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契約と愛の値段
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エフィの言葉を聞いた船長は、唇を皮肉っぽくひん曲げた。
「『商談』だって? お嬢ちゃんが? いっぱしの商人みたいな口を利きやがって。大国サルサスの王子が提示した額を、あんたが出せるとは思えねえなあ。それとも体で払おうってか?」
オレはあんたみたいな小娘には勃たねえよ、とせせら笑う彼は、エフィを軽んじる態度を露骨に表しているが『あんたと交渉する気はない』とは言わない。文字通りに『エフィが何を提示できるのか』を試して、計っているのだ。
だから、エフィは躊躇いなく、自分の持ち物の中で最も価値があるもの――切り札を切った。
「そうね、体で払うわ。わたくしの身柄でね」
今のエフィの一存で差し出せるものは、それしかない。
だが、エフィの身柄は使いようによっては、『新政府の失脚』にも『内政干渉の口実』にも化ける『切り札』だ。
「あなたたちはサルサスから大金を得ようとしているのよね? 『裏切り者』の汚名と引き換えに」
「ああ、そうだ」
「お金も名誉も得ればいいじゃない。どうしてお金だけで満足するの?」
「……はあ?」
自らの利益を最大化するのが商人だというのなら、そのどちらもを取ればいい。もっと欲張ってみせろ。
船長を叱咤し挑発するように、エフィは声高らかに続けた。
「船長さん、あなたから話を聞いたとき『スヘンデルは自分達に何もしてくれなかったから裏切った』と言ったわね。骨の髄まで合理的、そんなに合理性に縛られて苦しくないかと思うくらいに! 裏切りの理由なんて『なんとなく気に食わないから』でいいのよ」
欲しいから奪う、憎いから殺す。――暴君の行いは人倫に背くものだが、真の意味で好き勝手に生きるとはそういうことだろう。エフィの目には、彼はひどく自由な存在に見えていた。
それに比べて『自分の好きなように与する相手を選んだ』とうそぶく船長の選択は、合理的で堅実で――なんと不自由なのだろう。
「理由をつけるのは、自分の行動を律し、正当化したいから。……少なくともわたくしは、今までそうやって生きてきたわ。『立派な理由がつけられるからこの行動は間違っていない』と思いたいの」
暴君のような暴虐性も権力も持ち合わせない『普通』の人間は、そこまで好き勝手には生きられない。
周囲の非難の目が気になるという消極的な動機も働くし、純粋に大切な人には迷惑をかけたくないとも思う。
だからこそ、人は自分の行動を律して正しくあろうとする。確固たる正解が分からないからこそ迷い、選択の理由を積み上げる。
「あなたは、本当はまだ迷っている。スヘンデルを裏切ることに罪悪感を抱いているのね」
「……それが、なんだ? なんだって言うんだよ」
船長は、彼の理性と賢さゆえに『罪人となってまでスヘンデルを裏切ることが正しい』と心の底から妄信することができないのだ。
他人の心を無遠慮に暴いていくエフィを薄気味悪く思ったのか、船長は掠れた声でエフィの呼びかけに答えた。
「その罪悪感を消してあげましょう。――わたくしがあなたたちを『英雄』にしてあげる」
報酬として金だけでなく『英雄』の名誉も与える自分の案の方が優れているだろう、とエフィは『切り札』の内容を説明した。
「わたくしはね、スヘンデル王国の暴君の娘、エフェリーネ・ウィルヘルミナ・スヘンデルは、王城が陥ちたときに脇目も振らず逃げ出して、隣国サルサスへ助けを求めたの。サルサス王子ティアーノに保護されて、愛人として寵愛されて、故国が滅びようが新政府が立とうが関係なく贅を尽くして面白おかしく暮らしてきた。……自分がサルサスのスヘンデル侵略の大義名分を作ったことにも気づかずに」
ありえない話ではなかった。
侍女たちを逃がした時にエフィもまぎれて逃げていれば、王国の終焉を受け入れず再起を図っていれば、ヴィルにあの抜け道を教えていなければ、十分にありえた『もしも』の話だ。
「わたくしは責任感のかけらも無い愚かな王女だから、ティアーノ王子が『君のためにスヘンデルを取り戻す』と言うのを聞けば、手を叩いて喜んで、のこのことスヘンデル領海内こんなところまでついてきてしまうのよ。それくらい馬鹿な女なの」
