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婚約の裏側
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*
ルーンが私と結婚させて欲しいと願い出ると、私を溺愛する父は情け容赦もなく彼の想いを一刀両断しました。
「私が認めた男でなければ、どんな理由があろうと娘と結婚はさせない」
それでも言い募るルーンに父は言います。
「何をしても注目される君のような男と結婚すれば娘はいらぬ苦労をする。だから君はダメだ」
当時彼はまだ10歳でした。
父の言う『苦労』の意味などわかるはずもない年齢で、「伯爵もそれがわかっていたから尚更強く反対したのだろうね」と彼は振り返ります。
ルーンは子どもの戯言だと受け取られるのが嫌で、幼いながらも父に反対された理由を理解しようと努めました。
公爵家の権力に頼らず自分の力で父を納得させようと、結婚の障害に成り得る問題をあれこれ調べて現状の課題と対策を彼なりに纏め、苦労をさせない根拠を提示しながら説得に当たったそうです。
父の元を訪れては何度も何度も頭を下げ、歎願の手紙も数え切れないほど送ったといいます。
私の母は何度断られてもめげないルーンに心を動かされたと言って、いつからか彼に協力するようになり、母の口添えで頑固な父も少しずつ彼の話に耳を傾けるようになっていきました。
諦めずに説得を続け、婚約が決まったのはそれから4年後のことでした。
「娘も君を多少は気に入っているようだから、とりあえず婚約だけは認めよう」
その言葉を聞いたとき、ルーンは小躍りして喜んだそうです。
けれどもその後に続けられた言葉に衝撃を受けます。
「だが婚約を交わしたからといって必ずしも結婚ができるとは思わないことだ。娘の気持ちも大切にしなければならないからな。娘が嫌だと言えば私はその意志を尊重し、いつでも婚約を解消するつもりでいる」
「それは…仰るとおりですね。彼女に好きになってもらえるようにこれから最大限努力をします」
「では早速その努力とやらが口先だけではないことを証明してもらおうか」
「どのようなことをすれば証明ができるのですか?」
「今日から娘には指一本触れないと私に約束してくれ。ここに誓約書がある。これにサインするんだ」
「……期限が書かれていませんが、いつまでですか?」
「目敏いな、君は。そうだな…娘が18歳の誕生日を迎えるまでにしておこう。それまではどんな理由があろうと娘の体に触れてはならない」
「…わかりました。先に期間を記載していただけますか。諸々の条件を伺った後にサインします」
まだ14歳の子どもに誓約書まで書かせるなんて普通ではないように思えますが、これは冗談のような本当の話なのだそうです。
どうしても私とルーンを結婚させたくなかった父は、彼に前代未聞の接触禁止令を出しました。
「まず君が今まで娘にしていた、ぎゅーぎゅ(手を握る)、よしよし(頭を撫でる)、だっこ(抱き上げる)等の行為は一切禁止だ。口元についたクリームをふきふきする(拭う)のも、髪に花びらがついていても取ることは許さない。躓いて転んだ時に助け起こしてもいけない。それらは今後すべて侍女がやる」
「彼女の身に危険が迫った場合には手を触れることをお許しいただけますか?例えば目の前で階段を踏み外しそうになった時などは…」
「ならば君の前で階段の上り下りをさせないようにしよう。娘と会う場所は1階のサロンに限定する。君の家でもそうしてくれ」
「…彼女から手を握ってくれることもあるのですが、その場合は?」
「それは自慢か?残念だが娘は私とだって手を握りたがるよ。君が特別なわけじゃない。娘は何をしても自由だが、問題はそこから先の君の行動だな」
「それは…彼女から手を握られても握り返してはいけないということですか?抱きつかれても抱きしめ返してはいけないと?」
