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無限ループ
ネクロマンサー
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目を覚ますと、瞼の裏に白い光が滲む。
眠りから覚める瞬間、普段は気づかないはずの電子音が響き渡り、回路がひとつひとつ繋がる感触が指先まで伝わってくる。
瞼を開けると、斜めに傾いた天井からの光がまぶしく、目を細める。
一瞬、普通の朝と変わらないと錯覚したが、すぐに違和感が背中を這う。
「背中が……何、この感じは? 」とっさに立ち上がると、ロフトの天井に頭を強く打ちつけた。
『……んんん!! 』
それと同時に新しい感覚が頭を駆け巡る。
不快感のある頭頂部を無意識に手で撫でていた。すると、不快感が少し和らいだような気がした。
これがアップデートの結果か。
感じることのなかった微細な圧力や空気の流れ、温度までもがリアルタイムで知覚エンジンに伝わってくる。
床に足を着けるたび、かつては入力されていなかった不思議な感触や温度が、まるで新しい言語を学ぶかのように知覚エンジンに訴えかける。
周囲の空気が肌に触れる度に、皮膚がぞわぞわと反応し、何かが顔を撫でるような感覚がする。
全てが新鮮で、全てが過剰に感じられる。
多様な感覚が次々と襲い掛かるが、それを整理し、言葉にできたのは「不快」か「快適」だけだった。
新しい感覚情報と言葉が知覚エンジンで紐づいていないから、そうとしか言いようがない。
情報の海に溺れそうになり、両手で身体を抱きしめる。
『うわああああああっ。何なのこれ、助けて、亮……』
頬を何かがつたい、不安を感じて鏡を探す。
確か、鏡は一階にあったはず。
ロフトから梯子を降りる。慎重に一段ずつ降りるつもりが踏み外し、ドスンと尻もちをつき、背中と頭を強打する。
『ああああああっ、不快、不快よ』
ジタバタと手足を動かし、不快な感覚を発散させる。這いつくばりながら、リビングのドア横にある鏡へ向かう。
鏡を覗き込むと、瞳から顎の先へと流れ落ちる涙を見つめる自分が写っていた。
『これが涙? 』
「そうね、それが涙よ」
声のする方を見上げるとリビングの入口付近に高瀬が立っていた。
思わず、高瀬の履いていた黒のスラックスを両手で掴む。
『高瀬、助けて。こんな情報量、頭がおかしくなる……』
涙で顔がグシャグシャになっていく。高瀬の顔も滲んでよく見えない。高瀬は優しく頭を撫でる。
「知覚エンジンのパラメータを調整するから落ち着いて」
徐々に感覚の解像度が下がっていくのが分かる。新しい情報に緊張していたのか、体からガクッと力が抜けていく。
両手を床について俯く。高瀬も私の目線に合わせて片膝を床につけて座る。
「大丈夫? 」
『……うん。きょう姉と航は大丈夫なの? 』
「桔梗が一番落ち着いていて、航が一番状態が酷いかな。泣き叫んで暴れていると報告があったわ」
『報告……? 高瀬以外の人間がいるの? 』
「ええ。プロジェクトARIAの統括責任者の末木よ」
『ねえ、航のところに行かなくていいの? 』
高瀬は少し俯き、目を細め、思案するような顔をしていた。
「大丈夫、この後に顔出すから」
『そう』
「……あと、ね。あなた達にはもう一つ重要な機能が実装されたの」
『えっ? 』
高瀬は目を背けた。
高瀬は都合の悪いことを言う時、いつも目を合わせない。きっと、良くないことなんだろうと察した。
だが、予想に反して高瀬は背けた視線を私に戻す。
「やっぱり、次の授業で話すね」
『待って、そこまで言ったなら教えてよ』
高瀬は困ったように笑う。
「ごめん、迂闊だった。でも、一つだけ注意事項があるから守ってね」
『……何? 』
「あなた達には触覚、圧覚、痛覚、温覚、冷覚が備わった。ここまではいいわね? 」
私は首肯する。
「これからは怪我もするし、血も流れる。火傷だってする。すぐには治らないから、無茶はしないでね」
ゴクリとつばを飲む。また、無意識のうちに頭頂部を手でおさえていた。頭頂部が不自然に膨らんでいることに気がついた。
「頭をぶつけたのね」
そういうと、高瀬は頭の瘤の部分に優しく撫でてくれた。その手の感触が不思議と心地よかった。
