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第3章
誰にも渡さない
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「―――は?」
ゲイルは耳を疑った。
彼女の表情と言っていることが矛盾している。
断られたことが信じられなくて、意味のない言葉だけが口を衝いて出た。
「は…?え…?」
「これ以上あなたと一緒にはいられないの。最後にって言ったのはそういう意味だったのよ。期待させてしまったならごめんなさい」
唖然とした様子で言葉を詰まらせているゲイルに、メイリスは申し訳ない気持ちになった。
彼女はこれから王都には戻らず、ゼルキオンが僻地の村に用意した家に身を隠す予定になっている。
戦争は終わったが、メイリスの問題は継続中だ。
このまま父王に存在を知られずにいる為には、あちこちを転々としながらひっそりと暮らしていかなければならない。
そんな逃亡生活にゲイルを道連れにすることは、やはりできなかった。
「私達これで本当にお別れにしましょ?ありがとう、ゲイル。追いかけてきてくれて嬉しかったわ」
「……こういうこと、前にもあったよな」
長く深い息を吐きながら、ゲイルは一度目を伏せて、すぐに視線を上げた。
鋭い怒りを滲ませてメイリスを射抜いたかと思えば、ニコリとわざとらしく笑顔を貼り付ける。
「ふざけんな。絶っ対に嫌だね」
「ゲイル…いい子だから聞き分けて」
「嫌なものは嫌だ。メイスこそ聞き分けろよ。お前だって俺とまた離れ離れになるのは嫌だろ?寝言で名前を呼ぶくらい俺を恋しがってたクセに。素直になれって」
「恋しがってなんかいないわ。私はもうあなたのこと吹っ切れてるの」
「吹っ切れてたら俺だってわかってるのに『抱いて』なんて言わないだろ?鈍いんだよお前は…だからそんな矛盾したことするんだ。自分を騙せば騙すほど後で自分が苦しくなるだけだ」
「あれはそういうんじゃ…」
「メイリス。俺は恋しかった。夜もまともに眠れなかった…お前がいなくて」
ゲイルは困り顔をしているメイリスを抱きしめた。
これが本当に現実なのだと何度でも実感したくて、滑らかな髪に頬ずりする。
「本当だ。ブレインの魔法陣から解放されてから、憔悴して10kgは痩せた。生きてる意味なんてあるのかって何度も思ったよ…。でもお前とまたやり直せるかも知れないって思ったら、このまま死ねないとも思った。セルゲイから指輪、受け取ったよ。形見だって言ってくれて嬉しかった」
ゲイルは首から下げていたものを服の下から取り出し、メイリスの目の高さまで掲げて見せた。
あの後彼はメイリスの指輪に魔法陣を刻み込んで魔導具にしていた。
メイリスと再会するまで、この指輪だけが彼にとって心の拠り所だった。
自分がたった一つだけ残したゲイルとの思い出の品が彼の手に渡り、大切に持ってくれていたことに胸が熱くなる。
じわりと涙腺が緩んで、喉の奥から込み上げてくる感情を飲み込んだ。
「なあ、メイス…俺達こんなに愛し合ってるのに、離れようとするなんて馬鹿だと思わないか?」
「馬鹿でも、」
「…なんでもいい、って言うんだろ?そんな泣きそうな顔して…強がるなよ。一緒にいられない理由はなに?教えて、メイス。お前が不安に思ってることみんな吐き出して。俺が全部引き受けるから…」
「…ゲイル」
ゲイルの大きくてあたたかい手のひらが、メイリスの少し冷たくなった頬を包み込む。
つう、と彼女の頬を伝った雫を唇で吸い取り、お互いの瞳に顔を映し合う。
愛情を確かめるように唇をふれ合わせると、胸の奥があたたかいもので満たされた。
