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番外編
ふたりと、その後
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メイリスとゲイルがエタ村に立ち寄った時、ミーアは村に戻ってきていた。
彼女はゲイルと別れた後、寂しさから複数の異性と一夜限りの関係を繰り返し、子どもを身籠った。
そして1年ほど前に彼女と同じブラウンの瞳を持つ男の子を出産した。
髪色は藤に近い紫で、父親の予想はついたが彼の名前も連絡先も知らなかった。
ゲイルとの子どもだったらと期待したが、彼と最後にしてから生理が来ていたし、必ず避妊もしていたので可能性がないことはわかっていた。
息子を抱いて村の中を散歩していると、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
咄嗟にすぐ傍にあった家と家の間に身を隠し、そろりと通りを覗き込む。
見覚えのある男女が防風林に沿って歩きながら何やら言い合いをしている。
「お前さ…やめろよああいうこと言うの。ドキッとするだろ?」
「あなたが勝手に早合点したんでしょ?人の話を最後まで聞かないからよ」
「だけど言い方ってもんがあるだろ。っとにお前は昔から俺を振り回すよな…本気で俺がいらなくなったのかと思った」
「そんなわけないじゃない。あなたって意外と乙女思考よね」
「黙っとけ。なんか冷静になったら腹立ってきた…男心を弄んだ罰だ」
「え…?っ、こら!何するの?!今はだめよ…!待てしなさい、待て!」
「なあメイリス、待てができる獣は犬だけだって知ってるか?生憎おれは犬じゃない」
「ゲイルっ」
男性が抵抗する女性の体を道の脇の木に押し付け、強引に口付けた。
縋るように何度も女性の名前を呼び、力の抜けた彼女をその背中が反るほどぎゅうぎゅうに抱きしめる。
女性の手が宥めるように彼の背中を叩いているが、一向に放す気配がない。
そんな二人のやり取りを見て、ミーアは存在を気付かれる前に早足でその場を去った。
(ゲイルってメイリスの前だとあんな感じなんだ…)
彼女は数年ぶりに姿を見た元恋人との過去を振り返った。
ゲイルは年の離れたミーアを自分と対等に扱うことは最後までなかった。
表裏がなく正直な性格のはずなのになんとなく本音が見えなくて、大切にされているのだと思うと嬉しかったが淋しくもあった。
年上の彼はいつでも落ち着いていて、ミーアの前で感情的になったり理性をなくしたことは一度もなかった。
彼女も物分かりの良い女性を演じていたからか、先程のように言い合いをしたこともなければ甘えられたこともない。
あれがゲイルの本来の姿なのだと思うと、どうしようもなく切なくなった。
ミーアがそうしていたように、彼もまた彼女の前で良い恋人を演じていたに過ぎなかった。
(メイリスみたいにゲイルに愛されたかった…。だけど私は私にしかなれなくて…他の誰かに成り変わることなんて、はじめからできなかったんだ…)
涙をぽたぽたと零しながら、喃語を発する我が子を見下ろす。
何も知らずに無邪気に笑って手を伸ばし、甘えるように胸の膨らみに擦り寄ってくる。
彼女は濡れた目元と頬を拭って、愛しい息子に微笑みかけた。
(これからはこの子の母親として生きていこう。私はこの子にとって何者にも代えがたい存在になったんだから…)
そう心に誓って、ミーアはきゃっきゃと機嫌良さげな声を上げる小さな息子を抱きしめた。
*
セルゲイが泊まり込みの仕事を終えてアパートに帰ると、一通の手紙が届いていた。
彼の部屋の郵便受けには基本的に請求書かポスティングチラシしか入らない。
珍しいと思いながらその場で封筒を裏返して、思わず顔を綻ばせた。
足取り軽く家に入り、着替えもそこそこにペーパーナイフで手紙を開封する。
便箋は二枚入っていたが、文字が書かれていたのは一枚だけだった。
《セルゲイ・シーボルト様
元気にしているか?
