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第2章
嵐の予感
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後宮のメンテナンスを開始して数週間が過ぎた日の朝、メイリスは偶然家主に出くわした。
宮殿の中は広いので一度も姿を見ないこともよくあるらしいが、今年は運がいいと王室好きの先輩研究員・ステイシアが鼻息を荒くする。
廊下の向こうから歩いてくる王妃に興奮する彼女の隣で同じように首を垂れながら、王妃が通り過ぎるのを待つ。
ただそれだけで終わる出来事のはずが、何故か王妃が研究員達の――メイリスの前で足を止めた。
「そこのあなた。顔をお上げなさい」
「……」
頭の中で今日のメンテナンスの予定を考えていた彼女は、王妃が立ち止まったことにも気付かず、「そこのあなた」が自分だとも思わなかった。
メイリスが王妃の命令を無視しているような状況になり、周囲がざわつき始める。
「キャラメルブロンドの、髪の短いあなたよ」
「メイリスッ、あなたのことよ…!」
ステイシアに肘で小突かれて初めて気が付いたメイリスは慌てて顔を上げた。
熟した無花果の実のような瞳が王妃の目の前に晒される。
王妃はメイリスの顔を見るなり驚愕し、付き添いの侍女や警護人の何人かも目を丸くしていた。
「お名前は何とおっしゃるの?」
「メイリス・クロウです」
「クロウ…。どちらのご出身?」
「恐れながら、エタ村です」
「エタ村…」
王妃はメイリスが答えた内容を意味深に繰り返した。
他に何を質問されるのだろうかと身構えたが、彼女はそれだけを聞いて去っていった。
呆気に取られているメイリスの背中を、ステイシアが興奮に任せてバシバシと叩く。
「王妃様に直接お声をかけていただけるなんて!あなたすごいわ!そしてずるい!」
「そう言われても…」
「ずるいから、今日から常にあなたと一緒に行動するわ。今度また声をかけられたら私を紹介しなさい!」
「はあ…」
先程の興味がなさそうな反応を見る限り可能性は低そうだったが、心の中で思うだけで口には出さなかった。
メイリスの気のない返事も期待に目を輝かせたステイシアには好意的に捉えられたようで、不本意ながらも気に入られてしまった。
それ以降王妃と出会うことはなく、メイリス達は第一王子夫妻の住む宮殿に移動した。
ステイシアはがっかりした様子だったが、まだ諦めてはいないようで一日中メイリスにくっついていた。
点検ルート通りに庭園にやって来たメイリスは、手元のタブレットに映し出された魔法陣情報に目を通し、溜息を吐いた。
「…すみません、先輩。そこにいられると仕事が大変やりにくいです」
先程まで真面目に仕事をしていたステイシアが何かに気付いたように足元にしゃがみ込んだかと思えば、メイリスの顔を下から覗き見し始めたのだ。
しかし彼女は気にした様子もなくじっと視線を送り続ける。
「あなたの瞳ってよく見たら珍しい色をしているわよね。見れば見るほど微妙に色が違って見えるし…まるで宝石みたいだわ」
「それはどうもありがとうございます」
「わあ。全く心の籠っていないありがとうね」
「籠めていませんから。人の顔ばかり見てばかりいないで魔法陣を見てください。景観が良くないですよ」
「今日も絶好調ね~メイリス」
「……」
それでも見るのを止めない彼女の心臓は予想以上の強さで、メイリスの痛烈な皮肉にも怒るどころかニコニコしている。
呆れきって空を見つめた時、近くに人の気配を感じて振り向いた。
庭に面した廊下に、この宮殿に住むゼルキオン王子殿下の姿があった。
変な顔をしてこちらを見ているので、もしかすると勤務中の私語を聞かれていたのかも知れない。
メイリスの視線を追いかけるようにしてステイシアも王子の存在に気が付いた。
彼女は歓喜に飛び上がるようにして立ち上がり、姿勢を正して頭を下げる。
「お…王子殿下!ご挨拶もせず失礼いたしました」
「いや、いい。ところで君がメイリス・クロウか?」
「はい」
「用があるから来なさい。…君一人だけでいい」
ゼルキオンが付け加えたように言うので隣を見てみると、ステイシアが明らかにがっかりした顔をしていた。
反射的に頭を上げた彼女を牽制したのだろう。
メイリスは内心溜息を吐くと、命令に従って作業を切り上げた。