「罪滅ぼしで結婚しようなんて言ってるんじゃない。俺は前々からお前と結婚するつもりでいたんだ。お前が出張から帰ってきたら言おうって…。半年離れてただけでもキツかったのに…これ以上は無理。一秒でも離れたら死ぬ。本当に死ぬ」
「もう…子どもみたいね」
ついさっきまで真剣な顔をしていたかと思えば急に甘えるように肩口に顔を埋めてきたゲイルに、メイリスはくすりと笑みをこぼした。
黒に近い茶色のサラサラした髪を宥めるように撫でると、調子に乗った彼が鎖骨にぐりぐりと額を擦り付けてくる。
いくつになっても素直に愛情をぶつけてきてくれる彼を見ていると、不思議とあの日話せなかったことを話してみようかという気になってきた。
「私…いま父親から逃げているの」
「父親って、国王陛下から?なんで?」
事情を説明するうちに、ゲイルの顔はどんどん青褪めていった。
「――そういうわけだから、どうしても見つかりたくなくて…」
「…メイス。逃げよう」
「え?」
「俺とこのまま逃げるぞ。強敵なんてもんじゃない…ブレインより性質が悪すぎる…」
絶対的な権力によってメイリスを略奪される恐怖から、ゲイルは彼女を今まで以上に強く抱き込んだ。
国王に見つかって、彼女を引き渡せと王命を下されたらアウトだ。
それでも抵抗して守りきれるならいいが、万が一自分に何かあったら、メイリスは父親に好き勝手にされてしまう。
自分の目の前で、もしくは死んだ後で、彼女が他の男に取られるなんて想像の中でも許せない。
「俺のメイスだ…二度と、一生、何があっても絶対誰にも渡さない。お前は永遠に俺だけのものだ」
「…あなたの所有物になった覚えはないのだけど」
「あーもう…お前そういうとこホント変わらないな?ここは喜ぶところだろ?いい加減素直になっとけ!」
ゲイルが少し怒ったような声で文句を言いながら、胸筋で圧し潰さんばかりに彼女を抱きしめる。
「っとにお前は…」とぼやく声が耳元で聞こえて、メイリスはゲイルの腕の中で幸福感に浸った。
なんの躊躇もなく一緒に逃げると言ってくれたことが、どんな愛の告白よりも嬉しかった。
「ありがとう、ゲイル。愛しているわ」
メイリスは今までなかなか口には出せなかった本音を伝えた。
滅多に言葉で愛情表現をしてくれない彼女の不意打ちの告白に、ゲイルは耳まで真っ赤になった。
穏やかな笑みを浮かべている彼女を見て一瞬悔しげな顔をしたかと思うと、照れたように笑ってその頬にキスをした。
翌日、メイリスとゲイルは旅装を整えてゼルキオンの元を訪れた。
メイリスがジェイデンの正体に勘付いていたと知って驚いたようだったが、彼は二人の関係を認めて祝福してくれた。
「今日までよく耐えたな、メイリス。私はいつでも君の幸せを願っている」
「ありがとう、ゼルキオン。あなたにはたくさん迷惑をかけたわね…」
「あんな程度では迷惑にならないから気にするな。子ども達に比べれば君は大人しい方だ」
「子ども達って…比べる対象が間違っていない?」
「違わないさ。君は私の大切な妹で、家族だ。困ったことがあればすぐ連絡しなさい。必ずなんとかする」
彼はメイリスを助けるためだけに前人未踏の魔法を開発し、ブレインを倒した。
あの魔法はいまメイリスの護身用として彼女にのみ託されている。
自分のためにそこまでしてくれた異母兄の言葉は、ゲイルには悪いが彼以上に信用できるものだった。
「本当にありがとう。クレアによろしく伝えて」
「ああ。たまに手紙を書いてやって欲しい。きっと彼女も喜ぶ」
「ええ、そうするわ」
心からの笑顔で応えて、別れの抱擁をする。
ゲイルとも同じように抱き合ったゼルキオンは、屈託のない笑顔で二人を見送った。
「結婚おめでとう。幸せになってくれ」
北の辺境を離れたメイリスとゲイルは、目的地に向かう途中で故郷のエタ村を訪れた。
母親の側近と侍女だった育ての親に再会すると、二人は涙を流してメイリスの帰省を喜んだ。