連絡が遅くなって悪かった。俺は元気だ。
あれからカエサル部隊長のご厚意で軍務部隊に異動して、戦地に赴いていた。
無事に彼女と和解できて、結婚した。
セルゲイが背中を押してくれたおかげだ。ありがとう。
俺は戦争が終わってすぐ密旨を受けて、そのまま任務を遂行中だ。
もちろん彼女も一緒にいる。
彼女もセルゲイに感謝していると言っていた。
表立って伝えられなくて申し訳ないとも。
まあそういう事情だ。察してくれるとありがたい。
王都には戻れないが、いつか会えたらお礼に美味い酒を奢るよ。
お互い体には気を付けような。また連絡する。
ゲイル・ラーバント》
手紙を読み終えた後、彼は言い様のない爽快感に包まれた。
ここ数年抱えていた胸のつかえが下りて、喜びと幸せが溢れてくる。
「よかったな、ゲイル…」
湧き上がる感涙に目頭を押さえながら、彼はリビングに置いてある酒器棚からワイングラスを取り出した。
いつかの時にと取っておいた頂き物の赤ワインを開封し、三分目ほど注ぎ入れる。
セルゲイはここにはいない親友と祝杯を挙げるつもりでグラスを掲げ、一息に呷った。
幸い明日は報告書を上げるために出社するだけで警護の任務はない。
今夜は存分に酔いたい気分だった。
腹は適度に減っていたのでキッチンで適当につまみを作り、手紙を肴に酒を飲む。
これほど最高の晩酌はなかった。
「俺もそろそろ彼女つくるか…」
セルゲイはそこそこ女性にモテたが、二人のことがあってからはしばらく恋愛する気になれないでいた。
友達想いの心優しい彼は、今まで無意識のうちに自分の幸せを後回しにしてしまっていた。
そんな彼にはこれからもっと幸福感に満たされる新しい出会いが待っているに違いない。
*
セルゲイが手紙を受け取った日と同じ頃、国立総合病院に一人の女性がやってきた。
鮮やかな赤紫の髪を編み込んでお団子にした彼女は、狂喜乱舞した様子で関係者以外立ち入り禁止の区域をずんずん進み、勝手知ったる様子で医局のドアをノックもせずにいきなり開いた。
「先輩から手紙が届いたって本当ですか?!」
室内にいた医師達は突然の来訪者に驚いて顔を上げたが、それが誰かわかると慣れたように業務に戻った。
そのうち一人の男性医師は、彼女の姿を目に留めて柔らかく微笑んだ。
「お待ちしていましたよ、ユーフェミアさん。ここでは何ですし、外へ出ましょう」
そわそわと落ち着かない彼女を連れて病院の屋上へやって来ると、彼は白衣の内ポケットから一通の封筒を取り出した。
差し出されたそれを奪い取るように受け取ったユーフェミアは、瞳を輝かせながら折りたたまれた手紙を開く。
文字を追ううちに彼女の目に涙が浮かび、零れ落ちそうにうるうると揺らいだ。
「ラーバントさんとメイリスさんは無事に一緒になれたようですね。ユーフェミアさんにもありがとうと書いてあります。よかったですね」
「うわぁん~~!先輩に感謝される日が来るなんて…天にも昇る光栄ですっ!今日が人生最期の日でも悔いはないですぅぅ」
泣きながら両手を胸の前で組んで祈るようなポーズを取ったユーフェミアに、その男性医師――サルヴァトルは穏やかな笑みを浮かべた。
「最期になるのは困りますね」
「そのくらい嬉しいってことですよぉ!」
こうなることを見越していたのか、彼は脇に抱えていた塵紙の小箱を彼女に差し出した。
慣れたようにそれを受け取った彼女はいつかのように涙を拭いて豪快に鼻をかむ。
「ううっ…先生はいつも用意がいいですね…」
「こうなるだろうと予想していましたから」