点検に使っていた液晶端末を胸に抱え、「ずるい」と言いたげな視線をぶつけてくるステイシアに頭を下げた。
「すみませんが、少し抜けてきます」
その言葉は結果的に嘘になった。
ゼルキオンの後ろに続いて宮殿の中を歩いていると、人気のなくなったところで突然背後から襲われた。
王子の警護をしていた男達がメイリスの口を布で塞ぎ、両手を後ろで拘束する。
抱えていた液晶端末が音もなく柔らかい絨毯の床に落ちた。
驚きに目を見開き、抵抗するメイリスに向かってゼルキオンは静かに告げた。
「悪いがしばらく君の身柄を預からせてもらう。理由は後で説明するから、今は大人しく従ってくれ」
「……」
何故こんなことをされるのか、メイリスには全く身に覚えがなかった。
それなのに説明を後回しにされ、仕事も中断させられて納得がいかない。
睨みつけてみても全く譲る気のない王子の視線に、彼女は抵抗を諦めて力を抜いた。
連れて行かれたのは宮殿の奥にある豪奢な一室で、仕事用の端末をはじめ外部との連絡手段になるものは全て没収されてしまった。
理不尽な怒りに震えたが、このまま何日も閉じ込められることになったらと思うと不安になる。
連絡をしてくれないと拗ねると言っていた愛しい恋人に、メイリスは毎日欠かさずメールを送っていた。
それが途絶えたとなったら、彼はきっと心配するだろう。
(ゲイル…)
家とは比べものにならないほど大きな窓からよく晴れた空を見上げる。
何事もなければ後1ヶ月でメンテナンスが終わり、帰れるはずだった。
これから自分の身に何が起きるかよりも、ゲイルのことがただただ気がかりだった。
一方その頃、ゲイルは懐かしい顔馴染みに再会していた。
同じエタ村出身の女の子で、名前はミーア・ランカスター。
ゲイルやメイリスとは6歳年下のエウリスだった。
彼女は前々から村を出たいと言っていたのだが叶わず、二十歳になってようやく両親から許可が下りた。
王都にある金融会社に就職が決まったため、こちらに引っ越してくるという。
ミーアから連絡を貰ったゲイルは家探しの手伝いをして欲しいと頼まれて、移動魔法陣のステーション付近で待ち合わせをした。
「ゲイル!久しぶり!」
「久しぶり。大きくなったな、ミーア」
「やだ、親戚のおじさんみたいなこと言うのやめてよ~」
「おじさん言うなよ。お兄さんだろ?」
ゲイルはいつものように妹を可愛がる感覚でミーアの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
少しでも可愛く見えるようにと整えた髪をぐしゃぐしゃにされて、ミーアは赤らめた頬を膨らませる。
「もう~!いつまでも子ども扱いしないで!私もう大人の女性なんだから」
「そうだったな、悪い。俺にとっては親戚の妹みたいな感覚だからつい、な」
「……」
その言葉にミーアは表情を暗くしたが、ほんの一瞬だったために彼は気が付かなかった。
二人は予約していた不動産屋までの道程を並んで歩く。
その途中、ミーアは目敏くゲイルの右手に違和感を見つけた。
「あれ、ゲイルの指輪…前に村に帰って来た時とは違うね。前はもっとシルバーっぽかったのに」
「よく見てるな」
「ずっとゲイルのこと見てきたからわかるよ。今度はどんな彼女なの?」
「メイリス」
「え?」
「だからメイリスだよ。今あいつと付き合ってるんだ」
「えぇ―――っ?!ウソでしょう?!」
ミーアは驚きから素っ頓狂な声を上げ、周囲を歩く人々の意識を一瞬にして搔っ攫った。
四方八方から向けられる好奇や怪訝な視線にゲイルは慌て、声を小さくするようにジェスチャーした。
「ちょっ…お前声大きい…」
「ずっと友達だったのに!!いつから?!」
「もう少しで2年経つ。ミーア、声もう少し抑えて」
それでも声量があまり変わらないのでハッキリ注意をすると、彼女はようやく声の音量を落とした。
「そんなに前から?!どうして教えてくれなかったの?!」
「どうしてって…聞かなかっただろ。前の彼女の時だってわざわざ教えたりしてなかったし」
「で、でも!私は二人のこと知ってるのに!水臭い!」
「まあ…そうか。ごめん。でも元々俺達のこと知ってる奴に話すのなんか照れくさくてさ…」
セルゲイに話をした時と同じようなむずがゆさを覚えたゲイルは、その感覚をやり過ごすために頭を掻いた。
