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それは正しく無慈悲な選択

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「おやおや、ハウトシュミット卿の奥方想いは微笑ましい。急に駆け出されると老体には追いつくのもやっとですよ。夫婦和合は神の意思に適うところ。貴方がたに神の祝福があらんことを」

『追いつくのもやっと』と言う割に、息も切らさず悠然と謁見の間に踏み入った深紅の法衣キャソックの男は、片手を掲げて祝福の聖句を唱えた。
 深紅色の法衣は、教会の中でも高位の聖職者である枢機卿のみが纏うことを許される。法衣と揃いの丸い帽子を被り、たくわえた口髭がトレードマークの枢機卿――カルメ王国宰相を務めるジョルジュ・ルナールだ。

「それに比べて、前バルトール国王の乱行は甚だしい。教会に祝福された結婚相手以外と子を儲け、あまつさえ後継となる正式な娘を差し置いて『庶子』を指名するとは。信仰と教義を守るために戦う枢機卿として、堕落を見逃すわけにはいきません」

 ルナールは『なんと嘆かわしい!』と頭を振ってみせたが、そのそぶりはどこか芝居がかっていた。
 確かに教会の教えによれば『一対の夫婦が互いに愛し合う』ことが尊ばれている。だが、政略結婚した夫婦の相性が良いとも、二人の間に子ができるとも限らない。ゆえに、特に教会の総本山から離れた東部諸国では、愛妾も庶子も正式な妻子とさほど変わらない扱いを受けてきた。
 今まではその実態を黙認してきたのに、今更になってバルトールの王位継承については教えを厳格に適用するという。ルナールの申し出には明らかに『別の思惑』が滲んでいた。

「何が『教義を守るため』だ! カルメの狐がっ!」

 自身を『王位継承権を持たない庶子』と断じられたエーミールは、堪らず叫んだ。
 ルナールは『これは枢機卿としての行動だ』と嘯くが、宰相としてカルメのために働いていることは誰の目にも明らかだ。隣国コルキアの封じ込めのため、利害の一致するスヘンデルと結び、バルトールに親カルメ・スヘンデル派の新国王を擁立しようとしているに過ぎない。レオカディアの王位奪取に協力すれば、バルトールに恩を売る形で三国同盟を締結できると考えたのだろう。
『俗物め』と非難されても、ルナールは眉ひとつ動かさなかった。

「教会の最大の守護者たるカルメの国益を拡大することは、神の教えにも適いますとも。何か問題でも?」
「詭弁だ!」
「貴方がどう思われたとしても、事実、わたくしは枢機卿の地位に任ぜられておりまして。神の教えにどうしても従えぬと仰るなら破門して差し上げましょう」
「……っ、!?」

 ルナールは俗物で有能な政治家でカルメ王国宰相で――だが確かに枢機卿でもあるのだ。
 やすやすと『破門』という切り札をちらつかされて、エーミールは硬直した。破門されれば、以降は教会が関わる儀式に一切参加できなくなる。当然のことながら、大司教が新国王に王冠を授与する戴冠式にも。
 いくら力づくでレオカディアを排除して自身が国王だと言い張ったところで、王冠を受けられない王になど誰もついてこない――結論を悟ったエーミールはだらりと玉座にもたれかかった。

「……私が正妃ではない母のもとに生まれたから? たったそれだけのことでっ!? そのせいで私は何も選べない、これまでの努力は全て無に帰す。そんなの受け入れられるわけがないだろうっ!」

 これまでエーミールは『国王の庶子』ではなく『王子』、それも次期国王たる『王太子』だった。王太子として厳しい教育を施されて、自分なりに斜陽の王国を守るためにと考えて行動してきた。それがどうして、今まで立っていた足場、どこまでも続くと思っていた地面を丸ごとひっくり返されるような目に遭わねばならないのかと、エーミールはレオカディアを睨みつけた。

「ええ。わたくしもとても不公平で理不尽だと思うわ。でも――その理不尽に憤ることができる心があるのに、あなたはどうして、クラウディアを蔑んだの。どうしてオルドグを迫害するの」
「それは……っ!」
「あなたは立っている河岸によって意見を変えるだけでしょう」

 母の身分も民族の違いも、自分が好きで選んだものではないし、生まれながらに決まっていて変えることはできない。
 それによって異なる扱いをされることがおかしいと言うのなら、今まで何を思って他者を取り扱ってきたのか。

「わたくしはクラウディアほど人間を良いものだとは思わない。理想も大義も持たずに、強きを助けて弱きを挫く者が殆どよ。だからこそ、弱き者を尊重しなくてはならないの。自分の掲げたルールがいつか、弱くなった自分に牙を剥くかもしれないから」
「やめろっ、寄るな!」
玉座そこはわたくしの席でしょう、あなたが退きなさい。あなたのことは、あなたのルールの中で叩き潰してあげる。あなたに完膚なきまでに『負け』を認めさせるために。教えて、わたくしの何が気に食わないの?」

