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隣国の王子にむちゃくちゃ命を狙われてる騎士団長のアジェと俺の話

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[chapter:隣国の王子にむちゃくちゃ命を狙われてる騎士団長のアジェと俺の話]
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※以下の内容が含まれます。
騎士団長×人外、隣国の王子×人外、創作BL、ファンタジー、主人公受、人外受、年齢差、流血沙汰、ゆるふわシリアス、ハッピーエンド、武骨顔圧高おっさん攻×うまれたての命ぽやぽや人外受

ラズー……精神体。一目惚れしたアジェのおっかけ。今は銀狼の身体にいる。
アジェ……騎士団長。殺されかけまくるおっさん騎士。治療中。
ライモン……副官の色男。

騎士の王国……騎士たちによる統治国家。実力さえあれば産まれは不問で取り立てられる。魔術の後進国。
魔術師の帝国……騎士の王国の隣国。魔術師による統治国家。
………………
[chapter:1《人ならずの俺、混沌の夜に[[rb:青空 > アジェ]]を見つける》]


 「……そこにいるのァ……誰だァ?」

 そう、警戒の色を見せる男の声に力はない。
 けれどぎらりと目を鋭く光らせ、いつもは見えないはずの[[rb:俺 > ・]]を射る。気配に敏感な人間にはたまに俺のような精神体を感じることができるらしい。きっとこの男もそういう類いなんだろう。
 真正面、逃げられない眼光に縫いとめられて俺は暫く息も忘れて男をじっと見つめていた。……見えないモノを見ようとするおかしな男を。
 青い目だ。夜の僅かな星明かりの中でも、その色は確かに青、だ。
 空よりも深い深い色。
 焼けた肌の色は濃い褐色。
 暗闇にわずかばかり見える髪色は明るい。
 鍛えられた顔の輪郭は引き締まり、血と獣の油と土埃とで汚れていてもなお男の価値を損なうものはないように思えた。
 それよりも光の強い目に俺は随分と長い時間吸い寄せられている。
 魅了、といえば都合がいい。
 つまりは────この青は綺麗だな、と単純に俺は見とれていたのだ。
 ほう、と甘い息をつく。
 
 ……顔の圧が強いなぁ、というのが俺の目の前で死にかけている男の第一印象だった。

 そもそも物資的なものを持たない[[rb:意識体 > 人ならず]]として世界にふわふわ漂っている俺の目の前で、生き物が死にかけるとかほんと縁起でもないのでやめてほしい、というのが本音だが。
 死ぬべき肉体なんか持つから死に喘ぐことになる。生き物とは難儀なものだ。生きるから死ぬのだ。下等生物は理解しがたいなぁ。
 良くも悪くもはっきりくっきりぎゅぎゅっとした顔の男は──騎士とかいう役には打ってつけではあるのかもしれない──その見てくれからして剣を取って戦う男という形によく嵌まっている。……と思う。
 まぁ、人間の世界における役割とか仕事とか意識しか持たない俺には関係ないし首を突っ込むほどでもない。
 血だまりのなかで光を失わないこの男の青い目が俺は気になった、それだけのことだ。

 よく観察してみれば大きな爪で引き裂かれた鎧はズタズタになっているようだ。剣は血と脂でべたべたに汚れており、刃こぼれも酷い。その傍で大きなひき肉にされた獣のほうが男よりも大分酷いものだったが。
 ……どちらにせよ、このままでは男も獣と同様にいずれ死ぬだろう。
 ああ可哀想に死ぬだろうなぁ、とは思う。なのにこの男の目にはいまだ強い光があって、それが綺麗で不思議で目が離せない。
 もう少し、見ていたいなぁ。
 それにぶち撒かれた獣の血の匂いとは違う、男から惹き付けるような甘い花の香りがしているのが俺の関心を引いた。
 自我の薄い俺の興味を惹き付けるものなんて滅多にないのに。
 この国を焼け野原にし、死屍累々の惨状を引き起こした百年ほど前の戦争をぼんやり眺めていたとき以来の興味かもしれない、これは。

 [[rb:俺 > ・]]は大した存在ではない。
 この世界において、ひとりでは生きていけない自覚すらある。
 人ならずという存在は往々にしてそういうものだ。
 肉体を持たずに精神意識のみで生まれ落ちたばかりに他者に寄生して甘い汁という魔力を吸わないと自我すら保てないで空間に飲まれる自信がある。
 微睡み────それが俺の日常でもあるのだ。

