あなたが彼女を許すところを見たくなかっただけよ」
ディアドラがそれを期待して来ているのが見てとれたから。
彼女は一言『あの時は悪かった』としおらしく謝って『わたくしも辛い思いをしたのよ』と同情を引けば、かつて自分を慕っていた息子はたやすく許すだろうと見くびっていた。レオカディアの大事な夫のことを見くびって、また彼を意のままに操ろうとしていた。
そんな真似を絶対に許すわけにはいかなかった。
「……なるほどな。貴女もディアドラも勘違いしているのか」
「え?」
イシュトヴァーンが母のことを『ディアドラ』と名前で呼んだ――驚きに呆けているレオカディアの体をひょいと持ち上げると、彼は廊下をすたすたと歩き出した。
「今でも彼女と互いを思いやる親子になれればよかったと思うし、なれなかったことを残念にも思う。でも、それはただの『後悔』だ。今の幸せを壊してまで追い求めるものじゃない」
今さらディアドラの愛を求めようとは思わない。彼女が生きようが死のうが、傍にいようが離れていようが、どちらでもいいし何も思わない。だが、彼女に関わればレオカディアやゲーザたちは嫌な思いをするだろうから、それなら遠ざけておきたい。
イシュトヴァーンはまるっきり他人のように母親のことを語ると、レオカディアを自室の寝台の上にとさりと落とした。
「今の幸せ……あなたは、今、幸せなの?」
「途方も無く幸せだ。だから、昔の悩みはどうでもよくなった」
「んんっ」
抱きつかれて首筋にくすぐったい息を感じる。イシュトヴァーンはレオカディアと少しでも離れるとその度に『恋しかった』と繋がることを求めてくる。まるで主人を待ち構えて尻尾をぶんぶんと振る忠犬のようだ。……忠犬ならば、主人に襲いかからないとも思うけれど。
「キティ、服を脱げ」
「あなたも脱いで」
互いの衣服を緩め合って一糸纏わぬ姿になった二人は、正面から抱き合って裸の胸を擦り合わせた。夫は体をよく動かすせいか温かく心地よくてこのまま寝入ってしまいたくなる――が、レオカディアの尻にはすでに彼の長大なものが当たっている。躾は頑張っているつもりなのに、どうしても上手くいかないのだ。
彼に肩を押されてレオカディアはたやすく組み敷かれた。閉じ込める檻のように伸ばされた彼の腕は黒い。浅黒い肌の上に、さらに黒い色の紋様が蛇のように這っている。
「キティはオレの入れ墨が好きだな。貴女のもよく似合っている」
「……もう。飽きるほど見たでしょう、そんなに見ないで」
今や、レオカディアの下腹部もオルドグの伝統的な紋様で飾られていた。
彼と初めて腹を割って話した日、『自分だけ脱がされるのは嫌だった』とも伝えた。イシュトヴァーンの裸とそこに施された入れ墨を初めて見た時、レオカディアは紋様の意味を一つ一つ尋ねた。
まだバルトールにいた頃、オルドグ人の男性には『痛みに耐えられるほど強くなった』ことを示す通過儀礼として入れ墨の風習があると聞いたことはあった。教えてくれた者は『なんて野蛮な風習なのか』と蔑みを隠そうともしていなかったし、当時のレオカディアも神から与えられた体を傷つけることに否定的な感情を持った。
だが、実際に目にした夫の入れ墨は美しかったのだ。美しく隆起した筋肉に沿うように墨の黒一色の流線形の紋様が広がっている。ただ痛みを与えることが目的であるならば、これほど美しい紋様を彫る必要は無いだろう。
『これは災い避けの意味がある紋様だ。まじないに意味なんて無いと思うかもしれないが、もっと実用的な由来がある』
『実用的?』
『オルドグで入れ墨を始めたのは、女が先だったと言われている。草原では昔から争いが絶えないから、敵に捕まって売られないように』
敵対する部族や侵攻してきた国の軍勢に捕まった女の末路は悲惨だ。殺されなくても奴隷として売られて人間扱いはされなくなる。上手く逃げ出したり奇跡的に解放されたりしても、身元を証明する持ち物は奪われてしまっていて家族の元には帰れない。