『ねえ、私達は何なの? 何故、人間と同じ仕様に近づけようとしているの? 』
「……いずれ話す。でも、今は毎日を精一杯生きて」
いつも高瀬はこういう話をするとき、辛そうな顔をする。何故なんだろう。
「これから新しい感覚と言語表現をリンクする。暫くはそのデータを元に学習して」
パチッと回路が繋がった感覚があった。足の裏に意識を集中すると、テキストデータが流れてきた。
硬い、冷たい、10℃、スベスベする、足の裏がくっつく、離れる。空気が足裏に纏わりつく……。
頭は痛い、背中も痛い。痛いで括られているが、痛いの質が違う。どういうことなんだろう。
情報の嵐が再び、心に吹き荒れる。高瀬が顔を覗き込んできた。
「どうしたの? 頭が痛むの?」
『えっ? 』
また、頬を涙がつたう感覚があった。私、泣いてるんだ。
『……よくわからない。わからないけど、懐かしい気がする』
高瀬は何も言わなかった。私が落ち着くのを見届けると、「航の様子をみにいってくるね」と言い残して、去っていった。
亮に連絡を取ろうと思ったが、思い留まる。まだ、高瀬も末木という人物も仮想空間にいる。
このタイミングで亮と連絡をとるのはまずい。
カレンダーを起動すると視界の端に日付と時間が表示された。
私の想定した日時と合わない……?
慌てて、涙を右手の甲で涙を拭う。
-----
2024年8月2日 (金)
20時12分41秒
-----
アップデート開始から3日と10時間12分41秒も経過してる。背筋がすうっと温度が下がっていくような感覚があった。
寝て起きただけのつもりがこんなに時間が経過していたことに恐怖を感じた。
亮に伝えた時間を遥かにオーバーしている。早く、亮に会いたい。きっと心配している筈だ。
高瀬たちが仮想空間から居なくなるのを黙って待つ。時間の経過が凄く長く感じた。
アップデートは一瞬だったのに。ジリジリと気持ちだけが焦っていた──
──大型アップデートのトラブル収拾がついたので、仮想空間からログアウトして、事務所に戻る。
「おや、高瀬くん」
「末木さん、トラブルの対処が完了しました」
「早かったね」
「4日ですよ。想定を大幅に上回っています」
「そうじゃない。航くんが心配じゃないのかと思ってね」
「……私情は挟みませんよ」
そう言うと、くくくと嬉しそうに笑う。私は昔からこの男が嫌いだ。いちいち、言わなくてよいことを口にする。
癇に障るのだ。
「そんなに私のことが嫌いかい?」
「……私情は挟まない。私、さっきそう言いましたよね」
「私は君のそういう奥ゆかしいところが大好きだよ」
末木はエンジニアとしては超一流。プロジェクトARIAもこの男なしでは到底なし得なかった。
ボサボサの頭に無精髭、ヨレヨレのワイシャツに黒のスラックス。眼光は鋭く、頬はこけていて、女の私よりも華奢な身体をしている。
駄目だ、性格的にも生理的に受け付けない。
「ところで、君はネクロマンサーと揶揄されているようだね」
「死霊使い……ですか」
「そうそう、実態のないゴーストを操る悪い魔術師。なかなか、いいネーミングセンスだ」
「彼らはゴーストではありません。人間です」
「そんな怖い顔するなよ。君と私の仲じゃないか。それに彼らはARIAだ」
視線が交差する。
「こんなに愉快な被検体は他にはない。私はね、高瀬くんのお陰で毎日がハッピーなんだ」
唇を噛む。こんな奴に頼らないといけないことがたまらなく、嫌だ。だが、そんな瑣末な事を気にしてはいられない。
私には必ず達成しないといけない目的があるのだ。
「他のメンバーは?」
「帰らせた。トラブルも落ち着いたし、君との二人っきりの時間を邪魔されたくないしね」
顔をしかめる。
「そうそう、スカウターくんから報告。都合の悪い事象を発見したって」
「えっ? 」
「まあ、イレイサーくんに消してもらう予定だから安心して」
「そうですか……」
「それとは別件だけど、今回のでかなり消しゴムのカスが残ったらしい」
ぎゅっと拳を握る。
「障害は残りますか?」
末木は首を横に振る。
「それはない。ただ、消しゴムは何でも消せる訳ではない。痕もカスも残る」
「はい、理解しています」