「そういうことだ。君にその意図があったかなかったかは関係ない。実際に起きた事実だけで判断する。うっかり指先が触れて、娘が君との恋に目覚めるなんてことには絶対にさせない」
「……」
「ああそれと、甘い言葉で娘を懐柔することも禁止だ。好きだ、愛してる、可愛い、ずっと一緒にいよう…この類の言葉は言っても書いてもいけない」
「…それは男女の間に限らず、家族間でも普通に伝え合う言葉では?」
「不満か?君はさっき娘に好きになってもらえるように最大限努力をすると言ったな。ならばこの程度の障害なら乗り越えられるはずだ。そうは思わないか?」
「……」
父が出した条件は、少なからず私に恋愛感情を抱いている彼にとっては非常に厳しいと感じるものでした。
けれど最後までこの条件を守りきれたなら誠意を認めて結婚を許すと父は言い、何が何でも私と結婚がしたい彼は了承しました。
「…わかりました。その代わり約束を果たすまでは彼女を社交界へデビューさせないでください。彼女に触れられない僕はエスコートをすることも、ダンスを踊ることもできませんから」
「いいだろう。君にはダメだと言って他の男に触らせるのは不公平だからな」
その日から、父とルーンの目に見えない攻防戦が始まりました。
父の監視は徹底されていました。
彼が私と会う時は何名もの使用人を配置し、こんにちはからご機嫌ようまで彼が違反行動をしないか様々な角度から見張っていたそうです。
未婚のうちに扉のある部屋で男性とふたりきりになってはいけないと両親から厳しく教えられてきましたから、私は何の疑問も抱かずにいたのですが…その時から彼は秘かに戦っていました。
父からこうした命令を受けていると私に悟られてはいけないとも言われていたそうで、彼は不自然にならない程度の一定の距離を保っていたといいます。
「娘とデートがしたい?何を言い出すんだ君は。頼めば許してもらえるとでも思ったのか?監視の目を逃れて娘に触れようという魂胆なのだろうが、そうはさせない」
「そんな意図はありません。ご不安なら僕は車椅子を使いましょう。必要ならば実際に手足に怪我をして自由に動かせないようにしますよ。それならどうですか?」
「必死すぎて逆に怪しいな。さては娘の同情を引いて看病をさせる気だな?娘が触るのは容認しているが、誘導していいとは言っていない」
「誘導しようとも思っていません。リタが…彼女が僕と領地を見て回りたいと言うので、叶えてあげたいだけです」
「そういうことなら私が連れて行こう。別に君とでなければいけない理由もない」
「…わかりました。では伯爵から彼女にその旨をご説明いただけますか。一緒に外出できない理由は僕が考えます。矛盾が生じないよう、伯爵家の皆さんで口裏を合わせてください。外出先では絶対に他の男に触れさせたり、会話をさせるような事態は避けてください」
その後も彼は私に何か要求される度に条件を緩和してもらえないか父に相談しましたが、叶えられることはありませんでした。
そんな嫌がらせのような命令を愚直に守りながらも、彼は父に対抗するように結婚の許しを得た後の準備を着々と進めていきます。
何度か両家で話し合う場を設け、結婚に際しての取り決めを交わします。
公爵夫妻は爬虫類の魅力に取り憑かれてしまった長男のお嫁さん探しに頭を悩ませていたこともあり、次男の結婚には大きな期待を寄せていました。
そのお相手が親しい友人の娘で、どのような人柄なのかも良く知っていて、何より屋敷の廊下で脱走した蛇に出くわしても逃げ帰らないとなれば積極的にもなります。
流石の父もカスティーリ公爵の前では強く出られず、渋々ながらも私が18歳の誕生日を迎えた翌日に故郷を離れ、1年後に入籍・結婚式を挙げるという流れに了承しました。
そう聞くと順調に事が運んでいるように思えるのですが、それはあくまで彼が約束を守りきれたらの話で、父との戦いが終わったわけではありませんでした。
