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本編

第14話

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俺と捺月が付き合うきっかけは彼女からの告白だった。
同じクラスで友達でもあったから彼女のことはそれなりに好きだった。
付き合ってわりとすぐの頃に男女の関係になったけど、どこか友達の延長のような感覚でもあった。
捺月が希未と俺の関係を知ったのは事件のあった年の春だった。
恋人らしくデートをした後に初めて彼女を家に連れてきたら、俺に彼女がいると知らないはずの母親がにこにこしていた。

『あら、おかえり。その子が彼女?』
『…ただいま。なんで知ってんの』
『希未ちゃんから聞いたの。聞いていた通りとっても可愛い子ね。はじめまして』
『あっ…初めまして、汐崎捺月です…』
『捺月ちゃんっていうのね。名前も可愛い』

2人の印象はお互いに悪くはなく、そのまま部屋に向かえば何事もなく終わるはずだった。
でも希未に対して異様に敵対心のようなものを持っていた俺は苛々して母親に当たった。

『希未と会ってんの?』
『さっきまで遊びに来てたのよ。ゆっくりしていけばいいのに帰っちゃった。あんたが嫌うから…』
『別に嫌ってない。母さんに余計なこと言ったりするからムカつくだけ』
『あー!彼女がいるって聞いたこと内緒にしてって言われてたんだった!ごめんごめん、驚かせようとしてたのにね』
『そんなんじゃない。母さんもあいつとあんま話さないで』
『どうして?』
『ムカつくから。もう関係ないし』
『冷たいわねぇ…こないだまで一緒に暮らしてたのに。だから希未ちゃん元気なかったのね。可哀想に…』
『うるさい!何が可哀想だよ』
『可哀想じゃない。仲良くしてたのに急に冷たくされて…って、捺月ちゃんの前で話すことじゃないわね。はい』

ジュースのペットボトルとグラスを乗せたお盆を突き付けられて、反射的に受け取る。
希未のことを知らない捺月は困惑したような顔をしていた。
『ゆっくりしていってね』と笑う母親の言葉で俺達は部屋に籠った。
どういうことかと聞かれたので中学まで希未と暮らしていた事実を話した時、彼女は驚いていたように思う。
それもそうだ。
希未とは同じクラスだったが俺から話しかけることも彼女から話しかけてくることもなく、接点なんてほとんどなかったから。

男に混じって快活に振舞う捺月やその友達とは違って、希未は教室の隅で静かに本を読むのが似合うような女の子だった。
付き合う友達も同性ばかりで、冗談を言って笑うこともあったけど大人しい部類の女子だった。
当時の俺は外見が可愛くて話が弾むような女の子が好みだったから、しずしずと後ろをついてくるような希未のようなタイプはどう接していいのかわからなくて苦手だった。
特に希未は俺のことが好きなんじゃないかと推察できるような反応や、もじもじとしてハッキリしない態度が多かったから余計に苛立った。
中学2年生頃からだんだんと希未への印象が悪くなって、俺の家を出ていってからはまともに口も利かなくなっていた。

『水城。鍵持っていきなさいね。お母さんちょっと希未ちゃんのところ行ってくるから』

その日も学校帰りに捺月を家に連れてきていて、そろそろ帰そうと玄関へ向かった時だった。
母親に呼び止められてこそこそと耳元で告げられた言葉にむっと眉根を寄せた。

『…なんで?』
『お熱出てるみたいなのよ。お父さんもまた出張で帰ってこないし…』
『……あいつ具合悪いの?』
『たぶん…連絡くれたってことは大分辛いんじゃないかな。あんまり弱音吐かない子だから…って、あらなに?その顔。嫌だ嫌だ言うくせに気してるんだから。素直じゃないわね』
『気にしてないし。早く行けば?』

揶揄ってくる母親が鬱陶しくてそう言ったものの、実際はかなり気になっていた。
教室でどんな様子だったか思い出そうとしたが、今日は彼女の顔を一度も見ていないことに気付いた。
そのまま捺月を家まで送って行ったが、気もそぞろになっているのを見抜かれてどうしたのかと心配されてしまった。
大人になった今なら希未が体調不良だから心配なんだと素直に言えるが、その時は認めたくない感情だったから適当に誤魔化した。
希未は季節外れのインフルエンザだったようで、一週間学校を休んだ。