第一王子の圧力に屈して大切に育ててきたメイリスがアフロディテの娘だと暴露してしまったことをずっと後悔していたようだった。
ゼルキオンが自分達に約束した通りに娘を『守って』くれたのだとわかり、彼に対する感情が猜疑や憎しみから感謝に変わった。
「ご両親にメイリスとの結婚を許していただきたいんです。どうかお願いします。私の一生をかけて彼女を大切にします」
ゲイルが頭を下げると、育ての父親は目元の皺を深めて頷いた。
「君がいてくれるなら私達も、あの方も安心して娘を送り出せます」
「この子をよろしくお願いします。――メイリス、あまりゲイル君を困らせないであげてね。意地を張らずに、幸せにしてもらうのよ」
「彼に幸せにしてもらうつもりはないわ。自分の人生を他人に任せるなんてまっぴら」
「えっ…」
その言葉に一番ショックを受けたのはゲイルだった。
見ている側が可哀想になるくらい悲壮な表情を浮かべて、つんとすましたメイリスを見つめている。
主君の子どもを我が子のように可愛がってきた老夫婦は、結婚の挨拶をしに来た婿の前で結婚を渋るような発言をした娘を信じられないような目で見つめた。
「メイリス…いくらなんでもそれは…」
「勘違いしないでほしいのだけど、私は幸せにしてもらいたくてゲイルと結婚するわけじゃないの。私がゲイルを幸せにしたいからするのよ」
「……」
「どうしたの?そんな顔をして…挨拶が済んだのならあなたの実家に行きましょう?落ち着いたら連絡するわね、お父さん、お母さん」
男前な娘の態度に呆気に取られた二人だったが、そういえばこういう子だったと回顧して苦笑いした。
ゲイルは何か言いたげに口をむぐつかせていたが、メイリスに逆らわずに頭を下げて去っていく。
その背中を見送りながら、二人の関係性が昔と若干変わったことに気が付いて微笑ましく目を細めた。
(ああして彼を尻に敷いているのを見ると、リナリア様を思い出すな…)
(二人ともお互いの大切さに気が付いたのね。どうか幸せになって、メイリス、ゲイル君…)
ラーバント家に挨拶を終えると、夜を待たずに村を出た。
転移魔法陣は利用せず、ゆっくりと田舎道を進んでいく。
二人は子どもの頃のようにきゃんきゃんと言い合いをしては仲直りをする。
あの頃と違うのはこのやり取りを楽しんでいることと、その間もずっと手を繋いでいることだ。
隣の町へ向かう途中で地平線に夕陽が沈み、恒星が煌めき始める。
「メイス、こっち」
夜空を見上げていたメイリスは、ゲイルに手を引かれて大きな道から逸れて枝道に入った。
十数分ほど歩いた小道の先にあったのは、廃墟になった教会だった。
管理されなくなってしばらく経つのか壁の煉瓦が崩れ、聖堂の屋根は半壊して中が吹きさらしになっていた。
「こんなところ…よく知っていたわね」
「木こりの手伝いしてた時に偶然見かけたことがあったんだよ。あの頃は怖くて近づけなかったけど、今はそうでもないな。今日はここで夜を明かそう」
ゲイルは肩に下げていた鞄から道具を取り出し、手際よく野営の準備を進めていく。
命じられるがまま大人しく座っていたメイリスは、その様子を眺めながら南の塔で甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていたジェイデンの姿を思い起こしていた。
包み込むような優しさでメイリスを癒してくれた彼は紛れもなくゲイルだったのだと思うと、今更になって気恥ずかしくなってくる。
一人で頬を熱くしていると、湯気の立つカップを手にしたゲイルがメイリスの横に腰を下ろした。
「体が冷えきる前に飲んどけ。ただの白湯だけど」
「ありがとう…」
「腹減ってるか?」
「いいえ…あなたのご実家でたくさんいただいたから、そうでもないわ。あなたは?」