 人ならず────物資的な肉体を持たない俺のようなものは霊体とか精神体とか、精霊の類いに振り分けられる。なりそこない、とも言うか。

 だからこそ、目の前の悪夢のような惨状に俺は珍しく興奮して覚醒していた。滅多にないのだ、こういう状況は。えぐい命のやり取りは。流された血、朽ちていく肉、魂の輝きは消え失せる。

 ふいに楽しくなってつい声を出してしまった。

「こんばんはァ」
「貴様、何者だ」
「俺は通りすがりのモノだけど、人間は人ならずとか呼ぶかもね。それより、あの、もう少しだけその目を見せてくれない?」
「……は?」
「あなたが死ぬまででいい。その目、綺麗だから気に入った」

 ぐしゃぐしゃに引き千切れた足を見る限り、ちょっとどころの怪我ではない。人間の治療で元通りにくっつけるにも肉が腐ったらまずいのではと俺でもわかる。欠けた部位からとくとくと広がっていく地面の血だまりに手のひらを浸す。あ、美味しい。あ、待って、これはちょっとおこぼれ美味しいですが!

「治癒とかあまり得意じゃないけど一先ずこの血、止めるね。んで、こっちに俺が間借りしとけば少しは時間稼げるかも」
「間借り?」
「あなたの身体に宿って、ちょっと手助けしたげる。切れた血管繋いで止めて、肉を腐らせないようにしたげる。さっき逃がした人間があなたを助けにここに戻ってくるまでにその足、腐ったらまずいでしょ?」
「まさか……人ならずのお前が助けてくれるつもりか?」
「だってあなたが死んだらその綺麗な目も見れなくなるの、俺やだもん。せっかくだから、ちょこっとだけ関わらせてもらうね」
「……断ったら……?」
「このまま死にたいなら別に俺はそれで構わないけど」
「代償なしで人ならずが人間と取引をするわけが……ない、と聞いた……」
「あなたの流した血と、そこの獣の血肉もらっていいならそれで十分俺との取引には足りるよ?」
「《使役》とか《契約》はどうなる」
「……うーん、めんどいぃ……。そこまで世界に関わる気持ちは俺にはないし、生きてる間たまに俺にその目を見せてくれる? なら、それでいいや。うん、そういう《[[rb:約束 > ・・]]》でいいよ」

 この先世界に関わる気持ちはない、という俺の言葉に嘘はなかった。この時点では。ただの気まぐれだ。
 たまたま俺の目の前で死にかけている人間がいて、その目が綺麗だったから。
 命の終わりに彩られた魂にしてはあまりにも眩しくて、きらきらしていて、それが失われることになんとなく納得出来なかったから。
 それだけ。気まぐれ。なんとなく興味が湧いた。ただそれだけのことだ。

「……わかった。【約束】しよう。……よろしく、頼む」

 俺の気まぐれに生かされることを承諾した男の目は、やはり何度覗き込んでも命の煌めきに輝いていて、手の届かない空の青にとてもよく似ていた。

…………

 夜が明けた頃に男を助けにガシャガシャと鎧を鳴らして進行する一団が姿を見せて、俺は男の足からそっと離れた。獣の死骸に入り込み、成り行きを見守る。
 男の呻き声に気付いた集団が男を取り囲んで声を掛け、応急処置を始めるようだ。血はまた幾分か流れるだろうが、あとは人間の手に任せることにする。人間の命は人間の手の届く範囲で如何様にでもするのが道理だろう。

「この獣は証拠品として回収に回すように────」
「いや、ダメだ。このままここに置いていけ……」
「!?!? 団長どの! それでは隣国の王子の主張への抗議も出来なくなります!」
「……それでも。その獣には手をつけるな。すまんが、勝手にそういう取引をした」
「取引!? 一体誰とです???」
「さて、な……」

 男がどこかに運ばれていくのを見届けて、俺は置いていかれた獣の死肉を飲み込んだ。世界に触れるのに肉体が要るなんて物質体という俗物的な命というものは結構面倒なものだ。
 都合がいいことに死んだ獣は母胎持ちだったようで、俺は腹の中で生まれ損なった銀狼の胎児に一時宿ることにした。止まった心臓に息を吹き掛ける。
 動け、動け。
 初めて肉体を動かすにはこれくらいの小さな毛玉で十分だろう。
 そもそも俺はあの男の目を見に行くだけなのだ。あまり世界に触れるような存在であるべきではない。
 小さな毛玉の身体が俺に馴染むまで、時間は掛かるだろうが大したことではないし、その間にあの男もきっと足を治しているに違いないと俺は楽観視していた。

