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愛おしい過去 ⑭ 人殺し
しおりを挟む「シロウ。大事な事だ、ちゃんと話し合おう。私はもう、お前をただの部下だとは思っていないんだよ?」
シロウは動く事が出来なかった。
完璧に演じきれたと思ったのに。
自分が泣いているという事に驚愕していた。
男の暖かい手のひらが頬を拭ってくれる。
そうされるまで、涙が流れている事にさえ気づいていなかったのだ。
そんなモノは、とうの昔に枯れ果てたと思っていた。
母を殺した『あの日』にー
「どうして今になって私を突き放そうとしたんだね?」
シロウの口が、何か言いたげに動いたが、言葉にならずに首を振った。
「わかった。なら、話し合いの前にシャワーを浴びようか」
努めて明るく男は言った。
「そのままでも、なかなかにエロティックだがね」
二人分の体液を浴びたシロウの身体は、白濁にまみれてベタベタになっている。
男は先にベッドから下りて、躊躇なく自分が身につけていた物を脱いで全裸になった。
「ほら、おいで」
広げられた両腕に促されるままに、まるで甘える子供のように手を伸ばした。
「しっかり掴まってなさい。リハビリを頑張っているから、腕力は落ちていないつもりだがね」
ふふ、と笑って、男はシロウを抱え上げた。
元々、一人用のシャワースペースだ。
男二人で使うには狭いに決まっている。だが、その狭さがシロウには丁度よかった。
男と身体が触れるのを、狭さのせいに出来るから。
フワフワと泡立てたボディーソープで、シロウの胸や腹を洗いながら、男は静かに語り出した。
「私は、お前と初めて会った時の事を、今でも鮮烈に覚えているよ」
「……貴方は、私の火傷の跡に驚いて…」
ぽそり、とシロウが返す。
「いいや、違う。
私が驚いたのは、こんなに美しい男が存在するのだという事実にだよ」
耳から伝わる低音が心地良い。
水滴の滴る壁に声が反響して、より甘く穏やかに聞こえる。
「行動を起こしてくれたのはお前が先。
だが、そのずうっと前から私はお前に恋していたんだ」
「こうどう?」
「私にキスしてくれただろう?
お前にそうされるまで、私は自分が恋をしている事にも気付け無かった。
今、こうしてお前と一緒にいられるのも、お前の涙を拭えるのも、全部勇気を出してくれたお前のおかげだ」
男がかけてくれるシャワーのお湯が、全身を温めてくれる。
「自分の心を晒すというのは、覚悟が必要だ。そうだろう?お前の身体は…あの時震えていた」
そうだ。突き放される可能性の方が高かった。『何をする!』と、殴り倒されたっておかしくはなかった。男の唇に触れるのは、怖かった。
「貴方は……もう充分優しさをくれました」
「充分?だから離れる?そんな必要はないだろう?」
「……私みたいな人間が、愛されるなんて、あり得ないんですよ」
「私みたいな、とは?」
シロウの視線が泳ぐ。
この男に。
全て明かしてみたい。
真実を告げてなお、この男が変わらなければ。
「ブランドン」
「ん?」
屈んで、濡れた髪を耳に掛けてくれる男に、視線を合わせた。
「貴方が好きです」
「うん。私もだよ」
「貴方に、話しておくべき事があります」
告げてなお、この男が変わらなければ。
その時は。
自分の生涯を賭けて、この男に尽くそう。
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