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愛おしい過去 ⑩ 初めてのキス

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「……老眼ですか?」

「ふはっ!お前、真っ赤な顔でそんな事言ったって、全然皮肉に聞こえないよ!あっはっは!」

 朗らかに笑う男とは反対に、シロウの心臓ははち切れんばかりに高鳴っていた。

 なにせ、この二十数年の人生の中で、『美しい』などと称されたのは、今が初めてだったのだから。

「ふーっ」 

 ひとしきり笑い終えた男は、シロウの肩に顔を寄せた。

「すまない、ちょっと苦しくなってしまった」

 そう言えば、大きな声を出すのは主治医に禁じられていたのだ。

 こん、こん、と出る咳が、この男を傷つけてしまった自分に課せられた十字架の様に感じられた。


 シロウは戸惑いながらも、呼吸が落ち着くまでその背中をさすった。丁度抱きしめる体勢になる為、自分の心臓の音が聞こえてしまわないかと緊張しながら。

「やっぱりお前は優しい男だ」

 肩に接する額は暖かい。

「甘い香りがするなぁ」

「……まぁ、アップルパイですから」
 
「お腹が空くから隠してしまおう」

 身体を起こした男は、ふっと微笑んだ。

 そして、シロウのシャツのボタンを上から一つ一つ留めていく。



「そう言えば、お前に私の家族の話をした事はなかったかな。
 私はお前の身の上を知っているのに、フェアじゃないね」

 男はいつもと変わらない穏やかさで話し出した。

「結婚はしたんだ。でも、妻は息子が三歳の頃に他界した。癌だった。
 息子には、そりゃあもう嫌われてね」

「なぜですか?」

「どうして良い医者をお母様につけなかったのか。どうしてお母様を残して仕事に行ったのか。お母様を殺したのはお父様だ、とね。あの子も感情の吐き出し方がわからなかったのかもしれない」

 男は、寂しげに笑った。

「まぁ、その後も色々あって今は絶縁状態なんだ」

 はい、出来た。
 と、ボタンを留め終えたシャツの上から、シロウの薄い胸をぽん。と叩いた。

「息子は、ちょうどお前と同じ歳なんだよ」

 そうか、とシロウは合点がいった。
 この男は、息子と過ごしているつもりなのだ。同じ歳、同じ髪の色に瞳の色。

 実の息子に嫌われた寂しさを、自分と居ることで埋めようとしているのだ。

 下っ端の隊員に休暇を取らせてまで傍に置きたがる理由は、それだったのだ。


 これ程、肌が触れる様な事しても男の股間が僅かもエレクトしないのが、その証拠。

 私達が擬似親子だから、なのだ。
 
      



 男の希望は解った。けれど。

「私は嫌です」

「ん?」

「すいません。先に謝罪しておきます」

「シロウ?」

「怒らないで」

 言いながら男の太い首に腕を回して、そおっと厚みのある唇を喰んだ。


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