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本編

希未・第1話

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私――工藤希未は、高校時代に同級生の香山君に性行為を無理強いされてからずっと撮影された動画の存在に怯えていた。
父の急死をきっかけに縁が切れても、いつかネット上に公開されるんじゃないか、何かに悪用されるんじゃないかと恐ろしかった。
いつか新しい高校や親戚中にも知られて皆から嫌悪されるんじゃないかと思うと、そうなる前に死んだ方がいいのかも知れないと毎日思っていた。
だけど死にきれなくて、でも未来に希望も持てないまま時は過ぎて、私は27歳になった。
高校を卒業した後は就職して、親戚の家を出て一人暮らしを始めた。
そして転勤した先で香山君に会った。
私は悪い偶然の重なりを呪った。
他人のふりをしたけど名前は同じだし、彼だとわかった瞬間にひどく狼狽してしまったからすぐにばれてしまった。
それからの数ヶ月は地獄だった。
こんなことになるならあの時に死んでおけばよかったと後悔した。
香山君から逃げられなくて、このまま彼の妻になって一生を終えなければならないのかと思うと絶望した。
でも心のどこかに一番好きな人とは絶対に一緒になれないのだからどうでもいいという諦めの気持ちもあった。

水城に再会した時、やっぱり私は運が悪いと思った。
すごく嫌われているのはわかっていたし、私と香山君との関係を知られたら余計に嫌悪感を持つに違いないと思って、二度と会うつもりはなかったのに。
でも彼は私の記憶の中の彼とは違っていた。
あの頃の水城は私が声をかけるのも鬱陶しがっていたのに、わざわざ会いに来て笑顔まで見せてくれた。
カフェに行くかどうか迷いがあったけれど「来るまで待ってる」と言われたら行かないわけにはいかなかった。
もしかしたらこうして会うのは最期になるかも知れない。
10年前には言えなかったさよならを言うつもりで、水城に会いに行った。

「希未、おはよう」

店内に入ってきょろきょろしていた私を迎えに来てくれた彼を見て驚いた。
確かに私達は親しい間柄ではあったけど、心の距離は通勤の電車内で会う人と変わりないはずだったのに。
彼の屈託のない笑顔を正面から見るのは小学生以来かも知れない。
別人になったような変わり様にも戸惑ったけれど、恋人みたいに一緒に注文をして支払いまでしてくれたのには更に混乱した。
前はあんなに邪険にしていたのに親身になって話を聞いてくれて、事前に警察や弁護士さんに相談までしてくれていて、あっという間に香山君から私を救ってくれた。
こんな時は一生来ないと思っていたからなんだか信じられない心地でいたけれど、留置場で香山君と決別した時に悪夢は終わったんだと実感できた。
あの日水城と再会できたのも、彼の存在にも感謝した。
嬉し涙を流したのはとても久しぶりだった。

それから私は住んでいた家を解約して水城の住むマンションに引っ越した。
彼には「結婚して一緒に住もう」と言われたけれど、結婚はもう少し考えさせて欲しいと返事を引き伸ばした。
水城はあのカフェでもプロポーズしてくれたけど、きっとそれは本心じゃない。
彼は10年前のことで私に強い罪悪感を抱いているようだった。
だから本気にしてはいけないと思った。
罪悪感が薄れてきた時、きっと彼は私よりも素敵な女性と恋に落ちる。
私の過去を知って気にならないはずはないし、純粋な愛情だけで私に好きと言っているとは思えなかったから。

(きっとそのうち飽きるよ。私は水城の好みのタイプじゃないもの)

私はかつて住んでいた家にいずれ引っ越すつもりで、水城が仕事に行っている間にこっそり準備を始めた。



水城が捺月さんと友達の国原さんと3人で飲み会に行った翌日から、彼の帰りが遅くなった。
仕事が忙しくなってと言っていたけど、私はその本当の理由を知っていた。
捺月さんからメッセージが届いたからだ。

〈私と水城は別れた後もずっと好き合ってる〉
〈今日も家まで送ってくれたわ〉

そんなメッセージが突然写真と共に彼女から送られてきて、とても驚いた。
誰が連絡先を教えたんだろう…と一瞬考えて、水城しかいないと少しがっかりした。
夜道を同じ方向に歩いている写真は、水城が仕事の日は毎日送られてきていた。
それ以外の写真もあった。
高校時代の付き合っていた頃のだったり、大学時代のだったり、社会人になった後だったり…私の知らない水城ばかり。
ろくに返信もしていないのに、彼女は何度もメッセージを送ってきた。

