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答えるのなら『なんとなく』

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 王都小離宮の図書室はさほど広くないが、歴代のスヘンデル王族が残した日記や書簡集、趣味で集めた研究書などの貴重な書物を収蔵している。
 クレアは本棚から色挿絵付き鉱物図鑑を取ると、閲覧席でページを繰った。

「こっちの石は『健康』に『長寿』かぁ……縁起はいいけど、そういうのじゃなくて!」

 身に着けるものなのだから、見た目にも美しい宝石を選びたい。だが、挿絵を見てこれはと思った石には、なかなかしっくりくる謂れが無かった。

「こっちは『金運上昇』ね。フレッドは喜ぶかもしれないけど……」

 実利にちなんだ由来も気に入りそうだし、彼に似合いそうな綺麗な石だ。
 フレッドへのプレゼントなのだから、彼が喜ぶものをあげるのが一番だとも思うけれど、なんとなく選びたくない。
 だって――ちっともロマンチックじゃない!

「なんとなく、もっとこう、明るくて、きらきらしていて、実用的じゃない感じの石がいいと思うの。次のページは……ペリドットね」

 自らが渋る理由に気づかないまま、クレアは翠の石の説明を読み込んだ。
 フレッドが言っていた通り、ペリドットは旧くから『太陽の石』として珍重され、古代の『大いなる川の国』の女王も熱心に蒐集していたらしい。

『また、ペリドットには鎮静効果がある。喘息や高熱の薬となり、沸いた水にペリドットを入れれば即座に冷水に変わる』

 貴重な石を砕いて飲んだり茹でたりするなんて、いつの時代にも変わり者はいるらしい。
 眉唾ものの記述に目を眇めつつ、クレアは先を読み進めた。

『人の心の熱情や浮ついた色欲も鎮めることから、夫婦の愛を象徴する石としても知られ、装身具に好んで用いられる』

「夫婦の、愛……!」

 それだ。そういう『明るくてきらきらでふわふわした概念』こそ、クレアが今まさに求めていたものだ。

「どうしよう。私もペリドットにしたらフレッドの真似をしたみたいになってしまうし……」

 彼はこちらの意味を知らなかったのかもしれないが、知らずにクレアの上手を行くなんて、どこまでも油断ならない夫である。
 一つため息を吐いた後、クレアはよりいっそう真剣な目で図鑑に向き合った。必ずペリドットよりもふさわしい石を見つけるのだ、と意気込んで。

 図鑑の端から端まで目を通し、悩みに悩んで数種類に絞った候補の名前を帳面に控えて、クレアは図書室を後にした。

「石の目星はついたし、あとは宝石商や加工職人とも相談して決めなくちゃ」

 胸には計画が現実味を帯びてきたことへの期待と興奮、それから少しの不安がある。

「……フレッド、喜んでくれるかしら」

 彼なら『金運上昇』でも『長寿』でも喜ぶだろう。だからこれはきっと、純粋に『彼を喜ばせるために贈る』わけではないのだ。
 悪く言えばどこまでもクレアの自己満足で、良く言えば願いごとをかけるのにも似ている。

「『私が贈りたくて、彼に受け取ってほしい物』じゃないと意味がないわ」

 せっかく綺麗な宝石なのだから、『愛』とか『夢』とか『希望』のようなきらきらしたものと一緒に贈りたい。
 その思いのこもった贈り物を『ありがとう』と喜んで受け取ってもらえたら、どれほど幸せだろう。
 想像して、クレアは頬を綻ばせた。

 帰りの馬車を待たせている裏手へと向かうと、庭の方から稚けなくはしゃぐ声が聞こえてきた。
 この王都小離宮が正しく離宮として使われていた頃は王族貴族の子女が遊んだという庭も、今や大人たちが回廊を行き来する際に目の端に捉えるだけの背景と化している。
 そんな場所で珍しく子どもの声を聞いて、クレアは思わず視線を向けた。

「でね、リリがおひめさまするから、おうじさまやってほしいの!」

 そこにいたのは遠目にも目立つ容姿の幼子、リーフェフット家の第一子であるリリアンネだ。
 人懐っこさは二年前から変わらないまま、ますます口達者になった彼女は、全くの初対面の相手にも物怖じせず話しかけてまわる。その可愛らしさがまた見る者の笑みを誘うのだが――。

「分かった。王子役なら任せてくれ」

 リリアンネがおままごとを持ちかけた相手は、声からして男性だろうが、それ以上のことは分からない。
 体格も分からないほど分厚い生地の外套を身にまとい、フードを目深に被っている。顔の上半分が光を反射しているのは、径の大きなレンズの色眼鏡をかけているからか。まともに見えているのは、白い顔の下半分、口元と顎先くらいのものだ。

(ふっ、不審者がいる――!?)

