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愛おしい過去 ⑪ 自覚
しおりを挟むゆっくりと顔を離してから、シロウは、
驚いた顔で自分を見ている男に話しかけた。
「怒らないんですね」
「おまえ、怒るなと言ったじゃないか」
困った様に眉をしかめて、男は答えた。
「確かに言いましたが、嫌なら怒るのでは?ちなみに私は、あなたに息子扱いされるのは嫌です」
「な、に?」
「一般的に言って、親子はキスはしませんね?」
「えぇと、つまり?おまえは、私に息子扱いされたくなくてキスしたっていうのかい?」
「まぁ、そうですね。あと、ただの上司と部下でもキスしませんね?」
「だがシロウ、おまえは」
なにやら反論されそうな気配を感じて、シロウはもう一度、その厚い唇に口付けた。
男は…拒むでもなく怒るでもなく、ただただ驚きのままに、シロウの行為を受け入れた。
そして。
太い腕がシロウの身体を捉え、一瞬で体勢が逆転する。
ベッドに仰向けにされたシロウは、自分に覆い被さる男の大きな身体に圧倒されていた。
これ程までに体格差があったのだと、改めて感じてしまう程に雄々しく逞ましい身体だ。
内心の動揺を隠して、男の出方を待つ。
男は、真剣な面持ちで、言葉を選びながら慎重に尋ねた。
「お前も『嫌なら怒る』、そうだろう?」
「そうですね。今の状況は嫌ではないですよ」
「では、ええと、その、好きなのかね?つまり、わたしを?」
それを聞いたシロウは、無表情に大きな体の下から這いずりだすと、簡易ベッドに潜って布団を頭から被った。
言葉にされた途端に、急に恥ずかしくなったのだ。
体中が熱くて、どうにかなってしまいそうだ。
他人に『好きだ』と意思表示する事が、これ程恥ずかしいものだとは知らなかった。
なにせシロウ・フジタは、両親を亡くしてから、人間嫌いを拗すぎて、他人に好意を持つという事がなかったのだ。相手が異性でも同性でも、だ。
シロウは自分がしてしまった事に激しく動揺していたし、自分は今とんでもなくみっともない顔をしているに違いないと思った。
「これ、シロウ」
「なんですか」
「逃げるんじゃない、私だけが恥ずかしいだろうっ」
「逃げてません」
「じゃあ、そこから出てきなさい」
「……今は無理です」
布団の中から、くぐもった声が応える。
「なら、せめて髪は乾かしなさい。風邪を引くよ」
「そんなヤワじゃありません」
「……髪が痛むよ?」
「……それは……そうですね」
ムクッと起き上がったと思ったら、余程顔を見られたくないのか、頭から布団を被ったまま足早にシャワールームに向かって駆けていく。
男はその後ろ姿を見つめて、なんとまぁ、可愛い事だと思う。
それから、髭に囲まれた自分の口元を手で触ってみた。
重なったシロウの唇の感触を思い出す。
首に回された腕が震えていた事も。
思い出す程に自分の顔が燃えるように熱くなり、そして、自分の股間が軽く勃起していることに驚いた。
『まいったな』
ばさりと、ベッドに仰向けになった男は、ガーガーと響くドライヤーの音に紛れ込ませて『この歳で、なんて事だ…』と呟いたのだった。
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