「だけど困るってなんですか…?まさか本当に私が死ぬとでも思ったんですか?」
「ええ。貴女があまりに晴れやかな顔で泣いていらっしゃるので。私を遺して逝ってしまわれるのかと、少しばかり心配になりました」
「へ…?」
「ユーフェミアさん。私達もそろそろお友達の関係から一歩進んでみませんか?」
驚くユーフェミアの眼前にサルヴァトルの顔が迫る。
彼女はどうしていいかわからず目を見開いたまま硬直してしまった。
派手な装いに反して純真な反応を見せる彼女に、彼はくすりと笑みを零した。
本当に人は見かけによらない。
「キスは初めてでしたか?」
「…はっ――!え、あ…?」
「その様子では嫌ではなかったようですね。どうでしょう、私とお付き合いしてみませんか?それとも10歳も年上のおじさんは対象外でしょうか」
「はい…えっと…あ…ちが…」
「その反応はOKと受け取っても?」
またキスをされそうな距離感で尋ねられ、緊張が最高潮に達したユーフェミアは茹でだこのようになってこくこくと頷いた。
すると目の前にいる男性が殊更に甘い視線で見つめてきたので、色恋に全く免疫のない彼女は気絶しそうになった。
「ありがとうございます。では今日から私のことはトールと呼んでください、ユーファ」
「~~~っ!!」
家族以外の異性から生まれて初めて抱擁された上、前触れなく愛称を囁かれて声にならない声を上げる。
たったそれだけのことで耳まで真っ赤に染めてしまう初心な彼女を抱き寄せながら、サルヴァトルは蕩けるような笑みを浮かべた。
*
エタ村を発ってからおよそ1ヶ月後、メイリス達は西の海岸付近にあるコリン村に到着していた。
ゼルキオンが妹の為に用意した家は赤い煉瓦造りで、リビング以外に部屋が3つもあり、二人で住むには十分な広さだった。
外壁や屋根には強力な防犯魔法が隙間なく刻み込まれていて、そうと気付いた彼女は兄の過保護っぷりに苦笑いした。
移り住んで1年も経たないうちに赤ちゃんができ、メイリスは元気な女の子を産んだ。
ゲイルは娘の誕生を泣いて喜び、出産を終えた妻を大袈裟なくらいに労った。
髪色はゲイルと同じだが瞳の色と面立ちはメイリスにそっくりで、それはそれは愛らしかった。
ベビーベッドですやすやと眠る我が子を眺めては嘆息する。
「はぁ…かわいい…かわいすぎる…嫁に出したくない…」
「まだ赤ん坊よ?」
その隣でメイリスがすかさず突っ込みを入れた。
気が早すぎる上に親バカ丸出しの発言に呆れ顔をする。
「だけどこんなにかわいかったら絶対にすぐ嫁に行っちゃうだろ?!」
「そんなに嫌なら婿を取らせればいいじゃない」
「そういうことじゃないんだよメイス…」
時折真面目な顔でずれたことを言う妻が愛おしくて、ゲイルは彼女を腕の中に閉じ込めた。
「奥さんもかわいくてどうしよう…俺、ときめきすぎて死ぬかも…」
「はいはい、そう言ってもう何回死んだの?」
「ったく…言葉の綾だろ?お前のお母様が冷たいよ、アルメリア~」
娘の名前は二人で考えた。
この国では海の妖精という意味がある。
「いちいち大袈裟なのよあなたは。それにそのうち同じことを言われるようになるわよ。私の娘だもの」
「怖いことを言うなよ…」
メイリスの皮肉が二倍になることを想像したゲイルはほんの少し不安になった。
しかしあることを思い付いてにっこりと笑みを貼り付けた。
何やら閃き顔をしたゲイルに、メイリスは嫌な予感を覚えた。
「それなら俺も味方をつくらないとな」
「…ゲイル、まだ昼間よ。洗濯物も取り込まないといけないし、夕食の支度もあるから…」