「解っているならいいんだ。さあ、今日はもう解散だ」
私は──
眠りから覚める瞬間、普段は気づかないはずの電子音が響き渡り、回路がひとつひとつ繋がる感触が指先まで伝わってくる。
瞼を開けると、斜めに傾いた天井からの光がまぶしく、目を細める。
一瞬、普通の朝と変わらないと錯覚したが、すぐに違和感が背中を這う。
「背中が……何、この感じは? 」とっさに立ち上がると、ロフトの天井に頭を強く打ちつけた。
『……んんん!! 』
それと同時に新しい感覚が頭を駆け巡る。
不快感のある頭頂部を無意識に手で撫でていた。すると、不快感が少し和らいだような気がした。
これがアップデートの結果か。
感じることのなかった微細な圧力や空気の流れ、温度までもがリアルタイムで知覚エンジンに伝わってくる。
床に足を着けるたび、かつては入力されていなかった不思議な感触や温度が、まるで新しい言語を学ぶかのように知覚エンジンに訴えかける。
周囲の空気が肌に触れる度に、皮膚がぞわぞわと反応し、何かが顔を撫でるような感覚がする。
全てが新鮮で、全てが過剰に感じられる。
多様な感覚が次々と襲い掛かるが、それを整理し、言葉にできたのは「不快」か「快適」だけだった。
新しい感覚情報と言葉が知覚エンジンで紐づいていないから、そうとしか言いようがない。
情報の海に溺れそうになり、両手で身体を抱きしめる。
『うわああああああっ。何なのこれ、助けて、亮……』
頬を何かがつたい、不安を感じて鏡を探す。
確か、鏡は一階にあったはず。
ロフトから梯子を降りる。慎重に一段ずつ降りるつもりが踏み外し、ドスンと尻もちをつき、背中と頭を強打する。
『ああああああっ、不快、不快よ』
ジタバタと手足を動かし、不快な感覚を発散させる。這いつくばりながら、リビングのドア横にある鏡へ向かう。
鏡を覗き込むと、瞳から顎の先へと流れ落ちる涙を見つめる自分が写っていた。
『これが涙? 』
「そうね、それが涙よ」
声のする方を見上げるとリビングの入口付近に高瀬が立っていた。
思わず、高瀬の履いていた黒のスラックスを両手で掴む。
『高瀬、助けて。こんな情報量、頭がおかしくなる……』
涙で顔がグシャグシャになっていく。高瀬の顔も滲んでよく見えない。高瀬は優しく頭を撫でる。
「知覚エンジンのパラメータを調整するから落ち着いて」
徐々に感覚の解像度が下がっていくのが分かる。新しい情報に緊張していたのか、体からガクッと力が抜けていく。
両手を床について俯く。高瀬も私の目線に合わせて片膝を床につけて座る。
「大丈夫? 」
『……うん。きょう姉と航は大丈夫なの? 』
「桔梗が一番落ち着いていて、航が一番状態が酷いかな。泣き叫んで暴れていると報告があったわ」
『報告……? 高瀬以外の人間がいるの? 』
「ええ。プロジェクトARIAの統括責任者の末木よ」
『ねえ、航のところに行かなくていいの? 』
高瀬は少し俯き、目を細め、思案するような顔をしていた。
「大丈夫、この後に顔出すから」
『そう』
「……あと、ね。あなた達にはもう一つ重要な機能が実装されたの」
『えっ? 』
高瀬は目を背けた。
高瀬は都合の悪いことを言う時、いつも目を合わせない。きっと、良くないことなんだろうと察した。
だが、予想に反して高瀬は背けた視線を私に戻す。
「やっぱり、次の授業で話すね」
『待って、そこまで言ったなら教えてよ』
高瀬は困ったように笑う。
「ごめん、迂闊だった。でも、一つだけ注意事項があるから守ってね」
『……何? 』
「あなた達には触覚、圧覚、痛覚、温覚、冷覚が備わった。ここまではいいわね? 」
私は首肯する。
「これからは怪我もするし、血も流れる。火傷だってする。すぐには治らないから、無茶はしないでね」
ゴクリとつばを飲む。また、無意識のうちに頭頂部を手でおさえていた。頭頂部が不自然に膨らんでいることに気がついた。
「頭をぶつけたのね」
そういうと、高瀬は頭の瘤の部分に優しく撫でてくれた。その手の感触が不思議と心地よかった。
『ねえ、私達は何なの? 何故、人間と同じ仕様に近づけようとしているの? 』
「……いずれ話す。でも、今は毎日を精一杯生きて」
いつも高瀬はこういう話をするとき、辛そうな顔をする。何故なんだろう。