ミーアは余程悔しかったのか涙を滲ませて不満げにゲイルを睨んでいる。
「悪いと思っているならこれから私の質問に答えてください…」
「今も答えてるだろ?」
今更な要求にゲイルは苦笑いした。
「二人は一緒に住んでいるんですか!」
「なんで喧嘩腰なんだ…?住んでないよ、別々。そのうち一緒に暮らそうと思ってるけど」
「そういう未来の話はいらないの!今のことだけ教えて、今だけ!」
「あーはいはい…わかったよ…」
面倒くさいなと思ったが、言ったら余計にヒートアップしそうなので口には出さないでおく。
「普段はどのくらいデートしてるんですか!」
「週に1、2回くらいか…?」
「それはお家デートも含まれますか!」
「含まれる…かな」
「どんなデートをするんですか!」
「そうだな…仕事帰りに夕飯食べに行くのが多いかな。メイスの家には基本休みの前日にしか行ってない。旅行とかしてみたいけど、お互いに仕事してるからなかなか休みも被らないんだよな」
5日働いて2日休むパターンが固定されているメイリスとは違い、ゲイルの仕事は休みが不規則で、冠婚葬祭以外は休みが取りにくかった。
ゲイルは警備部隊の中でも要人警護を任されることが多く、労働時間も日によって疎らだった。
そういった状況でも不満を言わないメイリスに少し不満はあるものの、体を気遣われるのは嬉しかった。
「そうなんだ…。デート中は手を繋ぎますか!」
「んー…繋がない、かな…?繋ぐこともあるけど、あいつ人前でそういうことするの恥ずかしいって嫌がるから」
「ええー!そんな女の人いるの?!メイリスらしいけど…」
「だろ?あいつらしいよな」
これはゲイルも不満だろうと思ったが、ミーアの予想に反して彼は楽しげに笑っていた。
メイリスを思い出しているのか、目元がとても優しい。
それを見たミーアは嫉妬にズキンと胸が痛んだが、平気なふりをした。
こんなことを質問すること自体、彼女にとっては自虐行為だった。
ミーアは物心ついた頃からゲイルに恋をしていた。
昔は無邪気に何度も告白していたが一度も本気にされたことはない。
今こうやって話をしていても、ミーアの燻る恋心に気付いてくれない。
ゲイルが大人の男性に見えるようになってからは告白するのが恥ずかしくなって言葉にはしていないが、それでもわかりやすく態度で示しているはずなのに彼は一向にミーアを女性として見てはくれない。
彼女はだんだん自棄になって、聞いたら後悔する際どい質問をあえてすることで「私もこういう話ができる女になったのよ」と遠回しにアピールする作戦に出た。
「じゃあ次は…どのくらいえっちしてますか」
「ん?何て言ったんだ?声小さくて聞こえなかった」
出鼻を挫くかのように聞き返され、ミーアの顔はみるみるうちに真っ赤になった。
「だから!どのくらいの頻度で…えっち、してるのかって聞いてるの!」
「はあ?!そんなこと聞いてどうするんだよ?」
「知りたいからだよ!いいから答えて!」
「ハア…週1」
呆れたような溜息を吐きながらも、ゲイルは即答した。
これまでの質問には思い出しながらの回答が多かったが、この質問には考える間も取らなかった。
「え?」
「だから、週1だって。自分で聞いたんだからちゃんと聞いとけ」
「そんなにしてるの?!デートの回数とほとんど一緒じゃない!」
「そりゃあ…会えば大抵するから。オーラルも含めてだけど」
「具体的なことは聞いていませんっ」
「そうだったな」
「どっちから誘うの?…って、待って!やっぱり今の質問はなし!」
ゲイルの態度でなんとなく答えがわかった気がして、ミーアは質問を取り下げた。
彼女の予想通りに「もちろん俺から」と答えられたら、二人の間に割り込める希望がなくなる気がした。
交際開始から約2年間、二人がえっちを週1回の頻度でしているという回答だけでもかなりの大ダメージを受けたミーアは、涙目になりそうになるのを無理やり笑顔で誤魔化した。
「とりあえず満足したから、今回の質問はこれで終わり!」
「今回ってことは次もあるのか?」
「もちろんあるよ。二人に付き合ってること秘密にされて、私すごく傷ついたんだから。その分たくさんお話聞かせてもらわないと」
「わかったわかった。ほら、お前が言ってたのあの不動産屋だろ?もうすぐそこだな」
