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君がしあわせなら
しおりを挟むラシュウルの、伸び放題だった髪は顎のラインでカットされている。厚めの前髪は瞼にかかる長さだが、髪色が明るいせいか重い印象は受けない。
学園の制服だろうか。
白いシャツに、黒のスラックス。暖かそうなベージュのカーディガンを羽織っている。
それにしても小柄だ。
成長期に栄養のある食事を与えられなかった影響なんだろうか。
後ろに控えているキヨとは、凄まじく身長差がある。
走り寄ったレイに、ラシュウルはキラキラと瞳を輝かせた。
「あの時助けてくれた軍人さん」
ラシュウルの言葉に、レイは跪いて視線を合わせた。
「俺を……覚えてる?」
「はい!」
嬉しそうに微笑むラシュウルを見て、まるで別人のようだと思った。
あの日レイが抱きしめていたラシュウルは、まるで死んだ魚の様な目をして、ぼんやりと宙を見つめていたから。
「急に、会いに来て、ごめん」
痛む喉をおして声を出しているからか、短く言葉を区切って語りかける。
「一度でいいから、君に、会いたくて」
「わたしもです。あの時は、お礼も言えなくて。あの、ありがとうのハグをしても?」
「俺と……?」
レイはぎこちない動きで両手を開いた。
戸惑っているのだろうか。
ラシュウルは小さな手で、レイの体を抱きしめた。
「ここにいる人間は、君を、大切にしてくれる?」
か細い背中を、そおっと抱きしめながら、レイは問う。
「はい」
「そうか……あの、医者のおっさんも?」
「カルロス先生ですか?優しいです。
いつもわたしの体調を気にかけてくれます」
無愛想なわりに、我が弟は嫌われてはない様だ。
「君は、いま、しあわせか?」
「はい」
それだけ確認すると、レイはラシュウルの肩をつかんで、ゆっくり身体を離した。
「会ってくれてありがとう。
もう、二度と君の生活には、踏み込まない」
「え?」
驚いた様に、大きく目を見張るラシュウルの体から、ぱっ、と手を離し立ちあがる。
そのまま背を向けて、俺の方に歩いて来た。
「もういいのか、レイ」
『元々、会いに来ること自体が規則違反だろ。俺はここにいたらダメな人間なんだから。もう充分だ』
そう言うレイの視線が、俺と合わない。
ラシュウルは、まるで縋るようにルームメイトを見上げた。
「お二人は、宿泊は市内のホテルですか?」
ラシュウルの視線を受けて、キヨが口を開く。
「あー、ホテルか?いや、まだ決めてねーんだ」
「あの、にいさま」
「はい、なんでしょう?」
キヨは、優しい眼差しをラシュウルに向ける。
「学園に泊まるのはダメですか?
あの、わたし、今日の夕食を作るお手伝いをするんです。それで、あのっ」
「それは是非、お二人に召し上がっていただきたいですね」
キヨは俺達に向き直った。
「この時間から、宿泊場所を探すのは正直難しいかと思います。
学園長には、わたくしが説明します。今晩は学園にお泊りください。お部屋もわたくしがご用意致します」
「いいのか?助かる。正直言って室内の暖かさに体が馴染んじまってさ。外に出るのはキツイなと思ってたんだ」
「ハロルド!」
「レイ。せっかく誘ってくれてんだ。甘えようぜ」
俺を睨むレイの後ろで、キヨがぺこりと頭を下げた。
ラシュウルは、もっとレイといたい。
俺はレイの潔さが本心じゃないと気づいてる。
お互いのルームメイトの望みを叶えるには、ここに泊まるのが一番だ。
「レイさま」
ラシュウルが小走りで近づいて、レイの手をとる。
「厨房に行きましょう。あの、お料理する所、見て欲しいです」
見上げるラシュウルを愛おしそうに見つめ返して、レイは素直に歩き出した。
二人を見送って、キヨが俺に視線を寄越す。
「ハロルド様は?」
「俺はここでゆっくりしてる」
せっかくだから、二人きりの時間を作ってやりたい。
「キヨ」
「はい?」
「ありがとな。レイに時間をくれて」
キヨは、今まで保っていた大人びた表情を崩して、ちょっとはにかんだ笑顔を見せた。
「ハロルド!」
バターン!と、応接室のドアを開け放って、レイが駆け込んできた。
走って来た勢いそのままに、ソファに座る俺に抱きつく。
『ラシュウルといっぱい話してきたぞ!』
ドサッと、ソファに押し倒された俺は、読んでいた雑誌を手探りでテーブルに置いた。
レイは、この学園でラシュウルがどれだけ大切に扱われているかを俺に力説した。
衣食はもちろん充分に与えられ、読み書きや、マナー、買い物の仕方まで、それはそれはこと細かに教えられているのだと言う。
『俺の目指して来た道は間違って無かった!』
興奮気味にそこまで言って、レイは急に目を伏せた。
『……俺、嫌な奴だ』
「あ?」
『自分の自己満足の為にラシュウルに会いに来た。あの子を利用した』
俺は、レイの腰の上で組んでいた手をほどいて、色白の頬を包んだ。
「俺だって、お前によく思われたくてミクニに無理言って面会の許可を取った。誰だって自分の自己満足の為に生きてる」
蒼い瞳が真っ直ぐに俺を見つめた。
『ハロルド、感謝してる。ありがとう』
なんだよ、照れるだろ。
「いーえ、どういたしまして」
照れ隠しの軽い口調が気に入らなかったみたいだ。レイはちょっと口を尖らせた。
『……ちゃんと分かってるのか?本当に凄く感謝してるんだ。こんな遠くまで連れて来てくれて。どうしたら伝わる?』
息がかかる距離で、レイの唇が動いてる。密着してる胸がトクトクと鼓動を伝えてくる。
ん、やばい。
一緒に居るのにセックスしないという、俺達にとっては稀な状況を過ごしているからか、少しの刺激で下半身が反応しそうになる。
体は正直だ。なんてな。
右手の親指で柔らかなレイの唇をなぞる。
この男は、邪な俺の欲求を受け入れてくれるだろうか……。
「……それでいいのか?」
「これが良い」
「ふぅん」
鼻が当たらないように、レイは少し顔を傾けた。
「うひゃあっ!」
レイが開けっぱなしにしたドアの隙間で、両手で顔を覆ったミクニが、わかりやすく狼狽えている。
「み、見てない見てないっ」
はあ、タイミングの悪い奴め……。
寸止め、残念。
レイは俺の上に乗っかったままで、チラッとミクニを振り向いた。
「おい、おっさん、そのまま目ぇ瞑ってろ!」
そう言って、レイは素早く俺と唇を重ねた。
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