…………

 人の住む場所に辿り着いてからしばらくうろうろと街をさ迷った。挙げ句ようやく青い目の男を見つけた時、俺はこの小さな毛玉の肉体にほとほと失望していた。
 男と同じような色を持つ人間はどこにでもいて、あの男を探しだすまでに俺が宿った毛玉はぼろぼろになっていたのだ。
 この毛玉、あまりにも脆い。想像以上に、脆い。
 肉体という窮屈な器に押し込めた意識が磨り減っていくのを感じた。肉体の中はいつも満たされていないと力が出ないらしい。減るのだ、腹が。
 歩けなければ移動することも出来ないとは無力にも等しかった。さっさと肉体を捨てた方が楽だ。精神体の身軽さが恋しい。

「……その足くっついたでしょ? どうして寝てるの? 起きて起きて! 俺との約束は覚えてるよねぇ!?」

 寝台に横になった男は腕のなかに飛び込んだ毛玉に驚いて目を白黒させたが、次には何でもないように肩をすくめて、はは、と笑いだした。

「約束……ああ、あの時の[[rb:あれ > ・・]]かお前────」
「あれ? そうだよ。約束したのに、どうして足まだ動かないの?」
「……いって!! こら、足はまだ完治してないから触んな。英雄でもない俺に高度な治療師の回復魔法は使えないんだそうだ。急ぎで足の手術をしてくれた医者がいうには自力で歩けるようになる可能性は四割だとよ」
「は????? けしかけられた獣を一人で殺したあなたが英雄でもないなんて嘘でしょう? 誰なのそのバカげた判断をしたのは」
「……上の方々だぞ。逆らえるか」
「せっかく俺がその足を腐らないようにしてやったのに?」
「……ああ、お前は恩人だ。俺の命を拾ってくれた。礼を言うよ、人ならず」
「……礼なら約束通り、あなたの目を見せてよぅ」

 光を。
 青い空を。
 夜の底で見つけた[[rb:青空 > アジェ]]を。

 男は寝台から身体を起こして、毛玉の俺を抱き上げ、目線を合わせてくれた。人間の親が子どもにそうするような仕草だ。顔が近い。顔の圧もやはり強い。ほらよ、これで満足かよ?

「……ああ、綺麗……」
「お前ほんっと変わってるよなぁ?」

 うっとりと呟く俺に男は怪訝そうに顔をしかめたが、俺が満足するまで相手をしてくれたのだった。

「ラズー」

 人ならずだからラズー。男が俺をそう呼び初めてからだんだん他の人間にもそう呼ばれるようになった。
 名付けは世界に存在を固定する行為なので男にもアズラクトという名前があるらしい。本当はもっともっと長ったらしい名前があるようだが面倒だから俺は適当に男を呼ぶことにした。

「アジェ!」

 他人が付けた名前ではなく、これは俺が俺だけが男を世界に固定する為の名前だ。短く、呼びやすい。良い名だろう? 俺のラズーも良い名だろうけどさ。

「俺に、あなたの目を見せて。アジェ」

 うっとりと男の懐に飛び込めば、男は拒まずに毛玉の俺を抱き止めてくれる。そういう時間がしばらく続いた。男が寝台の住人である期間だけの話だけど。
 ────それが俺とアジェの束の間の平穏だった。

[newpage]
[chapter:2《騎士団長、[[rb:毛玉 > ラズー]]になつかれる》]


 アズラクト・エル・フルーティオ・シルクハウンド・フィオン、と言えばこの騎士の王国ではちょっとは名の知れた男だ。
 国内の貴族のなかでも有数な名家であるフィオン伯爵家の五男で、王都騎士団長を八年ほど前からつとめているのは大体この国に住んでる者ならば子どもでも知っている。
 美丈夫であればなおのこと人の口に上がるものだろうが、アズラクトは腕一本でのしあがった普通の武骨な男だったので、浮いた話とは全くの無縁だった。
 そんな36歳にもなるアズラクトが今現在、王都治療院の寝台に寝ながら小さな銀狼を腹の上で撫でているのにはちょいとした事情がある。