目的地に到着すると、ミーアはゲイルと恋人同士を演じようとしたが、物件を紹介してくれる職員の女性から「かっこいいお兄さんですねえ」と言われ、初っ端から撃沈した。
宮殿の中は広いので一度も姿を見ないこともよくあるらしいが、今年は運がいいと王室好きの先輩研究員・ステイシアが鼻息を荒くする。
廊下の向こうから歩いてくる王妃に興奮する彼女の隣で同じように首を垂れながら、王妃が通り過ぎるのを待つ。
ただそれだけで終わる出来事のはずが、何故か王妃が研究員達の――メイリスの前で足を止めた。
「そこのあなた。顔をお上げなさい」
「……」
頭の中で今日のメンテナンスの予定を考えていた彼女は、王妃が立ち止まったことにも気付かず、「そこのあなた」が自分だとも思わなかった。
メイリスが王妃の命令を無視しているような状況になり、周囲がざわつき始める。
「キャラメルブロンドの、髪の短いあなたよ」
「メイリスッ、あなたのことよ…!」
ステイシアに肘で小突かれて初めて気が付いたメイリスは慌てて顔を上げた。
熟した無花果の実のような瞳が王妃の目の前に晒される。
王妃はメイリスの顔を見るなり驚愕し、付き添いの侍女や警護人の何人かも目を丸くしていた。
「お名前は何とおっしゃるの?」
「メイリス・クロウです」
「クロウ…。どちらのご出身?」
「恐れながら、エタ村です」
「エタ村…」
王妃はメイリスが答えた内容を意味深に繰り返した。
他に何を質問されるのだろうかと身構えたが、彼女はそれだけを聞いて去っていった。
呆気に取られているメイリスの背中を、ステイシアが興奮に任せてバシバシと叩く。
「王妃様に直接お声をかけていただけるなんて!あなたすごいわ!そしてずるい!」
「そう言われても…」
「ずるいから、今日から常にあなたと一緒に行動するわ。今度また声をかけられたら私を紹介しなさい!」
「はあ…」
先程の興味がなさそうな反応を見る限り可能性は低そうだったが、心の中で思うだけで口には出さなかった。
メイリスの気のない返事も期待に目を輝かせたステイシアには好意的に捉えられたようで、不本意ながらも気に入られてしまった。
それ以降王妃と出会うことはなく、メイリス達は第一王子夫妻の住む宮殿に移動した。
ステイシアはがっかりした様子だったが、まだ諦めてはいないようで一日中メイリスにくっついていた。
点検ルート通りに庭園にやって来たメイリスは、手元のタブレットに映し出された魔法陣情報に目を通し、溜息を吐いた。
「…すみません、先輩。そこにいられると仕事が大変やりにくいです」
先程まで真面目に仕事をしていたステイシアが何かに気付いたように足元にしゃがみ込んだかと思えば、メイリスの顔を下から覗き見し始めたのだ。
しかし彼女は気にした様子もなくじっと視線を送り続ける。
「あなたの瞳ってよく見たら珍しい色をしているわよね。見れば見るほど微妙に色が違って見えるし…まるで宝石みたいだわ」
「それはどうもありがとうございます」
「わあ。全く心の籠っていないありがとうね」
「籠めていませんから。人の顔ばかり見てばかりいないで魔法陣を見てください。景観が良くないですよ」
「今日も絶好調ね~メイリス」
「……」
それでも見るのを止めない彼女の心臓は予想以上の強さで、メイリスの痛烈な皮肉にも怒るどころかニコニコしている。
呆れきって空を見つめた時、近くに人の気配を感じて振り向いた。
庭に面した廊下に、この宮殿に住むゼルキオン王子殿下の姿があった。
変な顔をしてこちらを見ているので、もしかすると勤務中の私語を聞かれていたのかも知れない。
メイリスの視線を追いかけるようにしてステイシアも王子の存在に気が付いた。
彼女は歓喜に飛び上がるようにして立ち上がり、姿勢を正して頭を下げる。
「お…王子殿下!ご挨拶もせず失礼いたしました」
「いや、いい。ところで君がメイリス・クロウか?」
「はい」
「用があるから来なさい。…君一人だけでいい」
ゼルキオンが付け加えたように言うので隣を見てみると、ステイシアが明らかにがっかりした顔をしていた。
反射的に頭を上げた彼女を牽制したのだろう。
メイリスは内心溜息を吐くと、命令に従って作業を切り上げた。
点検に使っていた液晶端末を胸に抱え、「ずるい」と言いたげな視線をぶつけてくるステイシアに頭を下げた。
「すみませんが、少し抜けてきます」
その言葉は結果的に嘘になった。
