67 / 99
ゴースト
ディープダウン
しおりを挟む
「ミス佐藤……どうしてこんなことをしたんだ?」
三神教授の静かな問いかけに、佐藤は答えなかった。ただ、彼女の唇が微かに震え、涙が頬を伝い落ちていく──
──あのダイレクトメッセージを見るべきではなかった。でも、無視することができなかった。
『木下貴一を追い詰めました。彼が今どこにいるか、知りたくありませんか?』
その言葉は、私の心の奥深くに響いた。ずっと抑え込んでいた怒りや絶望、悲しみが、一気に溢れ出してきた。
事件の主犯である木下を「追い詰めた」というメッセージに、私は藁にもすがる思いで目を通した。
事件以降、私は誰にも守られていないことを思い知らされた。
「お前みたいな奴が、この大学にいるなんて信じられない」
「西条大の経済学部の■■■です。動画見ました。ド変態で欲求不満なんですね。よかったら、俺と○○○しませんか?」
「お前の貧相な体なんて誰にも必要とされない。こんなものを晒して、恥ずかしくないのか?」
SNSの悪意に満ちた言葉を反芻するたびに、私は過呼吸に陥り、涙を流しながら暗闇で溺れているような気持ちになった。人の目が怖くなり、大学に通えなくなっていた。
一度、勇気を振り絞って友達に相談してみたこともあった。
しかし、彼女は笑いながら、スマホを弄り「そんなの気にしなくていいのよ。あんたの顔に裸をくっつけただけの動画でしょ?」と言った。
彼女の言葉に、私は自意識過剰だと非難されているように感じ、友達だと思っていた彼女との間に、埋めることのできない深い溝があることに気づいた。
被害に遭っていないから、そんな酷いことが言えるんだ。
気がつくと、彼女を着信拒否にしていた。
疑心暗鬼に苛まれ、人を信じられなくなった頃に、あのメッセージが届いた。
絶望の壁に閉じ込められていた私には、その言葉だけが光をもたらすように感じた。
『木下貴一を追い詰めました。彼の居場所を知りたくありませんか?
私もあなたと同じく、フェイクポルノの被害者です。あの事件以来、毎日がSNS上の誹謗中傷との戦いでした。
根拠のない噂や憶測が飛び交い、クラスメイトの視線さえ恐ろしくなり、キャンパスを歩くことすら困難になりました。
許せなかった。木下を。
だから執拗に追い続け、ついに奴を捕らえることができたのです。
あなたの痛みが、私には痛いほど分かります。私たちが味わった苦しみを、今度は味わわせてやりませんか? 共に。
証拠として、木下の現在の居場所と彼の姿を捉えた動画のURLを添付しました』
メッセージには、木下の居場所と動画のURLが添えられていた。何度も自分に言い聞かせた。
こんな怪しいメッセージを信じるな、と。
しかし、彼を罰することで、私自身が少しでも楽になれるのではないかという、暗い期待もあった。
私がそっとスマホをテーブル置こうとしたときだった。
ディスプレイに親指が触れると、画面がスルスルと上にスクロールしていく。まだ文章が続いていることに気がついた。
『追伸:報復が完了したら、明後日の午前中に警察に木下を引き渡そうと思います。それまでには来てください。待っています』
時計を見ると午後11時を回っていた。
憎しみ、恨み、そして復讐の衝動が胸の中で渦巻き、激しい濁流となって、自制心という名の蓋が吹き飛んでいった。
私は気がつくと、原付きバイクでK&K Industriesに向かっていた。
罠とも知らずに。
深夜0時の少し前に工場に到着した。鬱蒼と生い茂る草に加えて暗闇で工場はほとんど見えなかった。
しかし、私は何かに導かれるように叢の奥へと進んでいった。
工場の前まで来ると、工場内に仄かに灯りがともっていることに気がついた。私はその灯りを頼りに、瓦礫で足を滑らせ、何度も転んだ。
でも、不思議なことに痛みも、恐怖も何も感じることはなかった。
灯りの元へ行くと、背もたれのついた木製の椅子に後ろ手で縛られ、俯いている木下と思しき人物が座っていた。