その『もしも』のエフィは、ティアーノに甘い声で媚びて『スヘンデルを取り戻して』とねだったのだろうか。それとも純粋に自分を助けてくれた彼に惚れ込んでいて、打算まみれの『好意』を喜んで受け取ったのかもしれない――愚かだが、そう生きられたなら幸せだったかもしれない。
「あなたたちは、『国難を憂う義勇の士』よ。争いの火種でしかない元王女とサルサスの王子がうろついているのを見て、引っ捕らえてスヘンデル新政府に突き出すの。できるだけ派手に、堂々と『裏切り者のエフェリーネ元王女を捕らえた』って知らせながらね。王子を人質に取ればサルサスとの戦争は遠のくでしょうし、あなたたちは新政府から『国を救った英雄』として名誉も報奨金も欲しいだけ受け取れる」
「それじゃ、お嬢ちゃんは――」
「わたくしは、国を捨てて逃げたうえに他国に売り渡そうとした大罪人として処刑。斯くしてスヘンデル王家の血は絶えて、新政府はにっこり笑う。完璧な計画だと思わない?」
自分をサルサスではなくスヘンデル新政府に売れ、その方が高値がつくはずだから。――その提案を口にしながら、エフィは間近に迫った自らの死の気配を感じていた。
船長には新政府とのパイプが無い。繋ぎをとる上で多くの段階を踏まねばならないから、その過程で否応なくエフィの生存を多くのひとに触れまわることになる。
今度こそ密かに匿うことは不可能だ。『生きている王女』が余人の目に触れた以上は、処刑せねば後顧の憂いとなるだろう。
(でも、これが考えられる中で最善の一手だ)
エフィを攫って匿った罪はサルサスに着せる。
スヘンデル新政府は王女の死の確証と、今後の外交を優位に進めるための人質となるサルサス王子の身柄を得る。
エフィが生きているだけでどうしたって迷惑はかかってしまうけれど、その中では一番少ない損害で済むだろう。
「どう? 駄目かしら」
「……一つだけ聞きたい。あんたが死にたがる理由は?」
「あなたもさっき言ったじゃない。『王女として不自由なく過ごした以上はそのツケを払うべき』だからよ」
だから、これは『正しい行い』だ。……そうやって理屈をつけてエフィの最期のささやかな願いを叶えることもできるのだから、やはりこれが『最善の選択』だ。
罪人としてでも新政府に引き渡されればヴィルに会える。二人きりになることはできなくとも、話をすることも触れあうこともできなくとも、最期に一目会えるだけで十分だ。
それに護国卿ハウトシュミットは『最初から挑戦の機会すら与えられないこと』を良しとしない、ある意味で公平な男だ。神輿としての利用価値込みでも胎児のことを哀れと思えば、エフィの処刑を出産後まで猶予してくれるかもしれない。このままサルサスへ連れて行かれて月足らずの出産を訝しまれれば殺される運命の子に、よほどマシな人生を与えてやれる。
「ねえ、悪い話じゃないでしょう?」
どうせ思ったようには生きられないのだから、せめて好きなように死にたい。
どうか話にのってくれと祈るような気持ちでエフィが見つめると、船長は低く唸るように言った。
「……確かに、オレたちにゃ損は無いな」
それから彼は右手をずいと差し出して名乗った。契約成立だ、ということだろう。
「ヨナスだ。よろしく頼むぜ、エフェリーネ姫サマ。どうか安らかに死んでくれ」
「エフィでいいわ。もう王女ではないし、たぶん元から『本物のお姫様』ではなかったもの。ただの『エフィ』がいい」
父王から顔さえも忘れられた哀れな姫君。保身や恋に目が眩んで他国の王子を引き入れた愚かな悪女――エフィの死後きっと『エフェリーネ』の名前は憐憫と軽蔑とともに語られるだろう。
ヴィルが見つけてくれた『エフィ』は確かにここにいて、立派ではないけれど普通の人間として悩み考えて生きていたのだと、誰かに知ってほしかった。
「じゃあエフィ嬢ちゃんよ、そうと決まれば船倉に来いよ。他のやつらにも紹介する」
「船倉?」
「オレや副船長の個室船室はボンボンたちに貸出中だから、いまはみんな船倉で呑んでんだ。どうだ?」
「お酒は呑めないけれど、それでもよければ」
「んだよ、ノリ悪ぃな。呑めねえなら仕方ねえが……」
