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6.慈悲深き王
しおりを挟む理事長が待つ高等部の教員塔の前。俺達は車から降ろされ、リムジンはさっさと去っていった。
「……」
「…………」
「………………おい」
「……………………」
動かない俺を見かねた会長が声をかけてくる。が、顔を上げることも、足を動かすことも出来ず俺は無様に固まってしまって。
報復を受けない?罰を受けない?
嘘に決まってる。だって、俺は理事長にそこまで思いやって貰える様な立場じゃない。中等部の生徒会役員の中では断トツで家柄も良くなかった。理事長にとってのメリットがない。
怯えるような姿を見せてはいけないと分かってはいるのだが、身に刻まれた恐怖は消えてくれない。
「……なんかあったら俺の方からも頼んでやるから安心しろ」
「あははー、お願いしますー」
誰が信じるかよお前の言葉なんて。
形だけお礼を言っておけば、それでも気を良くしたらしい会長が頭を人撫でしてくる。笑顔のまま身を引けば途端顔を歪めたが。触んな。
八束センパイは公的な役持ちではない為、教員塔への立ち入りは禁止らしい。ちなみに会長は現在高等部生徒会長の補佐として役員入りしているとの事。車内で聞いた。
「そういえばー、会長ってもう会長じゃないんでしたねぇ」
「唐突だな」
「名前なんでしたっけぇ」
「嘘だろお前…………御門 司」
「へぇー」
頭を抱える会長とヘラヘラ笑っている俺と無表情で端末を弄る親衛隊隊長。中々にシュールな現場が広がっている。
ちなみに有事の際以外で会長の名を呼ぶことは無い。
「久しぶりだねぇ夏樹君」
「…………お久しぶりです。理事長」
声は、震えていないだろうか。
理事長の秘書であるという男が扉を開けて、真正面。悠然と豪奢な椅子に腰掛けて微笑む理事長と目が合って。
あぁ、気紛れに遊ばれていただけだったのだな、と身に染みて分かった。
何とか言葉を紡いで頭を下げるが、その動きのなんとぎこちないことか。
「元気だったかい?」
「ーー……」
「2ヶ月の療養でゆっくり出来たようで何よりだ。良く戻ったね」
「………………ッ、俺は」
「颯夏」
凍てついた会長の声に、本能で紡ごうとした言葉を何とか堪える。
分かっている。これからこの学園で過ごさざるをえない以上、理事長にこの場で逆らうのは悪手。
ーーだけど、こんな。
俺の努力をなんだと思って……俺が、どれほど、どれだけ。
言葉にならない激情を抑え込もうと噛んだ唇から、血の味がしてくる。笑顔の殻もすっかり剥がれて、せめて睨み付けないように俯いた。
しかし、そんな俺の葛藤なんて目の前の男には一切関係のないことだ。理事長はゆったりと笑みを深め、指先で近寄るようにと指示してくる。
一足、一足、倒れそうになるのを堪えて彼の机の前に立つ。彼は満足そうに頷いた。
「おかえり、夏樹君」
「………………………………ただいま、戻りました」
絞り出した声は、情けなくも掠れて。
「先ずはーーはい、これが君の端末。高等部でも中等部と同様、これが身分証や財布代わりになるから無くさないように」
「…………はい」
「寮には御門君に案内してもらってね」
「……はい」
「うん、いい返事だね。一人部屋じゃなくなるから少し緊張するかもしれないけれど、同室の子は面白い子だから楽しめるんじゃないかな」
同室。
『なぁ、ヤらせろよ』
『閉じこもっても無駄だぜー?ギャハハ!!!何時までも部屋に籠ってられる訳ねぇだろ!!!』
『テメェ!!!風紀呼んでんじゃねぇよ殺すぞ!!!死ね!!糞ビッチが!!!てめぇが誘ったんだよ!!!』
「ーーな!颯夏!!」
「ッッ"ーーー、!!!」
「落ち着け」
「おやおや」
同室。同室?