顔は汚れ、口元が腫れ、髪は埃で白くなり、服は破れ、汚れ、乱れていた。すでに報復を受けた後の姿だった。
足元には報復に使われたと思われる道具が散らばっていた。金槌、鉄パイプ、瓦礫、糸鋸、包丁やメス、注射器……どこで手に入れたのか分からないものまで落ちていた。
道具にはところどころ、黒く固まった血液らしきものがこびり付いていることに気がついた。
私は金槌を手に取った。金槌はズシリと重く、私の憎しみの象徴のように感じた。
勢いに任せて金槌を振り上げると、槌の部分を誰かが抑えつけたかのようにさらに重く感じた。
両親や三神教授、高瀬さん、木崎さん、山内くんや、西園寺さん、色んな人の顔が頭を過った。
「ミス佐藤のフェイクポルノはネット上から必ず駆逐する。大学も君の味方だ」
「佐藤先輩、私は先輩の味方です。先輩が苦しんでいるのは分かってます。他人事じゃなくて、ちゃんと……分かってます」
「佐藤が拒絶しても、俺は何度でもお前の元を訪れる。いつでも、なんでも話してくれ──」
ポロポロと涙が溢れ出し、手の力が嘘のように抜けて、ゴトンと金槌が床に落ちる音が聞こえた。
私がするべきことはこんなことじゃない。木下の元へ歩み寄り、生きているか確認をした。
目は虚ろで手を振っても反応はない。でも、呼吸はしているし、今すぐ死ぬほどの怪我じゃない。
そうだ、救急車を……
着の身着のまま出てきてしまったから、スマホを自宅に忘れて来ていることに気がついた。
今すぐ、工場を出て助けを呼ばないと。そして、私を呼び出した、女の子を止めないと。
周囲を見回したが見える範囲には木下しか見当たらない。
「ねぇ、私を呼び出した人、いるんでしょ。出てきて! こんなこと、絶対に駄目だよ」
木下の苦しそうなゼーゼーという呼吸音以外聞こえて来なかった。
誰もいないのかもしれない。そう思って、立ち去ろうとしたときだった。
ジャリッという、物音が聞こえた。その音は次第に大きくなり、何も無い暗闇からぬうっと大きな黒い影が蠢いているように見えた。
大柄の真っ暗な人型の影の方から声が聞こえてきた。
「興醒めだな。佐藤梢。お前の憎しみはそんなものか? 」
三神教授の静かな問いかけに、佐藤は答えなかった。ただ、彼女の唇が微かに震え、涙が頬を伝い落ちていく──
──あのダイレクトメッセージを見るべきではなかった。でも、無視することができなかった。
『木下貴一を追い詰めました。彼が今どこにいるか、知りたくありませんか?』
その言葉は、私の心の奥深くに響いた。ずっと抑え込んでいた怒りや絶望、悲しみが、一気に溢れ出してきた。
事件の主犯である木下を「追い詰めた」というメッセージに、私は藁にもすがる思いで目を通した。
事件以降、私は誰にも守られていないことを思い知らされた。
「お前みたいな奴が、この大学にいるなんて信じられない」
「西条大の経済学部の■■■です。動画見ました。ド変態で欲求不満なんですね。よかったら、俺と○○○しませんか?」
「お前の貧相な体なんて誰にも必要とされない。こんなものを晒して、恥ずかしくないのか?」
SNSの悪意に満ちた言葉を反芻するたびに、私は過呼吸に陥り、涙を流しながら暗闇で溺れているような気持ちになった。人の目が怖くなり、大学に通えなくなっていた。
一度、勇気を振り絞って友達に相談してみたこともあった。
しかし、彼女は笑いながら、スマホを弄り「そんなの気にしなくていいのよ。あんたの顔に裸をくっつけただけの動画でしょ?」と言った。
彼女の言葉に、私は自意識過剰だと非難されているように感じ、友達だと思っていた彼女との間に、埋めることのできない深い溝があることに気づいた。
被害に遭っていないから、そんな酷いことが言えるんだ。
気がつくと、彼女を着信拒否にしていた。
疑心暗鬼に苛まれ、人を信じられなくなった頃に、あのメッセージが届いた。
絶望の壁に閉じ込められていた私には、その言葉だけが光をもたらすように感じた。
『木下貴一を追い詰めました。彼の居場所を知りたくありませんか?