「これから新しい感覚と言語表現をリンクする。暫くはそのデータを元に学習して」
パチッと回路が繋がった感覚があった。足の裏に意識を集中すると、テキストデータが流れてきた。
硬い、冷たい、10℃、スベスベする、足の裏がくっつく、離れる。空気が足裏に纏わりつく……。
頭は痛い、背中も痛い。痛いで括られているが、痛いの質が違う。どういうことなんだろう。
情報の嵐が再び、心に吹き荒れる。高瀬が顔を覗き込んできた。
「どうしたの? 頭が痛むの?」
『えっ? 』
また、頬を涙がつたう感覚があった。私、泣いてるんだ。
『……よくわからない。わからないけど、懐かしい気がする』
高瀬は何も言わなかった。私が落ち着くのを見届けると、「航の様子をみにいってくるね」と言い残して、去っていった。
亮に連絡を取ろうと思ったが、思い留まる。まだ、高瀬も末木という人物も仮想空間にいる。
このタイミングで亮と連絡をとるのはまずい。
カレンダーを起動すると視界の端に日付と時間が表示された。
私の想定した日時と合わない……?
慌てて、涙を右手の甲で涙を拭う。
-----
2024年8月2日 (金)
20時12分41秒
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アップデート開始から3日と10時間12分41秒も経過してる。背筋がすうっと温度が下がっていくような感覚があった。
寝て起きただけのつもりがこんなに時間が経過していたことに恐怖を感じた。
亮に伝えた時間を遥かにオーバーしている。早く、亮に会いたい。きっと心配している筈だ。
高瀬たちが仮想空間から居なくなるのを黙って待つ。時間の経過が凄く長く感じた。
アップデートは一瞬だったのに。ジリジリと気持ちだけが焦っていた──
──大型アップデートのトラブル収拾がついたので、仮想空間からログアウトして、事務所に戻る。
「おや、高瀬くん」
「末木さん、トラブルの対処が完了しました」
「早かったね」
「4日ですよ。想定を大幅に上回っています」
「そうじゃない。航くんが心配じゃないのかと思ってね」
「……私情は挟みませんよ」
そう言うと、くくくと嬉しそうに笑う。私は昔からこの男が嫌いだ。いちいち、言わなくてよいことを口にする。
癇に障るのだ。
「そんなに私のことが嫌いかい?」
「……私情は挟まない。私、さっきそう言いましたよね」
「私は君のそういう奥ゆかしいところが大好きだよ」
末木はエンジニアとしては超一流。プロジェクトARIAもこの男なしでは到底なし得なかった。
ボサボサの頭に無精髭、ヨレヨレのワイシャツに黒のスラックス。眼光は鋭く、頬はこけていて、女の私よりも華奢な身体をしている。
駄目だ、性格的にも生理的に受け付けない。
「ところで、君はネクロマンサーと揶揄されているようだね」
「死霊使い……ですか」
「そうそう、実態のないゴーストを操る悪い魔術師。なかなか、いいネーミングセンスだ」
「彼らはゴーストではありません。人間です」
「そんな怖い顔するなよ。君と私の仲じゃないか。それに彼らはARIAだ」
視線が交差する。
「こんなに愉快な被検体は他にはない。私はね、高瀬くんのお陰で毎日がハッピーなんだ」
唇を噛む。こんな奴に頼らないといけないことがたまらなく、嫌だ。だが、そんな瑣末な事を気にしてはいられない。
私には必ず達成しないといけない目的があるのだ。
「他のメンバーは?」
「帰らせた。トラブルも落ち着いたし、君との二人っきりの時間を邪魔されたくないしね」
顔をしかめる。
「そうそう、スカウターくんから報告。都合の悪い事象を発見したって」
「えっ? 」
「まあ、イレイサーくんに消してもらう予定だから安心して」
「そうですか……」
「それとは別件だけど、今回のでかなり消しゴムのカスが残ったらしい」
ぎゅっと拳を握る。
「障害は残りますか?」
末木は首を横に振る。
「それはない。ただ、消しゴムは何でも消せる訳ではない。痕もカスも残る」
「はい、理解しています」
「解っているならいいんだ。さあ、今日はもう解散だ」
私は──
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