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第1章2節 学園生活/慣れてきた二学期
第84話 ロマンスなアーサー君
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「『束縛の夜、運命の牢獄は崩れ去り』」
「『解放の朝、誰とも知らぬ黎明に、二人は旅立っていった』」
「うへへへへへ~……んっへへぇ」
いつの間にかエリスは前のめりになって劇を観ていた。口はぽかんと開かれ、目はぼんやりとどこかを見つめている。
「はへぇ……」
「大丈夫か」
「だいじょー……ぶっ!?」
「くっ……」
危うく前のめりに倒れそうになったエリスを、アーサーは素早く支える。
「大丈夫ではないな……」
「だってぇ……すごかったんだもん……」
「……まだ終わっていないぞ。前を見ろ」
「うーん……あ、マイケル先輩だ」
エリスとアーサーは舞台上に目を向ける。そこに立っていたのは、いつか二人が出会った演劇部の生徒、マイケルだった。
ぼさついていた髪をオールバックに整え、学生服ではなく礼節用のフォーマルスーツに身を包んでいる。これだけでもかなり印象が違うのに、口を開くと更に予想外のイメージが植え付けられる。
「ご来場の皆様、今回は演劇『フェンサリルの姫君』をご鑑賞していただき、誠にありがとうございます。ここから見る限りでも立ち見のお客様が講堂の半分を占めております。多少無理な姿勢でおられるにも関わらずご鑑賞していただき、本当に感謝を申し上げます」
「さて、皆様の中にはご存知の方もいらっしゃることと思いますが、演劇部の学園祭発表は各学年対抗で行われます。学年ごとに演劇を構成し、王国歌劇団の方も交えた厳正な審査の元、頂点に立った学年の演劇がこの学園祭で発表となるのです」
「今回の『フェンサリルの姫君』は、二学年の学生達が製作した演劇となります。演劇に携わってからまだ一年程度の学生達が、並み居る先輩方の演劇を押さえて頂点に立ったのです。外部審査員の方も、これは異例だと申していました。そしてこの偉業を達成できたのは、何よりも演者達の能力が大きいと私は思うのです」
するとステージの右手から、三人の生徒が衣装のまま出てくる。
「悪役を演じさせれば一級品。しかし普段は誰よりも気配りが効き、怒った顔は見たことがないと評判の聖人ラディウス・ウィルソン」
「魔術に頼ることのない本格的な演技を追求し、武術部と騎士団に弟子入りすること数か月。引き締まった肉体を手に今回の舞台に望んだダレン・ロイド」
「そしてご存知の方もいるであろう、才色兼備の完璧美人。気品と麗しさを兼ね備えた演劇部期待の姫君、アザーリア・フェリス」
「この物語を鮮やかに演じてくれた彼らに、どうかもう一度拍手をお願いします――うっ!?」
観客達が手を鳴らし始めた瞬間、マイケルが持っていたマイクをアザーリアが奪い取る。
「皆様!! 今回の演劇を完成することができたのは、わたくし達の力だけではございません!! 脚本、演出、裏方、そして総監督! 二年生十七名で作り上げた、持ちうる限りの情熱を注いだ奮励の結晶です!!」
アザーリアの透き通った言葉と共に、裏方の生徒達も続々と出てくる。
平民の服装から学生服まで、とりどりの衣装で。その表情は一様に達成感に満ち溢れていた。
「もし皆様が拍手をくださるのならば、どうかわたくし達のみならず、この観劇に携わった全ての生徒に贈ってくださいませ――本日は誠にありがとうございました!!」
「「「ありがとうございました!!!」」」
二年生全員がステージ上に出て礼をすると、講堂は拍手の音で満たされていく。
「えへへ……サインサイン……」
「幸せそうだな」
「うふふ……」
