たぶん戦利品な元王女だけど、ネコババされた気がする

美海

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無垢と狡猾

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 高い子どもの声がきゃらきゃらと笑うのを聞いた。

「とっても綺麗……! ねえ、あの山の向こうは夏も雪が降るってほんとうなの?」

 エフィはぼんやりと薄目を開けて、声の聞こえた方に顔を向けた。
 淡紅色のワンピースを着た小さな少女がこちらに背を向けて、四角い窓の向こうを眺めていた。よほど風景に夢中になっているのか、靴を脱いで座席に乗り上げている。――どうやらここは馬車の中らしい。
 少女は六、七歳くらいだろうか、背中まで伸びた白銀の細い髪を窓から吹き込む風にさらさらと靡かせていた。

「教えて! !」

 彼女の『お父さま』を振り返った少女の顔を見て、エフィはこれが夢だと気がついた。その顔に嫌というほど見覚えがあったからだ。

(白銀の髪に灰色の瞳の、過去のわたくし。でも、わたくしは国王陛下と旅をしたことなど無いし、こんなふうに親しげに呼びかけたこともないもの)

 だから、これはただの夢なのだ。
 そう思ったエフィが少女に応えずにいたからか、少女は『エフィの隣に座っている人物』に向かって業を煮やして叫んだ。

「お父さまったら!」
「ああ、本当だよ」

(……え?)

 少女の問いかけに応えた男の声にも聞き覚えがある。だが、これはエフィの『父』の声ではない。
 もっと落ち着いた、耳馴染みのいい声だ。

(ヴィルの声? どうして?)

 慌てて横を向けば、三十路くらいに見える黒髪の男と先ほどの少女が仲良く話し込んでいた。

「一度夏に行ったことがある。フレッドの使いでな」
「フレッドおじさまのお使い!? じゃあ、きっと、さぞかしお金になるものがあるのね!」
「……あいつはうちの娘に何を教えているんだ」

 ヴィルの見た目は若々しく美しいが、不思議と『父親らしさ』を湛えているように見えた。おしゃまな娘と友人兼上司に振り回される少しの不憫さも一緒に。

「どうして夏でも雪が降るの!?」
「その理由もちゃんと聞いてきた。知りたいか?」
「もちろんよ!」
「もう少しだけ小さな声でお話しできたら教えよう」
「どうして?」

 ヴィルはそこでふっと微笑んで――隣のエフィの方を、正確には『そこに座っている誰か』を、愛おしむように見た。

「お前のお母さまが眠ったところなんだ。起こしたら可哀想だろう?」  
「そうだけれど……でもっ!」

 少女はぴょんと飛び跳ねるように、その『誰か』のところに――エフィのところに、駆けてきて言った。

「ねえ、起きて! ! お母さまも一緒に聞きましょう? いま起きないと、絶対に後悔するわ!」

 少女の――『娘』の声に突き動かされて、エフィはようやく夢から覚めた。

「……ここは……?」

 薄目を開けると、夢の中よりも少し狭い四角い空間と座り心地の悪い座面が見えた。
 どうやら現実も――。

「馬車の中です、お方さま」

 場所も、旅の道連れがいるのも一緒か。
 エフィは自分の向かいに座った小間使いの少女に問いかけた。

「ハンナ。あなたがわたくしを眠らせて連れ出したのね」
「……ごめんなさい。でも、旦那さまのためです」

 ちらりと罪悪感の滲む表情をした後で、ハンナは『これは主人のための行動だ』と言い切った。
 そういえば、前に、彼女のヴィルへの忠誠心の強さに少し呆れつつ感心したことがあった気がする。
 グレーテルたちが来た段階で、エフィを『名無し』のまま過ごさせるわけにはいくまいと身元を明かしていたのだが――何も事情を知らされていなかったハンナからすれば、青天の霹靂で憎しみが込み上げたのかもしれない。

「わたくしを殺すの?」
「そんなことしませんっ!」

 そういうことであれば仕方ないと話題を切り出すと、ハンナには食い気味に否定された。
 エフィは戸惑った。――殺すつもりがないなら何故わざわざ連れ出したのか、と。

「お方さまがいい人なのは分かってます。本物のお姫さまとは知らなかったけど、エフェリーネ姫は慈悲深い方だって噂を聞いたこともあります。だからっ、なおさら旦那さまのところにいちゃダメだと思うんです!」

 仮に現状のままでヴィルが王女を隠して匿っていたことが露見したとしたら、ヴィルが失脚するか処刑されるのはもちろん、『高潔なる革命の将を誑かした悪女』への憎悪も増すだろう。
 ハンナはそれも恐れているのだと言った。

「だから、このまま誰も『お姫さま』の顔を知らないような片田舎にでも行った方が、」
?……ねえ、ハンナ」

 その言葉が妙に引っかかった。
 言葉選びが年若い彼女らしくない気がしたのと、王都に生まれ育った彼女が『自分にとって馴染みのない土地』のことを『安全な避難先』として挙げるだろうかと不思議に思ったのと。
 一つが気になり始めれば、次々と疑問が湧いてきた。