時が経つにつれ、ついに彼が前々から危惧していた事態が起こります。
彼が大人の男性になっていくと、そのぶん当然私の心や体も成長していきます。
まだ幼い子どもだと思っていた少女が会う度に色気づいていくのを目の当たりにした彼は、このままでは誓約を守り切れそうにないと危機感を抱くようになりました。
父の妨害も虚しくルーンに恋をしてしまった私は、図らずも父の手先と化してしまい、彼にあらゆる揺さぶりをかけます。
廊下を歩いている時に手を繋ぎたい素振りをしたり(実際に何度か私から手に触れました)、別れ際に彼の服の裾を掴んで上目遣いで見上げたり(本に影響されて額にキスを強請った気がします)、好意が伝わるような笑顔を振りまいては彼を無邪気に誘惑します。
会いに行く頻度を減らしてやり過ごすことも考えましたが、一度試してみると私の無自覚な色仕掛けが増長し、回避する難易度が高まったただけでした。
更に、私が彼に恋慕していることに気が付いた父がまたも無理難題を言い付けます。
「――目を合わせてはいけない?」
「そうだ。『目は口ほどにものを言う』と言うからな。君がそういう目で見れば、娘も当然そういう目で見る。娘に「好き」と言われたからと言って勘違いはするな。あれは一時の気の迷いだ」
「……もう黙ってはいられません!あなた、いい加減になさってはどうです?!まったく往生際の悪い!」
「マリーナ…?何を怒っているんだ?往生際が悪いとは心外だな。私はただ事実を言って…」
「何が事実ですか!先日リターシャが言っていたことを忘れたのですか?!『ルーンの奥さんとして恥ずかしくないように勉強を頑張る』と言っていたのですよ!それが気の迷いなわけがないでしょう!これまでも散々ふたりの邪魔をして…これ以上ルーインを虐めたらリターシャに言い付けますよ?!」
「わ、わかった…わかったから、リタに言うのはやめてくれ…」
「……」
母のおかげでその条件は撤回されたそうですが、思わぬところで私の気持ちを知った彼は、この誓約を絶対に守りきろうと決意を新たにしました。
既に理性の限界を感じていた彼は、自身が就職し、私がフィニッシングスクールに入学したことをきっかけに苦渋の決断を下します。
誓約の期限――私の18歳の誕生日までは手紙だけのやり取りに留めよう、と。
このまま顔を合わせ続けていたら間違いなく違反行為をしてしまう自信が彼にはありました。
すべてはこの婚約を継続し、私と結婚する為。
そう自分に言い聞かせながら、会いたい気持ちを押し止めて一心不乱に仕事に打ち込みました。
結婚した後、妻になった私に寂しい思いをさせることのないように、どんなに忙しくても帰って来られる場所に家を建てました。
仕事の合間を見ては私に手紙を書き、会えない寂しさや直接伝えられない愛情をすべて文字に託しました。
けれど彼の想いがたくさん詰まったその手紙が私の元に届くことはありませんでした。
私はその間彼からの連絡がないことで不安に苛まれ、ヴェロニカ嬢の巧みな嘘によって彼への不信感を植え付けられます。
そうとは知らずに迎えた、3年後の誕生日パーティーの夜。
彼は悪魔の所業とも思える接触禁止令を耐え抜き、誓約を果たしたことで父に誠意を認められ、ようやく結婚の許しを得ます。
父に初めて私との結婚を願い出た日からおよそ14年の歳月が流れていました。
振り返ると長かった彼の努力の結果は、私から婚約破棄を申し出られるという思いもよらないものでした。
その理由は何一つ身に覚えのないものでしたが、弁明をしようにも語る前から拒絶をされて聞き入れてもらえません。
彼は絶望しかけましたが、気持ちを奮い立たせて私にかけられた洗脳を解くという新たな難題に立ち向かいました。
*