「俺も。母さん張り切って作りすぎなんだよ…お前も頑張って食べてくれてありがとうな」
「お母様、とても喜んでいたわね」
「そりゃそうだろ。昔から散々揶揄われてきたからな。いつお前を嫁に連れて来るんだ、って」
「……」
ゲイルの反応を見る限り、彼はメイリスと星を見た年以来一度も帰省をしていなかったようだ。
てっきりミーアを連れて帰っただろうと思っていたメイリスは、心の中で安堵の息を吐いた。
ブレインが見せていた悪夢はやはり幻だったのだと実感できて胸を撫で下ろす。
ちびりちびりとお湯を飲み、顔をカップで隠すようにしながらこっそりと眉を開く。
そんな彼女の表情を目敏く見抜いていたゲイルは、彼女が何を気にしていたのかを察して後ろめたさに肩を落とした。
メイリスと付き合うと決めた時に一生彼女だけを愛すと誓ったのに、彼女を憎まされていたとはいえ違う女性と関係を持ってしまった。
彼女は何も聞いてこないが、あの時の振る舞いはミーアに乗り換えたと誤解を与えただろうと思ってはいた。
ミーアと実際に付き合い始めたのはもっと後のことだが、それでも彼女を裏切ったことに変わりはない。
泣いて懺悔したくなる気持ちを抑えるために、ゲイルはお湯を飲み込んだ。
何を聞いても彼女は許してくれるだろうが、はっきりと言葉にしてしまえばその事実が彼女の心にいつまでも残って、悲しませてしまうことになる。
謝って許しを請うのは自己満足にしかならないとわかっていた。
遠くを見つめながら深く息を吐いていると、ふと視線に気付いて左を向いた。
いつから見ていたのか、メイリスが目を細めてゲイルに微笑んでいる。
今しがた考えていたことを全て見透かされた気がして、動揺を隠すために肩に腕を回して抱き寄せた。
耳の上にキスを落とすと、くすぐったそうにもぞもぞしながらも大人しく身を任せてくれる。
その温もりから彼女の愛情深さが伝わってくるようで、益々彼女のことが好きになった。
ゲイルは耳を疑った。
彼女の表情と言っていることが矛盾している。
断られたことが信じられなくて、意味のない言葉だけが口を衝いて出た。
「は…?え…?」
「これ以上あなたと一緒にはいられないの。最後にって言ったのはそういう意味だったのよ。期待させてしまったならごめんなさい」
唖然とした様子で言葉を詰まらせているゲイルに、メイリスは申し訳ない気持ちになった。
彼女はこれから王都には戻らず、ゼルキオンが僻地の村に用意した家に身を隠す予定になっている。
戦争は終わったが、メイリスの問題は継続中だ。
このまま父王に存在を知られずにいる為には、あちこちを転々としながらひっそりと暮らしていかなければならない。
そんな逃亡生活にゲイルを道連れにすることは、やはりできなかった。
「私達これで本当にお別れにしましょ?ありがとう、ゲイル。追いかけてきてくれて嬉しかったわ」
「……こういうこと、前にもあったよな」
長く深い息を吐きながら、ゲイルは一度目を伏せて、すぐに視線を上げた。
鋭い怒りを滲ませてメイリスを射抜いたかと思えば、ニコリとわざとらしく笑顔を貼り付ける。
「ふざけんな。絶っ対に嫌だね」
「ゲイル…いい子だから聞き分けて」
「嫌なものは嫌だ。メイスこそ聞き分けろよ。お前だって俺とまた離れ離れになるのは嫌だろ?寝言で名前を呼ぶくらい俺を恋しがってたクセに。素直になれって」
「恋しがってなんかいないわ。私はもうあなたのこと吹っ切れてるの」
「吹っ切れてたら俺だってわかってるのに『抱いて』なんて言わないだろ?鈍いんだよお前は…だからそんな矛盾したことするんだ。自分を騙せば騙すほど後で自分が苦しくなるだけだ」
「あれはそういうんじゃ…」
「メイリス。俺は恋しかった。夜もまともに眠れなかった…お前がいなくて」
