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社会科見学はかなり楽しい
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「僕の研究か。じゃあ、僕が仕事しているところも見に来る?」
クレアの『夫の研究』宣言にひとしきり笑った後、フレッドは落ち着いた声色で言い出した。
「いいの?」
「うん。次の会期の国民議会を見学するとか」
「ぜひ行きたいわ!」
機密書類がある執務室には入れないと言われたが、元々議事録の公開が定められている国民議会なら見学しても構わないということらしい。
クレアにとっても、コニング議員が丁々発止の論戦を繰り広げ大暴れしているらしい議会の方に興味があった。
「見学席はあなたから離れたところにあるの?」
「議場の後方に、控えの書記官や書記官見習いの学生の席がある。そこで聞いてもらおうと思ってたけど、僕の近くがよかった?」
「いいえ。私は議員じゃないもの。座る理由が無いのに近くに座って邪魔をしたら悪いわ。それに……」
クレアはまだ熱の残る頬を自分の手で包んだ。
『僕としては体の隅々まで調べてくれて構わないけど』――フレッドを近くで観察していたら、きっと、さっきのからかいの言葉を思い出してしまう。そうしたら、大勢の前で茹で蛸のように真っ赤な顔を晒してしまうかもしれない。
「僕を観察するには遠くない? 近くの席なら、休憩中に時間があれば君の分からなかったところを補足説明できるかもしれない」
「いいえ、適切な位置です! きっちり下調べして、分からなかったところは後でまとめて聞くので、時間をとってください!」
「そう? わかった。それなら予定通りに」
『見学の前に議会の進行手続きの確認と議題に関する調べ物をしておくように』と宿題を出されて、クレアはその日までの日数を指折り数えた。準備はきちんと間に合うだろうか。
「あと準備することは……ええと、議員の女性はどんな服を着ているの?」
そうだ、当日の服装を聞いておかなければならない。
あまりにも場違いな格好をして行ったら、見学者とはいえ『ここは子どもの遊びで来るところじゃない』と冷ややかに見られてしまうだろう。
日頃から議場に出入りしている女性の服装を参考にすれば間違いないだろうと尋ねると、フレッドは皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「女性議員はいないよ。みんな、男だ」
「え……」
そんなの変だ、と思った自分にクレアは戸惑った。
だって、バルトール王国では『政治』とは国王の、延いてはその背後にいる宰相のものだった。貴族の子弟も領地の運営に必要な政治や法律や徴税については教育されるはずだが、彼らは宮廷で『いかに有力者に気に入られるか』ばかりを気にしていたし、女性にはその教育さえされなかった。
それに比べれば、スヘンデルはずっと進んでいる。
国王を廃して、平民出身も含めた議員から成る国民議会を開いて、志ある者たちが議案を持ち込んで、多数決で国の行く末を決めている。――そんな『進歩的な理想の国』は、それでも独裁者である護国卿がいなければ成り立たず、『志ある者』も護国卿の決定には阿り、議員は『平民』と言えど富豪以上の出の男性しかいない。
「どうして……?」
「これまでの僕らに人を育てる力が無かったせいだ」
この心が重くなるような感情を、失望や落胆と呼ぶのだろうか。
のろのろと顔を向けたクレアに対して、フレッドは単なる事実を述べるように淡々と言った。
「僕は元商人の現護国卿だけど、それでも何とかやれている。僕と同じように店を切り盛りしている女商人や商家のおかみさんは山ほどいるんだから、政治だって女性にやれないはずがないと思う」
「それじゃ、」
「でも、人生は有限だ。『男が身につけるべきこと』と『女が身につけるべきこと』をどちらも学ぶには時間が足りないし、かといって『身につけるべきこと』を身につけなければ半人前と見なされる。……そもそも、そんな『べき』を決めるから窮屈なんだろうけど」
男女の『身につけるべきこと』が明確に異なる以上、女は『一人前の女』か『変わり者の半人前』にしかなれない。その二つの選択肢を並べてどちらが選ばれるのかは言うまでもない。
「僕が四年弱でできたことなんて、この程度だよ」
「……」
「幻滅したよね。そりゃそうだ、この状態が正しいわけがない。僕だってそう思う。それなのに『護国卿のすることに間違いは無い!』って言われ続けると、時々不安になる」
自分でも間違っていると思うことを『正しい』と肯定する声しか聞こえなくなった時、楽な方に流されやしないか。
自分の耳に優しい言葉だけを欲しがって、自分と違う考えを受け入れたくなくて、権力任せに弾圧して排除しようとしないか。
このままだと、自分はいつか――。
「――僕は暴君になる前に死ねるだろうか、って」