「…自制がききそうにないから会わないなんて、子どもみたいな理由で笑ってしまうだろう?だけどそうでもしなければ君と結婚できないと思った。僕はどうしても君を妻に迎えたかったんだ。でもそれは僕の独り善がりでしかなかったと今なら思うよ。手紙が届いていないことに3年間も気付かないでいたなんて、自分でも呆れてしまう。一度でも君に会いに行っていたら、君があんな出鱈目を信じて傷付くこともなかったのかと思うと…後悔しかない。こんな不甲斐ない男は君に相応しくないってわかっているよ…だけどどうしても諦めきれなくて、強引な手を使った。1年間一緒に過ごして、僕の気持ちが変わっていないことを伝え続けたら、きっとわかってもらえるって期待したんだ。全てが明らかになったとしても君がまた僕を好きになるとは限らないのにね…」
私に全てを打ち明けた彼は、自嘲するように弱々しく微笑みました。
いつもは鮮やかに輝いている青の瞳は、今は暗くどんよりとしています。
いつもの余裕綽々な彼はここにはいません。
自分自身に失望し、真実を聞いた私がどう思っているのかを想像して、自信なさげに視線を落としています。
相手の気持ちが見えなくて不安だったのは、ルーンも同じだったのです。
何と言葉をかけて良いのかわからないでいると、彼は私の方を振り向いていつもの穏やかな笑みを浮かべました。
「1年経つ間に誤解が解けて、それでも君が嫌だと言ったら…その時は約束通りに君と婚約を解消しようと決めていた。今でもその気持ちは変わっていないよ。君は優しいから、こんな話を聞いたら断れないと思ったかも知れない。だけどこれまでのことは全部僕の我儘でしかないから、忖度せずに決めて欲しい」
そう言って、彼はベッドから立ち上がりました。
咄嗟に伸ばそうとした手は空を切り、彼に届くことはありませんでした。
「約束の1年まであと半年ある。その間じっくり考えて。もう君が夜中にこっそりいなくならないか見守る必要もなくなったから、今夜から別々に眠ることにしよう。今日は色々あって疲れただろうから、ゆっくりお休み」
「ぁ……」
何もかもが想像していたことと違って、私の頭は混乱していました。
寝室を出て行く彼を引き留めることもできないまま、私はベッドの上でただ座っていることしかできませんでした。
ルーンが私と結婚させて欲しいと願い出ると、私を溺愛する父は情け容赦もなく彼の想いを一刀両断しました。
「私が認めた男でなければ、どんな理由があろうと娘と結婚はさせない」
それでも言い募るルーンに父は言います。
「何をしても注目される君のような男と結婚すれば娘はいらぬ苦労をする。だから君はダメだ」
当時彼はまだ10歳でした。
父の言う『苦労』の意味などわかるはずもない年齢で、「伯爵もそれがわかっていたから尚更強く反対したのだろうね」と彼は振り返ります。
ルーンは子どもの戯言だと受け取られるのが嫌で、幼いながらも父に反対された理由を理解しようと努めました。
公爵家の権力に頼らず自分の力で父を納得させようと、結婚の障害に成り得る問題をあれこれ調べて現状の課題と対策を彼なりに纏め、苦労をさせない根拠を提示しながら説得に当たったそうです。
父の元を訪れては何度も何度も頭を下げ、歎願の手紙も数え切れないほど送ったといいます。
私の母は何度断られてもめげないルーンに心を動かされたと言って、いつからか彼に協力するようになり、母の口添えで頑固な父も少しずつ彼の話に耳を傾けるようになっていきました。
諦めずに説得を続け、婚約が決まったのはそれから4年後のことでした。
「娘も君を多少は気に入っているようだから、とりあえず婚約だけは認めよう」
その言葉を聞いたとき、ルーンは小躍りして喜んだそうです。
けれどもその後に続けられた言葉に衝撃を受けます。
「だが婚約を交わしたからといって必ずしも結婚ができるとは思わないことだ。娘の気持ちも大切にしなければならないからな。娘が嫌だと言えば私はその意志を尊重し、いつでも婚約を解消するつもりでいる」
「それは…仰るとおりですね。彼女に好きになってもらえるようにこれから最大限努力をします」
「では早速その努力とやらが口先だけではないことを証明してもらおうか」