ゲイルは困り顔をしているメイリスを抱きしめた。
これが本当に現実なのだと何度でも実感したくて、滑らかな髪に頬ずりする。
「本当だ。ブレインの魔法陣から解放されてから、憔悴して10kgは痩せた。生きてる意味なんてあるのかって何度も思ったよ…。でもお前とまたやり直せるかも知れないって思ったら、このまま死ねないとも思った。セルゲイから指輪、受け取ったよ。形見だって言ってくれて嬉しかった」
ゲイルは首から下げていたものを服の下から取り出し、メイリスの目の高さまで掲げて見せた。
あの後彼はメイリスの指輪に魔法陣を刻み込んで魔導具にしていた。
メイリスと再会するまで、この指輪だけが彼にとって心の拠り所だった。
自分がたった一つだけ残したゲイルとの思い出の品が彼の手に渡り、大切に持ってくれていたことに胸が熱くなる。
じわりと涙腺が緩んで、喉の奥から込み上げてくる感情を飲み込んだ。
「なあ、メイス…俺達こんなに愛し合ってるのに、離れようとするなんて馬鹿だと思わないか?」
「馬鹿でも、」
「…なんでもいい、って言うんだろ?そんな泣きそうな顔して…強がるなよ。一緒にいられない理由はなに?教えて、メイス。お前が不安に思ってることみんな吐き出して。俺が全部引き受けるから…」
「…ゲイル」
ゲイルの大きくてあたたかい手のひらが、メイリスの少し冷たくなった頬を包み込む。
つう、と彼女の頬を伝った雫を唇で吸い取り、お互いの瞳に顔を映し合う。
愛情を確かめるように唇をふれ合わせると、胸の奥があたたかいもので満たされた。
「罪滅ぼしで結婚しようなんて言ってるんじゃない。俺は前々からお前と結婚するつもりでいたんだ。お前が出張から帰ってきたら言おうって…。半年離れてただけでもキツかったのに…これ以上は無理。一秒でも離れたら死ぬ。本当に死ぬ」
「もう…子どもみたいね」
ついさっきまで真剣な顔をしていたかと思えば急に甘えるように肩口に顔を埋めてきたゲイルに、メイリスはくすりと笑みをこぼした。
黒に近い茶色のサラサラした髪を宥めるように撫でると、調子に乗った彼が鎖骨にぐりぐりと額を擦り付けてくる。
いくつになっても素直に愛情をぶつけてきてくれる彼を見ていると、不思議とあの日話せなかったことを話してみようかという気になってきた。
「私…いま父親から逃げているの」
「父親って、国王陛下から?なんで?」
事情を説明するうちに、ゲイルの顔はどんどん青褪めていった。
「――そういうわけだから、どうしても見つかりたくなくて…」
「…メイス。逃げよう」
「え?」
「俺とこのまま逃げるぞ。強敵なんてもんじゃない…ブレインより性質が悪すぎる…」
絶対的な権力によってメイリスを略奪される恐怖から、ゲイルは彼女を今まで以上に強く抱き込んだ。
国王に見つかって、彼女を引き渡せと王命を下されたらアウトだ。
それでも抵抗して守りきれるならいいが、万が一自分に何かあったら、メイリスは父親に好き勝手にされてしまう。
自分の目の前で、もしくは死んだ後で、彼女が他の男に取られるなんて想像の中でも許せない。
「俺のメイスだ…二度と、一生、何があっても絶対誰にも渡さない。お前は永遠に俺だけのものだ」
「…あなたの所有物になった覚えはないのだけど」
「あーもう…お前そういうとこホント変わらないな?ここは喜ぶところだろ?いい加減素直になっとけ!」
ゲイルが少し怒ったような声で文句を言いながら、胸筋で圧し潰さんばかりに彼女を抱きしめる。
「っとにお前は…」とぼやく声が耳元で聞こえて、メイリスはゲイルの腕の中で幸福感に浸った。
なんの躊躇もなく一緒に逃げると言ってくれたことが、どんな愛の告白よりも嬉しかった。
「ありがとう、ゲイル。愛しているわ」
メイリスは今までなかなか口には出せなかった本音を伝えた。