 数ヶ月前──隣国の第二王子護衛任務で獣の襲撃に逢い、相討ちで獣を撃退はしたものの足を一本持っていかれてしまったのだ。そこで死の淵でほとほと困っていたアズラクトに声をかけてきた奇特な人ならずがいた。
 人ならず────つまり人間でないもの。精霊とか霊魂とか、目には見えず肉体を持たないが逸脱した不思議な異能の力を持つ彼らを人間たちはひっくるめてそう呼ぶ。
 それがこの小さな毛玉だ。いや、出会ったときはうすぼんやりとした霧のような何かだったモノが【約束】を交わしたあと、この姿でアズラクトを見に来ているのだ────。
 アズラクトの目を気に入ったというそれが、アズラクトの命を救う代わりに、目を見せろというのだから意味がわからない。死にたくなくて死ぬわけにもいかなかったのでそれと【約束】をしたのだが、それが良かったのか悪かったのか、アズラクトは決めかねている。

「そうしてると親子みたいですねぇ、団長どの」
「やめろやめろライモン」

 にこにことアズラクトとラズーの様子を見守っている青年は騎士団の部下で副団長の副官の騎士であるライモンという。
 白銀の長髪と白い肌の美丈夫は騎士団一の色男であり、剣の腕も随一で、襲撃の夜も一団を引き連れて探しに来てくれたのが彼だった。団長が抜けてる我が騎士団は副団長がアズラクトの代理をしているので至って通常通りなのだそうだ。

「いいんじゃないですか。長期休養だと思えばこの療養期間ものんびりと過ごせて」
「そうは言ってもな、足が動かせるようになったから少しずつ身体は鍛え始めてるが……」
「団長どの!? いいですか、あんた、足一本持ってかれたんですよ? 本来なら前線から身を引いて除隊のところを首の皮一枚でなんとか踏みとどまってるだけなんですよ────!?!?!?」
「だがなぁ、ライモン。一通り動けるようになったら俺ァまたあの王子の護衛だとよ。ご指名されちゃ、張り切るしかねぇだろうが」
「はぁぁぁぁ!?!? そんなの断ってくださいよ、あんた一度あのくそ王子に見捨てられたんですよ!?!? 足無くしたあんた迎えに戻ったのうちの騎士団の連中だけですからね!?!?」
「ははは」
「笑い事じゃないんですから…!」

 アズラクトのことで珍しくライモンが憤るのを気恥ずかしく思いつつ、手持ちぶさたにラズーのもこもこの毛玉をむにむにと揉んだ。あったかい。やわらかい。……おもったより伸びるな、こいつ。もちもちむにむに。やわもち。
 ラズーはあの時食った銀狼の子どもの姿を取っているらしい。だがちょっと造形が残念なことになっている。
 子犬というか子熊というか、ずんぐりむっくりした毛玉にぽてぽてとした短い四つ足がある。ふさふさの長い尾はアズラクトの目を覗き込むときに機嫌よくぱたぱたと揺れるのもどうも犬っぽい。くりっとした目はアズラクトと同じ澄んだ青だが、大抵は眠そうに半分閉じている。威厳と風格のある銀狼とはとても言えない。なんか、こう……とても残念なことにかわいいものに見える。あと普通に人の言葉を話せるのも可笑しい。それが一番可笑しい。
 めんどいぃ、というのが人ならずのラズーの口癖で実際そういう性分なのだろうというのは数ヶ月の付き合いで理解してきた。飯を食うのも歩くのもめんどいぃらしく、アズラクトとラズーが再会したときはなんともまぁ酷い有り様だった。ガリガリでぼろぼろの毛玉を洗面用の盥で洗って乾かし、飯とミルクを口に突っ込み甲斐甲斐しく介抱してやって、ようやくぽわぽわもこもこの今に至る。

「……アジェ、おなか、ぷにぷに……んぷぷぷ…ぷぅ…」

 とろんとした幼い声でラズーがアズラクトの腹に額をぐりぐり押し付ける。ふわふわ尻尾がゆらゆら左右に揺れている。

「団長どの、ラズーにああ言われてますけど?」
「うるせ。落ちた筋肉戻すのにもう少し時間は要るだろうが、騎士団に復帰するときにゃ元に戻すさ……!」
「……それで、この子はどうするんです?」
「せっかくのあの日の生き証人なんだが、どうもこうもねぇな。こいつどっかに出したら殺されるだろうし。人ならずが肉体を得るなんて俺だって初めて聞いたしなァ。こういうの────どこぞの王子が好きそうじゃねぇか? ああ、まいったな……」
「隣国は魔術師の国ですしね。我々騎士の国にどうして入り浸っているのか知りませんがさっさと帰りやがれって声はあちこちから聞こえてます、はっはっは!!!」
「あの変態王子────俺にコナかけてきやがったから丁重にご辞退したら潰しにかかってきたんだよなーこえーこえー」
「うっわ、趣味が……その……隣国の王族様はゲテモノ食いなんですかね…こわいので出来うる限り近寄りたくはないですね………個人的にも組織的にも……」
「おいそりゃ随分と……不敬だぞ? ライモン」

