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愛おしい過去 ㉑ 死への覚悟
しおりを挟むハロルド・リーは、その身体能力の高さと、成績の優秀さから卒業を一年前倒しして、部隊に迎える事になった。
シロウは、あらかじめ休暇申請を出し、その日を休日にした。別にハロルドの晴れ姿を見る為ではない。
入院している男をハロルドに合わせる為だ。
部隊を去った男は、急激に体調が悪化したと聞く。入退院を繰り返していると。
退職した男の現状をなぜシロウが知る事が出来るのかと言うと。そこには、医官トップのセルジオ・キースの力がある。
セルジオの率いる第七部隊は、医療と看護のスペシャリストを集めた集団で、他部隊に自由に出入りでき、他の医療機関との関わりも多い。
また、セルジオもブランドンと同じく、大学で特別講師として教鞭を取った経験もある事から、卒業した生徒の勤めるクリニックなど、とにかく医療関係の知り合いが多いのだ。
そのツテから、ブランドンがどこそこの病院に運ばれたとか、本人の希望で自宅に戻ったなんて話が自然と耳に入ってくる。
それをわざわざシロウに伝えているのは、セルジオなりのお節介だ。
ブランドンとは長い付き合いだが、あの男が、それこそ瞳をハートマークにして誰かを見ていたのはシロウ・フジタたった一人だったから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高い壁で囲まれた、キャンパスのほど近く。
目立たないよう、プラタナスの樹の下に車を停めて、一人車内で男の帰りを待つ。
開けてある窓からは賑やかな歓声が聞こえてくる。
自分も通った大学。
だが……。
部隊へ入隊する為に、数年在籍した所というだけの感情しか湧かなかった。
特殊部隊で働いていれば、不慮の事故で仕事中に死ぬ事もあるだろう。ただ、そんな理由で選んだ進路だったのだ。
コホンコホンと車の後方から咳が聞こえ、シロウは素早く車を降りた。
車まであと三メートルという辺りで、男が壁に手をついて肩で息をしている。
携帯酸素を引き、鼻からカニューレで酸素を入れているが……。
大きな身体は今にも崩れ落ちそうだ。
「ブランドン!」
走り寄って身体を支えて驚いた。
随分痩せた。
ロングコートにストールという出で立ちで目立たなかっただけで。
鍛え抜かれた肉体から、まるで筋肉が削ぎ落とされた様な痩せ方だ。
支えて歩きながら、車の後部座席へ男を乗り込ませる。
鼻からカニューレを外し、酸素マスクに付け替えて、ボンベからの酸素流入量をあげる。
暫くすると、呼吸は落ち着き顔色も良くなってきた。
「すまない」
目を閉じたまま、男は謝罪の言葉を口にした。
「いえ」
シロウは、それだけ発言するのが、やっとだった。
動揺していた。
予想していたよりずっと早く、男の体は弱って来ている。
薄く瞼が開いて、瞳がシロウを捕らえた。
「ありがとう、ここまで連れてきてくれて」
「……ハロルドとは?」
「会えたよ。隊服が良く似合ってた。あと、長髪が認められなくて短くなっていたよ。
お前の入隊時は問題にならなかったのにねぇ」
骨ばった手が、そっと、シロウの髪を撫でる。
「お前まで、切る羽目になって」
士官昇格の辞令と共に、長髪を切るようにと指示された。
それでも短髪にはせずに、髪は肩より少し長い程度だ。
おそらく、ハロルドを引き込めなかった他の部隊の士官が、大佐に物申したのだろう。まぁ、くだらない嫌がらせだ。
「真っ直ぐ病院へ戻りますか?それともどこか?」
「……あぁ、お前を連れて行きたい所があるんだ。頼まれてくれるか?」
「わかりました」
男の状態は良くはない。
今日とて、外出の許可が出ている訳ではない。男と日時を示し合わせて、コッソリ抜け出して来たのだ。少しでも早く病院に戻った方が良いのは、わかっているが。
男が望む事を叶えたい。
その一心で、言われるままに車を走らせる。
市内を抜けて、広々とした田園地帯に出た。
「あそこの建物の駐車場に」
言われて入ったのは、アンティークな石造りのこぢんまりとした建物だ。
入り口には薔薇のツタが這い、天井にはドライフラワーが飾られている。
そして大きなバケツや、ガラスのショーケースの中には、様々な切り花がディスプレイされている。
花屋?
「いま、忙しいかね?」
入り口付近のカウンターから、男が声を掛けると、大量に飾られている花の合間から、エプロンを付けた初老のスタッフが、素早くやって来た。
「失礼致しました、グロス様。いつものリースでよろしいですか?」
頷く男に、眼鏡の奥の瞳が優しく微笑んだ。
少しお待ちを、と告げて手早く花を選定していく。
「奥はカフェになっているんだ」
男が指差してシロウに教える。花々の隙間から見ると、数人の客がコーヒーや、ケーキを口にしながら、ゆったりと過ごしているのが見えた。
花の匂いとスイーツの甘い香りが混じった、なんとも言えない幸福な空間だ。
携帯酸素を引く男の代わりに出来上がったリースを持って、広い敷地をゆっくりと歩く。
そして、歩いていて気がついた。
ここは墓地だ。
ぽつぽつと地面に埋め込まれた石版に、名前が彫られている。
ザワザワと胸が騒ぐのを抑えながら、男の後に続いた。
しばらく歩いて、男は一つの石版の前に、しゃがんだ。
「リースを」
男は、黄色と白の可憐な小花で作られたリースを受け取りながら「ここは、妻が眠っているんだ」と告げた。
冷たい石の表面に、そっとリースが置かれる。
「お前に、知っておいて欲しくて」
「わたしに……?」
「私も死んだらここに入るんだ。お前も忙しいだろうが、私が死んだら、たまには訪ねてきておくれよ」
静かに語る男の後ろで、シロウは絶句していた。
『その時』が、それ程に間近だと言うのか⁈
「シロウ?」
振り返った男に、シロウは首を振った。
「無理です」
「シロウ」
「無理だ!」
「そんな顔しないでおくれ、今すぐと言っている訳じゃないんだよ」
立ち上がった男に、そっと、抱きしめられながら、頭の隅で『このやり取りを以前にもした事が有る』と思い出した。
それは、あぁ、まだ入院中に男の入浴を手伝った時だ。
退職の予定を口にした男が、自分に言ったのだ。
『そんな顔をしないておくれ』と。
今ならわかる。
あの時、自分がどんな顔をしていたのか。
寂しい。
この男が居なくなるなんて。寂しくて。寂しくて、気が狂いそうだ。
「シロウ、先の事は誰にもわからない。私はこの状態のまま、何年も生きられるかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「ブランドン…ブランドン」
必死に男の身体を抱きしめ返しながら、涙が溢れそうになるのを、堪えた。
この男の胸に抱かれる事が永遠に無くなるなんて考えたくはない。
しかし、男の死に対する覚悟は既に決まっているのだ。その事を無慈悲に突き付けられた瞬間だった。
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