演劇部の発表が終了し、観客達が続々と講堂から出てくる。エリスとアーサーもその流れに乗っていた。
「……あそこの教室が空いているな。少し休むか」
「うーん……そうさせてもらおうかな、うふふ……」
二人は空き教室に入り、適当な椅子に座った。エリスの手にはアザーリアのサインが描かれたチケットが握られている。
「……落ち着いたか」
「ふふーん。何とか」
「……」
まだ興奮したままだろう――という指摘の代わりに、アーサーは別のことを訊ねた。
「訊きたいことがある」
「ん、なあにぃ」
「あの物語が……あれ程までに、人を惹き付ける理由だ」
「……んー?」
「小説にもなり、絵本にもなり、演劇にもなって、なのに内容は殆ど同一だ。それだけの理由があの物語にはあるのだろうが……それがわからない」
「……」
「……難しく考えなくていいんだよ」
「人はいつだって、ロマンスを求めるものだから」
サイン入りチケットを弄りながら、エリスは答える。
「ロマンス?」
「窮地に陥った女の人を、強くて素敵な男の人が助ける。それを見ると、みんなが甘酸っぱくて幸せな気持ちになれるんだ」
「……」
「ありきたりで使い回された定型文だけど……でもなくならない。きっとその概念は素晴らしいのだから。なんてね」
「……そうか」
「ていうか騎士王伝説だって、基本はそういうロマンスの詰め合わせだよ。アーサーが女の人を助けた話もあるんだよ」
「記憶にない」
「だよね。でもまっ……アーサーに限らず、昔の騎士って呼ばれる人達は、そうして女の人を助けていたんだよ」
「魔物から村を救うのとはまた違うのか?」
「違う違う、全然違う。そっちは戦記物の域に入っちゃうじゃん。そうじゃなくて、こう……恋愛に発展しそうな諸々が? ロマンスにはあるんだよ」
「……そうか」
わかったようなわからないような――
とにもかくにもロマンスと呼ばれるそれが、多くの人を惹き付けている。そして彼女自身も魅了されていることは理解できた。
だがそれとは別に思ったことがある。
「男が女を助けるのがロマンスなら――」
「オレがお前の下にやってきたのもロマンスか?」
一瞬膠着するエリス。
言葉を飲み込み徐々に動き出すエリス。
そして、正気に戻ったかと思えば、ぶんぶんと両手を振りまくるエリス。
豹変するまでの一部始終を、アーサーはじっと見つめていた。
「え゛っ、待って待って待って待って!!! 急に何よ!!!」
「オレは男でお前は女。ケットシーの群れから、お前を助けたオレ。先程のロマンスの定義に合致しているだろう」
「わ゛ーっ!!! 何も聞こえまぜーん!!!」
こういうことは言える割に、表情は真顔で、それに加えて何故エリスが顔を真っ赤にして否定するのかが、アーサーには理解できなかった。
そんな彼にツッコミを入れるかの如く、カヴァスが身体から出てくる。
「ワンワン……」
「何だあんた。オレに無断で出てくるな」
「ワン!」
「出てくるに相応の理由があると? それは何だ」
「ワン~……」
「……何故そこを秘密にする。わからない奴だ」
ふとエリスを見ると、咳に深呼吸を繰り返して何とか落ち着きを取り戻していた所だった。
「げほっ!! げっほ!! あーもう話を変えます!! エリスちゃん豆知識の時間です!!」
「何だ。話があるなら聞くぞ」
「話があるのでよく聞いてください。わたし達の実家があるアヴァロン村あるでしょ。何でもオージンとフリッグが辿り着いた村があそこって言われてて、苺が特産品なのは二人が育てていったおかげなんだとか」
「そうなのか」
「うん。だから昔はアヴァロン村じゃなくって、フェンサリル村って呼ばれていたんだよ。数十年前に観光政策でアヴァロン村に変わったらしいけど」
「ん? 観光政策で改名?」
アーサーは首を傾げる。もうすっかりエリスのペースに乗せられていた。