「後で俺が全部やるから心配するな。束の間の夫婦の時間だ。かわいい娘を起こさないようにゆっくりじっくり抱いてやる」
「いやよ、あなたしつこいんだもの…んっ…」
「それがイイんだろ?」
奪うように唇を塞がれ、頭を固定されて逃げ道も塞がれた。
いつものようにキスだけで蕩けさせられたメイリスは、すっかり大人しくなってゲイルの首に腕を回した。
それを合図に軽々と抱き上げられ、背後にあった大きなベッドに運ばれる。
横抱きにされたままワンピースの裾をたくし上げられ、下着を足から抜き取られると、ベッドの縁に腰を下ろしたゲイルの上に座るような体勢で挿入されてしまった。
身に起こる快楽の予感から秘かに準備を整えていたメイリスの膣は、前戯なしでもスムーズにゲイルの逞しい陰茎を迎え入れた。
そのまま奥を突かれるかと思いきや、ゲイルはメイリスを抱いたまま後ろに倒れ込んだ。
ベッドに沈んだまま腰を動かし、抜けるか抜けないかの中途半端なところを擦られる。
自分で動きたくてもがっしりと尻を掴まれているので起き上がることもままならない。
もどかしい刺激でも彼女の子宮はきゅんきゅんと喜んでゲイルを締め上げ、肩を掴む指にも力が入った。
体の内側から電気が走るような感覚に抗えず、メイリスは白い喉を反らして悩ましげに眉根を寄せた。
「ァ…アァン…!っあ…アァ…」
「ハ…イイ顔…。我慢しないで何度でもイケよ。キモチヨくなってる顔俺にもっと見せて」
「ゃあっ…アッ、ン、あうっ…」
「ハァ、好き。かわいい…メイス…」
互いに舌を突き出して絡ませ、艶やかな吐息を被せ合う。
性感を極限まで高められたメイリスは途中から絶頂が止まらなくなり、我慢の限界に達したゲイルは体を反転させて思いのままに腰を振るった。
着ていたままのシャツに汗が滲み、額から流れ落ちた雫がメイリスの胸元を濡らす。
喉を絞って嬌声を抑えながら、メイリスは愛液で溢れた蜜壷を絞り上げて性の解放を促し、ゲイルは全身を震わせて白濁の欲望を最奥に放った。
全てを吐き出し切って脱力した男の肉体が華奢な女体を圧し潰す。
彼女は「重い」と抗議の声を上げ、彼は目元を緩めて笑った。
労りのキスを繰り返しながら抱きしめ合い、繋がったままころんと寝転がる。
「次は男の子がいいな」
「そうね…あなたにそっくりな可愛い子がいいわ」
「お前な、三十半ばの男にかわいいはないだろ?」
「あら、可愛いと思われているうちが花じゃない?そのうちおじさんになっていくんだから」
「おじさんって言うなよ…傷つくだろ」
わかりやすく拗ねた顔をする夫をメイリスは愛おしげに見つめた。
彼のこういうところが彼女の母性本能をくすぐって止まない。
「ゆくゆくはってことでしょう?私だっておばさんになっていくのよ」
「潔いな。こういうのって男より女の方が気にするものなんじゃないのか?」
「年齢を重ねた証拠なんだから気にしたって仕方がないじゃない」
「まあそう言われればな…」
「私はあなたがいくつになっても好きよ。おじさんになってもおじいさんになっても、愛してるわ」
メイリスが鼻の頭にキスをすると、ゲイルは一拍の間の後で両の頬を朱に染めた。
羞恥と愛おしさに瞳を潤ませ、がばりとメイリスに覆いかぶさる。
くすぐったがる彼女に構わず、顔中にキスの雨を降らせた。
「お前は永遠に俺のかわいい奥さんだよ…」
いつまでも恋人のようなこの夫婦に二人目の子ができる日もそう遠くはなさそうだ。
彼女はゲイルと別れた後、寂しさから複数の異性と一夜限りの関係を繰り返し、子どもを身籠った。