 腹の上の毛玉はすっかり大人しく丸くなってくぅくぅ寝ている。呑気なもんだ。なんでこいつはこんなおっさんを気に入ってんだろうな。別にいい匂いもしないだろうに。

「それにしてもどうやって人ならずをたらしこんだんですか、団長どの」

 この人ならずたらし、と呆れて笑うライモンに、そんなの俺にわかるかよ、とアズラクトは不貞腐れた顔を向けるのがやっとだった。

…………
 続く
…………

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[chapter:隣国の王子にむちゃくちゃ命を狙われてる騎士団長のアジェと俺の話3~4]
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※以下の内容が含まれます。
創作BL、ファンタジー、ゆるふわシリアス、ヤンデレ、執着、溺愛、主従
………… 
ラズー(今回は出てきません)……精神体の人外。一目惚れしたアジェのおっかけ。今は銀狼の身体にいる。毛玉。
アジェ……騎士団長。殺されかけまくるおっさん騎士。治療中。
シェフィ……隣国の第二王子。全部こいつが悪い。
エレピオ ……隣国の魔術師。第二王子の従者。だいたい実行犯。

騎士の王国……騎士たちによる統治国家。実力さえあれば産まれは不問で取り立てられる。魔術の後進国。
魔術師の帝国……騎士の王国の隣国。魔術師による統治国家。
…………
[newpage]
[chapter:3《隣国の王子、裏返る愛が執念深い逆恨みへと変貌する経緯について》]

『悪いが、俺ァ……あとにも先にもこの国を出るつもりはない。他を当たってくれ。シェフィ・トゥーリ・バルジャルイス殿下』

 武骨な男の言葉もまた、武骨だった。
 シェフィの護衛任務に当たっているアズラクトという騎士団長の男は真面目な顔で真っ直ぐに向き合って答えた。
 飾り立てて繕うこともなく、真っ正直で本心しかない。
 そういうところに惹かれ、惚れて、欲したのだ。
 忙しい兄の代わりに第二王子としての国務でこの騎士の王国に滞在しているシェフィだが、帝国に帰った後もこの男を傍に置いておきたかった。
 男が誘いに乗らなかった、という現実はシェフィのちっぽけな自尊心をぐちゃぐちゃに引っ掻き回した。
 高揚していた気持ちが一瞬でぱちんと弾けて地に落ちる。ガタガタと震える足をなんとか奮い立たせて、眉間にぐっと力をいれる。気を抜いたら泣きそうになるのもシェフィの気位の高さが許さなかった。

『────後悔するぞ。いいのか?』

 非公式の場であっても、シェフィ・トゥーリ・バルジャルイスは第二王子だ。魔術師の位の最高位バリドンさえ持っている。
 それに気高く、美しく、しなやかで、年若い。王子としての権力も魔術師としての地位も力もある。
 騎士への偏見に満ちた帝国内でも囲った男一人くらい害意から守ることだって出来るだろう。

『はは。権力を行使するならば喜んで捩じ伏せますよ。俺は騎士に誇りがある。……殿下もきっとそうなんでしょう?』

 清々しいほどに真っ正直な男だった。歪みのない男。
 ────それゆえにシェフィは欲しいものを手に入れ損ねたことがすんなりと受け入れられなかったのだ。

…………

 愛と憎しみは紙一重とはよく言ったものだが、相手にいとおしい気持ちをあっさりと切り捨てられれば恨みへと反転するのもありがちな展開だと言えるだろう。
 つまり、魔術師の帝国の第二王子ともあろうシェフィがあの騎士の男に袖にされるなどあってはならない。有り得たとしてもそれを飲み込むことなど到底できないのだった。
 シェフィは男を亡き者にすることを決めた。
 なかったことにするのだ。あの男を。
 出会わなかった。惹かれなかった、惚れなかった。欲しくなかった。だから、手に出来なかったのではなく、手にしなかったのだ。ここにアズラクトはもういない。……いらない。もう、この世界にはあの男はいらない。

「あのですねぇ……シェフィ殿下。平たく言うと逆恨みですよ? それは」
「うるさいっ」
「……はぁ……騎士団長おかわいそう……」
「あの男のどこがかわいそうなんだ、私の方がよほどおかわいそうだろうがエレピオ!ああん!?」
「イヤイヤだって勝手にラブコールしてフラれたからって殺しにかかるってそりゃ理不尽にも程がありますでしょう。あんたが主人でなきゃ俺はとっくに見限ります。こえーですもん。普通に」

