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『正解』のご褒美

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 クラウディア・ハウトシュミットは、自室の寝台下に隠した木箱を引き出して、その中を覗き込んでいた。

「金貨が五枚に、銀貨が二百枚……」

 夜な夜な貯めた小銭を数えるクレアの姿を一目でも見れば、レディ・エフェリーネは『これまで教えてきたことはあなたの心に全く響かなかったのね』と冷ややかに微笑むかもしれない。せっかく立ち居振る舞いに『及第点』をもらえるようになったところなのに。
 だが、ささやかな野望に燃える少女の前では、恥も外聞も些事にすぎなかった。

「これだけあればきっと買えるわ! 待ってなさい、フレッド! 思わず唸るようなプレゼントを用意するから!」

 スヘンデルに嫁いで二年と少し、クレアは十五歳になっていた。

 国民議会の見学で知り合った書記官見習いの学生は、あれから少し経ったころ、唐突にハウトシュミット邸を訪れて『学生礼服の売上の分配についてあなたの希望はありますか』と尋ねてきた。

「分配って……私はただの思いつきを言っただけよ!?」
「低額でいいと? じゃあ三パーセントでどうでしょう?」
「そうじゃなくてっ、私、お金なんて――」

『物を売ったわけでもないのにお金なんて受け取れない』とクレアが押し問答をしていると、愉しげな声が背後から割って入った。

「くれるというならもらっておきなよ。というか、もっともらっていいくらいだ」
「フレッド……!」

 振り返れば、にやにやと笑う夫が立っている。
 事情を知っているのだから止めに入ってくれればいいものを、さらに諍いを煽りに来るなんて。

「ハウトシュミット氏の旦那さん! あっ、いや、護国卿!」
「その呼ばれ方は新鮮だな。君、『売上の三パーセント』というのはどこから出した数字?」
「学生礼服の売上に占める布地代と仕立て屋の工賃の割合がだいたい六割ほどで、一割は税で持っていかれて、二割は仕立て屋に残してほしいそうです」
「内部留保に二割も回す必要ある? 純利益じゃなくて売上ベースだよね?」
「それはですね、この間護国卿から『来年から職業訓練校の学生を増やすつもりだ』って話があったでしょう?」
「うん。この間そういう話をした」
「注文数が増えるのを見越して、新しく針子を雇うのと布地の仕入れのための一時金を確保したいらしくて」
「なるほどね。残りの一割を校章のデザイナーたちと『校章を刺繍する』アイデアを提案したクレアで按分するってこと?」
「そういうことですね!」
「ならクレアが半分はもらってもいいんじゃ――」
「いいから、フレッド! 私、三パーセントがいいと思うわ!」

 彼らに任せておいたら話が長引くうえに、最終的に『じゃあ五パーセントで』とクレアに有利な合意がまとまりそうな気配がある。
 クレアが慌てて当初の金額を推すと、フレッドは不満げな顔をした。自分は日頃から軽々と巨額を動かしているくせに、妻の得る金の多寡がそれほど気になるのだろうか。

「ごねればもっと取れるのに」
「要りません!」
「まあいいか。君、今話した内容を契約書にして持ってきて。君が伝言役をするなら委任状も忘れずにね」
「はい!」

 フレッドの指示を聞いて駆け出していく背中には、もうクレアの言葉は届かないだろう。クレアはがっくりとうなだれた。

「よかったね。お小遣いにするといい」
「自分の分け前を主張して欲張りだと思われるくらいなら、要らないわ。私はお金に困っているわけでもないし」
「ああ、そういう――君も金を稼ぐことを卑しいと思ってるくち?」
「卑しいなんてっ、……」

 フレッドの口から出たとは思えない冷ややかな声に驚いて、クレアは弾かれたように顔を上げた。
 目にした彼は今日も美しく微笑んでいるが、その笑顔にはどこか凄みのようなものがあった。

「フレッド、怒ってる?」
「ううん。そう考える王族や貴族は珍しくもないしね」
「……今まで考えていなかったけど、そうかもしれない。なんだか悪いことをしているような、後ろめたい気持ちになるの。私が得をしたってことは、誰かがそのぶん損をしたんじゃないかと思って。そんな不道徳なことをするのは『卑しい』ってどこかで思うの。全くするなとは言わないけれど、申し訳なさそうな顔をした方がいいような」
「じゃあ聞くけど、君はドレスやアクセサリーを買うときに『これで私は損をする』って思いながら買ってるの?」
「え……?」

 当然のことながら、それらを買う時には代金を支払う。
 クレア自身が現金に触れることはなくても、家での買い物なら家令が代わりに商人への支払いをしていることは知っている。高い品物ならそのぶん『この買い物が家計に負担をかけるかもしれない』と考えることもある。
 でも――買うか否かの葛藤を越えて『これが欲しい』と決めたものについて、『損』などと思うだろうか。