そして1年ほど前に彼女と同じブラウンの瞳を持つ男の子を出産した。
髪色は藤に近い紫で、父親の予想はついたが彼の名前も連絡先も知らなかった。
ゲイルとの子どもだったらと期待したが、彼と最後にしてから生理が来ていたし、必ず避妊もしていたので可能性がないことはわかっていた。
息子を抱いて村の中を散歩していると、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
咄嗟にすぐ傍にあった家と家の間に身を隠し、そろりと通りを覗き込む。
見覚えのある男女が防風林に沿って歩きながら何やら言い合いをしている。
「お前さ…やめろよああいうこと言うの。ドキッとするだろ?」
「あなたが勝手に早合点したんでしょ?人の話を最後まで聞かないからよ」
「だけど言い方ってもんがあるだろ。っとにお前は昔から俺を振り回すよな…本気で俺がいらなくなったのかと思った」
「そんなわけないじゃない。あなたって意外と乙女思考よね」
「黙っとけ。なんか冷静になったら腹立ってきた…男心を弄んだ罰だ」
「え…?っ、こら!何するの?!今はだめよ…!待てしなさい、待て!」
「なあメイリス、待てができる獣は犬だけだって知ってるか?生憎おれは犬じゃない」
「ゲイルっ」
男性が抵抗する女性の体を道の脇の木に押し付け、強引に口付けた。
縋るように何度も女性の名前を呼び、力の抜けた彼女をその背中が反るほどぎゅうぎゅうに抱きしめる。
女性の手が宥めるように彼の背中を叩いているが、一向に放す気配がない。
そんな二人のやり取りを見て、ミーアは存在を気付かれる前に早足でその場を去った。
(ゲイルってメイリスの前だとあんな感じなんだ…)
彼女は数年ぶりに姿を見た元恋人との過去を振り返った。
ゲイルは年の離れたミーアを自分と対等に扱うことは最後までなかった。
表裏がなく正直な性格のはずなのになんとなく本音が見えなくて、大切にされているのだと思うと嬉しかったが淋しくもあった。
年上の彼はいつでも落ち着いていて、ミーアの前で感情的になったり理性をなくしたことは一度もなかった。
彼女も物分かりの良い女性を演じていたからか、先程のように言い合いをしたこともなければ甘えられたこともない。
あれがゲイルの本来の姿なのだと思うと、どうしようもなく切なくなった。
ミーアがそうしていたように、彼もまた彼女の前で良い恋人を演じていたに過ぎなかった。
(メイリスみたいにゲイルに愛されたかった…。だけど私は私にしかなれなくて…他の誰かに成り変わることなんて、はじめからできなかったんだ…)
涙をぽたぽたと零しながら、喃語を発する我が子を見下ろす。
何も知らずに無邪気に笑って手を伸ばし、甘えるように胸の膨らみに擦り寄ってくる。
彼女は濡れた目元と頬を拭って、愛しい息子に微笑みかけた。
(これからはこの子の母親として生きていこう。私はこの子にとって何者にも代えがたい存在になったんだから…)
そう心に誓って、ミーアはきゃっきゃと機嫌良さげな声を上げる小さな息子を抱きしめた。
*
セルゲイが泊まり込みの仕事を終えてアパートに帰ると、一通の手紙が届いていた。
彼の部屋の郵便受けには基本的に請求書かポスティングチラシしか入らない。
珍しいと思いながらその場で封筒を裏返して、思わず顔を綻ばせた。
足取り軽く家に入り、着替えもそこそこにペーパーナイフで手紙を開封する。
便箋は二枚入っていたが、文字が書かれていたのは一枚だけだった。
《セルゲイ・シーボルト様
元気にしているか?