暴君の在り方を嫌って革命を起こしたはずなのに、いつかそれすら見失うんじゃないか。
自嘲するフレッドを見て、クレアはコニングの言葉を思い出していた。
(『一刻も早く失脚させたい』って、そういうこと……? フレッドがフレッドのままでいられるうちに、違うことには『違う』って言える関係になりたいって)
そうだとしたら、コニングがクレアに望んだ『伴侶としての話し相手』にも、単なる『対等な話ができる相手』以上の意味が込められているのかもしれない。
クレアが核心に触れかけたのと時を同じくして、フレッドはうさんくさい笑みを取り繕ってみせた。
「諦めたわけじゃない。いずれは変えるよ、絶対に。でも、職業訓練校や大学に行った女学生たちが要職に就くまで、あと何十年かかるか分からない。少なくとも今は、議場に『煌びやかなドレスの女が参加するべきじゃない』という空気がある」
だから礼服の豪奢なドレスを着て見学すると要らぬ反感を買う、と言われて、クレアは考え込んだ。
「私も男の人の服を着た方が良い?」
「それもまた問題がある。護国卿は君を『一人前の男』として扱うと決めたから議会の見学を認めた、って伝わると厄介だ」
護国卿の『政治は男だけがすることだ』というメッセージとして受け取られてしまうかもしれないという懸念はもっともだった。
フレッドの周りには彼の行いを全て肯定するだけの取り巻きがたくさんいるのだから。
「君の着たいものを着ればいい、って言えたら良かったんだけど」
「女性の礼服の華美なドレスでも男性の礼服でもなくて、失礼じゃない格好があれば……」
「そんな都合のいいものは無いだろう? どちらを選ぶにしてもクレアには『居心地の悪さ』を我慢してもらわなきゃならない」
女の服装で参加して、議場での白眼視に耐えるか。
着たくもなければ似合いもしない、男の服装をするか。
確かにどちらも気が進まない。それでも議会の見学をする機会を諦めたくない。
(男でも、女でもない……?)
なんとなく、その表現が心に留まった。
だいたい『男だから』とか『女だから』とか、わざわざ『斯くあるべし』を取り決めるからややこしいのだ。そんな俗世の決まりごとなど離れてしまえば――。
「いいえ、あるわ! ある、ちょうどいい格好!」
頭にこれ以上ない『正解』が思い浮かんだとき、クレアは嬉しさのあまり、ぴょんと飛び跳ねた。
☆
護国卿が『クラウディア・ハウトシュミット』の議会見学申請をしたという話は、議員たちも知っていた。
彼女の持つ『バルトール王女』という身分は、バルトール王国がスヘンデルから離れていることもあり、取り入る旨みが少ない。けれど『護国卿の妻』である幼い少女におべっかを使えば、護国卿にうまく執り成してくれるかもしれない。
彼らが議場の正面入り口を注視しても、いつまで経ってもドレス姿の少女は現れなかった。
開会の直前になって、控えの書記官と学生たちが目立たぬように脇の入り口から後方席に向かった時のことだった。一行の中に見知った少女がいるのを捉えたニコラス・ヘルト・コニング議員は目を眇めて彼女を見た。
(あれが彼女か……? なんだあの格好は、初めて見る)
薄茶色の髪の少女は、ふわふわと柔らかそうな両脇の髪の一部を取って頭の後ろで細いリボンで括り、残りは背中へと流していた。
夜会に臨むように巻いて派手な髪飾りをつけたわけでも、きつくひっつめて丸めたわけでもない髪型は、飾り気はないが少女らしく似合っている。
身につけているのは、スカートに膨らみがない焦茶色のワンピースだ。生地は上質そうだが型がカジュアルすぎて『礼服』とは呼べないし、議会に来てくるにはふさわしくないと眉を顰める者もいそうな衣服――それだけなら。
クラウディアは、そのワンピースの上から黒の修道士ローブを羽織り、ローブの合わせを翠の石のついたピンで留めていた。
修道院で学問に励む下級修道士らが着るローブは、防寒具を兼ねた簡素な作りだが『失礼』と見なされることはない。神と学問研究に身を捧げる修道士が豪奢な服を身につけないのは、寧ろ望ましいことだとされているからだ。
(だから、ハウトシュミット夫人が着ている服を『議場に来るのに礼を失している』と批判することはできない。男性修道士が着る服ではあるが、修道士以外の者が着てはならない定めもない。性別の違いについても……『俗世を離れて性別を捨てた』扱いの修道士の服を『それは男性が着るものだろう』とは言えない。護国卿の発案か? いや、あの方なら『白い目なんて無視すればいいでしょ』で済ませそうな気がするから――彼女自身か)
なるほど、護国卿が幼い少女を妻にしたと聞いた時は乱心を疑ったが、彼に選ばれただけあって、なかなか見どころがある女性だ。
「――ここに、国民議会を開会する」
一人納得して満足げに腕組みをする男と混乱にざわつく群衆の中で、護国卿フレデリック・ハウトシュミットの開会の宣言が響いた。
☆
(これなら『ワンピースは礼服として品位を欠く』と言われてもローブの前を閉じて隠してしまえばいいし! 我ながら良い思いつきだわ!)