だからオルドグの女たちは外から見えるところ――多くは腕――に入れ墨を彫るようになった。わざと自分の『商品価値』を下げて攫われにくくして、それが叶わず遠い土地に連れ去られても帰ることができるように。
『でも、そんな起こらない方がいいことばかりを気にして、自分の体を傷つけるのは誰だって嫌だ。めちゃくちゃ痛いしな。だから、せっかくなら綺麗な紋様にしようって思った人がいた。それを格好いいと思って、自分から刻む人がいた。そうして紋様は残った』
この紋様を刻むことは単に先祖伝来の形を真似ようとするだけではなくて、そこに含まれた歴史そのものを継承する意味があるのだとイシュトヴァーンは言った。後世に伝えることがオルドグの長として生きる者の務めだと。その言葉を聞いて、レオカディアは夫を誇らしく思った。
『イシュト、わたくしにも紋様を刻んで』
先人への敬意と彼への愛と大公妃として生きる覚悟の証として。
何度も話し合って彫る紋様と彫る箇所を決め、とうとうレオカディアの下腹部には『イシュトヴァーンの妻レオカディア』という装飾書体と子孫繁栄を願う子宮を象った紋様が刻まれた。
取り返しのつかないことをした。たとえ今後レオカディアがバルトールに連れ戻されることがあったとしても、他の者に再嫁することはできなくなった。それでもいい、どのみちレオカディアは既に彼と終生夫婦であるとの誓いを立てた身なのだから。
「バルトール人はオルドグを野蛮だと言う。……キティもこれを彫る時は痛みを堪えて苦しそうな顔をしていたな。見ているだけでも胸が痛くなった」
「あ……っ、そこ、むずむずするからだめ……っ!」
ある種の傷痕だからか、紋様のある部分の皮膚は薄く敏感で、労わるように撫でられるだけでも感じてしまう。身をよじるレオカディアを見て、イシュトヴァーンは『今は気持ちいいところになってよかった』と愛しげに呟いた。
「それでも『野蛮』呼ばわりを素直に受け入れたくないくらいには、オレはオルドグを誇りに思っているし、バルトール人を『口ばかり達者で一人で生きていくこともできない弱い民』と蔑んでもいる。あれが『正しい』とされて、従わされるなんて心底ごめんだ。まったく、大爺さまも余計な約束をしてくれたもんだ」
どうしてかつての部族の長は『友好の証にバルトールの姫を』などと求めたのだろう。虫も殺さぬ姫君がオルドグの暮らしに馴染めるわけもなし、生まれた子だって軟弱なバルトール人に良い印象を持つはずがない。勇猛なオルドグの血を誇りたいのに、オルドグの長となる自分にはバルトールの血の方がずっと多く流れている。それが厭わしくて堪らない――。
「……って、思っていた。でも、キティといると、どちらでもない道もあるんじゃないかと思えてくる」
穴を開けた耳朶に飾った小ぶりで繊細な細工のように、服に隠れる部分に彫られた優美な紋様の刺青のように。
どちらでもなくどちらでもある新しいものを作り出すことができるかもしれない、と。
「いずれここにも子が宿る。オルドグの父とバルトールの母を持つ子だ。きっと肌の色はオレより少し薄くて、純粋なオルドグ人でも純粋なバルトール人でもないと見た目で分かるような子だ」
二つの血を繋ぐ子はどちらの仲間ともみなしてもらえず苦労するだろうが、と悲観する夫の頬にレオカディアはそっと手を当てた。
「案外あっさりと、どちらとも仲良くなれるかもしれないわ?」
「……ああ。そうだといいな」
「何を他人事みたいに言っているの。そうなるように、わたくしたちが働くの。皆に仲睦まじい姿を見せてね」
「……オレは自分の睦事を人に見せるのはちょっと……」
「違う! ばかっ、そういう意味で言ったんじゃないわ! わたくしだって嫌よ! それだけは本当に大爺さまが廃止してくれてよかった!」
わたくしの恥ずかしい姿を知るのはあなただけでいいの。
『彼の女になった』と刻まれた裸身も、心の奥に秘めた苛烈な感情も、全て彼に捧げるべく横たわる。喉を鳴らした獣は今日も、自身に捧げられた供物を残さず食い荒らしていった。
《完》