ヨナスはなんてことないように、どうでもよさそうな口調のままで言った。
「……なあ、エフィ嬢ちゃん。胎の子の父親は好いた男か?」
「っ、」
胎児のために酒を控えたことは、態度に出さなかったはずだ。
妊娠を知られてしまえば、エフィの選択の真の理由も違うところにあると悟られる。それどころかティアーノに報告されれば、サルサスの都合のいいように利用されてしまうだろう。立てた計画の全てが水の泡だ。
どうして気づかれたのかと青ざめるエフィに、ヨナスは気の毒そうな視線を送った。
「年の功というかただの勘というか、な。あんたはオレが聞いてた『お淑やかで無力な姫サマ』にしては強すぎる。ネコかぶってたとも考えたが、子ができて強くなる女ってのも見てきたからな。もしやと思った」
「……お願い、ティアーノ王子には言わないで。わたくしにできることなら何でもするから、この子を殺さないで……っ」
「エフィ嬢ちゃんよ、まず自分のことを考えろ。新政府に引き渡された後、あんたはちゃんと殺してもらえるのか? そうじゃねえなら、サルサスに行くのと変わらねえ。酷なことを言うが、あのアホボンボンに押しつけちまった方が――」
「いいえ!」
もしも新政府の誰かに戦利品として弄ばれた末に孕まされ、引き渡された後も飽きるまで嬲られる身なら、少なくとも命は保障されるサルサスへ行った方がいい。すぐにティアーノにも抱かれて生まれる時期をごまかして、我が子として認知させてしまえ――『親身な忠言』をそれ以上聞きたくなくて、エフィは頭を振って否定した。
「いいえ、好きなひととの子どもよ」
違う。この子は愛の結晶だ。
世間が認めなくても、他の誰に非難されようとも、いずれヴィルに捨てられようと、エフィだけは愛が自分たち夫婦の間に存在したことを知っている。そうして生まれる子には自分の何を擲ってでも幸せな生を与えてやりたいと思っている。――夫も子どもも心の底から愛しているから。
「そんなにいい男なのか?」
「ええ。昔からずっと大好きだったひとなの。彼の邪魔にだけはなりたくないのに、いまも会いたくて、わたくしのために全部を放り出しておとぎ話の王子様みたいに都合よく助けに来てほしくて、抱きしめて『大丈夫』って言ってほしくて、頭がおかしくなりそうなくらい、だいすき……っ」
本当はもう、おかしくなっているのかもしれない。
今のエフィは『斯くあるべし』を分かっているのに、それに反する『自分の望み』を抑えきれない。そうなるように、それが正しくない望みでも際限なく欲しがるように、ヴィルに愛されて壊されてしまった。
「――なら、その言葉は直接伝えてやれ」
男冥利に尽きるって喜ぶだろうよ、とヨナスは呆れたように、けれどどこか温かい親しみがこもった声で言った。
「言えんじゃねえか。本人に言えよそれを!」
「……迷惑ばかりかけて、嫌われないかしら」
「馬っ鹿おめぇ、嫌うはずあるかよ! ちょっとにっこり笑って『あなたのおかげで助かったわ』とか言っとけば、嬢ちゃんにベタ惚れの男なんてイチコロだ。嬢ちゃんみたいなジメジメした女を一人で放っておくと、ろくなこと考えねえからな。それが分かってる男なら、きっと今頃、自分の嫁さんと子どもを取り返そうと必死に追いかけてるところだ」
そんな都合のいい話は無いと分かっているのに、事情を何も知らない他人が言うのを聞くと『もしかしたら』と思う。
もしかしたら都合のいい夢を見るのは『普通』のことなのかもしれない、それくらいのことならエフィが望んでも罰は当たらないのかもしれないと思えた。
「というか最初からそう言えや、話が早えだろうがよっ! 計画変更だ、『わたくしはスヘンデル新政府の要人の愛妻だから高額の身代金を吹っかけろ。彼ならいくらでも払う』って言え! オレたちはそいつからふんだくる! その方がシンプルだ」
「言えないわ。彼が困るもの」
「存分に困らせてやりゃあいい。むしろそいつは困りたいんだ、あんたのことで困る権利が欲しいんだよ! 困るのは最初から分かっててそいつが選んだ道だろうが! あんたもだ。オレに『欲張れ』って言ったよな、あんたもだ! あんただけは『自分は愛されてる』って自信持って、しゃんとしろ!」