議場に入った時には『この格好をどう思われるだろう』とばかり気にしていたが、いざ議会が始まるとクレアに周りを気にする余裕は無くなった。
「では、護国卿は『贋金の流通をある程度容認する』とのお考えでよろしいですかな!」
「そうは言っていないだろう、コニング議員。『手間と人件費をかけて調べてようやく分かるかどうかの精巧な贋金は、費用対効果を考えると本物として扱うしかない』と言ったんだ」
「同じことではないですか! 贋金が出回れば、スヘンデルの発行する硬貨自体の信用に関わるんですよ!」
「もちろん、簡単に判別できるものなら排除するとも。金貨なら話は早い。金は他の金属と比べて遥かに重いから、水に沈めて比重を測れば……」
(たっ、たのしい……!)
気になったところに噛みつくコニング議員によって、問題点が明らかになっていく。それに対して、フレッドは各金属と合金の比重、溶解温度と合金の難易度、流通量・産出量の違いの表を提出して、贋金を見抜く大まかな目安と現実的な方策を指摘した。
あの表は、クレアが呼んだ錬金術師たちの測定したデータをまとめたものだ。間接的にでも役に立てたようで嬉しかった。
必死になって帳面に書きつけていると、あっという間に今日の会議時間は過ぎ去っていった。
会議時間が終わっても、フレッドはまだ話し込んでいた。
同行していた書記官見習いの学生たちにはこの後も講義があるらしいが、クレアには今日はもう予定が無い。図書室で本を読んで待っていようと廊下を進むと、後ろから駆けてくる足音がした。
「待って、ハウトシュミット氏!」
呼びかけに、話し合いを終えたフレッドが近くにいるのかと、クレアは歩みを止めて辺りを見回した。だが、程なくしてクレアのローブの袖をちょいちょいと引っ張られる。
「……私?」
「クラウディア・ハウトシュミット氏ですよね?」
呼ばれていたのは自分だったらしい。
クレアが振り返ると、そこには息を切らした書記官見習いの男子学生がいた。
「ええ、そうですけど」
「よかった、合ってましたか。あの、その格好……」
「私の格好が何か?」
議員たちからは何も言われずに済んだが、この学生は横でずっと気になっていたのだろうか。
どんな文句が出てきても打ち返してやるとクレアが挑むように見つめ返すと、学生は頬を染めて言った。
「それ、楽そうで、すっごくいいですね!」
「へっ?」
「さっきからずっと話しかけたかったんです! 『それ真似していいですか』って。あっ、ぼくは職業訓練校の書記官養成課程の学生なんですけど、衣服に凝れる金は無いので困ってて」
護国卿の肝煎りで設置された職業訓練校は、身分を問わず入学することができる全寮制の学校で授業料と食堂での食事は保証されるが、衣服は学生の持ち出しになる。
どうやら裕福な生まれではないらしい彼にとっては、授業の一環として必要になる礼服をあつらえることもやっとだったのだろう。
「ローブなら一枚だけ買えば中に何を着てもいい! ぼくみたいな貧乏学生たちには絶対にウケますよ」
「ええと、どうもありがとうございます?」
「でも、これが流行ると今度は『いかに派手で上質なローブを着るか』で張り合いが始まるかな。うーん……」
皆が慣れて『高いローブを買わねば失礼だ』と見なされるようになったら、問題は再燃する。
頭を抱えた学生に向かって、クレアはおずおずと切り出した。
「……ローブにスヘンデルの国章の刺繍を入れたらどうかしら?」
「え、国章ですか? それに、刺繍?」
「胸元に小さい刺繍でいいと思うの、それなら職人に頼んでも高くはならないでしょうし、根気さえあれば自分でもできるでしょう? 『単なるファッションじゃなくて特別な礼服として着ているんだ』って示せばいいんじゃ――」
「天才ですか!?」
「いえ、こんなのただの思いつきで、勝手に国章を刺繍していいかも分からないけど!」
思いがけない食いつきの良さに、クレアが焦って身を引くと、学生はクレアの手を取ってぶんぶんと振り回してきた。
「ありがとうございます! ぼくには思いつかなかったことを思いつくだけで十分です。思いつきの中の間違いを直したり、地に足ついたものに変えていくのは皆でできるんですから」