 知り合いの幼女が不審な男に自分からのこのこと近づいて、おままごとに誘っている。これを止めずにいてどうする!
 クレアは慌てて駆けつけて、彼らの間に割って入った。

「ちょっとっ、何やってるんですか!」
「クレアちゃん、こんにちは!」
「こんにちは、リリ。ねえ、このお兄さんはリリの知ってる人?」
「ううん、しらないひと!」
「知らない怪しい人と話しちゃダメ!」

 リリアンネの体に腕を回して持ち上げ、男から遠ざけると、宙を飛んだ彼女はキャッキャと笑った。
 クレアは両手を広げてリリアンネの前に立ちはだかり、不審者を睨みつけた。珍妙な色眼鏡のレンズ越しに見つめ返してきた男の顔には、怒りも動揺も浮かんでいない。表情が薄いからこそ、思いのほか若く端正な顔立ちが際立っていた。

「そこのあなた、いったい何を……!」
「これは失礼した。僕はブランカ。一等医官イェルチェ・ツァルトの……まあ、とりあえず身内だ」
「イェルチェ・ツァルトって、女性医官の?」
「ああ。王都小離宮への入場許可ももらっている」

 ほら、と示された正規の許可証には、彼の身分を保証する『イェルチェ・ツァルト』の署名があった。確かに彼女の名前はフレッドからも聞いたことがある。その身内だというなら、信じてもいいのだろうか。
 戸惑うクレアの前で、ブランカは重苦しいフードをひょいと引き上げてみせた。

「我ながら怪しい風体だと思うが、肌と瞳が日差しに弱くてね」

 薄青色のレンズを通して見るブランカの瞳は紫色で、フードの隙間からは白く輝く髪が覗く。
 体中の色素が薄く、日に焼けるとひどく痛むから、日差しを遮るために外套を身につけているらしい。

「そうだったの。ごめんなさい、事情も知らずに失礼なことを言ったりして」
「いや、幼子に声をかける不審者には警戒しすぎるくらいでいいと僕も思う」
「そう言ってもらえると気が楽になるわ」

 クレアの謝罪を寛大に受け入れたブランカは、家人の仕事が終わるのを待っているのだと言った。待っているうちに、やってきたリリアンネに捕まっておままごとに付き合うことになったらしい。

「リリはどうしてここに来たの?」
「リリもね、おとうさまを待ってるの!」
「ヴィル兄様のお迎え?」
「うん! おとうさまはリリのこと、せかいでいちばんかわいいとおもってるから、リリを見たらよろこぶから!」
「確かにそうね」

 実際にリリアンネは人間離れした愛らしさを持っているし、ヴィルベルトが妻子を溺愛していることは周知の事実だ。幼い愛娘がわざわざ自分に会いに来たと知ったら、彼が鋭い眼光を和らげることは想像に難くない。
 合点のいったクレアが頷きを返していると、背後から小さな声が聞こえてきた。

……ヴィルベルト・レネ・リーフェフットか?」

 振り返れば、自問自答のようにブランカが呟いていた。
 その声が聞こえたらしく、リリアンネがぱっと顔を向ける。

「おとうさまの名前!」
「リリのお母さまの名前は? 『エフェリーネ』なのか?」
「うん。なんでしってるの?」

 不思議そうに首を傾げるリリアンネを見て、ブランカは微笑んだ。彼女の幼い顔の中に、何かを見出したかのように。

「……いや。僕の昔の知り合いの名前と同じだから。そうか、リリは彼らの娘なのか」

 感慨深げに言いながら、彼はリリアンネの頭を優しく撫でた。
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