「どのようなことをすれば証明ができるのですか?」
「今日から娘には指一本触れないと私に約束してくれ。ここに誓約書がある。これにサインするんだ」
「……期限が書かれていませんが、いつまでですか?」
「目敏いな、君は。そうだな…娘が18歳の誕生日を迎えるまでにしておこう。それまではどんな理由があろうと娘の体に触れてはならない」
「…わかりました。先に期間を記載していただけますか。諸々の条件を伺った後にサインします」
まだ14歳の子どもに誓約書まで書かせるなんて普通ではないように思えますが、これは冗談のような本当の話なのだそうです。
どうしても私とルーンを結婚させたくなかった父は、彼に前代未聞の接触禁止令を出しました。
「まず君が今まで娘にしていた、ぎゅーぎゅ(手を握る)、よしよし(頭を撫でる)、だっこ(抱き上げる)等の行為は一切禁止だ。口元についたクリームをふきふきする(拭う)のも、髪に花びらがついていても取ることは許さない。躓いて転んだ時に助け起こしてもいけない。それらは今後すべて侍女がやる」
「彼女の身に危険が迫った場合には手を触れることをお許しいただけますか?例えば目の前で階段を踏み外しそうになった時などは…」
「ならば君の前で階段の上り下りをさせないようにしよう。娘と会う場所は1階のサロンに限定する。君の家でもそうしてくれ」
「…彼女から手を握ってくれることもあるのですが、その場合は?」
「それは自慢か?残念だが娘は私とだって手を握りたがるよ。君が特別なわけじゃない。娘は何をしても自由だが、問題はそこから先の君の行動だな」
「それは…彼女から手を握られても握り返してはいけないということですか?抱きつかれても抱きしめ返してはいけないと?」
「そういうことだ。君にその意図があったかなかったかは関係ない。実際に起きた事実だけで判断する。うっかり指先が触れて、娘が君との恋に目覚めるなんてことには絶対にさせない」
「……」
「ああそれと、甘い言葉で娘を懐柔することも禁止だ。好きだ、愛してる、可愛い、ずっと一緒にいよう…この類の言葉は言っても書いてもいけない」
「…それは男女の間に限らず、家族間でも普通に伝え合う言葉では?」
「不満か?君はさっき娘に好きになってもらえるように最大限努力をすると言ったな。ならばこの程度の障害なら乗り越えられるはずだ。そうは思わないか?」
「……」
父が出した条件は、少なからず私に恋愛感情を抱いている彼にとっては非常に厳しいと感じるものでした。
けれど最後までこの条件を守りきれたなら誠意を認めて結婚を許すと父は言い、何が何でも私と結婚がしたい彼は了承しました。
「…わかりました。その代わり約束を果たすまでは彼女を社交界へデビューさせないでください。彼女に触れられない僕はエスコートをすることも、ダンスを踊ることもできませんから」
「いいだろう。君にはダメだと言って他の男に触らせるのは不公平だからな」
その日から、父とルーンの目に見えない攻防戦が始まりました。
父の監視は徹底されていました。
彼が私と会う時は何名もの使用人を配置し、こんにちはからご機嫌ようまで彼が違反行動をしないか様々な角度から見張っていたそうです。
未婚のうちに扉のある部屋で男性とふたりきりになってはいけないと両親から厳しく教えられてきましたから、私は何の疑問も抱かずにいたのですが…その時から彼は秘かに戦っていました。
父からこうした命令を受けていると私に悟られてはいけないとも言われていたそうで、彼は不自然にならない程度の一定の距離を保っていたといいます。
「娘とデートがしたい?何を言い出すんだ君は。頼めば許してもらえるとでも思ったのか?監視の目を逃れて娘に触れようという魂胆なのだろうが、そうはさせない」
「そんな意図はありません。ご不安なら僕は車椅子を使いましょう。必要ならば実際に手足に怪我をして自由に動かせないようにしますよ。それならどうですか?」