ゼルキオンの後ろに続いて宮殿の中を歩いていると、人気のなくなったところで突然背後から襲われた。
王子の警護をしていた男達がメイリスの口を布で塞ぎ、両手を後ろで拘束する。
抱えていた液晶端末が音もなく柔らかい絨毯の床に落ちた。
驚きに目を見開き、抵抗するメイリスに向かってゼルキオンは静かに告げた。
「悪いがしばらく君の身柄を預からせてもらう。理由は後で説明するから、今は大人しく従ってくれ」
「……」
何故こんなことをされるのか、メイリスには全く身に覚えがなかった。
それなのに説明を後回しにされ、仕事も中断させられて納得がいかない。
睨みつけてみても全く譲る気のない王子の視線に、彼女は抵抗を諦めて力を抜いた。
連れて行かれたのは宮殿の奥にある豪奢な一室で、仕事用の端末をはじめ外部との連絡手段になるものは全て没収されてしまった。
理不尽な怒りに震えたが、このまま何日も閉じ込められることになったらと思うと不安になる。
連絡をしてくれないと拗ねると言っていた愛しい恋人に、メイリスは毎日欠かさずメールを送っていた。
それが途絶えたとなったら、彼はきっと心配するだろう。
(ゲイル…)
家とは比べものにならないほど大きな窓からよく晴れた空を見上げる。
何事もなければ後1ヶ月でメンテナンスが終わり、帰れるはずだった。
これから自分の身に何が起きるかよりも、ゲイルのことがただただ気がかりだった。
一方その頃、ゲイルは懐かしい顔馴染みに再会していた。
同じエタ村出身の女の子で、名前はミーア・ランカスター。
ゲイルやメイリスとは6歳年下のエウリスだった。
彼女は前々から村を出たいと言っていたのだが叶わず、二十歳になってようやく両親から許可が下りた。
王都にある金融会社に就職が決まったため、こちらに引っ越してくるという。
ミーアから連絡を貰ったゲイルは家探しの手伝いをして欲しいと頼まれて、移動魔法陣のステーション付近で待ち合わせをした。
「ゲイル!久しぶり!」
「久しぶり。大きくなったな、ミーア」
「やだ、親戚のおじさんみたいなこと言うのやめてよ~」
「おじさん言うなよ。お兄さんだろ?」
ゲイルはいつものように妹を可愛がる感覚でミーアの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
少しでも可愛く見えるようにと整えた髪をぐしゃぐしゃにされて、ミーアは赤らめた頬を膨らませる。
「もう~!いつまでも子ども扱いしないで!私もう大人の女性なんだから」
「そうだったな、悪い。俺にとっては親戚の妹みたいな感覚だからつい、な」
「……」
その言葉にミーアは表情を暗くしたが、ほんの一瞬だったために彼は気が付かなかった。
二人は予約していた不動産屋までの道程を並んで歩く。
その途中、ミーアは目敏くゲイルの右手に違和感を見つけた。
「あれ、ゲイルの指輪…前に村に帰って来た時とは違うね。前はもっとシルバーっぽかったのに」
「よく見てるな」
「ずっとゲイルのこと見てきたからわかるよ。今度はどんな彼女なの?」
「メイリス」
「え?」
「だからメイリスだよ。今あいつと付き合ってるんだ」
「えぇ―――っ?!ウソでしょう?!」
ミーアは驚きから素っ頓狂な声を上げ、周囲を歩く人々の意識を一瞬にして搔っ攫った。
四方八方から向けられる好奇や怪訝な視線にゲイルは慌て、声を小さくするようにジェスチャーした。
「ちょっ…お前声大きい…」
「ずっと友達だったのに!!いつから?!」
「もう少しで2年経つ。ミーア、声もう少し抑えて」
それでも声量があまり変わらないのでハッキリ注意をすると、彼女はようやく声の音量を落とした。
「そんなに前から?!どうして教えてくれなかったの?!」
「どうしてって…聞かなかっただろ。前の彼女の時だってわざわざ教えたりしてなかったし」
「で、でも!私は二人のこと知ってるのに!水臭い!」
「まあ…そうか。ごめん。でも元々俺達のこと知ってる奴に話すのなんか照れくさくてさ…」
セルゲイに話をした時と同じようなむずがゆさを覚えたゲイルは、その感覚をやり過ごすために頭を掻いた。
ミーアは余程悔しかったのか涙を滲ませて不満げにゲイルを睨んでいる。
「悪いと思っているならこれから私の質問に答えてください…」
「今も答えてるだろ?」
今更な要求にゲイルは苦笑いした。
