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彼女は『正解』に気づいている
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クレアは眉間に皺を寄せ、深々とため息を吐いて言った。
「フレッドもディベートで性的に興奮する人なのかしら」
「ぶふっ!」
深刻な口調に似合わぬ内容を聞かされたのは、スヘンデル国民議会の革新派の雄、ニコラス・ヘルト・コニング議員である。
含んだ茶を吹き出した彼は、咽せ込みながら必死に弁明した。
「『フレッドも』って、私がディベートで性的に興奮する前提で言わんでください!」
「違うの?」
「違いますよ! まったく……」
『どうしてそう思うんです』と冷ややかな目を向けられて、クレアは小さく首を傾げた。
「私がこれだけ誘惑しているのに手を出してこないから」
「夫人の魅力が足りないのでは?」
「自分磨きはこれからも頑張るつもりだけど……あなたに言われるとむかつくわね!」
「ふん、お互い様ですよ」
二人は無言でしばし睨み合った。威嚇するように目は逸らさないままで、クレアは言葉を継いだ。
「百億歩譲って私以外の愛人がいるなら理解はできるわ。でも、夜は私と過ごしているから、愛人を訪ねる隙も無いでしょうし……」
「仕事中の彼には何人もお付きがいるので、仕事の関係者が愛人で逢引してるってこともないと思いますよ」
「さすがコニング議員。話が早いわ」
「それを聞きたくて私を呼んだんでしょうが、この色ボケ小娘が」
「それ『も』聞きたかっただけよ。色ボケなのは否定しないけど」
「せいぜい頑張ってください」
「応援する気が微塵も伝わってこないわ」
「そんな気持ちは込めてませんから」
「本当に腹が立つ!……でも、止めないのね」
フレッドに対して拗らせた敬愛を向けるコニングなら『忙しい彼を煩わせるな』と止めるかと思っていたのに、クレアの『色ボケ』だと分かっていてなお情報を寄越すなんて。
クレアが訝しむと、コニングは肩をすくめた。
「下手に政府の有力者の娘や隣国の王族なんかと子を作られて、世襲制王朝『ハウトシュミット朝』を開かれると困りますからね」
「その点バルトール王女との子ならスヘンデル国内に大した影響は及ぼせないわね。バルトールは遠いもの」
「せいぜい通商条約でバルトールに多少有利に関税を設定するくらいですか。どうせ鉱山資源くらいしか売る物が無い国ですし、貿易額も知れている」
「事実だけど、ひどい言い様ね。最近はスヘンデルから派遣された金属細工職人に教わったりもしてるのよ。外貨を得られる産業に育つにはまだまだ時間がかかりそうだけど」
「バルトールへの支援があなたの結婚の条件でしたっけ」
「ええ」
コニングの言う通り、鉱業以外にめぼしい産業が無いバルトール王国は鉱山の枯渇によって衰退の一途を辿っている。
栄えたスヘンデルがわざわざ買う価値のある売り物などバルトールには無い。しかし、二百年の伝統の権威と再興のために幼い王女まで差し出す意欲を買って、護国卿は支援を決めた。
『金だけ出せばバルトールは満足するのかもしれないけど、スヘンデルにせびった小遣い頼りの属国は要らない』
フレッドはそう言って、バルトール国内に産業を根づかせようとしていた。バルトールが一国として存続できるように。ちょうど、クレアに一人で生きていけるように教育したのと同じように。
「……ハウトシュミット夫人、あなたは賢く育った。もう分かっているでしょう? どうして護国卿があなたを娶ったのか、どうしてあなたを育てたのか」
コニングは躊躇うように言った。物怖じを知らない彼でさえ、その答えがクレアを傷つけると分かっているのだ。
だが、クレアは怯えるどころか驚きすらしていなかった。
「ええ、知っているわ。フレッドは私じゃなくても、誰でもよかったんでしょう。『妻』の座を埋めてくれる置物が欲しかっただけ。だから、誰からも惜しまれない私が好都合だった」
支配下に降るわけでもない斜陽の王国の王女を娶るなんて、妻の背後の権力や財力を期待した政略結婚ではない。『綺麗な置物』と呼ぶに足る美しい妻が欲しかったわけですらない。
ただ『嵩張って場所をとる無価値な置物』――それが、護国卿フレデリック・ハウトシュミットが見積もったバルトール王女クラウディアの評価だった。
「みんな優しいから、これからも誰も言わないだろうけどさすがに分かるわ。あの時のフレッドに私を選ぶ理由は無いもの」
「それが分かっていて、どうしてあなたは一生懸命になるんです」
「ろくでもない理由だったとしても、選ばれたのは私。私より彼の妻にふさわしくて彼の妻になりたかった姉ではなくて、私なのよ。だから、私が、彼の妻になるの」
クレアは既に知っている。
フレッドが自分を選んだ理由に『愛情』が一欠片も存在していなかったことも、それについて罪悪感を感じていたから彼はクレアに教育を施しただけだということも。
そんな男を愛したところで、彼の中に恋情が燃え上がるだけの種火が無いことも知っている。
「それでも、好きになってしまったんだから仕方がないじゃない。私を夢中にさせておいて、自分は澄ました顔のままなんてずるいわ。彼にツケを払ってもらう」
彼を手に入れるためなら、罪悪感だって使ってやる。
