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抱擁
しおりを挟む「あぁ?」
座ろうとしていたレイが、カルロスに向き直った。
やばい。
元々喧嘩っ早いレイの導火線に火が付きそうだ。
「ストップ!止めろ、レイ」
俺はレイの手を引いて、隣に座るよう促した。キリキリと眉を吊り上げていたレイは、ドサッとソファに腰を下ろすと、腕組みをして、ぷい、と横を向いた。
「カルロス。レイの咳は感染る様なモンじゃねぇ。ここに来る直前の仕事で、怪我してるんだ。
部隊の医者にも診せた。そもそも感染する様な状態だったら、俺達の外泊は許可が下りない」
しばらくの間、応接室は沈黙に包まれた。
カルロスの態度から、歓迎されて無いのはわかっていたが……。
カタカタと、風が窓を震わす音だけが響く中、耐えられずに口を開いたのはミクニだった。
「あ、あのさカルロス。ハロルドもこう言ってるし、レイ君がここに居るのは問題無いと思うんだけど」
ミクニがおずおずとカルロスの様子を伺う。
カルロスの黒い瞳が僅かに動いて、頼りないミクニの姿を一瞥した。
「……お前がそう判断するなら、それでいい。この学園の責任者はお前だ」
抑揚を抑えた声でそう言うと、テーブルにティーセットを置いて、カルロスは部屋から出て行ってしまった。
俺は疲労感を覚えて、ソファに深く座り直す。
「もー、君たちって何で仲悪いのさ?胃が痛いよ」
服の上から胃の辺りをさすりながら、ミクニが訴える。
「知らね。そもそも、好きとか嫌いとか感じる程、一緒にいなかった」
ーそう。
子供の頃は同じ屋敷に住んでいたはずなのに、カルロスと一緒に何かをした記憶が無い。
一体、いつからこうなった……。
ミクニはトレーから、焼き菓子の載ったら小皿や、ティーカップを取り分けながら「お砂糖は?」と、レイに尋ねる。
レイは無言で首を振った。
「あのさ、レイ君ごめんね。でもカルロスも立場上、言わなきゃいけない部分もあって」
『立場ってなんだ』
レイは口を動かして、俺に尋ねる。
「あー、医者なんだアイツ」
『余計に気に食わない』
「カルロスはね、ここに居る子供達みんなの健康管理に責任があるんだ。
詳しく言えないけど、簡単に他の医療機関に移せない子もいるし……。
どうしても過敏になっちゃうんだよ。
……あとは、まあ僕も身体が弱いし、こんなだからさ。余計にカルロスが心配しちゃう部分もあるんだよね」
回し入れた紅茶のポットを置いて、ミクニが自分の太腿をなでる。
『世話してもらってるから、頭が上がらないって事か?』
「いや、それはねーだろ。俺らの一族は元々、フジオカ家の屋敷で働いてた使用人から派生してるんだ。権力的には次期当主であるミクニの方がずっと上だ。だよな?」
「うん、まあ。それで無理言って学園で働いて貰ってる…はは」
ミクニは、自嘲気味に笑うとクッキーを一枚頬張った。胃が痛いんじゃねーのかよ。
俺もカップに口を付ける。
ふんわりと甘い香りが鼻に抜けた。
レイは隣でふうふうと、紅茶に息を吹きかけている。猫舌なんじゃなく、冷まして飲まないと喉が痛むのだ。
「悪いな、レイ。先にカルロスに伝えておけば良かった。帰れなんて言われると思わなかった」
弟がとった態度を思い出すと、ヒンヤリと冷たいものが胸に広がった。
『別にアンタが謝ることないだろ。俺はラシュウルに一目会えればそれで良いんだ。元々規則違反だから、長居する気もなかったし』
レイはそこまで言って口をつぐんだ。
『ハロルド』
「なんだ?」
『ハグするか?』
「は⁈」
あぶね!紅茶こぼすとこだった。
「急にどうー」
『アンタの顔ちょっと悲しそうだ。
弟に邪険にされて寂しいんだろ。違ったか?』
「……」
寂しい?
そうか……。
この胸が冷える様な感覚は、寂しいと言って良いのかも知れない。
あの女や、形だけの父親はともかく。
歳の近い弟とは、せめて気楽に話が出来る関係でありたかった。
それは、確かだ。
レイは、俺自身が自分でも気づいていなかった心情を見抜いた。
それは新鮮な驚きだった。
「ミクニ、後ろ向いて十秒数えろ」
「ふえっ?なに?」
パウンドケーキを口に運ぼうてしていたフォークが宙で止まった。
「いいから、回れ右!十秒!
やらないと、お前の学生時代の悪行をカルロスにバラすぞ?」
「ひえっ」
ミクニは、ぱくん、とパウンドケーキを頬張ると、もぐもぐしながら車イスを回転させた。
「むぐ、ごくん。いーち」
レイはテーブルにカップを置いて、両手を広げた。
その背中に手を伸ばして、ぎゅっと抱きしめる。
同じ力加減で、レイも俺を抱きしめた。
レイの優しさが、伝わる体温と一緒に俺の身体に流れてきた。確かにそう感じた。
俺は、この男が自分を気遣ってくれた事が、素直に嬉しかった。
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