 玉座に近づくレオカディアを止める者は、誰もいなかった。この国の新たな国王となるべき者が彼女であることを皆が受け入れてしまっていた。
 その圧倒的な王者に迫られて、エーミールは必死に頭を働かせた。血筋正しい国王と王妃の娘で、幼い頃から聡明さを称えられ、嫁いでからは蛮族との折衝に努めている異母妹の、『自分に比べて至らないところ』とは何なのか――。

「だが……っ、貴様は女で、若いっ!」
「そう。嬉しいわ、捻り出してもそれ以外の欠点が無いと言ってもらえて」

 言うや否や、レオカディアは腰の剣を鞘から抜き払う。一閃、振るわれた白刃の眩しさは観衆の目に残った。

「ならばこれで満足だな、エーミールよ。皆の者、これ以降、を『女』と扱う必要はない! 余は、この国の王だ!」

 彼女の金髪は、女性的な美の象徴は、肩のところでぱつりと切り揃えられていた。
 長い髪の束を、腰を抜かして床にへたり込んだ異母兄の手に握らせると、レオカディアは観衆に向き直って宣言した。

「個人の平凡な幸せも、愛する家族も捨てよう。余は王としてのみ生きるとここに誓う。だが、それでも余は若く経験の不足は否めない。そこでエーミールに一代限りの『侍臣』の地位を授ける」
「侍臣?」
「ああ。余を補佐する家臣団だ。王太子として受けた教育と経験の成果を死蔵することは許さん。王子の地位は奪うが、王の傍で働くに足る体裁を整えるだけの費用は与えよう。つまり『給料』だな」

 エーミールは殺さない。働かせて、金でその働きを評価する。
『努力を無駄にされたくない』なら本望だろう? まさか権力を恣ほしいままにするために王位に固執したわけでもあるまいし。
 一音一音を刻むように発するレオカディアの声は、金切り声で死刑を宣告するよりもずっと恐ろしいものに聞こえた。

「余は国王になるにふさわしい生まれだ。他に候補となる者がいないことを思えば、『生まれながらの国王』とも言えるかもしれない。だが、『それだけ』だ。実力以外のものに頼って玉座にふんぞり返り、寝首をかかれるのはごめんだ。近頃は革命などという物騒なことが起きると聞くし」

 そう言って女王レオカディアは、ちらりとスヘンデルの護国卿に視線を送った。可愛らしく小首を傾げて返す夫を見て、クレアは肝を冷やす。……どうしてこの二人は顔を合わせるたびにこんなにも冷ややかな空気を漂わせるのだろう。

「余は同じ轍は踏まない。バルトール国内の反乱の芽は摘まねばならんな。弾圧するために使える金が無い以上、宥和して懐柔するしかない。そなたたちも命を失うくらいならいくらか特権を手放す方がマシだろう?」
「それは、まあ……」
「富裕な平民には金を納めることを条件に議会での議決権を与える。機嫌を損ねたコルキアがバルトールに攻め込む可能性を考えると、傭兵頼みではない国軍の整備も急がねばな。納める金を兵役で代えることを許そう」

 女王の言葉に、居並ぶ貴族たちは不承不承頷いた。
 スヘンデルの革命では国王や側近が無慈悲に処刑された。『バルトールでも革命が起きるかもしれない』と仄めかされて八年前の衝撃と恐怖を思い出した上でなお反対する者はいなかった。
 実際にはレオカディアの提案は付け加えられた後半に主眼が置かれており、以後、騎兵としてバルトール国軍に所属したオルドグ人の発言力が増していく契機となる。

「――それから、我が妹クラウディアよ」

 国王としての所信と施策を述べた後に、レオカディアはクレアに向かって『姉』の顔で言った。

「そなたも前国王の庶子として扱われることになる。『バルトール王女』を望んで婚姻したそこの男と別れるなら、いつまででも王宮にいればいい。国王の私費から養って――」
「絶対に別れないからな。僕の妻を囲おうとするのはやめろ」
「そうか。残念だ」

 間髪入れずに隣のフレッドは提案を却下した。それを聞いたレオカディアもまた、意外なことにおとなしく引き下がる。クレアが大事にされないことに憤っていた彼女だから、フレッドの反応を見て安心したのかもしれない。

「そのことだけど。姉様、フレッド」

 クレアはフレッドに愛されていて、彼の妻でいてほしいと望まれている。それは分かったし、心底嬉しかった。今すぐ彼の胸に飛び込んでしまいたい気持ちもある。けれど――。

「――私、バルトールに残ろうかと思うの」

 クレアの言葉を聞いた彼らが揃って目を大きく見開くのを見た。
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