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本編

第1話

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それは10年前のこと。
当時クラスメイトで彼女だった汐崎捺月なつきのスマートフォンがなくなった。
その日は結局見つからなかったが、翌日になって意外なところから現れた。
捺月と普段あまり接触のない俺の幼馴染――工藤希未きみが、彼女のスマホを持ってきた。
どこで見つけたのかと聞いても困ったように俯くだけで、みんな希未が犯人だと疑った。
捺月の友人達に責められ、盗るところを見たという男子生徒達も現れて、希未は小さな声で否定の言葉をこぼしたが俺を含めて誰も耳を貸さなかった。
そんなことができる性格じゃないと知っていたはずなのに、俺は彼女を責める側に加担した。
噂はすぐに広まり、彼女は孤立した。
それから2週間後、化学の実験中に彼女は担任に呼び出された。
授業が終わり教室へ戻る途中、帰り支度を整えて鞄を肩にかけた彼女が躊躇いがちに声をかけてきた。
俺はそのとき、彼女が何を伝えたかったのかも聞かずに拒絶した。
今思えばまだ授業が残っているのに帰宅が許されたのだから、相応の理由だと気付けたはずだ。
でもその時の俺は、彼女に対して冷静さを欠いていた。
その日を最後に彼女は学校に来なくなり、住んでいた町から姿を消した。

今、俺――藤本水城みずきは、とある高級シティホテルに来ていた。
大学時代からの友人・国原くにはらの結婚披露宴に出席する為だ。
彼とは大学を卒業してからも連絡を取り続けていて、2年くらい付き合っていた職場の同僚と結婚すると連絡があったのは半年前だ。
俺はそんな相手を作ることもなく、気ままな一人暮らしが5年目に突入した。
付き合う女性がいなくても同性の友人達とたまに会うだけで十分だったし、新卒で入社した会社の人間関係も悪くなく、仕事も順調。
収入もそこそこで、趣味も特にないし贅沢もしていないから金に困る心配もない。
特に不自由なく暮らせているはずなのに、それでも何か物足りなかった。
心のどこかでもう一人の俺が叫んでいる。
彼女に会いたい…と。

仕事を早退し、その足で電車に乗り目的地に向かった。
ホテルに到着したのは17時前。
あらかじめ予約しておいた部屋にチェックインして荷物を置き、軽くシャワーを浴びて着替えると、急ぎ足で受付に向かった。
18時からの挙式になんとか間に合ってホッとする。
国原の緊張した顔は内心面白かったし、初めて見る新婦のはにかんだ顔からは本当に国原のことが好きなのだと感じられて嬉しくなった。
きっとこの2人は何があっても幸せでいられるだろう。幸せでいて欲しい。
披露宴の後は当然2次会へ参加し、解散したのは日付の変わる少し前。
俺はホテルに戻ると真っ直ぐに最上階へと向かった。
このホテルには最上階に大浴場があり、ありがたいことに深夜1時まで入浴が可能だった。
酒は飲んだがそれほど酔ってもいなかったし、時間ぎりぎりまでゆっくりさせてもらおうと思いながら受付に向かう。

「ご利用ありがとうございます。ご利用時間が午前1時までとなっておりますが、よろしいでしょうか」

受付の女性の穏やかな声が、疲れた体に心地良く響いた。

「はい」
「それでは、お部屋番号とお名前をお聞かせ頂けますか?」
「706、藤本です」
「706号室…藤本……水城、様ですね」
「はい」
「フェイスタオル・バスタオルは脱衣場にございます。バスローブを無料でご利用頂けますが、ご利用されますか?」
「いや、いいです」
「かしこまりました。こちらが脱衣場のロッカーキーでございます。お帰りの際、受付までご返却下さい。ごゆっくりどうぞ」

鍵を受け取って靴をロッカーに預けた後、脱衣場に続く階段を降りる。
業務的な説明をされただけだったが、彼女の声はひどく心地よく感じた。
見ず知らずの他人に癒しを感じるなんて、自覚がないだけで相当疲れが溜まっているのかも知れない。
浴場は西洋風の造りで、照明は明るすぎず暗すぎず、噴水のように流れ落ちる水音が心地よかった。
広い浴槽の中で、俺は今日の結婚式のことや、ふと幼馴染――希未のことを思い出していた。