『さっそく先生に相談してみます、良い結果が出たら報告しますね!』という彼に、クレアはこくこくと頷きを返した。
この『思いつき』が学生と教師陣との間で練られた結果、王都職業訓練校には『校章』が設定され、校章の刺繍入りローブが学生礼服として認められることをこの時のクレアはまだ知らなかった。
ましてや『ライセンス料』の名目で学生礼服の発注先の仕立て屋からクレアに金銭が納められるようになることも、その後数十年を経て『名門校』の評判を得た王都職業訓練校が大学に格上げされる際に、このローブが制服とされることも。
クレアの『夫の研究』宣言にひとしきり笑った後、フレッドは落ち着いた声色で言い出した。
「いいの?」
「うん。次の会期の国民議会を見学するとか」
「ぜひ行きたいわ!」
機密書類がある執務室には入れないと言われたが、元々議事録の公開が定められている国民議会なら見学しても構わないということらしい。
クレアにとっても、コニング議員が丁々発止の論戦を繰り広げ大暴れしているらしい議会の方に興味があった。
「見学席はあなたから離れたところにあるの?」
「議場の後方に、控えの書記官や書記官見習いの学生の席がある。そこで聞いてもらおうと思ってたけど、僕の近くがよかった?」
「いいえ。私は議員じゃないもの。座る理由が無いのに近くに座って邪魔をしたら悪いわ。それに……」
クレアはまだ熱の残る頬を自分の手で包んだ。
『僕としては体の隅々まで調べてくれて構わないけど』――フレッドを近くで観察していたら、きっと、さっきのからかいの言葉を思い出してしまう。そうしたら、大勢の前で茹で蛸のように真っ赤な顔を晒してしまうかもしれない。
「僕を観察するには遠くない? 近くの席なら、休憩中に時間があれば君の分からなかったところを補足説明できるかもしれない」
「いいえ、適切な位置です! きっちり下調べして、分からなかったところは後でまとめて聞くので、時間をとってください!」
「そう? わかった。それなら予定通りに」
『見学の前に議会の進行手続きの確認と議題に関する調べ物をしておくように』と宿題を出されて、クレアはその日までの日数を指折り数えた。準備はきちんと間に合うだろうか。
「あと準備することは……ええと、議員の女性はどんな服を着ているの?」
そうだ、当日の服装を聞いておかなければならない。
あまりにも場違いな格好をして行ったら、見学者とはいえ『ここは子どもの遊びで来るところじゃない』と冷ややかに見られてしまうだろう。
日頃から議場に出入りしている女性の服装を参考にすれば間違いないだろうと尋ねると、フレッドは皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「女性議員はいないよ。みんな、男だ」
「え……」
そんなの変だ、と思った自分にクレアは戸惑った。
だって、バルトール王国では『政治』とは国王の、延いてはその背後にいる宰相のものだった。貴族の子弟も領地の運営に必要な政治や法律や徴税については教育されるはずだが、彼らは宮廷で『いかに有力者に気に入られるか』ばかりを気にしていたし、女性にはその教育さえされなかった。
それに比べれば、スヘンデルはずっと進んでいる。
国王を廃して、平民出身も含めた議員から成る国民議会を開いて、志ある者たちが議案を持ち込んで、多数決で国の行く末を決めている。――そんな『進歩的な理想の国』は、それでも独裁者である護国卿がいなければ成り立たず、『志ある者』も護国卿の決定には阿り、議員は『平民』と言えど富豪以上の出の男性しかいない。
「どうして……?」
「これまでの僕らに人を育てる力が無かったせいだ」
この心が重くなるような感情を、失望や落胆と呼ぶのだろうか。
のろのろと顔を向けたクレアに対して、フレッドは単なる事実を述べるように淡々と言った。
「僕は元商人の現護国卿だけど、それでも何とかやれている。僕と同じように店を切り盛りしている女商人や商家のおかみさんは山ほどいるんだから、政治だって女性にやれないはずがないと思う」
「それじゃ、」