「この馬車はどこに向かっているの。いいえ、その前からよ。あなたはわたくしを!?」

「ワゴンの下に隠したんです。それで、門のところにつけてもらった荷馬車にワゴンごと載せて」
!? 誰に!」

 厳しく詰める女主人を見てハンナは怯んだようだったが、彼女が口にした計画の方は妙に手堅く手際が良い。――だから確信した。

「誰が、あなたに手を貸したの」

 これは一人の少女が立てた計画ではない。
 あるいは、ハンナ自身は『自分で決めたこと』だと思い込んでいるのかもしれない。でも、きっと悪い大人が裏で糸を引いているような、周到ないやらしさを感じた。
 どうか違っていてくれと祈るエフィの気持ちをハンナが知るはずもなく、彼女は隠すどころか堂々と誇るように言った。

「新政府の方です。買い物に出た時に知り合ったんですけど、『護国卿の使いの者だ』って、本物の身分証もちゃんと確認させてもらいました!」

 ――やられた。

 エフィはほぞを噛んだ。
 確かにハンナの視点から見れば、護国卿フレデリック・ハウトシュミットが訪問したことを踏まえて『新政府の中でも一部の者にはエフィの身元を伝えていたのかな』と思うのが自然だ。そこに『本物の身分証』を持った役人が来れば、護国卿の意思の代弁者だと受け止めても仕方がない。
 その役人は『あなたも大変ですね』と事情を知る理解者のふりで声をかけさえすればいい。素知らぬ顔で少女の『悩み』を聞き出した彼は、そこで新たに得た情報をどこへ流したのだろう。

(わたくし宛のハウトシュミット卿の手紙をハンナたちにも見せておくべきだった? いいえ、何もなければ却って『新政府も信用できない組織なのか』と不安にさせるだけ……防ぐ手段は無かった)

 ハンナに薬を盛られる直前にエフィが読んでいた手紙には、次のように書かれていた。

『その代わりといったらなんだけど、君にも頼みごとがあって、僕に力を貸してほしいんだ。新政府の中の『裏切り者』、つまり他国のスパイを誘き出す餌になってもらいたい。他国としては、間諜を使って戦局を操ってスヘンデル王家と革命軍が共倒れになるのを狙ってたんだろうけど、僕たちの手際が良かったおかげで、革命成功しちゃったからね。王権打倒勢力は多い方が助かるから、素性が怪しい者も放置してたんだけど、そろそろ次の国崩しの一手を打ってくるはずだ。一番ありそうなのは『革命政府の醜聞の内部告発』かな。僕の行動を探ってるフシがある』

 間諜も政府の役人としての正式な身分を持っているわけだしね、と。
 敵の動きはフレッドの予測を超えて速く、嫌な予言が早速当たってしまったらしい。

「……ハンナ、たぶんこの馬車は『スヘンデルの片田舎』には行かないわ」
「そんなっ、なんでですか!?」
「いい? 次に馬車を乗り換えるタイミングがあれば、すぐに――」

 全力で逃げなさいとエフィが助言すると同時に、馬車が大きく揺れて止まった。次の目的地に着いたらしい。

「着いたみたいですね」
「……」

 鬼が出るか蛇が出るか。
 このまま馬車の中に閉じこもっていても引きずり出されるだけだ、打って出るしかない。
 エフィは腹を括って自らの足で馬車の外に出た。

「おや、もう目覚めていたのか。久しいな、エフェリーネ王女。我が妻となる麗しき姫よ」
「……ティアーノ王子殿下」

 そこに立っていた頭の中まで軽薄そうな優男の姿に、エフィは眉根を寄せた。そうか、彼らは『婚約』を口実に使う気なのか。

「妻にはなりませんわ。婚約はあなたに破棄されましたので」
「過去のことを気にするより、未来の話をしようじゃないか!」
「ご冗談を」

 彼とは語るべき過去も未来も何も無い。スヘンデルが世情不安定になった途端に『外交的な価値が低いうえに婚前交渉を断る王女との結婚はやめる!』と言ってきたのが誰だったか、たったの三年でもう忘れたのだろうか。
 それが理由なら潔いとむしろ感心できたのに、打算と性欲に『愛』の皮を被せたがるところも婚約者だった頃から変わらない。

「わたくしは早く家に帰りたいの。あなたたちに用はないわ」
「おおっ、ならば行き先は一緒だな!」
「っ、離しなさい! わたくしに触らないで!」

 ティアーノ王子の指示を受けた護衛に腕を後ろ手に捻り上げられ、先ほど乗ってきたものよりも豪華な造りの馬車へと引きずられた。

「――我々は、あなたを我が国サルサスへとお連れする」

 きっと姫君はサルサスを気に入って第二の故郷と呼ぶようになる、という現実が見えていない夢見がちな王子様の声に、エフィは肌を粟立たせた。
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