私もあなたと同じく、フェイクポルノの被害者です。あの事件以来、毎日がSNS上の誹謗中傷との戦いでした。
根拠のない噂や憶測が飛び交い、クラスメイトの視線さえ恐ろしくなり、キャンパスを歩くことすら困難になりました。
許せなかった。木下を。
だから執拗に追い続け、ついに奴を捕らえることができたのです。
あなたの痛みが、私には痛いほど分かります。私たちが味わった苦しみを、今度は味わわせてやりませんか? 共に。
証拠として、木下の現在の居場所と彼の姿を捉えた動画のURLを添付しました』
メッセージには、木下の居場所と動画のURLが添えられていた。何度も自分に言い聞かせた。
こんな怪しいメッセージを信じるな、と。
しかし、彼を罰することで、私自身が少しでも楽になれるのではないかという、暗い期待もあった。
私がそっとスマホをテーブル置こうとしたときだった。
ディスプレイに親指が触れると、画面がスルスルと上にスクロールしていく。まだ文章が続いていることに気がついた。
『追伸:報復が完了したら、明後日の午前中に警察に木下を引き渡そうと思います。それまでには来てください。待っています』
時計を見ると午後11時を回っていた。
憎しみ、恨み、そして復讐の衝動が胸の中で渦巻き、激しい濁流となって、自制心という名の蓋が吹き飛んでいった。
私は気がつくと、原付きバイクでK&K Industriesに向かっていた。
罠とも知らずに。
深夜0時の少し前に工場に到着した。鬱蒼と生い茂る草に加えて暗闇で工場はほとんど見えなかった。
しかし、私は何かに導かれるように叢の奥へと進んでいった。
工場の前まで来ると、工場内に仄かに灯りがともっていることに気がついた。私はその灯りを頼りに、瓦礫で足を滑らせ、何度も転んだ。
でも、不思議なことに痛みも、恐怖も何も感じることはなかった。
灯りの元へ行くと、背もたれのついた木製の椅子に後ろ手で縛られ、俯いている木下と思しき人物が座っていた。
顔は汚れ、口元が腫れ、髪は埃で白くなり、服は破れ、汚れ、乱れていた。すでに報復を受けた後の姿だった。
足元には報復に使われたと思われる道具が散らばっていた。金槌、鉄パイプ、瓦礫、糸鋸、包丁やメス、注射器……どこで手に入れたのか分からないものまで落ちていた。
道具にはところどころ、黒く固まった血液らしきものがこびり付いていることに気がついた。
私は金槌を手に取った。金槌はズシリと重く、私の憎しみの象徴のように感じた。
勢いに任せて金槌を振り上げると、槌の部分を誰かが抑えつけたかのようにさらに重く感じた。
両親や三神教授、高瀬さん、木崎さん、山内くんや、西園寺さん、色んな人の顔が頭を過った。
「ミス佐藤のフェイクポルノはネット上から必ず駆逐する。大学も君の味方だ」
「佐藤先輩、私は先輩の味方です。先輩が苦しんでいるのは分かってます。他人事じゃなくて、ちゃんと……分かってます」
「佐藤が拒絶しても、俺は何度でもお前の元を訪れる。いつでも、なんでも話してくれ──」
ポロポロと涙が溢れ出し、手の力が嘘のように抜けて、ゴトンと金槌が床に落ちる音が聞こえた。
私がするべきことはこんなことじゃない。木下の元へ歩み寄り、生きているか確認をした。
目は虚ろで手を振っても反応はない。でも、呼吸はしているし、今すぐ死ぬほどの怪我じゃない。
そうだ、救急車を……
着の身着のまま出てきてしまったから、スマホを自宅に忘れて来ていることに気がついた。
今すぐ、工場を出て助けを呼ばないと。そして、私を呼び出した、女の子を止めないと。
周囲を見回したが見える範囲には木下しか見当たらない。