〈水城と別れて〉
〈水城が素直になれないのはあなたのせいよ〉
〈自分が邪魔になってるって気付かない?〉

彼女の言い分は尤もだった。
水城は毎日私に好きだと言うけど、恋愛対象にならないことは初めからわかっていた。
私が彼に「結婚しない」と言えばこの生活はすぐに終わるけど、今後のために準備をする時間が欲しかった。
だから返事を引き延ばしたままにして、実家の片付けのペースを早めて少しずつ就職活動も始めた。


それから一ヶ月くらい経った頃、水城と大型家具店へ行った日にまた着信があった。
私に連絡をしてくるのは水城か彼女だけだからすぐにわかる。
平日じゃないのに珍しいと思っていたら、どこかの家の玄関のようなところで座り込んで眠る水城の写真が送られてきた。

〈あなたのせいで喧嘩したわ。私達の幸せを壊して楽しい?〉

その喧嘩は今ではないにしても、直感的にいつ撮ったものかわかった気がした。
きっとトラブルがあって会社に泊まると言っていた日だ。

(捺月さんのお家に泊まったんだね…。私に嘘を吐いてまで捺月さんといたいなら、正直にそう言えばいいのに…)

水城が私を騙しているという事実が辛い。
写真を見ながら落ち込んでいると、隣にいる彼から呼びかけられてはっとする。
彼は帰りに会わせたい人がいると言って、私がいいと許可すると子どものような顔をして喜んだ。
約束しているというお店にいたのは男の人で、目が合った瞬間に値踏みするような視線をぶつけられて反射的に体が強張ってしまう。

「希未、俺の友達の国原。大学からの付き合いで今もたまに遊んでるんだ。いい奴だから安心していいよ」

ぎゅっと鞄を持つ手を握り締めた私に気がついたのか、水城が背中に手を回して宥めてくれる。
「こんばんは」とぎこちなく頭を下げると、彼は軽く会釈をしたあと興味がなさそうに視線を逸した。

「どうも。――この子が紹介したがってた彼女?いつ知り合ったの?」
「小さい頃からの幼馴染で、お前の結婚式に泊まった先で偶然再会したんだ」

にこにこと嬉しそうな水城は気が付いていないようだけれど、彼に歓迎されていないことは一目でわかった。
水城は緊張を解そうとしてくれているのか、食事中にも甲斐甲斐しく声をかけてくる。
その気持ちは嬉しいけど人前では気恥ずかしくて戸惑ってしまった。
国原さんの反応が気になってちらっと視線を向けてみると、彼は食事に集中していると言わんばかりに無表情だった。

「…ねえ、水城と幼馴染って本当なの?」

水城が仕事の電話で席を立ったタイミングで、この時を待ち構えていたように彼は切り出した。

「はい」
「じゃああいつに彼女がいたことも知ってる?」
「知っています」
「その彼女、俺とも同級生なんだよ。大学が一緒で、捺月も入れてよく3人で過ごしてたんだ。だから捺月の気持ちも水城のこともよく知ってる」

捺月さんの名前を聞いた途端、ズキンと胸が痛んだ。
でも私に傷つく資格はないから平静を装って「そうなんですね」と相槌を打った。

「俺はさ…水城と捺月の仲をずっと応援してたんだよ。あの2人、お似合いだろ?一緒にいて自然っていうか、他人が入る余地がないくらい仲が良くてさ。なんで別れたのかわからないくらいに」
「……」
「だから何が言いたいのかって言うと、俺は君を応援できない。今日会ってみて尚更そう感じた。君と水城は釣り合わない。できれば身を引いて欲しいと思ってる」

彼の目は真剣で、どこか怒っているようにも感じられた。
私だって水城と彼女がどれほど仲が良くて、お互いを想い合っていたか知っている。
彼女と一度別れていたことが信じられないほどだ。
彼に言われなくても、私が水城の隣にふさわしくないことは自覚している。

(国原さんにとっては、相思相愛の友達を横恋慕したとんでもない女ってことだよね)

電話を終えた水城が店に入って来るのが見えて、私は彼に微笑んだ。

「はい。わかっています」

そう言ったら変な顔をしていた。
彼は何かまだ私に話があったみたいたけれど、水城が戻ってきたことで会話は終了した。


「疲れたか?」

家に帰って国原さんとの会話を思い出しながらぼんやりしていると、水城がカフェインレスのコーヒーを淹れてきてくれた。

「ごめんな、急に会わせたりして。ちょうどあいつが近くに出かけてるってわかったからタイミングいいなと思って…悪い奴じゃなかっただろ?」
「うん。友達想いのいい人だね」
「そっか。希未にそう思ってもらえて嬉しい」

水城にとっては…という本音を隠して笑うと、水城は嬉しそうに目を細めた。
隣に座った彼にぎゅっと抱きしめられて、飼い猫を愛でるように撫でられてしまう。

「好きだよ」

水城は毎日のようにそう言っては顔のどこかにキスをする。
今日は額だった。

私の中で水城への不信感がどんどん大きくなっていった。

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