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愛おしい過去 ⑱ 復帰
しおりを挟む『自分に意見出来る者はいない』
シロウに宣言した言葉通りに、男はやってのけた。
まず退院したその日に、シロウを連れて第二部隊の各班長の持ち場に出向き、『シロウ・フジタは、本日から自分が付いて指導する。他の隊員とは別行動を取る』旨を伝え歩いた。
穏やかだが、有無を言わせない圧のある口調に、反対意見を述べる者はいなかった。
また、シロウには自分の後ろを歩く様に伝え、『どの班長がどんな反応をするのか、良く見ておきなさい、自分からは一言も発せず、眉ひとつ動かさない様に』と、指示を出した。
将来的に側に置きたい隊員を見極めろ、という事らしい。
入隊したばかりのシロウには、自分が年上の部下を持つなんて事は、想像も出来ないが、そこには男の本気度が垣間見えた。
ひとしきり挨拶回りを済ますと、今度はヘリで第一部隊の基地へ飛び、同じように第一部隊の班長達に声を掛けて歩いた。
二人は、部隊から支給されている冬用のコートを着ていたが、室温管理されていた病棟内と違い、外界の寒さは男の身体にはさぞかしこたえるだろう、とシロウは心中穏やかではなかった。
だが、誰と話す時でも、男は姿勢を正したまま咳一つすることも無かった。
そして、予定していた隊員達への顔見せを終えた二人は、官舎内にある士官室に入った。
お互いが初めて出会った場所だ。
応接室を兼ねる士官室の重厚なデスク。
体格に見合った大きなチェアに男は腰掛ける。
「三十七台あるんだ」
「?」
首を傾げたシロウに、男は説明する。
「この施設内にある監視カメラの数だよ」
付けていたマスクを外し、全部覚えたかね?と、にっこりしながらシロウに尋ねた。
あぁ。歩きながら、右に二台、廊下の端に一台、とマスクの下で囁いていたのはそれを教える為だったのか。と、シロウは感心した。
(もちろん、意味のある言葉だろうと思ったので全て記憶している)
肺の怪我での退院直後だ、感染予防でマスクをしていると言えば、疑う人間はいないだろう。そして囁き程度の口の動きなら、側から見てもわからないはずだ。
それを利用したのだ。
基本的に、隊員達に監視カメラの位置などは知らされないのだから。
「私が現役の間は大丈夫だろうが、万が一、面倒な相手とやり合う時は、死角に入りなさい」と、男は珍しく物騒な事を口にした。
「まぁ、最初は周りの兵士達もざわつくだろうが、しばらくの辛抱だよ」
「気にしませんよ、下賤の事なんか」
ふはは、と男は楽しげに笑った。
「そう言ってくれると思ったよ」
「ただ、周りを黙らせるには、お前が誰よりも有能で、身体能力的にも優れていると証明しておいた方が良い」
「つまり?」
「お前は、三カ国語が話せたね? じゃあ、あと二カ国語マスターしよう。それと、体術の強化だね。この部隊で一番強い人間になろう」
士官室のデスクで微笑む男に、シロウは慄いた。
「実技については私が教えるから、心配ないよ。若いお前なら、すぐにコツを掴んで上達する。私が身につけてきた物を、全てお前に引き継がせる」
真剣な眼差しで、正面から見つめられ、シロウは無言でうなづいた。
「シロウ」
男はデスクを挟んで対面に立っていたシロウを手招きした。
「この部屋には監視カメラはないんだ」
その言葉の意味を理解した瞬間、自然と男の身体に手が伸びた。
男も椅子に座ったまま、膝の間にシロウを抱き寄せた。
シロウの腰に腕をまわして顔を埋めると、ふー、と重い息をつく。
「苦しいですか?」
さすがに退院直後に動きすぎたのだろうと、シロウは感じたが、男は笑顔で顔を上げて見せた。
「いや、大丈夫だ。お前こそ、連れ回されて疲れただろう。少し横になりなさい」
「自室に戻れと?」
隊員には、それぞれ個室が与えられている。
「そうじゃない」
立ち上がった男は、シロウの手を引いて士官室の奥のドアを開けた。
そう広くない部屋の壁際には…。
「ベッド?」
「そう。緊急時には士官室に缶詰になる事もあるからね。ここにもベッドがあるんだ。ちなみに隣のドアを開けるとバスルームがある。バスダフ付きだよ」
シロウの着ているコートに手を伸ばした男は、手早くボタンを外す。
「私は、溜まっている書類を片付けるから、お前は少し休みなさい」
脱がせたコートを自分の腕に掛けて、軽くシロウの頬をなでた。
「ブランドン」
シロウは男に向かって背伸びする。
「監視カメラはないのでしょう?」
そっと髭に指を這わせた。
目尻を下げた男が、シロウの後頭部を大きな手で引き寄せる。
重なる唇は、温かく優しく……。
上位の隊員に次々と引き合わされて、多少なりとも緊張していたシロウの心を解すには充分だった。
そして、復帰したら男とのそういう行為は無くなるのではないか、と言う心配は、この瞬間に杞憂に終わったのだった。
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