同じ部屋に、人が。
1人になれる場所が。
「理事長、颯夏は」
「ふふ、私もそこまで短気じゃないさ。1度返事をしなかったくらいで罰を与えたりしない」
「有難うございます」
「失礼しましたー……」
「落ち着いたようで何よりだ」
「………………」
応接用のソファに座る許可を頂いた俺と会長は、秘書の方が淹れて下さった紅茶を頂きながら(何が入っているか分からないので飲んではいない)向かいに腰掛けた理事長に頭を下げた。
理事長は穏やかに微笑みながら再度端末を差し出してくる。それを受け取り起動すれば、4月1日から有効の学生証が開かれた。
ひくり、と口角が震える。
「高等部の寮も、中等部と同様幾つか『格』がある。上から金、銀、銅、白。金は現職の委員会幹部以上。銀は引退済みの委員会幹部以上。銅は委員会所属の生徒や成績優秀者、学園への貢献者。白が一般生徒だね」
「……」
学生証の名前の横にある校章は、銅色。
「君は中等部で大いに学園に貢献してくれたからね。その事が加味されている」
「…………」
「ーーふむ、成程。私は君の警戒心を舐めてかかっていたようだね」
ここまで気を許してくれないとは吃驚だ。と楽しそうに笑う理事長。何も面白くねーよ。
彼は1口紅茶を啜り、机に置くと足を優雅に組み替えた。飴細工の様な澄んだ薄水色の目が、真っ直ぐ俺を突き刺す。
自然と背筋が伸び、俺も姿勢を正す。幾ら反骨心を抱えていても、それ以上に従わざるを得ないカリスマ性がこの人にはあるから。
だから、怖い。
「君は確かに無謀にも私の庇護下から逃げ出そうとした。本当ならばそれなりの罰を与える所なんだけれど」
「…………」
「恵まれた立場を捨ててでも僕の庇護下から抜け出そうと試みる生徒なんて初めてで正直楽しかったからねぇ。許してあげようと思って」
久しぶりに楽しませて貰った。
そう嗤う男を見ていられず、俯く。項垂れた身体には力が入らず、涙腺が緩んだ。涙だけは零すものか、と必死に堪えても止まってくれない。
ぱた、ぱた、とズボンを濡らす雫。
隣の会長が息を飲む音がする。
「…………っ……ッ」
「おやおや、喜びこそすれ泣くことはないだろう?君が想像していただろう罰は全て現実になり得たのだから」
「ーー……」
「今回の事情を正しく知ってるのは各委員会の幹部と監査の一部のみだ。彼等にもその事で君に危害を加えることがないよう命じているからね」
「……何を根拠にそれを信じろと」
「颯夏!!いい加減にしろ!!!」
吐き捨てるようなそれに、会長から叱責が飛ぶ。「申し訳ございません」と代わりに謝罪する会長を鷹揚に受け入れる理事長。飛んだ茶番だ。
理事長が表向き命令した所で、バレないように他人を害する人間達になんの効果がある?
手が、手が、手が、手が。俺に襲いかかって、押さえ込んで。
「外部からの編入でありながら無事に生徒会に就任した時から、君の事は気に入っているんだ。真逆飼い犬に手を噛まれるとは思わなかったけれど、これもまた一興」
益々気に入っちゃった。
クスクスと上品に微笑む男は、俺の目の前に1枚の紙を差し出してきた。目を落とすと、それは1人の男の資料のようで。
眉を顰める俺に更に笑う男は、明るい声音で言葉を紡ぐ。
「君の同室者さ。君の希望に沿って選んであげたのだから感謝して欲しいねぇ」
「……希望?」
「君を確実に害さない生徒だよ」
「確実なんてもの、あるんですかねーこの学園に」
「颯夏」
「良いよ。可愛いじゃないか」
死ね。
目を落とすと、特段目立ちもしなさそうな極々平凡な男の写真。
……学園の特性上、逆に『彼』が被害を被るのではないだろうか。訝しげに眉を顰めれば、理事長は緩やかにティーカップを持ち上げた。
俺の紅茶は満杯のまますっかり冷めきっている。
「彼は君と同室でも安全と委員会全員の同意を得て同室者になっているから安心したまえ」
「えぇ。ーーお前の親衛隊隊長の許可も取ってる」
「……そーですかぁ」
その委員会が信用ならないのに何故安心できると思うのか。会長はともかく、理事長は恐らく全てを理解して尚そう言っているのだからタチが悪い。
これくらい受け入れろって事でしょ。わかってるよ。
想像していた未来よりは何倍も何十倍もマシだ。表向きは中等部に勝ち得た権利を継続して持つことが出来るという事だろう。
一時の感情に身を任せて不貞腐れるより、貰えるものは貰っておかねば生き残れない。別に俺は自殺願望がある訳じゃないんだから。みすみす地獄に身を落とすのは愚者のする事だろう。
深呼吸をし、ニッコリと笑みを作って冷めた紅茶を一気に飲み干し顔を上げる。すると、何処か満足そうな笑みをたたえた理事長と目が合った。
「療養の機会を頂き有難うございましたぁ」
「ふふ、うんうん。おかえり、待っていたよ。高等部での学園生活を存分に楽しむと良い」
「はーいそうしまーす」
物言いたげな会長を無視して、わらう。
「じゃ、退院祝い下さーい」
「颯夏!!!」
「ふふ、お強請り上手だねぇ」
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