憎々しげに言うゲーザに、レオカディアは笑みを返した。
政略結婚であるからには実家の利益を考えるようにと言い含められたのは事実だが、『間諜』呼ばわりは露骨で物騒すぎる。その割に文句の内容は『弟が妻に惚れ込んでいるのが気に食わない』という牧歌的な悩みと来れば、笑わずにいられようか。
『あら、ゲーザお義兄さまったら嫉妬しているの? 可愛い弟さんを取ってしまってごめんなさいね』
『兄と呼ぶな、お前のような可愛くない妹は要らん!』
『イシュトが可愛いことと嫉妬していることは否定しないのね。真面目に答えると、骨抜きにしたつもりはないわ。というか、毎晩激しくするのは体が辛いから控えてほしいとゲーザからも彼に言ってちょうだい』
『あー知らん知らん! 聞きたくもない!……俺は何も聞いちゃいないが、でも、イシュトに我慢させるなんて可哀想じゃないか』
『このクソブラコン小舅がっ!』
イシュトヴァーンとはバルトール語とオルドグ語を半々に交えて話しているが、ゲーザとのやりとりはほとんどオルドグ語だ。そのせいで、彼の使う上品ではない表現がうつってしまった。
今日も今日とてレオカディアが口うるさい小舅と口汚い舌戦を繰り広げていると、砦の見張り役が転がるように駆けてきた。
『大変です! ゲーザさま、奥方さま! あの方がっ、ディアドラさまが帰ってきました! イシュトヴァーンさまに会わせろと! どうしましょう、イシュトヴァーンさまは留守なのに……っ』
伝令の声を聞いて、二人は目を見開いた。
☆
砦に帰るや否や、イシュトヴァーンは大きな足音を立てて廊下を駆けて妻を探した。
「キティ! オレには隠し子なんていない、信じてくれっ、……え?」
眼前に広がる光景に目を丸くする彼を見て、レオカディアは『少しは落ち着きなさい』と窘めた。
「おかえりなさい、イシュト。誰かに『大公の子が訪ねてきた』と聞いたの?」
「ああ。でも、オレの子じゃ、その子は……?」
イシュトヴァーンはレオカディアの傍の子どもにじいっと視線を注いだ。これは彼が集中してものを見る時の癖だが、事情を知らない者は威圧的な大男に睨まれているように感じるらしい。
自分もそうだったとほんの少し前を懐かしみながら、レオカディアは子どもの背をそっと押し出した。大丈夫だ、イシュトヴァーンは怖い人ではない。
『は、はじめましてっ、たいこうさま、えと、わたしはエメシェです。たいこうさまのいもうとです、よろしくです!』
『妹!?』
おずおずと上ずった声で挨拶をする子ども――『エメシェ』という名前の幼い少女は波打つ黒髪と切れ長の目、浅黒い肌を持ち、イシュトヴァーンに似通った雰囲気がある。
『どういうことだ』と視線で訴えかけてくる夫に『今は合わせて』と視線で促すと、彼はぎこちなく笑顔を作って言った。
『よく来た。よろしくな、エメシェ』
『はい!』
『兄』に親しげな言葉をかけられた少女は、嬉しそうに瞳を輝かせた。
「……どういうことだ? 父さんの子が他にいたのか?」
遊び疲れたエメシェが眠りにつくのを待って、イシュトヴァーンは切り出した。べったりと引っついて離れない『妹』の前では詳しい説明もできなかったのに、事情が分からないまま何時間も遊び相手を続けられるなんて、彼は意外に辛抱強いらしい。
「ディアドラの話によると『不幸なすれ違いで大公家を出ることになった後に妊娠に気づいた前大公の子』らしいわ」
「母さんが来たのか!?」
「ええ。でも、もう出て行ったわ。エメシェの『代金』と旅費を受け取ってほくほく顔でね」
『ディアドラと名乗る子連れの女が暴れている』という伝令を聞いて、レオカディアは彼女を砦内に入れることにした。お目付け役のゲーザには難色を示されたが、面倒ごとには早くけりをつけてしまいたかったし、それをするのはイシュトヴァーンの妻であり留守を任された自分の役目だと思ったからだ。
『だからイシュトと二人で話したいと言っているでしょう! 早く彼を出しなさい!』
