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殿下、婚約を解消致しませんか?

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「殿下、わたくし運命の人が出来ましたの。婚約を解消致しませんか?」
「……え?」

ばさり、と手に持っていた書類が床に落ちる。金髪に紅玉の瞳をした王子は、あっけにとられた顔で自身の婚約相手を見た。
漆のように黒く、艶やかな長髪と澄んだ碧眼を持つ彼女は、まだ少女と言っても差し支えないほどの容姿をしている。その姿に似合わぬ落ち着いた雰囲気と艶やかな上級貴族特有の気品は、彼女が数々の年頃の男子を魅了してきた理由のひとつだ。本人にその意思は全くないが。
王子は、動揺しながらも彼女の座るソファーの向かいに腰かける。震える手で紅茶を半分ほど飲むと、ひとつ咳ばらいをして婚約者の令嬢に向きなおった。

「……リーア、どうしてそういう結論に辿り着いたのか、ひとつずつ教えてくれないかな、僕にも分かるように」
「ああ、申し訳ありません殿下、わたくしの説明足らずでしたね」

苦笑しながらなんとか婚約者に申し出る王子に、不遜にも令嬢は「すっかり忘れていましたわ!」ポンと手を打ち、目の前に差し出された紅茶を一口啜り話し始めた。

「はじまりはただの友人関係でしたの……。廊下で迷子になっていたあの方をわたくしが教室まで案内したことを覚えておられますか?そのころから、あの方を何だか放っておけなくて。わたくしはよくあの方の世話を焼いていたのですが、ふと触れ合った指先が、頬を撫でる柔らかい香水の香りが、わたくしの心臓を高鳴らせましたの。……婚約者がいるというのに他の方に現を抜かす、はしたない女だと思われても仕方がありませんね」
「いや、はしたないなんて思っていないよ。リーアのしたいように行動するように言ったのは僕だからね。そういえばあれは何だか情けないようなところもあったな」

王子は彼女の〝運命の相手〟について思い浮かべた。王国でも名誉な職に就いていた特別な者だったため何度か交流もあり、一国の未来を担う者として臣下に加えることを前提に顔を合わせていたのだ。決して頼れるタイプではなく、むしろこちらを躊躇なく頼っていくタイプ。それがいわゆる、令嬢の母性本能をくすぐったのであろう。それだけでなく、変なところで勇気があるところも魅力の一つだと王子自身も思っていた。

「……わたくし、その頃になってようやくこの感情に気付いたんですの。……恋、というものに。殿下のことも勿論尊敬し、お慕い申し上げておりますが、殿下への感情は王族への敬愛と家族愛なのです。あの方に向けるわたくしの感情は、恋人へと向ける愛でした。……それに、気が付いてしまったのです」
「……そうか、リーア……いや、婚約者にならなくなるのなら、アメリア公爵令嬢かな。僕はあくまでも君の意思を尊重するし、運命の相手がそうだというなら好きなようにするといいと思っている。でも、貴族の責務としての政略結婚だったとはいえ、僕は仮にも王族だ。勿論国王にも掛け合ってみるが、そこのところは大丈夫なのかい?」
「……殿下……わたくしを誰だとお思いですか?公爵令嬢として様々な分野での専門知識を詰め込まれ、学園の成績は殿下を10点差で抜いたこともありましてよ?その程度、出来ないなど公爵令嬢の名折れですわ。両親と国王陛下にはもうすでに了承を戴いておりますの。あとは殿下だけですわ」
「さすがアメリア嬢。根回しも完璧だね。でも、僕への意思確認が最後ってどういう心情かな?普通こういうのって、本人たちの話し合いからの了承じゃないのかな、こういうのって。」
「では、OKということで」
「話聞こうよ。まあいいけど」

完璧な無視。これは王子と令嬢が今室内に護衛も付けずに二人きりだから出来る芸当だ。衆人の目の前でやるなど、不敬罪で処刑コースまっしぐらな言葉。6歳から8年の間、婚約者としてずっと一緒にいたのだ。婚約を解消しても、その関係は信頼に足る友人として生きていくのだろう。

「……でも、本当にいいの?魅了魔法とかかけられてないよね?まあには使えないだろうけど……」
「一応、この感情が呪いの類のものかも確認いたしましたが、まったくそのようなことはありませんでしたわ。そもそも、殿下が言うように、あの方には聖魔法しか使えないので杞憂ですけれども」
「でもアメリア嬢。を運命の相手にするなんて、流石だよ。暴れたら魔力だけで世界を滅ぼしかねない少女を、まさかそんな方法で抑えるだなんて」
「人聞きの悪いこと言わないでいただけませんか?これは愛ですの。相思相愛ですの!」
「冗談が過ぎたね、すまない。でも、自分が同性と結婚するためだけに王妃教育の知識を使って国王を説き伏せて法整備してしまうなんて、さすがはアメリア嬢だ。きみなら間違えることは無いだろうが、僕の直感でまたきみは何かやらかしそうな気がするよ……。それもまた、良いことになるのかもしれないけどね」
「発展には少しくらい刺激を与えませんと」

令嬢の左手の薬指には、今までの紅石ではなく、紫水晶のはめ込まれた婚約指輪がいつの間にか通されていた。この世界で紫水晶の珍しい色をした瞳の持ち主は、銀髪に紫眼の〝聖女〟だけだ。特注らしい、銀で細かな装飾まで凝らされている。それを見つめ、やれやれと肩を竦める王子は、続きを期待したように元婚約者のほうへまなざしを向けた。

「ところで、婚約を解消するのには了承した。でも、第一王子である僕の婚約者はどうすればいいと思う?」
「それくらい自分でしましょうよ……まあ根回し済みですが」
「それでこそアメリア嬢だ。それで、相手は誰になりそうだい?」
「殿下にも察しはついているのではありませんか?……わたくしには愛妹がいて、彼女も殿下も、それぞれのことを悪く思っていないことを。お忘れではないでしょう」
「……きみと聖女の結婚式は最高にプロデュースするよ。アメリア嬢」
「それでこそ殿下です。では、略式ですが。……婚約解消を祝って!」
「「乾杯」」

もう三分の一ほどしか残っていない紅茶のカップをそれぞれが掲げ、お遊びのようにこつんとカップ同士を鳴らした。相も変わらずに、令嬢の薬指には幸福の証が、床に散らばった王子の持っていた書類には、令嬢の妹へ渡す予定のプレゼントのカタログが挟まっていた。
世間では良いとは言えない婚約解消も、たまにはいい仕事をするじゃないか。王子と令嬢は、よく似た微笑を口に浮かべたのだった。
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