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12.自己形成のお手本 そのに
しおりを挟む「ーー以上です。報告を終わります」
単調な声色で午前の出来事についての説明を終えた生徒。ナツほど鉄壁ではないにしろ、にこやかな愛想笑いを浮かべた同学級の彼と目が合う。
愛想笑いの中に、確かに愉悦を滲ませながら席に着く男を見つめ、春名 義春はくるりとペンを回した。
会議室にいる委員会ーー生徒会、風紀委員会、監査委員会の幹部全ての視線が己に集中する。その中でも、ナツにより近い立ち位置にいた生徒会補佐達の視線がビシビシと刺さってくる。
とはいえ、春名はそれを気にする程気の小さい男ではない。ペンをくるくると回しつつ首を傾げると、隣に座る監査委員会の2年生が溜息を吐いた。
「春名 義春。何か言うことは?」
今回の報告対象である己の真正面ーー会議室の主催の位置に座する男から冷涼な言葉が掛けられる。
流石に彼に逆らう事は春名と言えど身を滅ぼすことに直結する為、ペン回しを止めて姿勢を正した。
「何も」
「巫山戯ないで下さい。颯夏に何を教え込んでくれてるんですか」
中等部元副会長ーー現副会長補佐の剣呑な声が飛び、彼を一瞥する。何時もの固まった笑顔がすっかり剥がれ落ちて、その美貌が般若のようになっていた。
現副会長に「優雅にね」と頭を撫でられたことで少し落ち着いたものの、彼の相当な憤怒が窺えた。
「俺の性格と行動が、彼がやりたかった事と重なっただけの事では?」
「なんですって」
「誰にも言わずに他の高校に行くことを逃亡なんて位置付けて誘拐して連れ戻しておいて、その全てを療養なんて言葉で片付けられて」
どんな思いだったのだろうか、と。
イカレ野郎だとかサイコパスだとか罵られる春名にだって、彼の苦悩を想像するくらいのことは出来る。
そもそも、春名のような特例はさておき、中等部からの編入生が生徒会会計にまで伸し上がるのには、彼の容姿を差し置いても相当なーー身を削る程の努力を要しただろう。
彼程の容姿で親衛隊もなかった入学初期、彼がどんな目に遭ったのかなんて、想像もしたくない。何も無かったのなら、最初から守ってくれる他者がいたのなら、彼は彼処まで人間不信に陥っていないだろうから。
幼等部から通っている生徒会補佐共では、考えもしなかったことなのだろう。
でも、考えるべきだった。想像して、適切なケアをしてやるべきだったのだ。
「半日程共に過ごしただけでも、彼が人間不信であると分かりました。PTSDになっているのでは、と想像が出来ました。貴方方はそう思いませんでしたか?」
「理由がありません」
「は?」
一気に部屋の温度が下がる。
隣の監査委員が春名の肩を抑え、現副会長が副会長補佐の前に腕を出し守る体勢に入った。
理由がない?
ーー今でも、そう言うのか。彼が他の学校を望んだという明確な事実があって、尚。
自分の事以外でここまで憤怒に呑まれそうになったのは初めてで、何処か冷静に驚いている自分もいる。自覚していなかったけれど、春名も昨日共に過ごした時間の中で、ナツに絆されていたのだろう。
目を輝かせてホットチョコを見つめ、嬉しそうに溶かして飲んでいた姿に。
朝ご飯を食べながら、目を蕩けさせて力を抜いた姿に。
申し訳なさそうに手伝えることを探しておろおろしていた姿に。
資料だけで説明を受けた当初は「度胸があるな」だとか「会計でも逃げたくなるってこの学園やっぱりやばいな」だとか、軽い感想しか抱いていなかったけれど。
彼の傷付きを目の前で知ると、どうしても。きっと、今高等部にいる自分のような編入組にとって、彼の絶望は他人事ではない。
己を落ち着ける為に1度机を殴り(数人がビクリと身体を震わせた)、ゆっくりと言葉を紡ーーごうとして。
「ナツはーー夏樹は、…………」
春名が憶測で彼の辛さを訴えるのは、彼の本当の望みじゃないだろう。十中八九間違ってはないだろうが、春名は彼の苦悩の当事者では無いのだ。これ以上はお節介というものだろう。
春名は暫くの間躊躇った後、黙り込んだ春名を訝しげに見つめる周囲に溜息を吐き、「俺が言うことじゃないので」と締め切った。
自分の全てを賭けてこの学園から出て行く意思表示をしても、変えられなかった現状。それを春名がお節介で何とかしてしまえば(ならないだろうが)、益々彼は自分を失ってしまう。
『か、会長に聞きます』
『何をしたって無駄。ぜーんぶ無駄。何も変わらないし変えられない』
『結局ぜんぶ元どーり。大団円で閉幕。みーんな笑顔で、ちゃん、ちゃん』
自己主張はなかったことになり、自己否定は事実になり。
「俺なら、貴方達全員殺す。夏樹 颯夏は優しいな」
「なっ、貴方誰に向かって」
「お前」
真っ直ぐ指を生徒会へ向けると、彼等は途端にいきり立って俺を睨み付ける。風紀委員会はそれを愉しそうに見つめ、監査委員会は無表情で様子を見守っている。
結局はナツ視点になろうともしない生徒会に、状況を楽しむだけの治安維持の風上にも置けない風紀委員会。
ナツ、監査委員会に入った方がいいよ。
とは言わないけれど。それが魂胆か、なんて思われては堪らないので。
「御門」
「……なんだ」
「夏樹 颯夏がお前を頼るからと言って、お前のものになったなんて勘違いを起こすな」
「あ"?」
短気な男のこめかみにビキリと青筋が入る。
「アレは、彼が自分を見失っているが故の行動。飼い犬が主人の指示を待つ忠義とは別物」
「彼奴は俺のモンだ。調子に乗るなよ同室者無勢が」
「調子に乗ってるのはお前」
首輪を付けた気にでもなったか?