『はじめまして、ディアドラさま。夫は出かけておりまして、わたくしが代わりにお話を伺いましょう』
『あら、貴女がイシュトのお嫁さんなの? レオカディアさん? わたくしはね、貴女の従叔母にも当たるの。どうか本当の親だと思ってちょうだいね』
現れたのは、確かに歳の割には美しいが蓮っ葉な感じがする女性と、おどおどとした様子の痩せた少女だった。
ディアドラはレオカディアを見た途端に嫌な笑いを浮かべた。『本当の親』のような親身な笑みでないことはもちろんだが、義母として嫁を意地悪く見定める視線でもない。『女として自分の方が優っている』とレオカディアを見下して優越感に浸ったような態度だった。馬鹿馬鹿しい、その年齢になっても人を測る尺度をそれしか持たない自分を恥じるべきだろうに。
『わたくしが頼りたくても、あなたは大公家にいらっしゃらなかったではありませんか』
挨拶がわりに軽く牽制すると、ディアドラは気圧されたように口を引き結んだ。
何もしなくても『お高くとまった女』に見られるのだ。高い身長を活かして相手の頭上から嫌みたらしいことを言えば、言葉以上の凄みが生まれることは知っている。特にレオカディアを舐めてかかっていたディアドラには効果覿面だろう。だが、彼女がおとなしく我が身を恥じるような女なら、こんな騒動は起こしていない。
『……しっ、仕方ないでしょう? 貴女も分かるでしょう、バルトールの姫がここでどんな辛い思いをさせられるか。あんまり辛くて少し離れたいと思ってしまうのは普通でしょう? まあっ、貴女は耳に穴まで開けられてしまったのね、可哀想に! イシュトには昔から強引で残酷なところがあったから、』
『これはわたくしが好きでしたことです。夫に『砂漠の商人との交易で小粒の金剛石をたくさん手に入れたが使い方を知らないか』と聞かれて、わたくしが考えました』
『……あら、そうなの』
レオカディアの両耳朶には、緩やかに捻った金の板に金剛石を散りばめた意匠の繊細な耳飾りが揺れている。
これまでに知る耳飾りは、挟み金具を隠すために台座に大きな宝石があしらわれ、長く着けていると重みで耳が痛くなってしまうものばかりだった。一方でオルドグの女たちが付ける耳環は耳朶に開けた穴に細い金の輪を通すものであり、装飾性に欠けるところがある。両者の欠点を補いつつ小粒の金剛石を使えないかと考えて、耳朶の穴に細い金具を通して細工をぶら下げることにした。
光を弾くそれらに物欲しげな目を向けていたディアドラは、同情と軽蔑の材料を一つ潰されて黙り込んだ。その隙を逃さずレオカディアは追撃を加えた。
『それで、あなたは『少し』離れるほど辛い思いをさせられた大公家に何をしに戻っていらしたのです? わたくしはあなたが病死したと伺っていましたが』
『大公殿下はわたくしのことをそれほど恨んでおられたのね……。でもね、それは何故だか分かる? 妻を激しく愛していたから、離れた時に愛が憎しみに変わったの! わたくしなんて死んでしまえばいいと思って『病死』なんて言ったのよ!』
『いいえ、辛抱強くて賢い方だったのでしょうね、バルトールとの関係悪化を防ぐための策だったのだと思いますが』
『彼はわたくしを愛していて、けっして離そうとはしなかった……その愛の結晶がこの子、エメシェなの。離れてから身籠もっていたと知って、わたくしも悩んだわ、何年も。でもやっぱり大公家の姫をわたくし一人で十分に育てることはできないから、涙を呑んで大公家に託そうと思ったの』
『そうですか。仰ることの意味は分かりました。あなたが大公家に留まって娘を育てるつもりは無いのですか』
『仕方のないこととはいえ、わたくしは一度大公殿下のお気持ちを裏切った身ですもの、これ以上、大公家で世話になるなんて厚かましいことはできないわ……けれど非力な女が一人で生きていくためにはどうしても……』
『分かりました、旅費と生活費がご入用なのですね』
