『コスパがいいから』で選ばれた幼妻ですが、旦那さまを悩殺してみせます!

美海

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彼の告白は及第点

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 クレアを抱きしめて頬に口づけた後、フレッドの標的は傍らのセドリックに移った。半年ぶりに見る父を警戒して凝視している我が子に向かって、両手を広げる。

「セディ、パパにぎゅってさせてくれるかな?」
「……やです」
「そこを何とか!」
「……ちょっとだけなら」
「ありがとう!」

 息子のつれないそぶりにもフレッドは満面の笑みを返した。
 多忙のあまりバルトールを訪問できず、父の顔を忘れたセドリックにギャンギャンと泣かれた時がよほど堪えたのだろう。それ以来、フレッドは息子への手紙とプレゼントを欠かさず送り、無理にでも暇を捻出しては息子に会いに来るようになった。

「くるしいっ! とうさま、ぎゅってしすぎ!」
「パパ、ずるい! ぼくもセディをぎゅってする!」
「ああ、ごめんね。……おっと!」

 小さな影に足元への突進を食らって、フレッドの腕の拘束が緩むとセドリックは即座に逃げ出した。本人がいないところでは恋しがっていても、愛情の暑苦しい父が傍にいるのは鬱陶しいらしい。
 それに――。

「セディ! げんきだった!?」
「テディ! テディもげんき!?」

 セドリックにとって、父よりももっと来訪を待ちわびていた来客があったので。
 亜麻色の髪にペリドットの瞳、鏡に映したようにそっくりな愛らしい男児たちは抱き合って飛び跳ね、その場でくるくると回った。
 クレアが産んだのは双子の男の子だった。テオドールとセドリックと名付けられた二人は乳児のうちはクレアの手元で一緒に育てられたが、テオドールだけは二歳の時に『寂しすぎて限界だ』とげっそりした顔で言うフレッドに引き取られていった。

「久しぶりね、フレッド。テディも元気そうで良かった」
「良いもんか。僕もテディも、君とセディがいないと寂しくて食べ物も喉を通らない」
「さらりと嘘を吐かないで。あなたが元気にコルキアから賠償金をぶんどっていたことも、テディが皆にもらったお菓子の食べすぎでぽっちゃりしたことも、全部聞いているのだけれど?」
「さすがクレアだ。離れていても耳が早い」
「もう……」

 調子が良いことばかり言うんだから、と睨みつけても、フレッドは嬉しそうに笑うだけで言い返してこない。そういえば、こんなやりとりも久しぶりだった。

「パパ、今日はぼく、セディとねるから。だいじょうぶ? さびしくない?」

 セドリックに抱きついたままのテオドールが、フレッドに呼びかけていた。その内容からするに、この男は我が子に『寂しいから一緒に寝て』と添い寝を頼んでいるのだろう。そういう体ていで子どもを寝かしつけた後に仕事をする人だとは知っているけれど。

「寂しいけど、ママに一緒に寝てもらうから大丈夫だ」
「ちょっと? 何を言うの!?」
「よかったぁ。また明日ね、パパ! ママ!」
「おやすみ!」

 とことこと部屋を出ていく双子をクレアは慌てて追いかけて、続き間の寝台にもぐり込むのを確認した。何やら内緒話をするらしく、『かあさまは聞いちゃだめ!』と追い払われる。
 セドリックも日頃一緒にいる母よりも離れていた双子の片割れといたいのか。兄弟仲が良いのは素晴らしいことだけど、と少し落ち込んでいると背後から何者かに抱きつかれた。

「クレアは僕の相手をして?」
「……大きな子どもだこと」
「大人も子どもも好きな人に構ってもらいたいのは一緒だ」

 特に疲れて甘えたい時にはね。
 フレッドの言葉を聞いて、クレアは冷たくあしらうのをやめた。彼のここ数ヶ月の負担は尋常なものではなかっただろう。溺愛する息子の顔を半年も見に来られなかったくらいだ。
 部屋の戸棚に隠していたワイン瓶とグラスと干し葡萄を供すると、フレッドは『いけない先生だね』と笑った。確かに生徒も出入りする部屋だが、私室で晩酌をするくらい許してほしい。