金じゃ愛は買えないが、尺度の一つにはなるだろう?――ヨナスは曲がった唇を持ち上げて、不敵に笑った。
「あんたらの愛とやらを見せてみろよ。目に見える形に換えて、自分で価値を証明して、オレたちに稼がせろ!」
「『商談』だって? お嬢ちゃんが? いっぱしの商人みたいな口を利きやがって。大国サルサスの王子が提示した額を、あんたが出せるとは思えねえなあ。それとも体で払おうってか?」
オレはあんたみたいな小娘には勃たねえよ、とせせら笑う彼は、エフィを軽んじる態度を露骨に表しているが『あんたと交渉する気はない』とは言わない。文字通りに『エフィが何を提示できるのか』を試して、計っているのだ。
だから、エフィは躊躇いなく、自分の持ち物の中で最も価値があるもの――切り札を切った。
「そうね、体で払うわ。わたくしの身柄でね」
今のエフィの一存で差し出せるものは、それしかない。
だが、エフィの身柄は使いようによっては、『新政府の失脚』にも『内政干渉の口実』にも化ける『切り札』だ。
「あなたたちはサルサスから大金を得ようとしているのよね? 『裏切り者』の汚名と引き換えに」
「ああ、そうだ」
「お金も名誉も得ればいいじゃない。どうしてお金だけで満足するの?」
「……はあ?」
自らの利益を最大化するのが商人だというのなら、そのどちらもを取ればいい。もっと欲張ってみせろ。
船長を叱咤し挑発するように、エフィは声高らかに続けた。
「船長さん、あなたから話を聞いたとき『スヘンデルは自分達に何もしてくれなかったから裏切った』と言ったわね。骨の髄まで合理的、そんなに合理性に縛られて苦しくないかと思うくらいに! 裏切りの理由なんて『なんとなく気に食わないから』でいいのよ」
欲しいから奪う、憎いから殺す。――暴君の行いは人倫に背くものだが、真の意味で好き勝手に生きるとはそういうことだろう。エフィの目には、彼はひどく自由な存在に見えていた。
それに比べて『自分の好きなように与する相手を選んだ』とうそぶく船長の選択は、合理的で堅実で――なんと不自由なのだろう。
「理由をつけるのは、自分の行動を律し、正当化したいから。……少なくともわたくしは、今までそうやって生きてきたわ。『立派な理由がつけられるからこの行動は間違っていない』と思いたいの」
暴君のような暴虐性も権力も持ち合わせない『普通』の人間は、そこまで好き勝手には生きられない。
周囲の非難の目が気になるという消極的な動機も働くし、純粋に大切な人には迷惑をかけたくないとも思う。
だからこそ、人は自分の行動を律して正しくあろうとする。確固たる正解が分からないからこそ迷い、選択の理由を積み上げる。
「あなたは、本当はまだ迷っている。スヘンデルを裏切ることに罪悪感を抱いているのね」
「……それが、なんだ? なんだって言うんだよ」
船長は、彼の理性と賢さゆえに『罪人となってまでスヘンデルを裏切ることが正しい』と心の底から妄信することができないのだ。
他人の心を無遠慮に暴いていくエフィを薄気味悪く思ったのか、船長は掠れた声でエフィの呼びかけに答えた。
「その罪悪感を消してあげましょう。――わたくしがあなたたちを『英雄』にしてあげる」
報酬として金だけでなく『英雄』の名誉も与える自分の案の方が優れているだろう、とエフィは『切り札』の内容を説明した。
「わたくしはね、スヘンデル王国の暴君の娘、エフェリーネ・ウィルヘルミナ・スヘンデルは、王城が陥ちたときに脇目も振らず逃げ出して、隣国サルサスへ助けを求めたの。サルサス王子ティアーノに保護されて、愛人として寵愛されて、故国が滅びようが新政府が立とうが関係なく贅を尽くして面白おかしく暮らしてきた。……自分がサルサスのスヘンデル侵略の大義名分を作ったことにも気づかずに」
ありえない話ではなかった。
侍女たちを逃がした時にエフィもまぎれて逃げていれば、王国の終焉を受け入れず再起を図っていれば、ヴィルにあの抜け道を教えていなければ、十分にありえた『もしも』の話だ。
「わたくしは責任感のかけらも無い愚かな王女だから、ティアーノ王子が『君のためにスヘンデルを取り戻す』と言うのを聞けば、手を叩いて喜んで、のこのことスヘンデル領海内こんなところまでついてきてしまうのよ。それくらい馬鹿な女なの」