「でも、人生は有限だ。『男が身につけるべきこと』と『女が身につけるべきこと』をどちらも学ぶには時間が足りないし、かといって『身につけるべきこと』を身につけなければ半人前と見なされる。……そもそも、そんな『べき』を決めるから窮屈なんだろうけど」
男女の『身につけるべきこと』が明確に異なる以上、女は『一人前の女』か『変わり者の半人前』にしかなれない。その二つの選択肢を並べてどちらが選ばれるのかは言うまでもない。
「僕が四年弱でできたことなんて、この程度だよ」
「……」
「幻滅したよね。そりゃそうだ、この状態が正しいわけがない。僕だってそう思う。それなのに『護国卿のすることに間違いは無い!』って言われ続けると、時々不安になる」
自分でも間違っていると思うことを『正しい』と肯定する声しか聞こえなくなった時、楽な方に流されやしないか。
自分の耳に優しい言葉だけを欲しがって、自分と違う考えを受け入れたくなくて、権力任せに弾圧して排除しようとしないか。
このままだと、自分はいつか――。
「――僕は暴君になる前に死ねるだろうか、って」
暴君の在り方を嫌って革命を起こしたはずなのに、いつかそれすら見失うんじゃないか。
自嘲するフレッドを見て、クレアはコニングの言葉を思い出していた。
(『一刻も早く失脚させたい』って、そういうこと……? フレッドがフレッドのままでいられるうちに、違うことには『違う』って言える関係になりたいって)
そうだとしたら、コニングがクレアに望んだ『伴侶としての話し相手』にも、単なる『対等な話ができる相手』以上の意味が込められているのかもしれない。
クレアが核心に触れかけたのと時を同じくして、フレッドはうさんくさい笑みを取り繕ってみせた。
「諦めたわけじゃない。いずれは変えるよ、絶対に。でも、職業訓練校や大学に行った女学生たちが要職に就くまで、あと何十年かかるか分からない。少なくとも今は、議場に『煌びやかなドレスの女が参加するべきじゃない』という空気がある」
だから礼服の豪奢なドレスを着て見学すると要らぬ反感を買う、と言われて、クレアは考え込んだ。
「私も男の人の服を着た方が良い?」
「それもまた問題がある。護国卿は君を『一人前の男』として扱うと決めたから議会の見学を認めた、って伝わると厄介だ」
護国卿の『政治は男だけがすることだ』というメッセージとして受け取られてしまうかもしれないという懸念はもっともだった。
フレッドの周りには彼の行いを全て肯定するだけの取り巻きがたくさんいるのだから。
「君の着たいものを着ればいい、って言えたら良かったんだけど」
「女性の礼服の華美なドレスでも男性の礼服でもなくて、失礼じゃない格好があれば……」
「そんな都合のいいものは無いだろう? どちらを選ぶにしてもクレアには『居心地の悪さ』を我慢してもらわなきゃならない」
女の服装で参加して、議場での白眼視に耐えるか。
着たくもなければ似合いもしない、男の服装をするか。
確かにどちらも気が進まない。それでも議会の見学をする機会を諦めたくない。
(男でも、女でもない……?)
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☆
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(だから、ハウトシュミット夫人が着ている服を『議場に来るのに礼を失している』と批判することはできない。男性修道士が着る服ではあるが、修道士以外の者が着てはならない定めもない。性別の違いについても……『俗世を離れて性別を捨てた』扱いの修道士の服を『それは男性が着るものだろう』とは言えない。護国卿の発案か? いや、あの方なら『白い目なんて無視すればいいでしょ』で済ませそうな気がするから――彼女自身か)
なるほど、護国卿が幼い少女を妻にしたと聞いた時は乱心を疑ったが、彼に選ばれただけあって、なかなか見どころがある女性だ。
「――ここに、国民議会を開会する」
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☆
(これなら『ワンピースは礼服として品位を欠く』と言われてもローブの前を閉じて隠してしまえばいいし! 我ながら良い思いつきだわ!)