連絡が遅くなって悪かった。俺は元気だ。
あれからカエサル部隊長のご厚意で軍務部隊に異動して、戦地に赴いていた。
無事に彼女と和解できて、結婚した。
セルゲイが背中を押してくれたおかげだ。ありがとう。
俺は戦争が終わってすぐ密旨を受けて、そのまま任務を遂行中だ。
もちろん彼女も一緒にいる。
彼女もセルゲイに感謝していると言っていた。
表立って伝えられなくて申し訳ないとも。
まあそういう事情だ。察してくれるとありがたい。
王都には戻れないが、いつか会えたらお礼に美味い酒を奢るよ。
お互い体には気を付けような。また連絡する。
ゲイル・ラーバント》
手紙を読み終えた後、彼は言い様のない爽快感に包まれた。
ここ数年抱えていた胸のつかえが下りて、喜びと幸せが溢れてくる。
「よかったな、ゲイル…」
湧き上がる感涙に目頭を押さえながら、彼はリビングに置いてある酒器棚からワイングラスを取り出した。
いつかの時にと取っておいた頂き物の赤ワインを開封し、三分目ほど注ぎ入れる。
セルゲイはここにはいない親友と祝杯を挙げるつもりでグラスを掲げ、一息に呷った。
幸い明日は報告書を上げるために出社するだけで警護の任務はない。
今夜は存分に酔いたい気分だった。
腹は適度に減っていたのでキッチンで適当につまみを作り、手紙を肴に酒を飲む。
これほど最高の晩酌はなかった。
「俺もそろそろ彼女つくるか…」
セルゲイはそこそこ女性にモテたが、二人のことがあってからはしばらく恋愛する気になれないでいた。
友達想いの心優しい彼は、今まで無意識のうちに自分の幸せを後回しにしてしまっていた。
そんな彼にはこれからもっと幸福感に満たされる新しい出会いが待っているに違いない。
*
セルゲイが手紙を受け取った日と同じ頃、国立総合病院に一人の女性がやってきた。
鮮やかな赤紫の髪を編み込んでお団子にした彼女は、狂喜乱舞した様子で関係者以外立ち入り禁止の区域をずんずん進み、勝手知ったる様子で医局のドアをノックもせずにいきなり開いた。
「先輩から手紙が届いたって本当ですか?!」
室内にいた医師達は突然の来訪者に驚いて顔を上げたが、それが誰かわかると慣れたように業務に戻った。
そのうち一人の男性医師は、彼女の姿を目に留めて柔らかく微笑んだ。
「お待ちしていましたよ、ユーフェミアさん。ここでは何ですし、外へ出ましょう」
そわそわと落ち着かない彼女を連れて病院の屋上へやって来ると、彼は白衣の内ポケットから一通の封筒を取り出した。
差し出されたそれを奪い取るように受け取ったユーフェミアは、瞳を輝かせながら折りたたまれた手紙を開く。
文字を追ううちに彼女の目に涙が浮かび、零れ落ちそうにうるうると揺らいだ。
「ラーバントさんとメイリスさんは無事に一緒になれたようですね。ユーフェミアさんにもありがとうと書いてあります。よかったですね」
「うわぁん~~!先輩に感謝される日が来るなんて…天にも昇る光栄ですっ!今日が人生最期の日でも悔いはないですぅぅ」
泣きながら両手を胸の前で組んで祈るようなポーズを取ったユーフェミアに、その男性医師――サルヴァトルは穏やかな笑みを浮かべた。
「最期になるのは困りますね」
「そのくらい嬉しいってことですよぉ!」
こうなることを見越していたのか、彼は脇に抱えていた塵紙の小箱を彼女に差し出した。
慣れたようにそれを受け取った彼女はいつかのように涙を拭いて豪快に鼻をかむ。
「ううっ…先生はいつも用意がいいですね…」
「こうなるだろうと予想していましたから」