滅多に言葉で愛情表現をしてくれない彼女の不意打ちの告白に、ゲイルは耳まで真っ赤になった。
穏やかな笑みを浮かべている彼女を見て一瞬悔しげな顔をしたかと思うと、照れたように笑ってその頬にキスをした。
翌日、メイリスとゲイルは旅装を整えてゼルキオンの元を訪れた。
メイリスがジェイデンの正体に勘付いていたと知って驚いたようだったが、彼は二人の関係を認めて祝福してくれた。
「今日までよく耐えたな、メイリス。私はいつでも君の幸せを願っている」
「ありがとう、ゼルキオン。あなたにはたくさん迷惑をかけたわね…」
「あんな程度では迷惑にならないから気にするな。子ども達に比べれば君は大人しい方だ」
「子ども達って…比べる対象が間違っていない?」
「違わないさ。君は私の大切な妹で、家族だ。困ったことがあればすぐ連絡しなさい。必ずなんとかする」
彼はメイリスを助けるためだけに前人未踏の魔法を開発し、ブレインを倒した。
あの魔法はいまメイリスの護身用として彼女にのみ託されている。
自分のためにそこまでしてくれた異母兄の言葉は、ゲイルには悪いが彼以上に信用できるものだった。
「本当にありがとう。クレアによろしく伝えて」
「ああ。たまに手紙を書いてやって欲しい。きっと彼女も喜ぶ」
「ええ、そうするわ」
心からの笑顔で応えて、別れの抱擁をする。
ゲイルとも同じように抱き合ったゼルキオンは、屈託のない笑顔で二人を見送った。
「結婚おめでとう。幸せになってくれ」
北の辺境を離れたメイリスとゲイルは、目的地に向かう途中で故郷のエタ村を訪れた。
母親の側近と侍女だった育ての親に再会すると、二人は涙を流してメイリスの帰省を喜んだ。
第一王子の圧力に屈して大切に育ててきたメイリスがアフロディテの娘だと暴露してしまったことをずっと後悔していたようだった。
ゼルキオンが自分達に約束した通りに娘を『守って』くれたのだとわかり、彼に対する感情が猜疑や憎しみから感謝に変わった。
「ご両親にメイリスとの結婚を許していただきたいんです。どうかお願いします。私の一生をかけて彼女を大切にします」
ゲイルが頭を下げると、育ての父親は目元の皺を深めて頷いた。
「君がいてくれるなら私達も、あの方も安心して娘を送り出せます」
「この子をよろしくお願いします。――メイリス、あまりゲイル君を困らせないであげてね。意地を張らずに、幸せにしてもらうのよ」
「彼に幸せにしてもらうつもりはないわ。自分の人生を他人に任せるなんてまっぴら」
「えっ…」
その言葉に一番ショックを受けたのはゲイルだった。
見ている側が可哀想になるくらい悲壮な表情を浮かべて、つんとすましたメイリスを見つめている。
主君の子どもを我が子のように可愛がってきた老夫婦は、結婚の挨拶をしに来た婿の前で結婚を渋るような発言をした娘を信じられないような目で見つめた。
「メイリス…いくらなんでもそれは…」
「勘違いしないでほしいのだけど、私は幸せにしてもらいたくてゲイルと結婚するわけじゃないの。私がゲイルを幸せにしたいからするのよ」
「……」
「どうしたの?そんな顔をして…挨拶が済んだのならあなたの実家に行きましょう?落ち着いたら連絡するわね、お父さん、お母さん」
男前な娘の態度に呆気に取られた二人だったが、そういえばこういう子だったと回顧して苦笑いした。
ゲイルは何か言いたげに口をむぐつかせていたが、メイリスに逆らわずに頭を下げて去っていく。
その背中を見送りながら、二人の関係性が昔と若干変わったことに気が付いて微笑ましく目を細めた。
(ああして彼を尻に敷いているのを見ると、リナリア様を思い出すな…)
(二人ともお互いの大切さに気が付いたのね。どうか幸せになって、メイリス、ゲイル君…)
ラーバント家に挨拶を終えると、夜を待たずに村を出た。