 軽薄な物言いをする魔術師はシェフィの従者のエレピオだ。
 まったく昔から主人への敬意が足りてない。腹がたつが魔術の腕も口もたつのでわがまま放題にこきつかってやっている。これも主人としての義務だ。
 働かざる者食うべからず。
 お前が私を見限るなど千年早いわ、バカめ。
 擦りきれるほどに酷使して、私のモノとしてその魔術も命も忠誠心も使いきってしまえバカが。
 そうでなくてもバカ従者のバカげた報告に主人は苛立っている。

「おい……魔術で支配してけしかけた獣でなぜ奇襲失敗するんだ!!!! 銀狼だぞ?!? 禁2系統の魔獣だぞ……それでもお前は帝国の魔術師か!?!?」
「あれはほぼ奇襲成功してたはずなんですよぉ? 見棄てて放置したのになんでか生還されちまったようですけど」
「確実に息を止めろ、肉片さえ残すなって命じたはずだが????」
「そもそも銀狼仕留められるほどの腕前ってのがあちらの騎士団長さんもバケモノなんですよねぇぇぇぇ、俺のせいじゃねーですし、まして銀狼にも咎めはなしですよ。実力で負けたんで。……あーっ、くっそ、そうなんです負けたんで……はぁ……」

 もうやめません?
 エレピオの提案は────もちろん却下だ。
 即断即決をシェフィはモットーにしている。

「お前、お前はっ!悔しくないのか!?私は悔しい、悔しいし、怒っている!殺したい!生かしておけるか!!あの男!!!!!アズラクトを!!!!」
「はいはい俺だってそうですよ。我が主人をこけにされて悔しくないわけねーでしょうが。俺は腐ってもシェフィ殿下の従者ですよ?」

 ……ひどい男にひっかかりましたねぇ。

 エレピオが誰のことを言っているのかわかりたくなくてシェフィは薄い唇を噛んだ。

(……ああ。本当に、な)

 ────だからいっそのこと私のものにならないのなら消えてくれ、アズラクト!

…………
[newpage]
[chapter:4《魔術師従者曰く、「これは幸運な男の[[rb:薔薇色の人生 > ラ・ヴィアン・ローズ]]の話だ」》]

 現在の主人についてからというもの、この手は汚れる一方だ。
 ……それを嘆くほどお綺麗な身体ではないが。
 苦く笑い、ふぅ、と小さく息を吐く。
 そもそも魔術とは美しく気高いものだとエレピオ・ベルフェルト・ラヂラトラムは思っていた。
 初めて魔術というものを目にしたのが主人であるシェフィ殿下の咲かせた美しい光の花だったのだ。刷り込みというのは恐ろしい。息をするように簡単にエレピオは魔術の虜になった。そして美しい主人の虜になった。
 主人の魔術は人を感動させ、心を弾ませ、うち震わせ、憧れさせた。エレピオにも魔術の素養があると認められた時は薔薇色の人生が開けたのだと思い込んでいた。

 蓋を開ければ、エレピオの魔術はひどく浅ましいものだったが。

 素養ありの魔術の属性が主人とエレピオではまったくの畑違いだったのだ。地味で目立たず、それでいてえげつない分野の魔術にエレピオは愛されてしまった。必要悪とされる暗部の魔術だ。
 禁術や呪術、邪道で下法な魔術の代償のせいでエレピオの身体はぼろ布のようにぐちゃぐちゃになっていた。
 肌の下には黒い痣が蔦のように這っていて、肉と骨を締め上げている。その度に激痛がエレピオを襲っているのだ。たまったものではない。並大抵の者なら根をあげている。
 こんな苦痛に耐えてまで魔術など使うものは馬鹿だとエレピオでさえ思うのだから。
 禁術の代償として削られていく分も相まってエレピオのまともな人間の部分はどんどん少なくなっている。服の下に隠しているだけなのだ。皮を剥げば汚泥のようなものしか残っていないとばれるだろう。
 それを主人は知らない。知っていたとしても完全な理解はしていないに違いない。主人の魔術はこのような醜い代償を求めない。魔術の代償など精々家畜の供物を捧げればよいだけのことだ。
 エレピオの意識はうすぼんやりとし始めている。
 いけない兆候だ。これは人ならずへの変異に違いない。
 人間をやめ始めていることに気付きながらそれでも魔術にすがりついているのも愚かしい。
 それでも、主人が望むことを、己はすべきだと思う。
 エレピオは主人の従者なのだから当然のことだ。
 これは執着なのか。意地なのか。敬愛、それとも恋慕か。
 それらのどれとも言えるし、どれとも言えない。はっきりと区別されることのないうすぼんやりとしたもの。曖昧な輪郭に触れれば触れるほどにとろりと溶けていく。