「文句を言うなら片付けるわ」
「文句じゃないよ。君が労ってくれて嬉しくて、つい口が滑った」
「そう。……フレッド。『護国卿』のお仕事、本当にお疲れさまでした」
「ありがとう。コニング議員たちが頑張ってくれたおかげで、思ったよりも早く済んだよ」

 スヘンデルでは先頃、議院内閣制が成立した。これには選挙制度の導入に腐心していたコニングらの尽力の他に、バルトールのレオカディア王政も追い風となった。
 レオカディア女王は聡明な人物ではあるが、国王としての教育を受けたわけではない。女王を補佐する家臣団の合議によって国政の大まかな指針を決定する仕組みが作られ――それが上手く回ったのだ。
 王は超人でなくてもいい。いや、むしろ超人的な王の独裁に頼りきっていては次代の人材が育たない。偶然に天賦の才を持つ人材が現れ続けることに期待するのは、あまりにも危うい。――コニング議員の提言を聞き入れる形で、護国卿ハウトシュミットは内閣制度を整備して自らの仕事を内閣に引き継ぎ、潔く退陣した。『護国卿』の実質的な後継者である内閣のリーダー、『首相』にはニコラス・ヘルト・コニングが選出された。
 傍から見れば『中小貴族出身者が革命の英雄である独裁者を追い出した』という構図になったことで、革命以来、実権を奪われて不満を溜め込んでいた者たちも大いに溜飲を下げたそうだ。

「これでスヘンデルはまた強い国になる。国外追放処分にしてくれてよかったのに、コニング議員……首相に『私の顔に『恥知らず』という泥を塗る気ですか!?』と怒られて」
「そうでしょうとも。これまでの恩義もあるし、彼にも夢があるらしいからあなたが出馬できないのはまずいんでしょう」
「夢? 出馬?」
「本人から聞いて」
「……まあ、いいや。そういうわけで、帰ろうと思えばスヘンデルには帰れるけど、しばらくはハウトシュミット商会バルトール支店の支店長をしようかと思って。君たちに不自由はさせないつもりだけど、もしも国家元首の妻でいたかったなら、今から国を――」
「いいから!」
「そう? 王女様はただの商人の妻でいいの?」
「大商人が何を言っているの。私だって前国王の庶子、厄介な事情を背負っただけの平民だもの」
「かつ王立女学院の院長先生か。こう言うと失礼かもしれないけど、驚いた。僕たちに成し得なかったことを先に成すなんて」

『……僕の何を直したら、一緒にいてくれる?』

 五年前の謁見の間でクレアが『バルトールに残る』と言った時、フレッドは必死に食い下がってきた。往生際が悪いにも程がある。

『何も。あなたは私にとって最高の夫よ。私はあなたと結婚できてよかった。だから私は、そうではない子どもたちを助けたいの』

 フレッドは誠実な夫だった。クレアが一人で歩けるように知識という杖を持たせて案内人までつけてくれた。クレアが逃げ出せるように『白い結婚』という逃げ道も残してくれた。クレアに『選ぶ』ことを教えてくれた。
 でも、それはクレアの運が良かっただけだ。
 同じ境遇の少女が愛してもいない男に幼くして嫁ぎ、ひとたび純潔を失ってしまえば、簡単に離婚が許されない以上、自由になるには夫の死を待つしかない。たとえ自由になれたところで、婚家でも実家でも厄介者扱いは避けられず、だが『幼い少女』だった女は一人で生きていく術も知らない。
 それはひどく歪な仕組みだ。少女は幸せになるために夫に卑屈に媚び、幸せになれなければ夫の死を願う。そこに真っ当な夫婦の愛が芽生えるはずもない。
 誰もが愛する人と結ばれるような世になるまでには時間がかかるだろう。政略結婚は無くならないかもしれない。でも『これから愛せそうな人を自分で選ぶ』ことはできるようにしようと思った。