転移魔法陣は利用せず、ゆっくりと田舎道を進んでいく。
二人は子どもの頃のようにきゃんきゃんと言い合いをしては仲直りをする。
あの頃と違うのはこのやり取りを楽しんでいることと、その間もずっと手を繋いでいることだ。
隣の町へ向かう途中で地平線に夕陽が沈み、恒星が煌めき始める。
「メイス、こっち」
夜空を見上げていたメイリスは、ゲイルに手を引かれて大きな道から逸れて枝道に入った。
十数分ほど歩いた小道の先にあったのは、廃墟になった教会だった。
管理されなくなってしばらく経つのか壁の煉瓦が崩れ、聖堂の屋根は半壊して中が吹きさらしになっていた。
「こんなところ…よく知っていたわね」
「木こりの手伝いしてた時に偶然見かけたことがあったんだよ。あの頃は怖くて近づけなかったけど、今はそうでもないな。今日はここで夜を明かそう」
ゲイルは肩に下げていた鞄から道具を取り出し、手際よく野営の準備を進めていく。
命じられるがまま大人しく座っていたメイリスは、その様子を眺めながら南の塔で甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていたジェイデンの姿を思い起こしていた。
包み込むような優しさでメイリスを癒してくれた彼は紛れもなくゲイルだったのだと思うと、今更になって気恥ずかしくなってくる。
一人で頬を熱くしていると、湯気の立つカップを手にしたゲイルがメイリスの横に腰を下ろした。
「体が冷えきる前に飲んどけ。ただの白湯だけど」
「ありがとう…」
「腹減ってるか?」
「いいえ…あなたのご実家でたくさんいただいたから、そうでもないわ。あなたは?」
「俺も。母さん張り切って作りすぎなんだよ…お前も頑張って食べてくれてありがとうな」
「お母様、とても喜んでいたわね」
「そりゃそうだろ。昔から散々揶揄われてきたからな。いつお前を嫁に連れて来るんだ、って」
「……」
ゲイルの反応を見る限り、彼はメイリスと星を見た年以来一度も帰省をしていなかったようだ。
てっきりミーアを連れて帰っただろうと思っていたメイリスは、心の中で安堵の息を吐いた。
ブレインが見せていた悪夢はやはり幻だったのだと実感できて胸を撫で下ろす。
ちびりちびりとお湯を飲み、顔をカップで隠すようにしながらこっそりと眉を開く。
そんな彼女の表情を目敏く見抜いていたゲイルは、彼女が何を気にしていたのかを察して後ろめたさに肩を落とした。
メイリスと付き合うと決めた時に一生彼女だけを愛すと誓ったのに、彼女を憎まされていたとはいえ違う女性と関係を持ってしまった。
彼女は何も聞いてこないが、あの時の振る舞いはミーアに乗り換えたと誤解を与えただろうと思ってはいた。
ミーアと実際に付き合い始めたのはもっと後のことだが、それでも彼女を裏切ったことに変わりはない。
泣いて懺悔したくなる気持ちを抑えるために、ゲイルはお湯を飲み込んだ。
何を聞いても彼女は許してくれるだろうが、はっきりと言葉にしてしまえばその事実が彼女の心にいつまでも残って、悲しませてしまうことになる。
謝って許しを請うのは自己満足にしかならないとわかっていた。
遠くを見つめながら深く息を吐いていると、ふと視線に気付いて左を向いた。
いつから見ていたのか、メイリスが目を細めてゲイルに微笑んでいる。
今しがた考えていたことを全て見透かされた気がして、動揺を隠すために肩に腕を回して抱き寄せた。
耳の上にキスを落とすと、くすぐったそうにもぞもぞしながらも大人しく身を任せてくれる。
その温もりから彼女の愛情深さが伝わってくるようで、益々彼女のことが好きになった。
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