「なぁ、エレピオ」

 名前は、存在を世界に固定する最古の規律。
 ゆえに、おそらく────そうなのだろう。

「はい、シェフィ殿下」

 主人が呼ぶから己はここにいる……────。
 世界に溶けてなくなる寸前、エレピオがかろうじてまだ人間でいられるのはこの主人が無意識のうちに繋ぎ止めてくれているからだ。


「あの男を次こそ殺せ。確実に消せ。二度と私の前に現れぬように」


 次こそは確実に。
 命じられれば否を唱えることは不可能だ。
 美しく、苛烈な主人はエレピオの世界の中心であり、全てだった。


…………
 続く
…………

 [chapter:隣国の王子にむちゃくちゃ命を狙われてる騎士団長のアジェと俺の話5]
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騎士団長×人外、創作BL、ファンタジー、主人公受、流血沙汰、仮死状態、生け贄、命のふれあい、ふわふわシリアス、武骨顔圧高おっさん攻×うまれたての命ぽやぽや人外受、告白
………… 
ラズー……精神体の人外。一目惚れしたアジェのおっかけ。今は銀狼の身体にいる。毛玉。
アジェ……騎士団長。殺されかけまくるおっさん騎士。治療中。
ライモン……副官の色男。
シェフィ……隣国の第二王子。全部こいつが悪い。
エレピオ ……隣国の魔術師。第二王子の従者。だいたい実行犯。

騎士の王国……騎士たちによる統治国家。実力さえあれば産まれは不問で取り立てられる。魔術の後進国。
魔術師の帝国……騎士の王国の隣国。魔術師による統治国家。
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[newpage]
[chapter:5《人ならずの俺、[[rb:騎士団長襲撃現場 > アジェの死]]に再び居合わせる》]

 
「……アジェにおう!!!」

 がうう、と唸り声を上げる俺にアジェの青は困ったように細くなった。俺の好きな青の目だ。これを見るために俺は銀狼の子どもに意識を移して、ここに通っている。
 くさい、くさい、と抗議すればアジェの乾いた笑い声が落ちてくる。

「そりゃ、俺はおっさんだしまともな入浴は出来てないが……一応身体は拭いてるっての────」
「そういうのはいいの。好きだし。違うの、におうの、魔術……くさい! それ! それ! 嫌なにおい!!!! あの時の獣のにおい!!!! アジェ離れて!!!! それ嫌い!!!」
「は?」
「ぽいして!!! やなやつ!!!」

 寝台の上のアジェが抱えている花束をハッとしてライモンが取り上げる。まだ完全に動けていないアジェは悔しそうにライモンを睨む。

「……ただの見舞いの花だぞ?」
「誰からのですか、団長どの」
「ああー……どこだか、あれだ、レイエンタークの騎士団の若い連中だったかな?」
「……レイエンターク? あの人が最近視察に訪れた騎士団からですか?」
「あ??」
「団長どの。これはこちらで処分します。いいですね?」
「ええー」
「ぽいして!!!!」

 がうがう、と花束に威嚇し続ける俺の反応に苦笑するアジェとは違い、ライモンは真剣な表情で取り上げた花束を持って病室から出ていってしまった。
 花のにおいとは違う魔力の異臭を嗅ぎわけられないなんて信じられない。それも悪意のプンプンするにおいだ。くさい!!!!

「そも、アジェなんであそこにいた?」

 アジェの腹の上でコロコロ転がりつつ、尋ねてみる。

「あそこ?」
「出会ったとこ。あそこに人がくるのは、ない」
「お偉いさんの護衛でな……うーん、まぁ、俺の仕事だ。あんな辺鄙な場所に行きたいっていう王子様のわがままに付き合ってたら銀狼が襲って来やがったんだが……」
「ふぅん?」
「ラズー、そんな話よりもブラシの時間にしましょうか」
「!!!」

 花束を処分したライモンが戻ってきた。
 その手にあるブラシに俺は跳ね起きたのだった。

「ブラシ、本当に気に入ったみたいですね?」

 アジェの呼吸に合わせて上下する俺の身体はライモンとかいうアジェの部下の手によってブラシをかけられている。
 俺は今日もこうしてさらつやの毛並みを手に入れ、気分がいい。

