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『綺麗事』を叶えたいから
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「綺麗事しか知らない女の戯言だ!」
『みそっかすの妹』に圧倒された己をごまかすように、エーミールは吠えた。
「甘ったるい理想を夢見るのは結構だが、寝言は寝て言え。貴様らの細首など剣の一振りで簡単に落とせると知れっ!」
「殺してしまっていいの?」
「はあっ!?」
クレアには護衛騎士達の猛攻を掻い潜ることはできないし、一度命令が下ればきっと文字通り初太刀で殺されてしまうだろう。もちろん死にたいわけでもない。
それでもクレアは堂々とエーミールを脅し返した。恐怖は感じていなかった。だって、今この場で一番『強い』のは私だ。
「もしも私を殺したら、私は『バルトールの民を守ろうとして非業の死を遂げた英雄』になってしまう。クラウディアは理想に殉じた聖女で、あなたは聖女を殺した暴君だって語られる。未来永劫ずっとそのまま」
自分の人となりはもちろん顔すら知らないような人間が、自分の名を怨嗟とともに吐き捨てる様を想像するのは嫌でしょう?
これはこの場で一人の人間が生きるか死ぬかという話ではない。その人の為したことを、存在そのものを、未来にわたって徹底的に破壊し尽くし貶める――そういうこともきっと、やろうと思えばできてしまう。今のクレアが持つ人脈を使えば。
「そう書かせるわ。私、スヘンデルでお友達を作ったの。国内外にたくさん、学者も作家も詩人もね。画家もいるから絵も描いてもらおうかしら。版画にして印刷して配れば、文字を読めない人にまで広まるでしょう?」
「はったりだっ! 貴様にそんな力があるはずが……っ、第一、王宮の中で何が起ころうが、外に伝えさせなければいいだけの話だ!」
「あのね、兄様。私にもそれくらいは分かるし、分かった上で敵地に無策で乗り込まないわ。話は先につけてきたのよ。『私が死んだら知らせる』じゃなくて『私が生きているかぎり知らせるから、知らせが途絶えたら来て』と」
だからクレアはおとなしくここで待っていればいい。早く行動しなければと慌てふためくのは、彼らの方だ。
「あなたは真っ先に私の無事を外に伝えないといけないの。だってもうすぐ私の怖い旦那様が訓練されたスヘンデル国軍を連れてやってくるわ。『新国王の即位祝い』という名目で」
「ひぃっ!?」
フレッドがいきなり他国に非難されるほどの大軍勢を率いて来ることはないだろう。それでも『新国王への敬意を表すために大人数で来ました』とバルトールに乗り込んだ彼らは、クレアに危害が加えられたと知った途端に国際世論を味方につけて王都包囲戦を開始する。その場に居合わせた他国の使節も、諍いを止めるよりは便乗することを選ぶだろう。
惨状を想像したエーミールが小さく悲鳴を上げるのを、クレアは笑みを浮かべて見ていた。
(私自身に力が無いから、周囲の力を利用する。結局は私も兄様を力で押さえつけている。自分でも嫌になるくらい狡い方法ね。これのどこが『綺麗事』なのかしら)
笑みの下で、猛烈な自己嫌悪に苛まれながら。
図書室でレオポルト一世の詩集を読んだ時、この方法を思いついた。後世に『賢王』と讃えられた男の犯した『罪』を知ったから。
『僕は一国の君主としてとても顔向けできないことをした。戦勝国の支配に不満を持つ被征服民を『自分たちの国を取り戻そう』って綺麗事で扇動して蜂起させた。内輪揉めで共倒れしてくれればスヘンデルまで手を伸ばす余裕は無くなると思ったから。工作員を送って噂を流して、彼らに『自分自身の意志で立ち上がった』と思い込ませさえした。スヘンデルの関与を辿られないように』