「必死すぎて逆に怪しいな。さては娘の同情を引いて看病をさせる気だな?娘が触るのは容認しているが、誘導していいとは言っていない」
「誘導しようとも思っていません。リタが…彼女が僕と領地を見て回りたいと言うので、叶えてあげたいだけです」
「そういうことなら私が連れて行こう。別に君とでなければいけない理由もない」
「…わかりました。では伯爵から彼女にその旨をご説明いただけますか。一緒に外出できない理由は僕が考えます。矛盾が生じないよう、伯爵家の皆さんで口裏を合わせてください。外出先では絶対に他の男に触れさせたり、会話をさせるような事態は避けてください」
その後も彼は私に何か要求される度に条件を緩和してもらえないか父に相談しましたが、叶えられることはありませんでした。
そんな嫌がらせのような命令を愚直に守りながらも、彼は父に対抗するように結婚の許しを得た後の準備を着々と進めていきます。
何度か両家で話し合う場を設け、結婚に際しての取り決めを交わします。
公爵夫妻は爬虫類の魅力に取り憑かれてしまった長男のお嫁さん探しに頭を悩ませていたこともあり、次男の結婚には大きな期待を寄せていました。
そのお相手が親しい友人の娘で、どのような人柄なのかも良く知っていて、何より屋敷の廊下で脱走した蛇に出くわしても逃げ帰らないとなれば積極的にもなります。
流石の父もカスティーリ公爵の前では強く出られず、渋々ながらも私が18歳の誕生日を迎えた翌日に故郷を離れ、1年後に入籍・結婚式を挙げるという流れに了承しました。
そう聞くと順調に事が運んでいるように思えるのですが、それはあくまで彼が約束を守りきれたらの話で、父との戦いが終わったわけではありませんでした。
時が経つにつれ、ついに彼が前々から危惧していた事態が起こります。
彼が大人の男性になっていくと、そのぶん当然私の心や体も成長していきます。
まだ幼い子どもだと思っていた少女が会う度に色気づいていくのを目の当たりにした彼は、このままでは誓約を守り切れそうにないと危機感を抱くようになりました。
父の妨害も虚しくルーンに恋をしてしまった私は、図らずも父の手先と化してしまい、彼にあらゆる揺さぶりをかけます。
廊下を歩いている時に手を繋ぎたい素振りをしたり(実際に何度か私から手に触れました)、別れ際に彼の服の裾を掴んで上目遣いで見上げたり(本に影響されて額にキスを強請った気がします)、好意が伝わるような笑顔を振りまいては彼を無邪気に誘惑します。
会いに行く頻度を減らしてやり過ごすことも考えましたが、一度試してみると私の無自覚な色仕掛けが増長し、回避する難易度が高まったただけでした。
更に、私が彼に恋慕していることに気が付いた父がまたも無理難題を言い付けます。
「――目を合わせてはいけない?」
「そうだ。『目は口ほどにものを言う』と言うからな。君がそういう目で見れば、娘も当然そういう目で見る。娘に「好き」と言われたからと言って勘違いはするな。あれは一時の気の迷いだ」
「……もう黙ってはいられません!あなた、いい加減になさってはどうです?!まったく往生際の悪い!」
「マリーナ…?何を怒っているんだ?往生際が悪いとは心外だな。私はただ事実を言って…」
「何が事実ですか!先日リターシャが言っていたことを忘れたのですか?!『ルーンの奥さんとして恥ずかしくないように勉強を頑張る』と言っていたのですよ!それが気の迷いなわけがないでしょう!これまでも散々ふたりの邪魔をして…これ以上ルーインを虐めたらリターシャに言い付けますよ?!」
「わ、わかった…わかったから、リタに言うのはやめてくれ…」
「……」
母のおかげでその条件は撤回されたそうですが、思わぬところで私の気持ちを知った彼は、この誓約を絶対に守りきろうと決意を新たにしました。
既に理性の限界を感じていた彼は、自身が就職し、私がフィニッシングスクールに入学したことをきっかけに苦渋の決断を下します。