「だけど困るってなんですか…?まさか本当に私が死ぬとでも思ったんですか?」
「ええ。貴女があまりに晴れやかな顔で泣いていらっしゃるので。私を遺して逝ってしまわれるのかと、少しばかり心配になりました」
「へ…?」
「ユーフェミアさん。私達もそろそろお友達の関係から一歩進んでみませんか?」
驚くユーフェミアの眼前にサルヴァトルの顔が迫る。
彼女はどうしていいかわからず目を見開いたまま硬直してしまった。
派手な装いに反して純真な反応を見せる彼女に、彼はくすりと笑みを零した。
本当に人は見かけによらない。
「キスは初めてでしたか?」
「…はっ――!え、あ…?」
「その様子では嫌ではなかったようですね。どうでしょう、私とお付き合いしてみませんか?それとも10歳も年上のおじさんは対象外でしょうか」
「はい…えっと…あ…ちが…」
「その反応はOKと受け取っても?」
またキスをされそうな距離感で尋ねられ、緊張が最高潮に達したユーフェミアは茹でだこのようになってこくこくと頷いた。
すると目の前にいる男性が殊更に甘い視線で見つめてきたので、色恋に全く免疫のない彼女は気絶しそうになった。
「ありがとうございます。では今日から私のことはトールと呼んでください、ユーファ」
「~~~っ!!」
家族以外の異性から生まれて初めて抱擁された上、前触れなく愛称を囁かれて声にならない声を上げる。
たったそれだけのことで耳まで真っ赤に染めてしまう初心な彼女を抱き寄せながら、サルヴァトルは蕩けるような笑みを浮かべた。
*
エタ村を発ってからおよそ1ヶ月後、メイリス達は西の海岸付近にあるコリン村に到着していた。
ゼルキオンが妹の為に用意した家は赤い煉瓦造りで、リビング以外に部屋が3つもあり、二人で住むには十分な広さだった。
外壁や屋根には強力な防犯魔法が隙間なく刻み込まれていて、そうと気付いた彼女は兄の過保護っぷりに苦笑いした。
移り住んで1年も経たないうちに赤ちゃんができ、メイリスは元気な女の子を産んだ。
ゲイルは娘の誕生を泣いて喜び、出産を終えた妻を大袈裟なくらいに労った。
髪色はゲイルと同じだが瞳の色と面立ちはメイリスにそっくりで、それはそれは愛らしかった。
ベビーベッドですやすやと眠る我が子を眺めては嘆息する。
「はぁ…かわいい…かわいすぎる…嫁に出したくない…」
「まだ赤ん坊よ?」
その隣でメイリスがすかさず突っ込みを入れた。
気が早すぎる上に親バカ丸出しの発言に呆れ顔をする。
「だけどこんなにかわいかったら絶対にすぐ嫁に行っちゃうだろ?!」
「そんなに嫌なら婿を取らせればいいじゃない」
「そういうことじゃないんだよメイス…」
時折真面目な顔でずれたことを言う妻が愛おしくて、ゲイルは彼女を腕の中に閉じ込めた。
「奥さんもかわいくてどうしよう…俺、ときめきすぎて死ぬかも…」
「はいはい、そう言ってもう何回死んだの?」
「ったく…言葉の綾だろ?お前のお母様が冷たいよ、アルメリア~」
娘の名前は二人で考えた。
この国では海の妖精という意味がある。
「いちいち大袈裟なのよあなたは。それにそのうち同じことを言われるようになるわよ。私の娘だもの」
「怖いことを言うなよ…」
メイリスの皮肉が二倍になることを想像したゲイルはほんの少し不安になった。
しかしあることを思い付いてにっこりと笑みを貼り付けた。
何やら閃き顔をしたゲイルに、メイリスは嫌な予感を覚えた。
「それなら俺も味方をつくらないとな」
「…ゲイル、まだ昼間よ。洗濯物も取り込まないといけないし、夕食の支度もあるから…」