大公家にエメシェを置いていく。自分は大公家には戻らない。旅費と生活費をくれ。――まとめると随分と厚かましい要求にハイハイと素直に頷いて、レオカディアは彼女を気持ちよく送り出してやった。せっかくだから豪奢な旅支度も整えようかと申し出た。義母を喜ばせることができて嫁冥利に尽きる。
見るからに金があると分かる身なりの女一人で旅をするなど盗賊や良からぬ輩の良いカモだろうが、ディアドラ自身が選んだことだ。もしかしたら彼女自身に剣豪と呼ばれるほどの腕があるのかもしれないし、余計な口出しは無粋だろうと、何も言わずに笑顔で見送った。
「頭が痛くなりそうな話し方をする方だったわね」
「待て、母さんが出て行ったのは十年以上前だ。どう見てもエメシェは年齢が合わない」
「それが、エメシェ曰く『エメシェは十歳です』だそうよ。母親の方をチラチラ見ながら言っていたわ」
明らかに『母親に言わされている』と分かる態度だった。
エメシェの見た目は六、七歳くらいに見えるし、そもそもディアドラが家を出る直前まで前大公と床を共にしていたとは思えない。エメシェはディアドラが家を出た後に、他の男との間に儲けた子と考えた方が自然だ。だが、彼女たちが口をつぐむかぎり、その証明はできない。
「……十年経っても変わらないな、あの人は。いや、変わったか。あれほど嫌っていたオルドグ人との間にまた子を作るなんて」
「一緒に逃げた愛人と何かのきっかけで別れて、裕福なオルドグ人に囲われるしか生きるすべが無かったんでしょう。その愛人が死んで遺族に追い出されたか何かでエメシェを自分の逃亡資金に換えようとしたのね」
イシュトヴァーンの言う通り、ディアドラの残酷な性根は全く変わっていないのだろう。エメシェのことも幾許かの金に換えられればと連れて行動していただけで、役に立たないと分かれば即座に捨てて行きそうな雰囲気だった。
「少し出費が嵩んでしまったけれど、ディアドラに『他に大公の子はいません。二度と大公家に近づきません』という念書を書かせたわ。今後あの女があなたを悩ますことは無いし、そう考えれば安い買い物だったと思うの。ゲーザの養女にすると決まったし、あなたには迷惑をかけない。お金は何年かかっても返すから――」
「キティ、どうしてそんな言い方をする?」
「え?」
「優しい貴女はエメシェを助けたかったんだろう? そして実際に助けてくれた。兄として礼を言う」
「っ、」
その通りだ。最初にエメシェを見た時に彼女を待ち受ける暗い未来を思い浮かべて、とても放っておけなかった。理屈はともかく、彼女をディアドラから引き離すことをひたすら急いだ。
「……わたくし、全然優しくなんかないわ」
でも、それはエメシェを純粋に憐れんだわけでもない。彼女の中に『過去のイシュトヴァーン』を見た気になって、今ではもう手が届かない彼の傷にしてやりたかった手当てをしただけだ。
「厚顔無恥なあの女が『イシュトと親子二人きりで話をしたい』と言った時、憎くて憎くて殺してやろうかと思った! なんであなたの愛称を呼ぶの、あなたを傷つけたくせにっ、母親気取りでっ! 不愉快だったから早く用件を片付けたかっただけなの」
「オレを気遣って会わせまいとしたんだろう」
「いいえっ、わたくしは、あなたが彼女を許すところを見たくなかっただけよ」
ディアドラがそれを期待して来ているのが見てとれたから。
彼女は一言『あの時は悪かった』としおらしく謝って『わたくしも辛い思いをしたのよ』と同情を引けば、かつて自分を慕っていた息子はたやすく許すだろうと見くびっていた。レオカディアの大事な夫のことを見くびって、また彼を意のままに操ろうとしていた。
そんな真似を絶対に許すわけにはいかなかった。
「……なるほどな。貴女もディアドラも勘違いしているのか」
「え?」
イシュトヴァーンが母のことを『ディアドラ』と名前で呼んだ――驚きに呆けているレオカディアの体をひょいと持ち上げると、彼は廊下をすたすたと歩き出した。
「今でも彼女と互いを思いやる親子になれればよかったと思うし、なれなかったことを残念にも思う。でも、それはただの『後悔』だ。今の幸せを壊してまで追い求めるものじゃない」
今さらディアドラの愛を求めようとは思わない。彼女が生きようが死のうが、傍にいようが離れていようが、どちらでもいいし何も思わない。だが、彼女に関わればレオカディアやゲーザたちは嫌な思いをするだろうから、それなら遠ざけておきたい。
イシュトヴァーンはまるっきり他人のように母親のことを語ると、レオカディアを自室の寝台の上にとさりと落とした。
「今の幸せ……あなたは、今、幸せなの?」
「途方も無く幸せだ。だから、昔の悩みはどうでもよくなった」
「んんっ」
抱きつかれて首筋にくすぐったい息を感じる。イシュトヴァーンはレオカディアと少しでも離れるとその度に『恋しかった』と繋がることを求めてくる。まるで主人を待ち構えて尻尾をぶんぶんと振る忠犬のようだ。……忠犬ならば、主人に襲いかからないとも思うけれど。
「キティ、服を脱げ」
「あなたも脱いで」
互いの衣服を緩め合って一糸纏わぬ姿になった二人は、正面から抱き合って裸の胸を擦り合わせた。夫は体をよく動かすせいか温かく心地よくてこのまま寝入ってしまいたくなる――が、レオカディアの尻にはすでに彼の長大なものが当たっている。躾は頑張っているつもりなのに、どうしても上手くいかないのだ。
彼に肩を押されてレオカディアはたやすく組み敷かれた。閉じ込める檻のように伸ばされた彼の腕は黒い。浅黒い肌の上に、さらに黒い色の紋様が蛇のように這っている。
「キティはオレの入れ墨が好きだな。貴女のもよく似合っている」
「……もう。飽きるほど見たでしょう、そんなに見ないで」
今や、レオカディアの下腹部もオルドグの伝統的な紋様で飾られていた。
彼と初めて腹を割って話した日、『自分だけ脱がされるのは嫌だった』とも伝えた。イシュトヴァーンの裸とそこに施された入れ墨を初めて見た時、レオカディアは紋様の意味を一つ一つ尋ねた。
まだバルトールにいた頃、オルドグ人の男性には『痛みに耐えられるほど強くなった』ことを示す通過儀礼として入れ墨の風習があると聞いたことはあった。教えてくれた者は『なんて野蛮な風習なのか』と蔑みを隠そうともしていなかったし、当時のレオカディアも神から与えられた体を傷つけることに否定的な感情を持った。
だが、実際に目にした夫の入れ墨は美しかったのだ。美しく隆起した筋肉に沿うように墨の黒一色の流線形の紋様が広がっている。ただ痛みを与えることが目的であるならば、これほど美しい紋様を彫る必要は無いだろう。
『これは災い避けの意味がある紋様だ。まじないに意味なんて無いと思うかもしれないが、もっと実用的な由来がある』
『実用的?』
『オルドグで入れ墨を始めたのは、女が先だったと言われている。草原では昔から争いが絶えないから、敵に捕まって売られないように』
敵対する部族や侵攻してきた国の軍勢に捕まった女の末路は悲惨だ。殺されなくても奴隷として売られて人間扱いはされなくなる。上手く逃げ出したり奇跡的に解放されたりしても、身元を証明する持ち物は奪われてしまっていて家族の元には帰れない。
だからオルドグの女たちは外から見えるところ――多くは腕――に入れ墨を彫るようになった。わざと自分の『商品価値』を下げて攫われにくくして、それが叶わず遠い土地に連れ去られても帰ることができるように。
『でも、そんな起こらない方がいいことばかりを気にして、自分の体を傷つけるのは誰だって嫌だ。めちゃくちゃ痛いしな。だから、せっかくなら綺麗な紋様にしようって思った人がいた。それを格好いいと思って、自分から刻む人がいた。そうして紋様は残った』
この紋様を刻むことは単に先祖伝来の形を真似ようとするだけではなくて、そこに含まれた歴史そのものを継承する意味があるのだとイシュトヴァーンは言った。後世に伝えることがオルドグの長として生きる者の務めだと。その言葉を聞いて、レオカディアは夫を誇らしく思った。
『イシュト、わたくしにも紋様を刻んで』
先人への敬意と彼への愛と大公妃として生きる覚悟の証として。
何度も話し合って彫る紋様と彫る箇所を決め、とうとうレオカディアの下腹部には『イシュトヴァーンの妻レオカディア』という装飾書体と子孫繁栄を願う子宮を象った紋様が刻まれた。
取り返しのつかないことをした。たとえ今後レオカディアがバルトールに連れ戻されることがあったとしても、他の者に再嫁することはできなくなった。それでもいい、どのみちレオカディアは既に彼と終生夫婦であるとの誓いを立てた身なのだから。
「バルトール人はオルドグを野蛮だと言う。……キティもこれを彫る時は痛みを堪えて苦しそうな顔をしていたな。見ているだけでも胸が痛くなった」
「あ……っ、そこ、むずむずするからだめ……っ!」
ある種の傷痕だからか、紋様のある部分の皮膚は薄く敏感で、労わるように撫でられるだけでも感じてしまう。身をよじるレオカディアを見て、イシュトヴァーンは『今は気持ちいいところになってよかった』と愛しげに呟いた。
「それでも『野蛮』呼ばわりを素直に受け入れたくないくらいには、オレはオルドグを誇りに思っているし、バルトール人を『口ばかり達者で一人で生きていくこともできない弱い民』と蔑んでもいる。あれが『正しい』とされて、従わされるなんて心底ごめんだ。まったく、大爺さまも余計な約束をしてくれたもんだ」
どうしてかつての部族の長は『友好の証にバルトールの姫を』などと求めたのだろう。虫も殺さぬ姫君がオルドグの暮らしに馴染めるわけもなし、生まれた子だって軟弱なバルトール人に良い印象を持つはずがない。勇猛なオルドグの血を誇りたいのに、オルドグの長となる自分にはバルトールの血の方がずっと多く流れている。それが厭わしくて堪らない――。
「……って、思っていた。でも、キティといると、どちらでもない道もあるんじゃないかと思えてくる」
穴を開けた耳朶に飾った小ぶりで繊細な細工のように、服に隠れる部分に彫られた優美な紋様の刺青のように。
どちらでもなくどちらでもある新しいものを作り出すことができるかもしれない、と。
「いずれここにも子が宿る。オルドグの父とバルトールの母を持つ子だ。きっと肌の色はオレより少し薄くて、純粋なオルドグ人でも純粋なバルトール人でもないと見た目で分かるような子だ」
二つの血を繋ぐ子はどちらの仲間ともみなしてもらえず苦労するだろうが、と悲観する夫の頬にレオカディアはそっと手を当てた。
「案外あっさりと、どちらとも仲良くなれるかもしれないわ?」
「……ああ。そうだといいな」
「何を他人事みたいに言っているの。そうなるように、わたくしたちが働くの。皆に仲睦まじい姿を見せてね」
「……オレは自分の睦事を人に見せるのはちょっと……」
「違う! ばかっ、そういう意味で言ったんじゃないわ! わたくしだって嫌よ! それだけは本当に大爺さまが廃止してくれてよかった!」
わたくしの恥ずかしい姿を知るのはあなただけでいいの。
『彼の女になった』と刻まれた裸身も、心の奥に秘めた苛烈な感情も、全て彼に捧げるべく横たわる。喉を鳴らした獣は今日も、自身に捧げられた供物を残さず食い荒らしていった。
《完》
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ありがとうございます!
あちらにもコメント書いたものであっています。ここに書くのは微妙かもしれませんが、完結まて予約投稿済み完結保証!と表示している作家さんもいるのでそういった表現もありかもしれません☺連載から完結までワクワク追いかけたいと思います。
ありがとうございます!
続きが更新されたの嬉しいです。猫ちゃんと不器用な旦那さんがどんなふうに距離を縮めていくのかワクワクします。
感想ありがとうございます!
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この作品は完結まで投稿予約済みですので、二人の関係の変わりようを最後まで(少しでも)楽しんでいただけたら嬉しいです。