この世界に魔法は存在しない

美海

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魔女・3

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「『医者のいない寒村を回ってこい』と辞令が出たの」

 ある晩、体を交えた後に、愛する女性に抱きつこうとしたブランカの腕は容赦なく払い退けられた。
 イェルチェは『今日はもうしないから』とじっとりした目を向けてくる。純粋な愛情表現のつもりだったのに、体目当てのような言われ方は不本意だ。だが、触れ合っているうちに二回戦になだれ込む確率の高さを考えれば、何も言い返せない。

「給料をもらってる以上、上官命令には逆らえないし、行くのはいいんだけど、ご丁寧に『補佐官ブランカ・ツァルト』の身分証までついてきた。……心当たりは?」
「僕からハウトシュミットに頼んだ」

 対応の速さに満足したブランカが悪びれずに白状すると、イェルチェは『やっぱりね』とため息をついた。

 この間の『魔女の集会』――とイェルチェが呼んでいたスヘンデル新政府の会合に彼女が出席する際に、ブランカも無理を言って彼女に付き添ったのだ。より正確には『前日に抱き潰して動けなくした彼女の介助役として手配された馬車に強引に乗り込んだ』とも言うが。
 接触した護国卿ハウトシュミットは『もうそんなに大きくなったのか』と久しぶりに会う親の友人のような反応だったが、『彼女とずっと一緒にいたい』というブランカの願いを聞いた途端に表情を厳しいものに変えた。

『君の甥に当たる子も確保できたし、以前に比べれば、元王太子を殺す必要性は高くないけど……僕が『分かった、自由に出歩いていいよ』と言うと思った? イェルチェが育てた子なのに、自分に流れる血の意味も分からないほど馬鹿なのかな?』
『王子が生きていると知れるとまずいのは分かってる。知られている『レオポルト』の容貌からはかなり変わったと思うが、足りないか? 僕の顔をふた目と見られないほど火で炙れば、彼女と一緒にいてもいいか?』
『……いや、そこまでは求めないけど。というか絶対やめなよ、そんな理由で焼いた顔を見せられる彼女の気持ちも考えなさい』
『罪悪感と心配で縛られてくれるだろうか』
『考えた上でのそれか! たち悪いな、君!』

 やっぱりイェルチェは育て方を間違ったんだ。僕に任せればもっと上手くやれたのに。うちの子はあんなにいい子に育っているんだから。
 ぶつぶつと愚痴をこぼしたハウトシュミットは、最後にブランカのことも心配するように言った。

『名前も身分も家族も過去も捨てて、全部白紙ブランカにして、それでもイェルチェが君を愛するとは限らない。君に何も残らなくても、それでもいいの?』
『それでいい。一度死んだ身には彼女のくれた『ブランカ』だけで十分すぎる』
『うわぁ熱烈。うーんもう、恋に一途な青少年は応援してあげたくなっちゃう!』

 からかいまじりではあってもハウトシュミットが味方についてくれたのは頼もしかったが、それはそれとして彼の馴れ馴れしい態度は好きにはなれない。
 そんなに一途な青少年の恋心を応援したいなら構わないだろうと、彼が育成している少女が性的な意味で彼を狙っていることは知らせずにおくことにした。
 ハウトシュミットに言ったことに嘘はない。過去も王位も望まないから『ブランカ』として愛するひとの傍にいられれば十分だと思っている。
 そうはいっても――。

「わたしと同じ姓って。顔も何もかも全然似ていないのに、わたしの『弟』という設定はさすがに無理があるんじゃない?」
「違う!」

 やっぱり現状ではまだ満足がいかない。
 とんちんかんな解釈をするイェルチェに、ブランカは食ってかかった。

「姓を揃えたのは『ブランカ・ツァルト』は『イェルチェ・ツァルトの夫』だからだ!」
「そういう設定なのね。でも、ブランカはわたしの弟子でしょう? それなら『弟』か『子ども』あたりが妥当じゃないの?」
「あなたは、弟や子とセックスするのか?」
「……しませんけど」

 それは分かるのに、分かったうえで毎晩のようにブランカと体を交えているくせに、どうして素直に気持ちを受け入れてくれないのだろう。
 イェルチェとともにいるだけで満足だとは言ったが、彼女の弟になりたいわけではないのに。

「医者もいないような辺境なら、『何年も前に子どものまま死んだ王太子』の顔を知るものもいないだろう。夫婦二人でずっと旅を続けられるなんて最高じゃないか!」
「ハイハイ。ところで、ブランカって毒虫や猛獣は大丈夫だった?」
「えっ?」
「田舎すぎて宿が無くて家を建てるところから始めないと、とかもあり得るわ。というか、そういう面倒な仕事じゃないと、フレッドが他人のわがままを聞くはずがない。早く野宿に慣れないと」
「いや、それはっ…………頑張る」
「えらいえらい」

 一瞬『早まったかもしれない』と迷いが生じたが、イェルチェと離れるという選択肢はない。
 迷いを振り払うように首を振るブランカを、イェルチェはにやにやと、魔女らしい笑いを浮かべて見ていた。
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