「後で俺が全部やるから心配するな。束の間の夫婦の時間だ。かわいい娘を起こさないようにゆっくりじっくり抱いてやる」
「いやよ、あなたしつこいんだもの…んっ…」
「それがイイんだろ?」
奪うように唇を塞がれ、頭を固定されて逃げ道も塞がれた。
いつものようにキスだけで蕩けさせられたメイリスは、すっかり大人しくなってゲイルの首に腕を回した。
それを合図に軽々と抱き上げられ、背後にあった大きなベッドに運ばれる。
横抱きにされたままワンピースの裾をたくし上げられ、下着を足から抜き取られると、ベッドの縁に腰を下ろしたゲイルの上に座るような体勢で挿入されてしまった。
身に起こる快楽の予感から秘かに準備を整えていたメイリスの膣は、前戯なしでもスムーズにゲイルの逞しい陰茎を迎え入れた。
そのまま奥を突かれるかと思いきや、ゲイルはメイリスを抱いたまま後ろに倒れ込んだ。
ベッドに沈んだまま腰を動かし、抜けるか抜けないかの中途半端なところを擦られる。
自分で動きたくてもがっしりと尻を掴まれているので起き上がることもままならない。
もどかしい刺激でも彼女の子宮はきゅんきゅんと喜んでゲイルを締め上げ、肩を掴む指にも力が入った。
体の内側から電気が走るような感覚に抗えず、メイリスは白い喉を反らして悩ましげに眉根を寄せた。
「ァ…アァン…!っあ…アァ…」
「ハ…イイ顔…。我慢しないで何度でもイケよ。キモチヨくなってる顔俺にもっと見せて」
「ゃあっ…アッ、ン、あうっ…」
「ハァ、好き。かわいい…メイス…」
互いに舌を突き出して絡ませ、艶やかな吐息を被せ合う。
性感を極限まで高められたメイリスは途中から絶頂が止まらなくなり、我慢の限界に達したゲイルは体を反転させて思いのままに腰を振るった。
着ていたままのシャツに汗が滲み、額から流れ落ちた雫がメイリスの胸元を濡らす。
喉を絞って嬌声を抑えながら、メイリスは愛液で溢れた蜜壷を絞り上げて性の解放を促し、ゲイルは全身を震わせて白濁の欲望を最奥に放った。
全てを吐き出し切って脱力した男の肉体が華奢な女体を圧し潰す。
彼女は「重い」と抗議の声を上げ、彼は目元を緩めて笑った。
労りのキスを繰り返しながら抱きしめ合い、繋がったままころんと寝転がる。
「次は男の子がいいな」
「そうね…あなたにそっくりな可愛い子がいいわ」
「お前な、三十半ばの男にかわいいはないだろ?」
「あら、可愛いと思われているうちが花じゃない?そのうちおじさんになっていくんだから」
「おじさんって言うなよ…傷つくだろ」
わかりやすく拗ねた顔をする夫をメイリスは愛おしげに見つめた。
彼のこういうところが彼女の母性本能をくすぐって止まない。
「ゆくゆくはってことでしょう?私だっておばさんになっていくのよ」
「潔いな。こういうのって男より女の方が気にするものなんじゃないのか?」
「年齢を重ねた証拠なんだから気にしたって仕方がないじゃない」
「まあそう言われればな…」
「私はあなたがいくつになっても好きよ。おじさんになってもおじいさんになっても、愛してるわ」
メイリスが鼻の頭にキスをすると、ゲイルは一拍の間の後で両の頬を朱に染めた。
羞恥と愛おしさに瞳を潤ませ、がばりとメイリスに覆いかぶさる。
くすぐったがる彼女に構わず、顔中にキスの雨を降らせた。
「お前は永遠に俺のかわいい奥さんだよ…」
いつまでも恋人のようなこの夫婦に二人目の子ができる日もそう遠くはなさそうだ。
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