誓約の期限――私の18歳の誕生日までは手紙だけのやり取りに留めよう、と。
このまま顔を合わせ続けていたら間違いなく違反行為をしてしまう自信が彼にはありました。
すべてはこの婚約を継続し、私と結婚する為。
そう自分に言い聞かせながら、会いたい気持ちを押し止めて一心不乱に仕事に打ち込みました。
結婚した後、妻になった私に寂しい思いをさせることのないように、どんなに忙しくても帰って来られる場所に家を建てました。
仕事の合間を見ては私に手紙を書き、会えない寂しさや直接伝えられない愛情をすべて文字に託しました。
けれど彼の想いがたくさん詰まったその手紙が私の元に届くことはありませんでした。
私はその間彼からの連絡がないことで不安に苛まれ、ヴェロニカ嬢の巧みな嘘によって彼への不信感を植え付けられます。
そうとは知らずに迎えた、3年後の誕生日パーティーの夜。
彼は悪魔の所業とも思える接触禁止令を耐え抜き、誓約を果たしたことで父に誠意を認められ、ようやく結婚の許しを得ます。
父に初めて私との結婚を願い出た日からおよそ14年の歳月が流れていました。
振り返ると長かった彼の努力の結果は、私から婚約破棄を申し出られるという思いもよらないものでした。
その理由は何一つ身に覚えのないものでしたが、弁明をしようにも語る前から拒絶をされて聞き入れてもらえません。
彼は絶望しかけましたが、気持ちを奮い立たせて私にかけられた洗脳を解くという新たな難題に立ち向かいました。
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「…自制がききそうにないから会わないなんて、子どもみたいな理由で笑ってしまうだろう?だけどそうでもしなければ君と結婚できないと思った。僕はどうしても君を妻に迎えたかったんだ。でもそれは僕の独り善がりでしかなかったと今なら思うよ。手紙が届いていないことに3年間も気付かないでいたなんて、自分でも呆れてしまう。一度でも君に会いに行っていたら、君があんな出鱈目を信じて傷付くこともなかったのかと思うと…後悔しかない。こんな不甲斐ない男は君に相応しくないってわかっているよ…だけどどうしても諦めきれなくて、強引な手を使った。1年間一緒に過ごして、僕の気持ちが変わっていないことを伝え続けたら、きっとわかってもらえるって期待したんだ。全てが明らかになったとしても君がまた僕を好きになるとは限らないのにね…」
私に全てを打ち明けた彼は、自嘲するように弱々しく微笑みました。
いつもは鮮やかに輝いている青の瞳は、今は暗くどんよりとしています。
いつもの余裕綽々な彼はここにはいません。
自分自身に失望し、真実を聞いた私がどう思っているのかを想像して、自信なさげに視線を落としています。
相手の気持ちが見えなくて不安だったのは、ルーンも同じだったのです。
何と言葉をかけて良いのかわからないでいると、彼は私の方を振り向いていつもの穏やかな笑みを浮かべました。
「1年経つ間に誤解が解けて、それでも君が嫌だと言ったら…その時は約束通りに君と婚約を解消しようと決めていた。今でもその気持ちは変わっていないよ。君は優しいから、こんな話を聞いたら断れないと思ったかも知れない。だけどこれまでのことは全部僕の我儘でしかないから、忖度せずに決めて欲しい」
そう言って、彼はベッドから立ち上がりました。
咄嗟に伸ばそうとした手は空を切り、彼に届くことはありませんでした。
「約束の1年まであと半年ある。その間じっくり考えて。もう君が夜中にこっそりいなくならないか見守る必要もなくなったから、今夜から別々に眠ることにしよう。今日は色々あって疲れただろうから、ゆっくりお休み」
「ぁ……」
何もかもが想像していたことと違って、私の頭は混乱していました。
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