 選ぶ余地も与えずにクレアを売り払ったバルトールに、同じ思いをする子どもを二度と生まないための学校を創る。――これはクレアの平和的な復讐で、密やかな革命だ。

 王立女学院で学んだ少女たちのうち、ある者は自ら廷臣となって姉の治世を支えるだろう。ある者は親や夫や子に働きかけて教えを広めるだろう。岩に染み通る水のように時間をかけてしなやかに、この国を変えていく。それはきっとスヘンデルにとっての『対等まとも交渉はなし相手』を用意することにも繋がるはずだ。
 やれ花嫁学校だ、やれお嬢様のお遊びだと言いたいものは言えばいい。そういう名目で集めた金で、少女たちは育ち、教養という鎧を身に纏い、知識という名の反撃の武器を研ぐ。
 好きなだけ見定めに来ればいい、多くの選択肢の中から『自分の一番』を選ぶのはこちらだ。

「私も頑張ったの。すごい?」
「ああ。まったく、君はいつだって、僕の想像を軽々と超えていく女の子だった。参りました、完敗だ」

 その言葉が欲しかった。
 クレアはずっとこの男に認めてほしかったのだ。他の誰に、どれほどの人に、どれほどの言葉を尽くして誉めそやされたところで満たされない。彼でなければ意味が無い。

「……もう、『女の子』という年齢ではないけれど」

 嬉しくてたまらなかったから、照れ隠しに呟いた。
 フレッドから見ればクレアはいつまでも子どものままなのかもしれないが、職に就き、二人の子を儲け、その子も立派に走り回れるような年頃になったのに、今のクレアを『女の子』と呼ぶ者は少ないだろう。
 こんなことを言えばフレッドは言葉を尽くして『クレアがいかに子どものままか』を説いてくるのだろうけど――と思っていたら、長椅子に押し倒された。

「えっ?」
「そうだったね。クレアは立派な大人だ。いやらしいことにも応えてくれる僕の妻だったね」
「待って! 今そんな雰囲気じゃなかった!」
「そんな雰囲気だったよ。ごめんね、おじさんなのに年甲斐も無く我慢ができなくて」
「もうっ!」

 自覚があるなら少しは我慢しようと頑張ってほしい。
 座面を背にしたクレアがじとりと睨み上げると、フレッドは眉を少し下げて切なげな表情を作った。

「クレア、本当に嫌?」

 嫌――ではないから、困るのだ。
 ちょっと顔が良くて絵になるからって、もういい歳なのに可愛い顔をするな、とか。自覚があって悪用しているだろう、とか。
 彼に言ってやりたいことはたくさんあるのに、いざ縋るような目を向けられると何も言えなくなってしまう。

「……セディが弟妹を欲しがっているの。だからっ、」

『息子を喜ばせるために子作りをしてもいい』と言うと、フレッドは目を細めた。本心を見透かすような彼の目が、昔のクレアは苦手だった。クレアの拙い嘘やおべっかなど簡単に見破られそうな気がしたから。

「それもなかなか唆られるお誘いだけど、まずは君と夫婦らしいことがしたいな」
「……っ、」

 今も得意ではない。クレアが『母として』ではなく『女として』彼を求めていることを、めちゃくちゃになるまで彼に愛されたいと望むいやらしい女であることを、見破られてしまうから。

「僕は君が欲しい。僕を選んでくれる?」
「私も……あなたが、欲しい」

 早く来て、と興奮に掠れた声で囁くと、覆いかぶさってきた夫はクレアの唇に口づけを落とした。
 軽く触れるだけの、神の前で愛を誓うような口づけを。

「君じゃなきゃ駄目なんだ。君と一緒じゃないと、僕は幸せになれない」

 いつかどこかで聞いたような愛の告白に、クレアは『悪くないわね』と微笑んだ。


《完》
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