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「では、護国卿は『贋金の流通をある程度容認する』とのお考えでよろしいですかな!」
「そうは言っていないだろう、コニング議員。『手間と人件費をかけて調べてようやく分かるかどうかの精巧な贋金は、費用対効果を考えると本物として扱うしかない』と言ったんだ」
「同じことではないですか! 贋金が出回れば、スヘンデルの発行する硬貨自体の信用に関わるんですよ!」
「もちろん、簡単に判別できるものなら排除するとも。金貨なら話は早い。金は他の金属と比べて遥かに重いから、水に沈めて比重を測れば……」
(たっ、たのしい……!)
気になったところに噛みつくコニング議員によって、問題点が明らかになっていく。それに対して、フレッドは各金属と合金の比重、溶解温度と合金の難易度、流通量・産出量の違いの表を提出して、贋金を見抜く大まかな目安と現実的な方策を指摘した。
あの表は、クレアが呼んだ錬金術師たちの測定したデータをまとめたものだ。間接的にでも役に立てたようで嬉しかった。
必死になって帳面に書きつけていると、あっという間に今日の会議時間は過ぎ去っていった。
会議時間が終わっても、フレッドはまだ話し込んでいた。
同行していた書記官見習いの学生たちにはこの後も講義があるらしいが、クレアには今日はもう予定が無い。図書室で本を読んで待っていようと廊下を進むと、後ろから駆けてくる足音がした。
「待って、ハウトシュミット氏!」
呼びかけに、話し合いを終えたフレッドが近くにいるのかと、クレアは歩みを止めて辺りを見回した。だが、程なくしてクレアのローブの袖をちょいちょいと引っ張られる。
「……私?」
「クラウディア・ハウトシュミット氏ですよね?」
呼ばれていたのは自分だったらしい。
クレアが振り返ると、そこには息を切らした書記官見習いの男子学生がいた。
「ええ、そうですけど」
「よかった、合ってましたか。あの、その格好……」
「私の格好が何か?」
議員たちからは何も言われずに済んだが、この学生は横でずっと気になっていたのだろうか。
どんな文句が出てきても打ち返してやるとクレアが挑むように見つめ返すと、学生は頬を染めて言った。
「それ、楽そうで、すっごくいいですね!」
「へっ?」
「さっきからずっと話しかけたかったんです! 『それ真似していいですか』って。あっ、ぼくは職業訓練校の書記官養成課程の学生なんですけど、衣服に凝れる金は無いので困ってて」
護国卿の肝煎りで設置された職業訓練校は、身分を問わず入学することができる全寮制の学校で授業料と食堂での食事は保証されるが、衣服は学生の持ち出しになる。
どうやら裕福な生まれではないらしい彼にとっては、授業の一環として必要になる礼服をあつらえることもやっとだったのだろう。
「ローブなら一枚だけ買えば中に何を着てもいい! ぼくみたいな貧乏学生たちには絶対にウケますよ」
「ええと、どうもありがとうございます?」
「でも、これが流行ると今度は『いかに派手で上質なローブを着るか』で張り合いが始まるかな。うーん……」
皆が慣れて『高いローブを買わねば失礼だ』と見なされるようになったら、問題は再燃する。
頭を抱えた学生に向かって、クレアはおずおずと切り出した。
「……ローブにスヘンデルの国章の刺繍を入れたらどうかしら?」
「え、国章ですか? それに、刺繍?」
「胸元に小さい刺繍でいいと思うの、それなら職人に頼んでも高くはならないでしょうし、根気さえあれば自分でもできるでしょう? 『単なるファッションじゃなくて特別な礼服として着ているんだ』って示せばいいんじゃ――」
「天才ですか!?」
「いえ、こんなのただの思いつきで、勝手に国章を刺繍していいかも分からないけど!」
思いがけない食いつきの良さに、クレアが焦って身を引くと、学生はクレアの手を取ってぶんぶんと振り回してきた。
「ありがとうございます! ぼくには思いつかなかったことを思いつくだけで十分です。思いつきの中の間違いを直したり、地に足ついたものに変えていくのは皆でできるんですから」
『さっそく先生に相談してみます、良い結果が出たら報告しますね!』という彼に、クレアはこくこくと頷きを返した。
この『思いつき』が学生と教師陣との間で練られた結果、王都職業訓練校には『校章』が設定され、校章の刺繍入りローブが学生礼服として認められることをこの時のクレアはまだ知らなかった。
ましてや『ライセンス料』の名目で学生礼服の発注先の仕立て屋からクレアに金銭が納められるようになることも、その後数十年を経て『名門校』の評判を得た王都職業訓練校が大学に格上げされる際に、このローブが制服とされることも。
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