俺は半ギレの御門を捨て置いて、興味深そうに俺達のやり取りを眺めていた真正面の男ーー現生徒会会長を見つめ「言葉が荒くなり申し訳ございません」と頭を下げた。
「以上が春名からの返答です。会長はどのように判断されますか?」
もう一方の隣に座する男ーー監査委員会委員長が春名の頭を一撫でし、生徒会長へと問い掛ける。委員長を一瞥した男はゆったりと椅子に背を預け、口角を上げた。
この男は、どうにも苦手だ。理事長を除いてこの学園のトップに君臨し、悠然と有象無象を見下ろす王者。理事長も彼を大層気に入り、基本的には学園の全てを彼に預けている状態である。
ナツも中等部の時に彼と面識を持っているはずだが、彼をどう思っているのだろう。
「ーー春名」
「はい」
「一任する」
「なっ、会長!ーーッ」
声を上げた副会長補佐を手だけで制し、生徒会長は真っ直ぐに春名を見つめる。
己に襲いかかった3人組を凄惨な目に遭わせた現場に、最初に訪れたのもこの男だった。
『……ほう、面白いな』
『何も面白くない』
『いいや、気に入った』
それ以来、春名は出来る限りこの男と対面しないように只管逃げ惑っている。明確に貞操の危機なるものを感じた。
正直こうして机越しに対面するのでさえ嫌なのだが、ナツの件であれば仕方が無い。
矢張り、完全に絆されている。
「夏樹は可愛いだろう」
「……」
「ふっ、お前も可愛いな」
「ちょっと」
サッと視界を委員長の手で塞がれ、直接見る事こそなかったけれど。生徒会長からの怖気が走るような視線を肌身に感じて知らずぶるりと震える。
机が挟まってなければ確実に殴るか蹴るかはしていたと思う。夏樹もどうやら気に入られていたようだし、この学園怖すぎる。
一度深呼吸をし、心を鎮める。ナツの生活を少しでも安定させる為に、春名が出来ることをすると決めたのだから。勿論、無理のない範囲で。
無理をすれば、彼はそれすらも恐れるだろうから。
「少なくともお前らは、夏樹 颯夏が落ち着くまで近付かない方がいいと思います」
「ほう」
「特に御門。連絡は取っているようですが、先程も言ったように『自己』を失った彼の無意識下での依存行動にすぎませんから」
「成程。その状態の夏樹に補佐は難しいと」
頷く。
顔チョイスとはいえ、学園の全てを決定する生徒会の補佐ともなれば、自分で考えて自分で動いて自分で決定するというスキルは最低限必要なものだ。それが出来ない今、彼に生徒会補佐は務まらない。
とは言っても、実際に任命されれば彼は笑顔でやってのけるのだろうが。御堂の傀儡となって笑顔で全てを適度にこなす、ただの奴隷として。
そしてそれは、春名が許さないので。
昼休みの会議も終わり、各々がそれぞれの教室や職場に向かう中で、1人の男が春名の元へと近寄ってくる。歩みを止めない春名の横に当然のように並んだ彼は、ニヤリと愉しそうな笑みを崩さず春名を覗き込んだ。
「何」
「随分入れ込んだなって」
「うん」
「そんな気に入った?夏樹様」
「言う必要ある?」
冷めた気持ちで覗き込んでくる男の顔を見下ろせば、彼はケラケラと軽薄に嗤う。
「はは、面白いなー。ハルがそんな気に入るなんて。いやー夏樹様なんてさ、僕達からすれば雲の上の存在な訳。当然のように友達面して一緒に入ってくるからビビっちゃった」
「喧嘩売ってるなら買うけど」
「違う違う!夏樹様と仲良くなりたいなーみたいな?俺、ハルとこーんなに仲良しじゃん?だから夏樹様とも仲良くなれると思わねぇ?」
何処までも軽薄な男は、「夏樹様と友達とか夢あるわー」なんて楽しげに語っている。
先程までその『夏樹様』の苦悩の話をしていたのに、すっかりその事は忘れているようだ。ベラベラと口が回る彼は、教師や上司の前では途端に優等生になるのだから、もう何も信用ならないと思う。
「調子乗ってナツに絡んで傷付けでもすれば殴るから」
「はいはい。そんなおっそろしいことしませんよ。僕、要さんだけは敵に回したくないし」
「……あぁ、八束先輩」
それはそう。
「まぁ、俺には全然分からんけど、夏樹様が落ち着いたら声掛けさせてよ。普通に」
「それはナツが決めるから俺は知らない」
「はーー……すげぇな夏樹様」
溜息を吐いて項垂れる男ーー風紀委員会高等部1年副代表を見つめ、春名は首を傾げた。
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