エルネスティーヌ妃の故国が滅ぼされた後、スヘンデルに迫った強国は程なくして内乱状態に陥り瓦解した。賢王自身にはこの件に関して目立つ事績は無い。――彼は、記録に残すべきではないことをしていたからだ。
『嫁いだばかりの頃のエルネスティーヌに『貴重な紙に落書きして捨てるなんてもったいない』と怒られたっけ。伝手があるから手に入りやすいと言ったら驚いていた。森ばかりで農地が少ない僕の領地で、商品にならないかと皆で試行錯誤して作った紙。それで作った扇動チラシも撒いた。……こんなことには使いたくなかったな』
『敵』を上手くやり込めて侵攻を食い止めたはずの彼は、ちっとも嬉しそうではなかった。自身の選択の裏に、顔も知らない大勢の死がこびりついていると気づいていたからだろう。
それでも、賢王の選択は『正解』ではあったのだ。
「『武器は説得に屈服する』と言うでしょう。剣の一振り、銃の一発はもちろん強い力を持つけれど、それで動かせるのはせいぜい一人の人生だけ」
エーミールの言う通り、力を伴わない言葉は空虚だ。
だが、綺麗事が『綺麗』なのは、そこに描かれた理想に皆が魅力を感じるから。皆を惹きつける言葉は必ず人を動かす力を持つ。
「理想への期待は何千何万の人の心を動かして駆り立てる。綺麗事を舐めるんじゃないわ」
その強大な力は良くも悪くも働き得るものだけれど――だからこそ良い方に働かせなければならない、少なくともそう努めなければならない。
(ああ、やっぱり私は王様になんてなりたくない)
選択に重圧がかかるばかりで気分はちっとも晴れがましくない。
この鬱々とした気持ちにフレッドはずっと耐えていたのだろうかと、クレアは遠く離れた夫を想った。たった今思い浮かべた声を、まさかこの場で聞くことになるとは思いもせずに。
「――その通り、皆の理想への期待は重くて怖くて扱うのが大変だったけど。でも、悪くなかったよ」
「……っ、フレッド!?」
まるで『五年前』をやり直しているみたいだった。
バルトールの王宮の謁見の間で、二つ隣のスヘンデルという国からやって来た美しい男は玉座に向かって歩を進める。
居並ぶ貴族の前をゆっくりと通り過ぎ、ローゼンハイム公爵を囲む護衛騎士達の横を通り過ぎて、この国の第九王女だったクレアの隣で、彼はぴたりと足を止めた。
「共通の目標は他人と手を組むのに使えるし、何より僕自身も期待して『叶えたい』と熱に浮かされて、じっとしていられなかった。早く解決して、胸を張って会いに行ける理由を作ろう、って」
――スヘンデルと隣国カルメは、バルトールと三国同盟を締結する。コルキアの侵攻を阻み、諸国の平和を維持する正義は我らにある!
歴史的な快挙を声高らかに宣言した護国卿ハウトシュミットは、驚いている妻に向かって『来ちゃった』と可愛こぶって告げてきた。
『みそっかすの妹』に圧倒された己をごまかすように、エーミールは吠えた。
「甘ったるい理想を夢見るのは結構だが、寝言は寝て言え。貴様らの細首など剣の一振りで簡単に落とせると知れっ!」
「殺してしまっていいの?」
「はあっ!?」
クレアには護衛騎士達の猛攻を掻い潜ることはできないし、一度命令が下ればきっと文字通り初太刀で殺されてしまうだろう。もちろん死にたいわけでもない。
それでもクレアは堂々とエーミールを脅し返した。恐怖は感じていなかった。だって、今この場で一番『強い』のは私だ。
「もしも私を殺したら、私は『バルトールの民を守ろうとして非業の死を遂げた英雄』になってしまう。クラウディアは理想に殉じた聖女で、あなたは聖女を殺した暴君だって語られる。未来永劫ずっとそのまま」
自分の人となりはもちろん顔すら知らないような人間が、自分の名を怨嗟とともに吐き捨てる様を想像するのは嫌でしょう?