夏休みも中盤の頃、2人は一度俺の家で鉢合わせした。

『あ……お邪魔してます』

俺と捺月に気が付いた希未がソファに座ったまま他人行儀に頭を下げた。
その態度が何故か物凄く癪に触って、感情のままに彼女を睨みつけた。

『…なんでいんの』
『ごめんなさい…すぐ帰るから』
『なんで居るのかって聞いてんだよ!』

大声で怒鳴ったら、彼女はびくっと肩を震わせて怯えた目を向けてきた。
俺の声を聞いた母親が慌てて台所から飛び出してくる。

『水城!何をそんなに怒ってるの?!希未ちゃんが何かしたの?』
『なんでこいつを家にあげたんだよ!』
『何を今更?お裾分けにってスイカ持ってきてくれたのよ。この時期は毎年いただいているでしょう?希未ちゃんはすぐ帰ろうとしたけど、暑いからちょっと涼んで行きなさいってお母さんが引き留めたの。希未ちゃんは私のお客さんです。あんたがどうこう言う筋合いはなし!』

母親の言い分は尤もで、俺はそれ以上何も言えない代わりに希未を睨みつけた。
ハラハラと様子を見守っていた彼女は俺の意図を察して立ち上がる。

『おばさん…私もう帰りますから…。麦茶ありがとうございました。飲みっぱなしですみません』

頭を下げて謝って、足早に俺の脇を通り過ぎていく。
希未を玄関まで追いかけた母親に同じように睨みつけられたが、悪いことをしたとは思わなかった。
いつでも家に来て構わないと思うのに、その日は訳もなく許せなかった。
捺月が帰った後で母親に叱られ、希未に謝るようにと言われたにもかかわらず、俺は何もしなかった。

それから秋になって、雪が降る前に事件が起きて希未はいなくなった。
落ち込む俺に母親は言った…希未に謝ったのかと。
あの日のことも教室でのことも謝れていない。
電話をしても繋がらないし、メールをしても返ってこない。
年始の挨拶ついでにと勇気を出してもう一度メールを送ってみたが、エラーで戻ってきて絶望した。
時々家の前まで行ってみたがずっとカーテンが閉まったままで人の気配はなかった。
こうなってやっと俺は希未を異性として意識していたことに気付いた。

捺月と付き合っていた期間は1年にも満たなかった。
別れ話は俺からした。
彼女は嫌だと言ったが、俺が覇気のない様子で『もう付き合えない』と何度も繰り返すので最後には頷いてくれた。
これからも友達でいさせて欲しいと言われたので納得してくれたのだと思っていたが、気持ちが冷めた俺とは逆に彼女は恋慕を募らせていった。
彼女の気持ちに全く気が付いていなかった鈍感な俺は、希未と再会したことや、結婚したい、可愛いと惚気話までした。
付き合っていた頃、俺自身も気付かなかった隠れた感情を察して希未のことを邪魔に思い、香山をけしかけた張本人の前で。

希未を苦しめたすべての元凶は俺だった。

過去を振り返れば振り返るほど、溜息しか出てこない。
吐き出した息が項にかかってこそばゆかったのか、軽く身を捩る希未にはっとする。
顔を覗き込めば変わらず穏やかな寝息を立てていたのでほっとした。
足を絡ませて抱き寄せて、彼女の左手の薬指に光る買ったばかりの指輪に目を細める。
区役所に婚姻届を提出した後、ブライダルリング専門店に行って2人で指輪を選んだ。
彼女とお揃いのプラチナリングが俺の薬指にもはめられている。

(希未が俺と結婚してくれた…)

捺月と何があったか、彼女が何をしたのか具体的に話さなくても希未はわかってくれた。
散々ひどいことをしてきた俺を愛していると言って、自ら婚姻届に名前を書いてくれた。
俺があの時素直になって希未の想いに応えていたら、もっと早く同じ結末を迎えられていたかも知れない。
だがこれまでの出来事がなければ彼女の存在をこんなに愛しく思うことも、閉じ込めておきたいほどに恋焦がれることもなかっただろう。

(大切にする。ずっと…)

今度こそはと誓いを込めて、希未の髪にキスをした。


―――俺と希未の長い、長い片思いは、この日ようやく実を結んだ。
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