「前にレオナさんから聖教会の教え聞いたでしょ? あそこにも出てきた、神々が舞い降りたと言われている地。そしてイングレンスを造った後、またそこからお空の上に帰っていったんだって」
「あの森に囲まれた村が、創世にまつわる地だと?」
「そんなわけないじゃん。神々が舞い降りたってことは伝わってるけど、どんな場所かまでは明らかになっていないの。森かもしれないし海かもしれないし、山とか島かもしれない。誰もわかんないんだよね~」
「成程。正確な地形が伝わっていないことをいいことに、神々が舞い降りた地であるアヴァロンと改名する。神々に所縁がある土地で縁起がいいから来てみろと、そういうことか」
「そういうこと。でもみんな同じ考えだから、世界中にアヴァロンという地名はわんさかあるんだよね。だから改名したはいいけどやってきたのは閑古鳥だけっていう」
「それならまだ固有性がある分、フェンサリルの方が良かったかもしれないな」
「ほんとにねー……村長って人柄はいいけど、村の政策に関してはなーんか抜けてる所があるんだよなー……」
エリスは頭上で右腕を左腕で引っ張り、ストレッチをしながら時計を見る。時間は午前十時を回った所だった。
「……ふふふーん……」
「……」
「……『遥か昔、古の』
「『フェンサリルの姫君は』」
「『海の蒼、大地の碧を露知らぬ、空の白のみ……って」
エリスは座っていた椅子から立ち上がり、アーサーに詰め寄る。
「……覚えた? 覚えたのね!?」
「ああ、まあ……」
「やったー! その歌覚えてくれて、わたし、嬉しいっ!」
アーサーの両手を握り、ぴょいぴょい飛び跳ねるエリス。
「……前から思っていたが。お前は機嫌がいいと、この歌を歌うよな」
「え……」
「何だ……」
「い、いやだって……聴いてた? 聴かれてた!? 嘘、恥ずかしい……!」
今度は一転、顔を両手で覆う。感情の起伏が激しいと、無表情を貫く彼は思った。
「……この物語に関する歌だったのだな」
「そう、そうだよ! 吟遊詩人達が、物語の導入に用いていた歌! すごく有名で、わたし大好きなの!」
またエリスの表情が変わる。楽しそうな笑顔だった。
「……小さい頃はね。寝る前にお父さんやお母さんにこのお話読んでもらって……この歌も歌ってくれたんだ」
「子守歌か」
「そうそう、そんな感じ! それもあって、わたし、このお話が大好きなんだよね!」
「……先程のロマンスとやらか?」
「そーなのー! 老若男女を魅了するフェンサリル、中でも女の人からの人気がすごいんだよ。お話を呼んでいるうちに、自分もフリッグになった気がして、とても幸せな気持ちになれるの!」
「お前もそうなるんだな」
「うん! えへへ……」
別に内容そのものは、あの倉庫から見つけてきた絵本を読んだ為把握しているのだが――
彼女の口から聞くとまた違う。彼女が幼い頃から親しんできた物語で、彼女の趣味嗜好の一端を担っているもの。
単なる事実が声と想いとに彩られて、さながら彼女の人生の一部を聞いているような気分になった。
「……」
「あー! アーサー笑った! 一体どういう風の吹き回しー!」
「え、いや、別に……言えない。言うまでもないことだ」
「そっかー。でもまあ、いいや! 誰でも隠しておきたいことはあるしね!」
「……そうだな」
エリスのことをまた一つ知れて嬉しかったから――
と言わなかった、言わないでおこうと思ったのは、どういう感情が作用したからだろうか。
「ねえねえ! これから! 一体どうしていようか!」
「……予定では午後一時まで暇だな。その間展示とかを回っていよう」
「そうだねー! まず手芸部でしょ、その後武術部で、曲芸体操部は……リーシャは裏方なんだよね! どうしよう!」
「時間が間に合ったらでいいんじゃないか」
「そうしようか~。じゃあまずは手芸部に行こう!」
「わかった」
「ワン!」
「『解放の朝、誰とも知らぬ黎明に、二人は旅立っていった』」
「うへへへへへ~……んっへへぇ」
いつの間にかエリスは前のめりになって劇を観ていた。口はぽかんと開かれ、目はぼんやりとどこかを見つめている。
「はへぇ……」
「大丈夫か」
「だいじょー……ぶっ!?」
「くっ……」
危うく前のめりに倒れそうになったエリスを、アーサーは素早く支える。
「大丈夫ではないな……」
「だってぇ……すごかったんだもん……」
「……まだ終わっていないぞ。前を見ろ」
「うーん……あ、マイケル先輩だ」
エリスとアーサーは舞台上に目を向ける。そこに立っていたのは、いつか二人が出会った演劇部の生徒、マイケルだった。
ぼさついていた髪をオールバックに整え、学生服ではなく礼節用のフォーマルスーツに身を包んでいる。これだけでもかなり印象が違うのに、口を開くと更に予想外のイメージが植え付けられる。
「ご来場の皆様、今回は演劇『フェンサリルの姫君』をご鑑賞していただき、誠にありがとうございます。ここから見る限りでも立ち見のお客様が講堂の半分を占めております。多少無理な姿勢でおられるにも関わらずご鑑賞していただき、本当に感謝を申し上げます」
「さて、皆様の中にはご存知の方もいらっしゃることと思いますが、演劇部の学園祭発表は各学年対抗で行われます。学年ごとに演劇を構成し、王国歌劇団の方も交えた厳正な審査の元、頂点に立った学年の演劇がこの学園祭で発表となるのです」
「今回の『フェンサリルの姫君』は、二学年の学生達が製作した演劇となります。演劇に携わってからまだ一年程度の学生達が、並み居る先輩方の演劇を押さえて頂点に立ったのです。外部審査員の方も、これは異例だと申していました。そしてこの偉業を達成できたのは、何よりも演者達の能力が大きいと私は思うのです」
するとステージの右手から、三人の生徒が衣装のまま出てくる。
「悪役を演じさせれば一級品。しかし普段は誰よりも気配りが効き、怒った顔は見たことがないと評判の聖人ラディウス・ウィルソン」
「魔術に頼ることのない本格的な演技を追求し、武術部と騎士団に弟子入りすること数か月。引き締まった肉体を手に今回の舞台に望んだダレン・ロイド」
「そしてご存知の方もいるであろう、才色兼備の完璧美人。気品と麗しさを兼ね備えた演劇部期待の姫君、アザーリア・フェリス」
「この物語を鮮やかに演じてくれた彼らに、どうかもう一度拍手をお願いします――うっ!?」
観客達が手を鳴らし始めた瞬間、マイケルが持っていたマイクをアザーリアが奪い取る。
「皆様!! 今回の演劇を完成することができたのは、わたくし達の力だけではございません!! 脚本、演出、裏方、そして総監督! 二年生十七名で作り上げた、持ちうる限りの情熱を注いだ奮励の結晶です!!」
アザーリアの透き通った言葉と共に、裏方の生徒達も続々と出てくる。
平民の服装から学生服まで、とりどりの衣装で。その表情は一様に達成感に満ち溢れていた。
「もし皆様が拍手をくださるのならば、どうかわたくし達のみならず、この観劇に携わった全ての生徒に贈ってくださいませ――本日は誠にありがとうございました!!」
「「「ありがとうございました!!!」」」
二年生全員がステージ上に出て礼をすると、講堂は拍手の音で満たされていく。
「えへへ……サインサイン……」
「幸せそうだな」
「うふふ……」
演劇部の発表が終了し、観客達が続々と講堂から出てくる。エリスとアーサーもその流れに乗っていた。
「……あそこの教室が空いているな。少し休むか」
「うーん……そうさせてもらおうかな、うふふ……」
二人は空き教室に入り、適当な椅子に座った。エリスの手にはアザーリアのサインが描かれたチケットが握られている。
「……落ち着いたか」
「ふふーん。何とか」
「……」
まだ興奮したままだろう――という指摘の代わりに、アーサーは別のことを訊ねた。
「訊きたいことがある」
「ん、なあにぃ」
「あの物語が……あれ程までに、人を惹き付ける理由だ」
「……んー?」
「小説にもなり、絵本にもなり、演劇にもなって、なのに内容は殆ど同一だ。それだけの理由があの物語にはあるのだろうが……それがわからない」
「……」
「……難しく考えなくていいんだよ」
「人はいつだって、ロマンスを求めるものだから」
サイン入りチケットを弄りながら、エリスは答える。
「ロマンス?」
「窮地に陥った女の人を、強くて素敵な男の人が助ける。それを見ると、みんなが甘酸っぱくて幸せな気持ちになれるんだ」
「……」
「ありきたりで使い回された定型文だけど……でもなくならない。きっとその概念は素晴らしいのだから。なんてね」
「……そうか」
「ていうか騎士王伝説だって、基本はそういうロマンスの詰め合わせだよ。アーサーが女の人を助けた話もあるんだよ」
「記憶にない」
「だよね。でもまっ……アーサーに限らず、昔の騎士って呼ばれる人達は、そうして女の人を助けていたんだよ」
「魔物から村を救うのとはまた違うのか?」
「違う違う、全然違う。そっちは戦記物の域に入っちゃうじゃん。そうじゃなくて、こう……恋愛に発展しそうな諸々が? ロマンスにはあるんだよ」
「……そうか」
わかったようなわからないような――
とにもかくにもロマンスと呼ばれるそれが、多くの人を惹き付けている。そして彼女自身も魅了されていることは理解できた。
だがそれとは別に思ったことがある。
「男が女を助けるのがロマンスなら――」
「オレがお前の下にやってきたのもロマンスか?」
一瞬膠着するエリス。
言葉を飲み込み徐々に動き出すエリス。
そして、正気に戻ったかと思えば、ぶんぶんと両手を振りまくるエリス。
豹変するまでの一部始終を、アーサーはじっと見つめていた。
「え゛っ、待って待って待って待って!!! 急に何よ!!!」
「オレは男でお前は女。ケットシーの群れから、お前を助けたオレ。先程のロマンスの定義に合致しているだろう」
「わ゛ーっ!!! 何も聞こえまぜーん!!!」
こういうことは言える割に、表情は真顔で、それに加えて何故エリスが顔を真っ赤にして否定するのかが、アーサーには理解できなかった。
そんな彼にツッコミを入れるかの如く、カヴァスが身体から出てくる。
「ワンワン……」
「何だあんた。オレに無断で出てくるな」
「ワン!」
「出てくるに相応の理由があると? それは何だ」
「ワン~……」
「……何故そこを秘密にする。わからない奴だ」
ふとエリスを見ると、咳に深呼吸を繰り返して何とか落ち着きを取り戻していた所だった。
「げほっ!! げっほ!! あーもう話を変えます!! エリスちゃん豆知識の時間です!!」
「何だ。話があるなら聞くぞ」
「話があるのでよく聞いてください。わたし達の実家があるアヴァロン村あるでしょ。何でもオージンとフリッグが辿り着いた村があそこって言われてて、苺が特産品なのは二人が育てていったおかげなんだとか」
「そうなのか」
「うん。だから昔はアヴァロン村じゃなくって、フェンサリル村って呼ばれていたんだよ。数十年前に観光政策でアヴァロン村に変わったらしいけど」
「ん? 観光政策で改名?」
アーサーは首を傾げる。もうすっかりエリスのペースに乗せられていた。
「前にレオナさんから聖教会の教え聞いたでしょ? あそこにも出てきた、神々が舞い降りたと言われている地。そしてイングレンスを造った後、またそこからお空の上に帰っていったんだって」
「あの森に囲まれた村が、創世にまつわる地だと?」
「そんなわけないじゃん。神々が舞い降りたってことは伝わってるけど、どんな場所かまでは明らかになっていないの。森かもしれないし海かもしれないし、山とか島かもしれない。誰もわかんないんだよね~」
「成程。正確な地形が伝わっていないことをいいことに、神々が舞い降りた地であるアヴァロンと改名する。神々に所縁がある土地で縁起がいいから来てみろと、そういうことか」
「そういうこと。でもみんな同じ考えだから、世界中にアヴァロンという地名はわんさかあるんだよね。だから改名したはいいけどやってきたのは閑古鳥だけっていう」
「それならまだ固有性がある分、フェンサリルの方が良かったかもしれないな」
「ほんとにねー……村長って人柄はいいけど、村の政策に関してはなーんか抜けてる所があるんだよなー……」
エリスは頭上で右腕を左腕で引っ張り、ストレッチをしながら時計を見る。時間は午前十時を回った所だった。
「……ふふふーん……」
「……」
「……『遥か昔、古の』
「『フェンサリルの姫君は』」
「『海の蒼、大地の碧を露知らぬ、空の白のみ……って」
エリスは座っていた椅子から立ち上がり、アーサーに詰め寄る。
「……覚えた? 覚えたのね!?」
「ああ、まあ……」
「やったー! その歌覚えてくれて、わたし、嬉しいっ!」
アーサーの両手を握り、ぴょいぴょい飛び跳ねるエリス。
「……前から思っていたが。お前は機嫌がいいと、この歌を歌うよな」
「え……」
「何だ……」
「い、いやだって……聴いてた? 聴かれてた!? 嘘、恥ずかしい……!」
今度は一転、顔を両手で覆う。感情の起伏が激しいと、無表情を貫く彼は思った。
「……この物語に関する歌だったのだな」
「そう、そうだよ! 吟遊詩人達が、物語の導入に用いていた歌! すごく有名で、わたし大好きなの!」
またエリスの表情が変わる。楽しそうな笑顔だった。
「……小さい頃はね。寝る前にお父さんやお母さんにこのお話読んでもらって……この歌も歌ってくれたんだ」
「子守歌か」
「そうそう、そんな感じ! それもあって、わたし、このお話が大好きなんだよね!」
「……先程のロマンスとやらか?」
「そーなのー! 老若男女を魅了するフェンサリル、中でも女の人からの人気がすごいんだよ。お話を呼んでいるうちに、自分もフリッグになった気がして、とても幸せな気持ちになれるの!」
「お前もそうなるんだな」
「うん! えへへ……」
別に内容そのものは、あの倉庫から見つけてきた絵本を読んだ為把握しているのだが――
彼女の口から聞くとまた違う。彼女が幼い頃から親しんできた物語で、彼女の趣味嗜好の一端を担っているもの。
単なる事実が声と想いとに彩られて、さながら彼女の人生の一部を聞いているような気分になった。
「……」
「あー! アーサー笑った! 一体どういう風の吹き回しー!」
「え、いや、別に……言えない。言うまでもないことだ」
「そっかー。でもまあ、いいや! 誰でも隠しておきたいことはあるしね!」
「……そうだな」
エリスのことをまた一つ知れて嬉しかったから――
と言わなかった、言わないでおこうと思ったのは、どういう感情が作用したからだろうか。
「ねえねえ! これから! 一体どうしていようか!」
「……予定では午後一時まで暇だな。その間展示とかを回っていよう」
「そうだねー! まず手芸部でしょ、その後武術部で、曲芸体操部は……リーシャは裏方なんだよね! どうしよう!」
「時間が間に合ったらでいいんじゃないか」
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「わかった」
「ワン!」
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