これはこの場で一人の人間が生きるか死ぬかという話ではない。その人の為したことを、存在そのものを、未来にわたって徹底的に破壊し尽くし貶める――そういうこともきっと、やろうと思えばできてしまう。今のクレアが持つ人脈を使えば。
「そう書かせるわ。私、スヘンデルでお友達を作ったの。国内外にたくさん、学者も作家も詩人もね。画家もいるから絵も描いてもらおうかしら。版画にして印刷して配れば、文字を読めない人にまで広まるでしょう?」
「はったりだっ! 貴様にそんな力があるはずが……っ、第一、王宮の中で何が起ころうが、外に伝えさせなければいいだけの話だ!」
「あのね、兄様。私にもそれくらいは分かるし、分かった上で敵地に無策で乗り込まないわ。話は先につけてきたのよ。『私が死んだら知らせる』じゃなくて『私が生きているかぎり知らせるから、知らせが途絶えたら来て』と」
だからクレアはおとなしくここで待っていればいい。早く行動しなければと慌てふためくのは、彼らの方だ。
「あなたは真っ先に私の無事を外に伝えないといけないの。だってもうすぐ私の怖い旦那様が訓練されたスヘンデル国軍を連れてやってくるわ。『新国王の即位祝い』という名目で」
「ひぃっ!?」
フレッドがいきなり他国に非難されるほどの大軍勢を率いて来ることはないだろう。それでも『新国王への敬意を表すために大人数で来ました』とバルトールに乗り込んだ彼らは、クレアに危害が加えられたと知った途端に国際世論を味方につけて王都包囲戦を開始する。その場に居合わせた他国の使節も、諍いを止めるよりは便乗することを選ぶだろう。
惨状を想像したエーミールが小さく悲鳴を上げるのを、クレアは笑みを浮かべて見ていた。
(私自身に力が無いから、周囲の力を利用する。結局は私も兄様を力で押さえつけている。自分でも嫌になるくらい狡い方法ね。これのどこが『綺麗事』なのかしら)
笑みの下で、猛烈な自己嫌悪に苛まれながら。
図書室でレオポルト一世の詩集を読んだ時、この方法を思いついた。後世に『賢王』と讃えられた男の犯した『罪』を知ったから。
『僕は一国の君主としてとても顔向けできないことをした。戦勝国の支配に不満を持つ被征服民を『自分たちの国を取り戻そう』って綺麗事で扇動して蜂起させた。内輪揉めで共倒れしてくれればスヘンデルまで手を伸ばす余裕は無くなると思ったから。工作員を送って噂を流して、彼らに『自分自身の意志で立ち上がった』と思い込ませさえした。スヘンデルの関与を辿られないように』
エルネスティーヌ妃の故国が滅ぼされた後、スヘンデルに迫った強国は程なくして内乱状態に陥り瓦解した。賢王自身にはこの件に関して目立つ事績は無い。――彼は、記録に残すべきではないことをしていたからだ。
『嫁いだばかりの頃のエルネスティーヌに『貴重な紙に落書きして捨てるなんてもったいない』と怒られたっけ。伝手があるから手に入りやすいと言ったら驚いていた。森ばかりで農地が少ない僕の領地で、商品にならないかと皆で試行錯誤して作った紙。それで作った扇動チラシも撒いた。……こんなことには使いたくなかったな』
『敵』を上手くやり込めて侵攻を食い止めたはずの彼は、ちっとも嬉しそうではなかった。自身の選択の裏に、顔も知らない大勢の死がこびりついていると気づいていたからだろう。
それでも、賢王の選択は『正解』ではあったのだ。
「『武器は説得に屈服する』と言うでしょう。剣の一振り、銃の一発はもちろん強い力を持つけれど、それで動かせるのはせいぜい一人の人生だけ」
エーミールの言う通り、力を伴わない言葉は空虚だ。
だが、綺麗事が『綺麗』なのは、そこに描かれた理想に皆が魅力を感じるから。皆を惹きつける言葉は必ず人を動かす力を持つ。
「理想への期待は何千何万の人の心を動かして駆り立てる。綺麗事を舐めるんじゃないわ」
その強大な力は良くも悪くも働き得るものだけれど――だからこそ良い方に働かせなければならない、少なくともそう努めなければならない。
(ああ、やっぱり私は王様になんてなりたくない)
選択に重圧がかかるばかりで気分はちっとも晴れがましくない。
この鬱々とした気持ちにフレッドはずっと耐えていたのだろうかと、クレアは遠く離れた夫を想った。たった今思い浮かべた声を、まさかこの場で聞くことになるとは思いもせずに。
「――その通り、皆の理想への期待は重くて怖くて扱うのが大変だったけど。でも、悪くなかったよ」
「……っ、フレッド!?」
まるで『五年前』をやり直しているみたいだった。
バルトールの王宮の謁見の間で、二つ隣のスヘンデルという国からやって来た美しい男は玉座に向かって歩を進める。
居並ぶ貴族の前をゆっくりと通り過ぎ、ローゼンハイム公爵を囲む護衛騎士達の横を通り過ぎて、この国の第九王女だったクレアの隣で、彼はぴたりと足を止めた。
「共通の目標は他人と手を組むのに使えるし、何より僕自身も期待して『叶えたい』と熱に浮かされて、じっとしていられなかった。早く解決して、胸を張って会いに行ける理由を作ろう、って」
――スヘンデルと隣国カルメは、バルトールと三国同盟を締結する。コルキアの侵攻を阻み、諸国の平和を維持する正義は我らにある!
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