誰かに愛されるなんて、あり得ないと思ってた

まる丸〜

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愛おしい過去 ㉒ 失ったものは

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 シロウは毎月、少ない時間をやりくりして、男が入院している病院を訪れた。
 士官という立場は忙しいもので、丸一日の休日をとるのはかなり難しいものだった。



 男は、酸素マスクを付けて朦朧もうろうとして居る時もあれば、鼻腔カニューレをしながらも上体を起こして本を読んでいる時もあった。


 状態は一進一退。


 それでも、病室のドアを開けるシロウを見る度に、男は穏やかに微笑み手招きした。



 徐々に痩せていく身体。やつれていく顔。

 この男の苦しみの原因を作ったのは自分であるのに。
 今更…いつ死んでも構わないと思って入隊した事を悔いても遅い。



 男に会う時は、必ず最初にハロルドの近況を伝えた。
 それが、男にとって一番知りたい事であろうと思ったからだ。

「いつもありがとう」と、カサカサに乾いた手が、自分の頬を撫でるたび、目頭が熱くなった。

 いつまでもいつまでも、そうやって自分に触れていて欲しい。

「ちゃんと食べて、自分の身体も大事にしておくれ」 

 別れ際のキスと共に、男は必ずシロウの身体を気遣った。





 そして、男の体調はゆるやかに下降線を描きながら数年が経過した頃、ハロルドにルームメイトが出来た事を報告した。

 その日の男はベットに起き上がり、何か書き物をしていた様だが、シロウの姿を見るとすぐに手元の手帳を閉じて、マクラの下にしまった。

 酸素マスクもカニューレも付けていない。そんな姿を見るのは久しぶりだった。
 ただそばに居ると、男の肺の奥からゼーゼーとくぐもった呼吸音が聞こえる。
 決して、苦しくないと言うわけではないのだろう。

「お前のお眼鏡に叶う子が入隊したんだね」と、男はシワの増えた目尻を下げ、嬉しそうに微笑んだ。


 まあ、あのスラム出身の子供が、よくぞ試験に合格する程の語学力を身につけたものだ、とシロウは少なからず関心してはいた。
 更に言えば、あの子供であれば、隊内で何かしでかしたとしても、自分の裁量でどうとでも出来るとも思っていた。

「どんな子なんだい?」

(どんな……)

「向上心と根性があって」

(なにせ身売りしてスラムから這い上がって来たくらいだ)

「戦闘のセンスがあるのは確実です」

(入隊初日に複数の隊員を殴り飛ばしたくらいだし)

「はは、それは頼もしいルームメイトだ」

 ほがらかに笑う男の横で、シロウは『嘘は言っていない』と自分で自分を納得させた。

 ひとしきり、隊内の現状を伝えたところでシロウはイスから立ち上がった。

「シロウ、キスは?」

 ドアに向かおうとしたシロウの指先を、男が慌てて掴んだ。

 そして。

 すぐに離した。
 まるで、触れた事が過ちであったかのように、軽くかぶりを振った。

「ははっ、すまない。こんな年寄りに。帰って大丈夫だよ」

 自嘲気味に笑った男に、シロウは酷く苛立った。

「貴方ってバカですね」

 軽く舌打ちしたシロウの唇が、男のそれに強く押し当てられる。

 唇をくっつけたまま、シロウはベットに上がり、男の身体の上に跨った。
 そして男の頬を両手で固定すると、有無を言わさぬ勢いで、グイグイと自分の舌を男の口に侵入させる。

 最初こそ驚いたように身を堅くした男だったが、やがてシロウと舌を絡ませ合い、互いの柔らかな粘膜を堪能した。



 あまり長いと、男が苦しいだろうとシロウは口を離し、膝立ちになって男を見下ろす。

 そして、ガシッと男の手を掴むと、自分の股間に導いた。

 見開かれる男の瞳。

「わかりますか?私は今から、人目のない所で、コレを収めなければならないわけです」

 肌寒いからとトレンチコートを持ってきて正解だった。スリムタイプのパンツを履いているから、隠す物がないと服の上からでも形が丸分かりだ。

「わ、かった、ケホッ」

 あからさまに動揺する男の手を離してやると、男は真っ赤になった顔を両手でおおった。

「わ、私は勘違いを……お前があのまま帰ってしまうのかと思って」

「二度とくだらない事をおっしゃらないでください。貴方の体調が良いなら、ココで抜き合いしても構わないんですよ、私は」

「ぬ、ぬき⁈ゴホッッ」

「あと、さっきドアの方に向かったのは、隙間が開いていたので、キスする前に閉めようとしただけです」

「えっ」 

 ギョッとした風に、男はドアを見やった。確かに閉まりきっていない。

「院内のスタッフに見られたかもしれませんが、私は悪くありませんからね?」

 ベットから降りたシロウは、平然と言い放った。

「まぁ、見られたって私は構いませんが」

 その言葉に、男はシロウの腰を抱き寄せ、細い身体に顔を埋める。

「わたしは、幸せ者だな。お前にそんな風に言ってもらえて」

 白髪の増えた男の頭をシロウはそっと撫でた。

「また来ます。ブランドン」




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー






 次に見舞いに行けたのは雨の日だった。訪ねた病室に男の姿が無かった事から、体調が良くて自宅に戻って居るのかと病院スタッフに尋ねてみる。
 

 返ってきたのは最悪の言葉だった。


 おそらくはセルジオの耳にさえまだ入っていない。

 訃報。


 シロウは言葉を失って、その場からしばらく動く事が出来なかった。
 その佇まいがあまりに悲哀に満ちていたからか、スタッフがそっと独り言のようにしておしえてくれた。

「お身内の方が看取りに間に合いました。穏やかに逝かれましたよ」

 ……身内?
 男からは家族はいない、と聞いていた。絶縁していた一人息子が来たのだろうか。わからない。

 わかるのは、その最も重要な時に、自分はそばにいなかった、という苦い事実だけだった。





 轟々ごうごうとフロントガラスに打ち付ける雨の中、たった一度通っただけの道を、シロウは迷わずに進んだ。

 豪雨だからか、墓地の入り口にある店にはクローズの看板が掛かっていた。
 しかし、墓地自体には入る事ができた。
 シロウは、傘もささずに目的の石版に向かう。





 掘られていた真新しい二人目の名前。

 雨に濡れるシロウの黒い瞳。その視線が、ゆっくりと石版の文字をなぞる。



『ブランドン・グロス』  



 ーあぁ。




 とうとう失った。

 失ってしまった。

 わたしの愛。
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