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第1章2節 学園生活/慣れてきた二学期

第70話 絵本の続き

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 研鑽大会の騒動から一週間程度の時間が過ぎた、ある日の夜。


「……精神干渉型か~……」


 エリスはソファーに横になりながら、ハインリヒから渡された書類に目を通す。アーサーはカヴァスを膝に座らせ、その毛並みを整えていた。




「あの生徒の検査結果か」
「うん。友達が被害にあったんだから、わたし達も知っておくべきだって言われて貰ってきたんだ。この型の魔術大麻は使用者の精神に作用して、興奮させたり無理矢理前向きな気持ちにさせるんだって」

「その効果も及ばない程に精神が不安定になると、あのように暴走すると」
「そういうことみたい。追い詰められた人が落ち着くために服用することが多いから、魔術大麻の中では最も安く出回っていて、そして同じぐらい危険性が高いんだって……」



 エリスはソファーに突っ伏し、頭を横に振りながらソファーに押し付ける。



「精神安定……フォルス……先輩、何か辛いことがあったのかな……」
「オレ達の知ったことではないだろう」
「それもそうだけど……そうだけどさ……ううー」


 ソファーに横になった体勢のまま、もどかしそうに足をじたばたさせる。


 その横でアーサーは時計に目を向けた。


「……明日は早いんだろう。そろそろ寝た方がいいぞ」
「ん……そうだね、もうそんな時間か……ってまだ十時じゃん。寝るには早いよ」
「そう言っていると日付が変わるまで起きていることになるぞ」
「……それは言えてる。じゃあもう寝ちゃおうかぁ……」


 エリスはソファーから立ち上がり、ゆっくりと身体を捻って自室に足を進める。




「……色々と思う所はあるだろうが。明日は祭りなんだ。せめて明日だけでも心を休ませろ」


 眠りに行く背中にかけられた言葉を聞いて、


「……うん、そうする。ありがとう、アーサー」


 感謝するように笑いかけてから、エリスは自室に戻っていった。





 主君を見送った後に、アーサーも自室に戻っていった。彼の部屋は性格を象徴しているようにシンプルで、生活必需品以外のインテリアは皆無に等しい。



「……」
「……ワン?」

「……紅茶を飲み過ぎてしまったかもしれん」
「ワンワン……」
「目が冴えて眠れん……」


 そう言いながら、ベッドの下に隠しておいた箱を漁る。



「……」


 そこには倉庫から持ってきた紙束に加えて、古ぼけたあの絵本を入れておいていたのだ。





「……『ちかろうは地面の下にあるろうやで、お日様の光が入ってきません』」


 例の崩れ落ちていた紙束にしようとも思ったが、やはり文字がわからないので、


「『ですので中は真っ暗で、たいまつがないと歩くことすらできません』……」


 再び絵本を捲る――







 ちかろうは地面の下にあるろうやで、お日様の光が入ってきません。ですので中は真っ暗で、たいまつがないと歩くことすらできません。そんな暗くてせまい場所に、オージンはとじこめられてしまったのです。



 ろうやに入る時、オージンはくさりで手をぐるぐる巻きにされ、剣も取り上げられてしまいました。ですのでろうやにあるこうしも、手が使えないのでこわすことができません。



 それでも何とかしてろうやから出ようとするオージンの耳に、話し声が聞こえてきました。細い女の人の声が二つです。

 どうやら、町のおさやへいしのご飯を作ったり、お部屋をおそうじしたりする、と呼ばれる人のようです。



 しじょ達はたくさんのことを話し、それを通してオージンはフリッグと、この町のしんじつを知りました。今からそれを、みなさんにもわかりやすいように伝えますね。



 フリッグはある力を持っていました。それは、あらゆる人のおねがいごとを、全てかなえてしまうという力です。たとえば、大けがをした人が死にたくないとねがえば、たちどころにけがは治ってしまいます。

 もしくは、わるいとうぞくがお金がほしいとねがえば、空からたくさんのきんかが降ってきます。あるいは、このお話を読んでいるあなたが、今頭の中に浮かんでいるおかしを食べたいと思ったら、それが目の前に出てきます。


 このようにいい人もわるい人もかんけいなく、ねがいをかなえる力です。ですがということと、ということは、似ているようでぜんぜんちがいます。


 このお話を読んでいるあなたは、きっとベッドに入る前は歯みがきをするように、口をとがらせたお父さんやお母さんにしつこく言われているでしょう。あなたはどんな道具を使えばいいか、どのように道具を使えばいいか、全部おしえられて知っているはずです。

 しかし早くベッドに入って、このお話を読みたいと思うと、歯みがきをしたくなくなるでしょう? 歯みがきをする時間すらも、このお話を読んでいたいと、そう考えるはずです。