クレアの不穏な宣言を聞いても、コニングは止めようとはしなかった。控えめに『まあ護国卿の自業自得ですからね』と賛同を示しただけで。
「フレッドもディベートで性的に興奮する人なのかしら」
「ぶふっ!」
深刻な口調に似合わぬ内容を聞かされたのは、スヘンデル国民議会の革新派の雄、ニコラス・ヘルト・コニング議員である。
含んだ茶を吹き出した彼は、咽せ込みながら必死に弁明した。
「『フレッドも』って、私がディベートで性的に興奮する前提で言わんでください!」
「違うの?」
「違いますよ! まったく……」
『どうしてそう思うんです』と冷ややかな目を向けられて、クレアは小さく首を傾げた。
「私がこれだけ誘惑しているのに手を出してこないから」
「夫人の魅力が足りないのでは?」
「自分磨きはこれからも頑張るつもりだけど……あなたに言われるとむかつくわね!」
「ふん、お互い様ですよ」
二人は無言でしばし睨み合った。威嚇するように目は逸らさないままで、クレアは言葉を継いだ。
「百億歩譲って私以外の愛人がいるなら理解はできるわ。でも、夜は私と過ごしているから、愛人を訪ねる隙も無いでしょうし……」
「仕事中の彼には何人もお付きがいるので、仕事の関係者が愛人で逢引してるってこともないと思いますよ」
「さすがコニング議員。話が早いわ」
「それを聞きたくて私を呼んだんでしょうが、この色ボケ小娘が」
「それ『も』聞きたかっただけよ。色ボケなのは否定しないけど」
「せいぜい頑張ってください」
「応援する気が微塵も伝わってこないわ」
「そんな気持ちは込めてませんから」
「本当に腹が立つ!……でも、止めないのね」
フレッドに対して拗らせた敬愛を向けるコニングなら『忙しい彼を煩わせるな』と止めるかと思っていたのに、クレアの『色ボケ』だと分かっていてなお情報を寄越すなんて。
クレアが訝しむと、コニングは肩をすくめた。
「下手に政府の有力者の娘や隣国の王族なんかと子を作られて、世襲制王朝『ハウトシュミット朝』を開かれると困りますからね」
「その点バルトール王女との子ならスヘンデル国内に大した影響は及ぼせないわね。バルトールは遠いもの」
「せいぜい通商条約でバルトールに多少有利に関税を設定するくらいですか。どうせ鉱山資源くらいしか売る物が無い国ですし、貿易額も知れている」
「事実だけど、ひどい言い様ね。最近はスヘンデルから派遣された金属細工職人に教わったりもしてるのよ。外貨を得られる産業に育つにはまだまだ時間がかかりそうだけど」
「バルトールへの支援があなたの結婚の条件でしたっけ」
「ええ」
コニングの言う通り、鉱業以外にめぼしい産業が無いバルトール王国は鉱山の枯渇によって衰退の一途を辿っている。
栄えたスヘンデルがわざわざ買う価値のある売り物などバルトールには無い。しかし、二百年の伝統の権威と再興のために幼い王女まで差し出す意欲を買って、護国卿は支援を決めた。
『金だけ出せばバルトールは満足するのかもしれないけど、スヘンデルにせびった小遣い頼りの属国は要らない』
フレッドはそう言って、バルトール国内に産業を根づかせようとしていた。バルトールが一国として存続できるように。ちょうど、クレアに一人で生きていけるように教育したのと同じように。
「……ハウトシュミット夫人、あなたは賢く育った。もう分かっているでしょう? どうして護国卿があなたを娶ったのか、どうしてあなたを育てたのか」
コニングは躊躇うように言った。物怖じを知らない彼でさえ、その答えがクレアを傷つけると分かっているのだ。
だが、クレアは怯えるどころか驚きすらしていなかった。
「ええ、知っているわ。フレッドは私じゃなくても、誰でもよかったんでしょう。『妻』の座を埋めてくれる置物が欲しかっただけ。だから、誰からも惜しまれない私が好都合だった」
支配下に降るわけでもない斜陽の王国の王女を娶るなんて、妻の背後の権力や財力を期待した政略結婚ではない。『綺麗な置物』と呼ぶに足る美しい妻が欲しかったわけですらない。
ただ『嵩張って場所をとる無価値な置物』――それが、護国卿フレデリック・ハウトシュミットが見積もったバルトール王女クラウディアの評価だった。
「みんな優しいから、これからも誰も言わないだろうけどさすがに分かるわ。あの時のフレッドに私を選ぶ理由は無いもの」
「それが分かっていて、どうしてあなたは一生懸命になるんです」
「ろくでもない理由だったとしても、選ばれたのは私。私より彼の妻にふさわしくて彼の妻になりたかった姉ではなくて、私なのよ。だから、私が、彼の妻になるの」
クレアは既に知っている。
フレッドが自分を選んだ理由に『愛情』が一欠片も存在していなかったことも、それについて罪悪感を感じていたから彼はクレアに教育を施しただけだということも。
そんな男を愛したところで、彼の中に恋情が燃え上がるだけの種火が無いことも知っている。
「それでも、好きになってしまったんだから仕方がないじゃない。私を夢中にさせておいて、自分は澄ました顔のままなんてずるいわ。彼にツケを払ってもらう」
彼を手に入れるためなら、罪悪感だって使ってやる。
クレアの不穏な宣言を聞いても、コニングは止めようとはしなかった。控えめに『まあ護国卿の自業自得ですからね』と賛同を示しただけで。
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