「二人は一緒に住んでいるんですか!」
「なんで喧嘩腰なんだ…?住んでないよ、別々。そのうち一緒に暮らそうと思ってるけど」
「そういう未来の話はいらないの!今のことだけ教えて、今だけ!」
「あーはいはい…わかったよ…」
面倒くさいなと思ったが、言ったら余計にヒートアップしそうなので口には出さないでおく。
「普段はどのくらいデートしてるんですか!」
「週に1、2回くらいか…?」
「それはお家デートも含まれますか!」
「含まれる…かな」
「どんなデートをするんですか!」
「そうだな…仕事帰りに夕飯食べに行くのが多いかな。メイスの家には基本休みの前日にしか行ってない。旅行とかしてみたいけど、お互いに仕事してるからなかなか休みも被らないんだよな」
5日働いて2日休むパターンが固定されているメイリスとは違い、ゲイルの仕事は休みが不規則で、冠婚葬祭以外は休みが取りにくかった。
ゲイルは警備部隊の中でも要人警護を任されることが多く、労働時間も日によって疎らだった。
そういった状況でも不満を言わないメイリスに少し不満はあるものの、体を気遣われるのは嬉しかった。
「そうなんだ…。デート中は手を繋ぎますか!」
「んー…繋がない、かな…?繋ぐこともあるけど、あいつ人前でそういうことするの恥ずかしいって嫌がるから」
「ええー!そんな女の人いるの?!メイリスらしいけど…」
「だろ?あいつらしいよな」
これはゲイルも不満だろうと思ったが、ミーアの予想に反して彼は楽しげに笑っていた。
メイリスを思い出しているのか、目元がとても優しい。
それを見たミーアは嫉妬にズキンと胸が痛んだが、平気なふりをした。
こんなことを質問すること自体、彼女にとっては自虐行為だった。
ミーアは物心ついた頃からゲイルに恋をしていた。
昔は無邪気に何度も告白していたが一度も本気にされたことはない。
今こうやって話をしていても、ミーアの燻る恋心に気付いてくれない。
ゲイルが大人の男性に見えるようになってからは告白するのが恥ずかしくなって言葉にはしていないが、それでもわかりやすく態度で示しているはずなのに彼は一向にミーアを女性として見てはくれない。
彼女はだんだん自棄になって、聞いたら後悔する際どい質問をあえてすることで「私もこういう話ができる女になったのよ」と遠回しにアピールする作戦に出た。
「じゃあ次は…どのくらいえっちしてますか」
「ん?何て言ったんだ?声小さくて聞こえなかった」
出鼻を挫くかのように聞き返され、ミーアの顔はみるみるうちに真っ赤になった。
「だから!どのくらいの頻度で…えっち、してるのかって聞いてるの!」
「はあ?!そんなこと聞いてどうするんだよ?」
「知りたいからだよ!いいから答えて!」
「ハア…週1」
呆れたような溜息を吐きながらも、ゲイルは即答した。
これまでの質問には思い出しながらの回答が多かったが、この質問には考える間も取らなかった。
「え?」
「だから、週1だって。自分で聞いたんだからちゃんと聞いとけ」
「そんなにしてるの?!デートの回数とほとんど一緒じゃない!」
「そりゃあ…会えば大抵するから。オーラルも含めてだけど」
「具体的なことは聞いていませんっ」
「そうだったな」
「どっちから誘うの?…って、待って!やっぱり今の質問はなし!」
ゲイルの態度でなんとなく答えがわかった気がして、ミーアは質問を取り下げた。
彼女の予想通りに「もちろん俺から」と答えられたら、二人の間に割り込める希望がなくなる気がした。
交際開始から約2年間、二人がえっちを週1回の頻度でしているという回答だけでもかなりの大ダメージを受けたミーアは、涙目になりそうになるのを無理やり笑顔で誤魔化した。
「とりあえず満足したから、今回の質問はこれで終わり!」
「今回ってことは次もあるのか?」
「もちろんあるよ。二人に付き合ってること秘密にされて、私すごく傷ついたんだから。その分たくさんお話聞かせてもらわないと」
「わかったわかった。ほら、お前が言ってたのあの不動産屋だろ?もうすぐそこだな」
目的地に到着すると、ミーアはゲイルと恋人同士を演じようとしたが、物件を紹介してくれる職員の女性から「かっこいいお兄さんですねえ」と言われ、初っ端から撃沈した。
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