 この通り、はぜんぜんちがうんだって、たったこれだけでもわかってしまうのです。


 それとおんなじことです。フリッグはたしかにあらゆる人のねがいをかなえることができますが、その人がわるい人だと知ったら、ねがいをかなえたくなくなってしまいます。

 ですがそれだと、ねがいをかなえてもらいたいわるい人は、自分のねがいがかなえてもらえないのでこまってしまいます。そして、そのわるい人こそが、町のおさをはじめとした、この町のえらい人達です。


 この町に来たとき、てい国の中心となっている都キャメロットのようにすばらしい町だとオージンは思いましたが、それもそのはずで、町のおさ達がキャメロットのようにすばらしい町を作るように、フリッグにおねがいしていたからなのです。

 そのためにフェンサリルのおやしきを作り、そこにフリッグをとじこめていました。生まれた時から自分のことを育ててくれた人達を、わるい人達だなんて思うわけがありません。


 さきほどフリッグがなんと言っていたか、みなさんはおぼえていますか。生まれてから一度も、にわにすら出たことがないということ。外にはおそろしいものがいっぱいあるということ。

 それは町のおさ達が、フリッグに外に出ていかれないようにするためにおしえたうそっぱちなのです。フリッグが出ていってしまうと、おねがいごとをかなえてもらえなくなってしまうので、この町はどうなってしまうかわかりません。町のおさ達はほとほとこまりはててしまうのです。


 にわにある緑の地面を踏んでしまうと、そこからどんどん先に行きたくなってしまうと考えた町のおさ達は、おやしきの中から一歩たりとも外に出ることをゆるしません。

 そうしてフリッグは、自分の元にやってくる人をいい人だとずっと思って、その人達のおねがいをかなえる毎日を、ずっと送ってきました。



 さて、みなさんはこのお話を聴いてどう思ったでしょうか。きっとフリッグがかわいそうとか、町のおさ達はなんてひどいんだと、そういったことを思ったかもしれません。それはオージンも同じでした。

 たしかに大きな町で、しあわせな生活を送れることはすばらしいことです。ですがそのために、自分の愛した人がずっととじこめられている。それがオージンはたまらなかったのです。

 くさりをほどこうとする手をますますつよくし、足も使って体当たりもしてろうやから出ようとします。それでもいっこうにろうやからは出れません。


 そして五回目の体当たりをした時、オージンのこしもとで何かが光りました。


 それは魔法のはちうえでした。へいし達は剣を持っておそいかかってくることはあっても、はちうえでなぐってくることはないだろうと思ったのでしょう。

 はちうえは取り上げられずに、ずっとオージンのこしもとにあったままだったのです。とうぜんですが、いちごの実もずっと実ったままです。


 ここでオージンは、お腹が空いているのだから力が出ないのだろうと思いました。そこではちうえを取り出し、いちごの実をもぐもぐと食べました。

 十二つぶあったうち、一つぶはフリッグに食べさせてあげたので、今のこっているのは十一つぶ。そのうち三つぶだけをのこした八つぶを、平らげてしまいます。



 すると、これはどういうことでしょう。



 オージンのからだに、みるみるうちに力がみなぎります。からだのおくそこからわいてくる、いさましいちからです。

 それはくさりをひきちぎり、こうしをこわし、そしてフェンサリルのおやしきまで一気にかけぬけることができるだけの力を、与えてくれたのでした。





 フリッグに会いたいいっしんで、ただ走るオージン。しかしおやしきにとうちゃくした時、そこには信じられないこうけいがひろがっていました。



 おやしきに火がついて、めらめらと燃えていたのです。



 何も知らない町の人達が、水をかけたり水の魔法を使ったりして火を消そうとしていますが、それすらも飲み込んでどんどん燃えていきます。真っ暗な夜の中で、おやしきからはなたれる炎だけが、オージンの目に焼きつきました。

 フリッグはずっとこのおやしきの中にとじこめられています。どこにも逃げられないのにおやしきが燃えてしまったら? どうなるかなんて、

 気がつくとオージンは、おやしきの中に飛び込んでしました。からだがあつくていたくてしんぼうなりませんでしたが、そんなことはどうでもよかったのです。



 お部屋の扉を一つずつ開けていき、最後に自分がまどから入ったお部屋に入ると、そこにはフリッグがいました。しかしふくもはだもかみも、全部が火にやかれてまっくろで、くわえて上手にいきがすえずに苦しんでおりました。

 そのすがたを見て、オージンはたいそう悲しみました。そして、このおやしきに火を放ったにんげんをいたくにくみました。

 けれどもそんなかんじょうなんて、このほのおの前ではちっぽけなことにすぎません。ほのおはますますもえていき、二人をのみこんでしまういきおいです。



 ふと、オージンはいちごの実を三つのこしていたことを思い出します。そしてそれを全て、苦しむフリッグに食べさせようと思いました。



 そしてフリッグの口にいちごの実を入れ、のみこませてやると、

 あれだけ苦しそうにしていたフリッグが、目を開いたのです。



 オージンはたいそうよろこび、またフリッグもよろこんで涙をこぼしました。けれどもそれをほのおはよろこびません。ほのおはまもののすがたに形を変えて、二人を引きはなそうとしてきます。


 これをオージンは、両うででフリッグを抱きかかえながら、右手で剣を振って斬りすてていきます。

 ほのおは斬るとすぐに元の形にもどってしまうので、斬りすてるというひょうげんが正しいかと思う人もいるでしょう。けれどもオージンの剣さばきは、まさにそのひょうげんがふさわしいものだったのです。





 こうしてほのおをたおし、二人はおやしきの外に出ました。東の空を見ると、お日様が昇ろうとしているところです。それをかみしめながら、歩こうとしたその時でした。



 オージンのしんぞうが、背後からつらぬかれたのです。



 赤い血が飛び散り、フリッグの身体にかかっていきます。そのまま放り出されたフリッグは、背後からやりで貫かれ、からだが宙に浮いているオージンのすがたを見つめました。いっしょに、貫いたやりをもったにんげんのすがたも。

 そのにんげんは赤いローブを着て、さらにそのローブには、赤いばらのもんしょうが描かれておりました。そうです、このイングレンスでもっともいだいなてい国、グレイスウィルの魔法使いです。


 あらゆる人のねがいをかなえる力、それを持つフリッグについて、当然てい国は知っていました。そのため魔法の力でおやしきに火をつけ、町の人達が火を消そうとしている間にフリッグを連れさることによって、町の人にはフリッグは死んでしまったと思わせる。

 そしてフリッグをてい国に持ち帰って、てい国のために力を使わせようとしていたのです。


 オージンがフリッグを連れさろう――魔法使いからすると、そのように見えていました――としていましたが、それもやりでつらぬいたので、いっさいもんだいありません。

 魔法使いは、今度こそフリッグを連れさろうとします。




 しかし、それを止めたのは、


 しんぞうをつらぬかれたはずの、オージンのいちげきでした。




 魔法使いはたいそうおどろいて、オージンのすがたを見ます。やりはしんぞうからぬいたようで、むねにはぽっかりと穴が空いています。しかしそこからは、赤い血の代わりに、白く光が流れ出していました。


 みなさんは覚えているでしょうか? はじめてフリッグがいちごの実を食べた時、フリッグのこぼした涙が、魔法のはちうえにあったいちごの実に、ぽたぽたと落ちていたのを。その時にフリッグのねがいをかなえる力が、涙を通じていちごの実にやどっていたのです。


 そのいちごの実を食べたオージンにも、ねがいをかなえる力が、ほんのわずかですがあたえられていたと、全てはそういうわけだったのです。



 ふたたび立ち上がったオージン、魔法つかいのおぞましい魔法なんて目にもありません。剣をふるってなぎはらい、そして、


 今度は魔法使いのしんぞうをきりさき、倒すことができたのです。





 魔法使いがうごかなくなるのを見つめたあと、オージンはフリッグを抱きかかえ、だれにも知られず町をさっていきました。


『そくばくの夜、
 うんめいのろうごくは今くずれさり、
 かいほうの朝、
 だれとも知らぬれいめいに、
 二人は旅立っていった』


 ぎんゆうしじんはこのお話をこうしめくくり、それを聴いた人は、ああこれはとってもすてきなお話だなあと、とてもしあわせな気持ちにつつまれるのです。





 さて、この後ですが、二人はログレスの平原をあてもなく旅し、そのとちゅうである村にたどりつきました。

 村の人達はたいそうきずついた二人におどろき、そして村のはずれにだれも使っていない空き家があるので、そこで休むように伝えます。


 二人が向かったその家には、今はだれにも使われていない畑がありました。そこでオージンは、魔法のはちうえからいちごのなえをここにうえかえ、いちごを育てたいとかんがえます。

 フリッグも、それから村の人達も。みんながそのかんがえをすてきだとおもい、それをゆるしました。


 それからというものの、オージンとフリッグはこの小さな村で、大好きないちごの実にかこまれて、ずっとしあわせにくらしていったとのことです。



 めでたし、めでたし……







「……」


 思っていた以上に濃い内容だった。


 絵本というものは、子供向けの道楽だと思っていたが――


「……お前の好きな絵本、か」


 瞼もすっかり重くなり、夜も益々深くなってきた。カヴァスはベッドの上でとっくに丸くなっている。時計の長針は十二の文字盤を回っている。


「寝るか……寝られなくなるぞと言っておきながら、オレがこんな時間まで起きてしまった」

「それ程までに魅力のある絵本……物語なのだろうな」
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