その『もしも』のエフィは、ティアーノに甘い声で媚びて『スヘンデルを取り戻して』とねだったのだろうか。それとも純粋に自分を助けてくれた彼に惚れ込んでいて、打算まみれの『好意』を喜んで受け取ったのかもしれない――愚かだが、そう生きられたなら幸せだったかもしれない。
「あなたたちは、『国難を憂う義勇の士』よ。争いの火種でしかない元王女とサルサスの王子がうろついているのを見て、引っ捕らえてスヘンデル新政府に突き出すの。できるだけ派手に、堂々と『裏切り者のエフェリーネ元王女を捕らえた』って知らせながらね。王子を人質に取ればサルサスとの戦争は遠のくでしょうし、あなたたちは新政府から『国を救った英雄』として名誉も報奨金も欲しいだけ受け取れる」
「それじゃ、お嬢ちゃんは――」
「わたくしは、国を捨てて逃げたうえに他国に売り渡そうとした大罪人として処刑。斯くしてスヘンデル王家の血は絶えて、新政府はにっこり笑う。完璧な計画だと思わない?」
自分をサルサスではなくスヘンデル新政府に売れ、その方が高値がつくはずだから。――その提案を口にしながら、エフィは間近に迫った自らの死の気配を感じていた。
船長には新政府とのパイプが無い。繋ぎをとる上で多くの段階を踏まねばならないから、その過程で否応なくエフィの生存を多くのひとに触れまわることになる。
今度こそ密かに匿うことは不可能だ。『生きている王女』が余人の目に触れた以上は、処刑せねば後顧の憂いとなるだろう。
(でも、これが考えられる中で最善の一手だ)
エフィを攫って匿った罪はサルサスに着せる。
スヘンデル新政府は王女の死の確証と、今後の外交を優位に進めるための人質となるサルサス王子の身柄を得る。
エフィが生きているだけでどうしたって迷惑はかかってしまうけれど、その中では一番少ない損害で済むだろう。
「どう? 駄目かしら」
「……一つだけ聞きたい。あんたが死にたがる理由は?」
「あなたもさっき言ったじゃない。『王女として不自由なく過ごした以上はそのツケを払うべき』だからよ」
だから、これは『正しい行い』だ。……そうやって理屈をつけてエフィの最期のささやかな願いを叶えることもできるのだから、やはりこれが『最善の選択』だ。
罪人としてでも新政府に引き渡されればヴィルに会える。二人きりになることはできなくとも、話をすることも触れあうこともできなくとも、最期に一目会えるだけで十分だ。
それに護国卿ハウトシュミットは『最初から挑戦の機会すら与えられないこと』を良しとしない、ある意味で公平な男だ。神輿としての利用価値込みでも胎児のことを哀れと思えば、エフィの処刑を出産後まで猶予してくれるかもしれない。このままサルサスへ連れて行かれて月足らずの出産を訝しまれれば殺される運命の子に、よほどマシな人生を与えてやれる。
「ねえ、悪い話じゃないでしょう?」
どうせ思ったようには生きられないのだから、せめて好きなように死にたい。
どうか話にのってくれと祈るような気持ちでエフィが見つめると、船長は低く唸るように言った。
「……確かに、オレたちにゃ損は無いな」
それから彼は右手をずいと差し出して名乗った。契約成立だ、ということだろう。
「ヨナスだ。よろしく頼むぜ、エフェリーネ姫サマ。どうか安らかに死んでくれ」
「エフィでいいわ。もう王女ではないし、たぶん元から『本物のお姫様』ではなかったもの。ただの『エフィ』がいい」
父王から顔さえも忘れられた哀れな姫君。保身や恋に目が眩んで他国の王子を引き入れた愚かな悪女――エフィの死後きっと『エフェリーネ』の名前は憐憫と軽蔑とともに語られるだろう。
ヴィルが見つけてくれた『エフィ』は確かにここにいて、立派ではないけれど普通の人間として悩み考えて生きていたのだと、誰かに知ってほしかった。
「じゃあエフィ嬢ちゃんよ、そうと決まれば船倉に来いよ。他のやつらにも紹介する」
「船倉?」
「オレや副船長の個室船室はボンボンたちに貸出中だから、いまはみんな船倉で呑んでんだ。どうだ?」
「お酒は呑めないけれど、それでもよければ」
「んだよ、ノリ悪ぃな。呑めねえなら仕方ねえが……」
ヨナスはなんてことないように、どうでもよさそうな口調のままで言った。