「ねぇ、私を呼び出した人、いるんでしょ。出てきて! こんなこと、絶対に駄目だよ」
木下の苦しそうなゼーゼーという呼吸音以外聞こえて来なかった。
誰もいないのかもしれない。そう思って、立ち去ろうとしたときだった。
ジャリッという、物音が聞こえた。その音は次第に大きくなり、何も無い暗闇からぬうっと大きな黒い影が蠢いているように見えた。
大柄の真っ暗な人型の影の方から声が聞こえてきた。
「興醒めだな。佐藤梢。お前の憎しみはそんなものか? 」
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
virtual lover
空川億里
ミステリー
人気アイドルグループの不人気メンバーのユメカのファンが集まるオフ会に今年30歳になる名願愛斗(みょうがん まなと)が参加する。
が、その会を通じて知り合った人物が殺され、警察はユメカを逮捕する。
主人公達はユメカの無実を信じ、真犯人を捕まえようとするのだが……。

それは奇妙な町でした
ねこしゃけ日和
ミステリー
売れない作家である有馬四迷は新作を目新しさが足りないと言われ、ボツにされた。
バイト先のオーナーであるアメリカ人のルドリックさんにそのことを告げるとちょうどいい町があると教えられた。
猫神町は誰もがねこを敬う奇妙な町だった。

聖女の如く、永遠に囚われて
white love it
ミステリー
旧貴族、秦野家の令嬢だった幸子は、すでに百歳という年齢だったが、その外見は若き日に絶世の美女と謳われた頃と、少しも変わっていなかった。
彼女はその不老の美しさから、地元の人間達から今も魔女として恐れられながら、同時に敬われてもいた。
ある日、彼女の世話をする少年、遠山和人のもとに、同級生の島津良子が来る。
良子の実家で、不可解な事件が起こり、その真相を幸子に探ってほしいとのことだった。
実は幸子はその不老の美しさのみならず、もう一つの点で地元の人々から恐れられ、敬われていた。
━━彼女はまぎれもなく、名探偵だった。
登場人物
遠山和人…中学三年生。ミステリー小説が好き。
遠山ゆき…中学一年生。和人の妹。
島津良子…中学三年生。和人の同級生。痩せぎみの美少女。
工藤健… 中学三年生。和人の友人にして、作家志望。
伊藤一正…フリーのプログラマー。ある事件の犯人と疑われている。
島津守… 良子の父親。
島津佐奈…良子の母親。
島津孝之…良子の祖父。守の父親。
島津香菜…良子の祖母。守の母親。
進藤凛… 家を改装した喫茶店の女店主。
桂恵… 整形外科医。伊藤一正の同級生。
遠山未歩…和人とゆきの母親。
遠山昇 …和人とゆきの父親。
山部智人…【未来教】の元経理担当。
秦野幸子…絶世の美女にして名探偵。百歳だが、ほとんど老化しておらず、今も若い頃の美しさを保っている。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

秘められた遺志
しまおか
ミステリー
亡くなった顧客が残した謎のメモ。彼は一体何を託したかったのか!?富裕層専門の資産運用管理アドバイザーの三郷が、顧客の高岳から依頼されていた遺品整理を進める中、不審物を発見。また書斎を探ると暗号めいたメモ魔で見つかり推理していた所、不審物があると通報を受けた顔見知りであるS県警の松ケ根と吉良が訪れ、連行されてしまう。三郷は逮捕されてしまうのか?それとも松ケ根達が問題の真相を無事暴くことができるのか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる