蛮族に嫁いだ王女〜強面無口な夫の本心が副音声解説付きで聞こえてくる〜

美海

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大公殿下は妻に弱い

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 頭を抱えたまま固まって動かなくなった夫を、レオカディアは指でつついた。

「ええと、大公殿下?」
『死にたい……』
「どうして!?」

 ようやく口を開いたと思えば、第一声がこれだ。余計に心配になったレオカディアは、彼に向かって頭を下げた。

「そんなに落ち込むとは思わなかったの。騙したみたいで申し訳ないわ」
「……貴女は悪くない。こちらの不始末だ」
「あら、オルドグ語はやめたの? 前から思っていたのだけれど、バルトール語ももう少し気安い口調にしてはいかが? オルドグ語ではあんなに楽しそうに話していたのに」
『それは言いっこなしだ! 素を見られるのが恥ずかしいから切り替えたんだよ!』
「聞かれて困るようなことは言っていなかったでしょう?」
『……本当に? 仲間内で勝手にコソコソ話をして、『キモい』とか『感じ悪い』とか思わなかった?』
「あなたが言っていたのは『嫁が可愛い』ばかりだったじゃない」
『……それはそれでオレの浮かれっぷりが恥ずかしいけど』

 確かにイシュトヴァーンが話している様子は『浮かれている』としか表現できないものだった。まるで積年の想い人とようやく結ばれたかのように、政略結婚した妻のことを惚気ていた。

『……もう知っているだろうが、オレはレオカディアが好きだ。正直期待してなかったところに好みど真ん中の嫁が来て、子作りも断られなかったから浮かれて……だから嫉妬して、束縛しようとひどいことをした。ごめん』
「ええ、知っているけれど。あなたがわたくしに自発的に『好き』と言ったのはこれが初めてね」
『ごめんなさい』
「どうして早く言わなかったの。たとえ気持ちが無かったとしてもリップサービスで言うべきことよ」

 たとえ恋愛感情を抱くことはできなかったとしても、夫婦とは生活を共にする『同志』なのだ。できるかぎり関係を良好にするために会話をすることは義務と言ってもいい。特に、バルトール語を使いこなしているイシュトヴァーンには、そうしない理由が無い。

『……貴女の迷惑になると思った』
「何を考えているか分からないひとに抱かれるよりマシよ」
『そうか? 母さんはいつも泣いて怒ってた。『悪魔に嫁ぎたくなかった、悪魔と交わって悪魔の子なんて産みたくなかった。悪魔が人の言葉を使うな、話しかけられるだけでぞっとする』って』
「……っ」

 想像以上に酷い言葉にレオカディアは絶句した。
 妻の口から同じ言葉を聞きたくなかったのだとイシュトヴァーンは力無く笑う。幼い日に母と会話がしたくて母の言語を必死に覚えた少年に浴びせられたのは、知らねばよかった言葉だった、と。

『気持ちは分かるけど。それを聞くオレはちょっと、辛かった』
「そんな気持ちは分からなくていいわ! そんなの、バルトールの王族としても母親としても失格よ!」
『手厳しいな。……貴女は正しくて、強い人だ。でも、世の中にはそうじゃない人もいる。弱さを責めたってどうにもならない』
「弱ければ、他の人を苦しめても許されるの? それも子どもを、自分よりも弱い人を傷つけることも? どうして傷つけられたあなたの側が笑って許さないといけないの……っ!」
『いいんだ。バルトールの可愛くて優しいお姫さまが、オレのために怒ってくれた。それで十分だ』 

 十分なわけがない、イシュトヴァーンはそのせいで今も苦しめられているじゃないか。だが、彼の幼い頃の傷には手当てがされないまま薄皮が張って歪な傷跡として残ってしまったのだろう。今から何をしたって完全に治ることはないのだと悟ってしまう。
 だから、レオカディアは他のことを口にした。

「……わたくし、可愛くなんかないわ」
『え?』
「あなた以外に『可愛い』と言われたことがないもの」

 あなたの目がよほど悪いか、オルドグ語の『可愛い』には他の意味があるのかしら。
 冗談めかした言葉で『辛い話題は終わりだ』と示されて、イシュトヴァーンは身を守るように強ばらせていた肩の力を抜いた。