「……なあ、エフィ嬢ちゃん。胎の子の父親は好いた男か?」
「っ、」
胎児のために酒を控えたことは、態度に出さなかったはずだ。
妊娠を知られてしまえば、エフィの選択の真の理由も違うところにあると悟られる。それどころかティアーノに報告されれば、サルサスの都合のいいように利用されてしまうだろう。立てた計画の全てが水の泡だ。
どうして気づかれたのかと青ざめるエフィに、ヨナスは気の毒そうな視線を送った。
「年の功というかただの勘というか、な。あんたはオレが聞いてた『お淑やかで無力な姫サマ』にしては強すぎる。ネコかぶってたとも考えたが、子ができて強くなる女ってのも見てきたからな。もしやと思った」
「……お願い、ティアーノ王子には言わないで。わたくしにできることなら何でもするから、この子を殺さないで……っ」
「エフィ嬢ちゃんよ、まず自分のことを考えろ。新政府に引き渡された後、あんたはちゃんと殺してもらえるのか? そうじゃねえなら、サルサスに行くのと変わらねえ。酷なことを言うが、あのアホボンボンに押しつけちまった方が――」
「いいえ!」
もしも新政府の誰かに戦利品として弄ばれた末に孕まされ、引き渡された後も飽きるまで嬲られる身なら、少なくとも命は保障されるサルサスへ行った方がいい。すぐにティアーノにも抱かれて生まれる時期をごまかして、我が子として認知させてしまえ――『親身な忠言』をそれ以上聞きたくなくて、エフィは頭を振って否定した。
「いいえ、好きなひととの子どもよ」
違う。この子は愛の結晶だ。
世間が認めなくても、他の誰に非難されようとも、いずれヴィルに捨てられようと、エフィだけは愛が自分たち夫婦の間に存在したことを知っている。そうして生まれる子には自分の何を擲ってでも幸せな生を与えてやりたいと思っている。――夫も子どもも心の底から愛しているから。
「そんなにいい男なのか?」
「ええ。昔からずっと大好きだったひとなの。彼の邪魔にだけはなりたくないのに、いまも会いたくて、わたくしのために全部を放り出しておとぎ話の王子様みたいに都合よく助けに来てほしくて、抱きしめて『大丈夫』って言ってほしくて、頭がおかしくなりそうなくらい、だいすき……っ」
本当はもう、おかしくなっているのかもしれない。
今のエフィは『斯くあるべし』を分かっているのに、それに反する『自分の望み』を抑えきれない。そうなるように、それが正しくない望みでも際限なく欲しがるように、ヴィルに愛されて壊されてしまった。
「――なら、その言葉は直接伝えてやれ」
男冥利に尽きるって喜ぶだろうよ、とヨナスは呆れたように、けれどどこか温かい親しみがこもった声で言った。
「言えんじゃねえか。本人に言えよそれを!」
「……迷惑ばかりかけて、嫌われないかしら」
「馬っ鹿おめぇ、嫌うはずあるかよ! ちょっとにっこり笑って『あなたのおかげで助かったわ』とか言っとけば、嬢ちゃんにベタ惚れの男なんてイチコロだ。嬢ちゃんみたいなジメジメした女を一人で放っておくと、ろくなこと考えねえからな。それが分かってる男なら、きっと今頃、自分の嫁さんと子どもを取り返そうと必死に追いかけてるところだ」
そんな都合のいい話は無いと分かっているのに、事情を何も知らない他人が言うのを聞くと『もしかしたら』と思う。
もしかしたら都合のいい夢を見るのは『普通』のことなのかもしれない、それくらいのことならエフィが望んでも罰は当たらないのかもしれないと思えた。
「というか最初からそう言えや、話が早えだろうがよっ! 計画変更だ、『わたくしはスヘンデル新政府の要人の愛妻だから高額の身代金を吹っかけろ。彼ならいくらでも払う』って言え! オレたちはそいつからふんだくる! その方がシンプルだ」
「言えないわ。彼が困るもの」
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金じゃ愛は買えないが、尺度の一つにはなるだろう?――ヨナスは曲がった唇を持ち上げて、不敵に笑った。
「あんたらの愛とやらを見せてみろよ。目に見える形に換えて、自分で価値を証明して、オレたちに稼がせろ!」
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