「思わないわ。私は『素敵だから欲しい』と思うものしか買わないもの。買って似合わなくて『買わなければよかった』『損をした』って思ったことはあるけど……それは似合わないから思うのね」
「要は、君は『いい』と思った時には納得して見合う金を払っているわけだ。君は『いいもの』を手に入れて得をする、商人はそれに見合う金を手に入れて得をする。金を奪い合っているわけじゃない、金は価値を測る物差しでしかないよ」

 そして、その価値を決めるのは『売り手』ではなく『買い手』なのだと、フレッドは言った。

「死後に評価された画家の遺作が画家本人の与り知らぬところで高騰するみたいに、その物自体は何一つ変わっていなくても、作者本人にとっては落書きや思いつきであっても、それを評価する側の見積もりで価値は決まるんだ」
「じゃあ、さっきのも?」
「彼らは君の提案に売上を分配するだけの価値を感じた――金を払う価値がある、いいものだと思った。それって、僕は素敵なことだと思うけど」

 それを『ただの思いつきだから』で拒絶するのはもったいないし、金が要らないなら受け取ってから寄付すればいいんじゃない?
 フレッドの提案に、クレアはおずおずと頷いた。

 そして、金がクレアの元に納められた時、硬貨の詰まった革袋は金額以上にずっしりと重く感じた。
 数字にすれば大したことのない額だ。クレアの夫なら息をするように払うだろうし、クレア自身が身につけている衣服一枚の値段にもきっと及ばない。
 それでも――。

「その金で何かを買うも貯めるもドブに捨てるも、クレアの自由だ。君が稼いだものなんだから、君が後悔しないように使いなよ」

 お節介を言われなくたって、軽々しく使えるものか。
 クレアの『思いつき』を実現するために駆け回った学生や教師のことも、意匠に頭を悩ませたデザイナーのことも、快く製作を引き受けた仕立て屋のことも、『助かった』と笑ってローブを手に取る学生たちのことも知っているのに。
 これは、その彼らによるクレアの提案の評価額、クレアが為したことの価値だ。手にした達成感と選択の自由は、ひどく重かった。

 その金の使い道として適当なものはすぐには思い浮かばず、クレアは得た硬貨を寝台の下に隠すことにした。
 悩んでいるうちに、王都職業訓練校の学生たちに学生礼服は行き渡り、クレアの貯金へそくりは結構な金額になっていた。

「ついつい貯め続けたこれを全部使って、フレッドが身につける小物を買う!」

 悩みに悩んで使い道は決めた。
 これだけの金があれば、質の良い貴石も買える。それをフレッドがよく使うような――できれば身につけるものに加工してもらう。

「それで、『前にもらったペリドットのピンのお返しよ』ってさりげなく渡す。完璧な計画ね!」

 自画自賛しつつ、クレアは男物のクラヴァット・ピンを握りしめた。

『修道士ローブを着るのは良い考えだと思うけど、もう少し華やかさも欲しいな』

 国民議会の前の晩、ローブを羽織ったクレアを見たフレッドは、自分のクラヴァットのピンを外し、それでローブの合わせを留めたのだ。

『こっちの方が僕は好き』
『ありがとうございます。お借りします』
『こんなものでよければあげるよ。君によく似合ってるし』
『いただけません!』

 ピンの金の台座についた石は、夜の蝋燭の灯りにも眩く輝くペリドットだ。これほど大きく透き通った色のものだと、値段がいくらになるか考えるのも恐ろしい。そもそも、一国の代表者である護国卿が生半可なものを身につけるわけがないのだ。
 恐縮するクレアに向かって、フレッドは肩をすくめて言った。

『じゃあこれは、僕の出した難題に正解したご褒美だ。ペリドットならちょうどいいしね』
『ちょうどいい?』
『ペリドットには『邪気を払う太陽の石』という謂いわれがある。暗い中でも輝くからだろうね。御守りだと思えば受け取ってくれる?』
『でも……』
『明日の君は邪念まみれのおじさんたちの目に晒されるわけだし、ちょうどいいよね』
『ねえ、脅かさないで!』

 怯えるクレアを見て笑うフレッドに食ってかかるうちに、ピンを返す機会は逃してしまった。

「私も由来がある高い石を選んで、『全然大したことないのよ、ただのお返しだから気にしないで』ってさりげなく贈るんだから! 明日は図書室で石について調べる!」

 意気込むクレアの気持ちも知らずに、小憎たらしい夫の瞳とよく似た色の宝石は、今夜も美しく輝いていた。
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