『そんなことはない。貴女はちっちゃくて細っこくて軽いし』
「あなたと比べれば誰でもそうでしょうけれど、バルトールだと大女扱いよ」
『つんとした態度も可愛いし』
「一般的にはそれを『可愛げがない』と言うのよ」
『オレの知らないところで勝手に動き回る行動力とか、』
「あなた、そのせいでわたくしの浮気を疑ったじゃない」
『それはそれ、これはこれだ。そういうところ、キティは猫みたいで本当に可愛い』
「キティ?」
『あ』

 誰だ、その女は。
 知らない間に他の女への賛辞を聞かされていたのかと睨むと、イシュトヴァーンは居心地悪そうにもぞりと身じろいだ。

『ごめん、オレが勝手につけたあだ名だ。『レオカディア』だから『ケイディ』か『キティ』かなって。気に入らなければ呼ばない』
「……わたくしの? 仔猫キティは可愛すぎて似合わないと思うけれど」
『バルトールでは何と呼ばれていたんだ?』
「あだ名は……特に無かったわね。違うわっ、その可哀想なものを見る目はやめなさい! 友人がいなかったわけではなくて、皆、名前か『殿下』と呼んでいたの!」
『じゃあ、どのあだ名ならしっくりくるかも分からないだろ? 貴女には『キティ』がよく似合っている』

 どうやら夫の目には分厚いうろこが貼りついているらしい。自分のような可愛くない女に言うことじゃないと呆れながらも、頬が熱くなるのを感じた。……気恥ずかしいが、悪い気はしない。

「わたくしも『イシュト』って呼んでいい?」
『っ!?』
「近しい人にしか呼ばれたくないかしら」
『妻ほど近しい人間はいない! 呼んでほしい!』
「イシュト」
『いきなり呼ばれるとドキドキする……』
「そんなに照れるようなこと? たかが名前を呼んだだけ、」
『キティ』
「っ、やっぱり恥ずかしいから他のあだ名にしましょう?」
『嫌だ! 絶対に『キティ』がいい!…‥睨まないでくれ』
「あら、ごめんなさい。でも、これでわたくしが可愛くないと分かったでしょう?」
『違う。上目遣いで見られると可愛くて……興奮するから』
「っ、ばか!」

 躾のできていない駄犬め。
 彼の下穿きは勃起のせいでこんもりと盛り上がっていて、三つ目の膝があるかのように見えた。あんなに巨大なものを日に何度も受け入れていては、こちらの身が持たない。
『今日はもうしない』と口にしようとすると、目の前の大きな犬はその前にがばりと覆いかぶさってきた。断られる気配を敏感に察したのだろう、ちょこざいな。

『言いそびれたが、あとは可愛い声で啼くところと、寝ぼけると甘えて擦り寄ってくるところも猫っぽくて可愛い』
「わたくし、そんなことしてない!」
『してる。お願いだ、キティ。貴女の声が聞きたい』
「……っ、一回だけよ?」
『ああ! 分かった!』

 別に絆されたわけじゃない、子作りは大公妃の務めだからだ。それに、今の気もそぞろな彼に何を言っても頭に残らないだろう。
 子作りに必要な射精一回が終わったら必ず引き抜かせるし、それから寝室での婦女の扱い方について指導してやる。どうやらイシュトヴァーンは思った以上にレオカディアに惚れ込んでいるようだから、きっとよく言うことを聞くだろう。きちんと『待て』のできる夫に躾けてやる――今後の計画を頭に巡らせて、レオカディアは尊大に裸身を晒した。

「好きだ。ちっちゃくて可愛いキティ、壊さないように大事に大事にするから、諦めてオレに捕まって?」

 途端にむしゃぶりついてきた夫に体中を舐め回されながら、レオカディアは『これが終わったら』を考えていた。
 これが終わったら、きちんと王女らしく、大公妃らしくするから。しっかりと夫のことも教育するから。
 だから、今だけは――。

『イシュト、いい子ね』

 くしゃくしゃの黒髪を撫でると、夫はぴたりと動きを止めた。獰猛に喉を鳴らすのを見て、笑う。なんて分かりやすい男だろう。

『わたくしも好きよ。わたくしが欲しいんでしょう? 捕まえて、ずっと離さないでいて』

 捕まって、食べられて、彼の一部になる。溶け合って一つの生き物になる。
 互いの立場もあらゆる違いも打ち捨てた獣のような交わりに、今だけは溺れていたかった。
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