希未は俺が8つの時、父親とふたり、斜め向かいの家に引っ越してきた。
母親はその前の年に病気で亡くなったと聞いた。
彼女の父親はこっちに転勤してきたものの、出張でほとんど家に帰らなかった。
まだ小学生の女の子を家にひとりきりにさせるわけにはいかず、偶然にも俺の父親と希未の父親が高校時代からの友人だということもあって、彼女は俺の家で生活するようになった。
高校に入学して間もなくすると、本人の強い希望もあって彼女は自宅に戻って暮らし始めた。
その頃の俺は思春期真っ盛りで、彼女にぞんざいな態度を取りがちだった。
俺の両親が引き留めても一緒に暮らそうとしなかったのは、それが原因だったのかも知れないと今になって思う。

希未がいなくなったとわかったのは、学校に来なくなってから2日後の朝だった。
新聞を読んでいた父が訃報欄に希未の父親の名前を見つけた。
人違いかも知れないと半信半疑だったが、俺が学校に行っている間に希未からも家に訃報の連絡があったらしい。
出張先で倒れて昏睡状態だったが、昨日病院で息を引き取ったということだった。
あの日希未が俺に伝えたかったのは父親のことに違いなかった。
心配になって電話をしてみたが繋がらず、メールをしても返事が来る気配はなかった。
彼女は俺が言った心ない言葉に、連絡も取りたくないと思うほど深く傷ついたのだろう。
そう思うと俺は自己嫌悪でどうにかなりそうだった。
あの頃の俺は、俺のことを異性と意識して好意を向けてくる彼女のことを疎ましく思っていた。
いるのが当たり前で格好悪いところも全部知られているし、好みのタイプではないし、ふとした時に好きだと言わんばかりの女の恥じらいを見せられて、どうしていいかわからなかった。
彼女の態度にムズ痒いような恥ずかしさを覚えて、そのことにイライラしていた。
彼女は何も悪くない。
ただ自分の感情を素直に受け止められなかっただけだ。
そんな自分の我儘で…父親が倒れたと聞いて不安な中、わざわざ俺に報告するために授業が終わるまで待ってくれていた彼女に、最低なことをしてしまった。
親族だけで葬儀をして、その後は親戚に引き取られたと聞いたがそれがどこなのかもわからない。
家は残ったままだがこの町に戻ってくるとも思えない。
このまま縁が切れてしまうのかと思うと、今まで避けていたのに無性に顔が見たくなって仕方なかった。
付き合っていた捺月との関係を続ける意欲もなくなり、彼女とはそれからすぐに別れた。

何故あの時希未が捺月のスマホを持っていたのかは、数年前の同窓会でようやくわかった。
やはり希未は犯人ではなく、悪意あるクラスメイトに嵌められて犯人に仕立て上げられていた。
理由を言えなかったのは、その時複数の男子から性的暴行を受け、真実を言えば証拠の動画を拡散すると脅されていたからだった。
自分を騙した人間にいいように扱われ、本当のことも言えず、家族同然の人間おれにも見捨てられ、誰にも信じてもらえなかったあの時の希未の気持ちを考えると、連絡を取りたくないのは当然のことのように思えた。
希未を裏切ったあの時の自分が許せなくて、罪悪感を消そうと毎晩ジムに通って体を動かすことで気を紛らわせた。
けれどその一時だけは無心になれても、すぐに思考が同じところに戻ってきてしまう。
何をしたって忘れられるはずがなかった。
そうやって無駄に体を鍛えはじめて2年、最低な自分をようやく受け入れられるようになって、希未のことも落ち着いて考えられるようになった。

(今、どこで何してるんだろうな…)

何年も一緒に暮らしていたのに、思い出すのは決まって最後に見たひどく傷付いた顔だった。
今日見た幸せそうな新婦の顔とつい比べてしまう。
今、希未は笑えているだろうか?
もし今も、あの時の事件のことで苦しんでいるのなら、もし誰も希未の傍にいて支える男がいないなら…俺が傷付けた分、あいつらに傷付けられた分、これまでの辛い気持ちを忘れるくらいに俺が傍にいて、俺の手で笑わせたい。
俺が希未を幸せにしたい。
俺の隣で、あの新婦のように幸せな顔で笑っている希未を見たい。
その望みがどんなに想っても叶わないことはわかっている。
希未に会えなければ、何の意味もない。

「ギリギリだな…」

腕時計を見ると、ちょうど1時になろうとしていた。
一度考え出すと止まらず、気が付けば営業時間終了の5分前だった。

(髪は部屋で乾かすか…)

タオルで雑に体と髪を拭いて着替える。
体が火照っていたので、スーツの上着は左腕に抱えた。
早足で受付に戻ろうと階段を上っていると、微かに話し声が聞こえてきた。
さっき受付にいた女性に、客らしき青いワイシャツ姿の男が何やら親し気な様子で声をかけている。
俺の足音に気付いて顔を上げたその男に、俺は見覚えがあった。

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