「……ライ、めっちゃブラシきもちぃ……もっと……」

 ふにゃふにゃになった俺の要望に答えるようにライモンが毛玉をブラシで撫で付ける。力加減が絶妙だ。気持ちよさにうっとりしつつ、あふあふと欠伸をする。眠気が来ているようだ。

「……銀狼が団長どのの腹の上でブラシ掛けられてとけてるなんて信じられないんですけど」
「こいつだからなんじゃないのか」
「貴重な体験ですね」

 禁忌生育地域2系統の魔獣ですよ。滅多にお目にかからない生き物なのに。
 ライモンは時々小難しい言葉を喋るので俺には理解出来ない。でもまあ分からなくてもいいや。俺がそれで困るわけでもない。俺がここにいるのはアジェがここにいるからだ。

「いいじゃねーの、レア物の魔獣! 騎士団としては歯応えのある討伐対象だろうが!? バシッと討伐して騎士団の力を示せる好機だと思ったらいい」
「騎士ってつよつよ?」
「まぁそうだな……この国じゃ騎士が力を持ってるし、実力さえあれば産まれがどうでも見合った評価がもらえるわけだし」
「アジェもつよつよ?」
「はっはっは! ライモンの方が腕は立つぜ? んなっ?」
「人望と人柄の良さは団長どのには勝てませんよ」
「なぁんだよー、嬉しいこと言ってくれるぜ! 元気になったら奢ってやるよ、ライモン!」
「それよりも貯まってる書類の整理からしていただきますので覚悟しておいてください」
「うげっ……!」

 軽口を叩きあう二人の間が心地好くて、俺はすっかり気を緩ませていた。

…………

 ────事が起きてしまった詳細については俺はまったくわからない。
 人間の事情もなにも知らない。俺は部外者で、蚊帳の外で、見る世界が違っていて、倫理観も理も、罪も罰も、俺には関わりがないことだったから。
 俺が関わったのはアジェだけだ。
 俺が触れた世界はアジェだけだったのだ。それに付属するライはあくまでもおまけのようなものだった。

………… 

 いつものように遊びに行くと、異変があった。
 通い慣れたアジェの病室に漂う血の臭い。
 いつか嗅いだことのあるアジェのものだと俺はすぐに思い出す。

「アジェ?」

 また怪我したの?と思う。
 それだけ。また、か。
 俺、治癒はあんまり得意じゃないんだけど。
 そういえば最初に見つけたアジェは、銀狼の襲撃を受けて足を一本引きちぎられて死にかけていた。
 赤い血は夜の底で静かな海を広げているし、呼吸も乱れている有り様だった。命の終わりはすぐそこにあって、苦痛と安寧と後悔と祈りと入り乱れた感情の渦の中心に武骨な男が倒れていた。
 アジェの青い目が空を諦めなかったから、惹かれたのだ。

 今はどうだろう。

 赤く染まった寝台に横たわったアジェは空っぽな目をひらいたまま動かない。

「……アジェ? どした? アジェー? アジェ……」

 ライモンが床に膝をついて項垂れている。組んだ手が震えているようにも見える。

「ねぇ、ライ。俺が来たのにアジェ起きないけどなんでかな?」

 口の端から零れるアジェの血は温く、まだ乾ききってはいなかった。
 すり、と毛皮を寄せて、俺はアジェに肌を擦り付ける。
 ついでにぺろりとアジェの血を舐めた。
 おい、と困ったように返ってくる声もない。
 人間の血など美味しいわけでもないのに、ただ、アジェの味を知ってみたかった。アジェのくれた果実の方が甘くてとろけて美味しかった。
 好奇心だけで俺は軽率に世界に触れたくなる。
 死ぬ為に産まれて生きていくしかない、かわいい命に。
 世界に触れて、触れたからこそ、気まぐれにどこまでも俺は命を弄ぶことができる。
 人ならずとはつまりは人の倫理より外にあるのだ。
 命、ああ、なんていう世界の娯楽だろう。

「……魔術師の、男が突然やってきて……団長どのを……連れていってしまいました、あの男……っ、あれは、隣国の────」
「うーん?よくわかんない。ね、ライ。これはアジェ?」
「団長どの、でした────」
「でした?」
「────ラズー……っ!」

 その先を言いたくないだろうライモンの言葉を俺は口にすることにした。

「アジェ、殺されちゃったのか」

 ふぅん、そうか。でもまだ死にたてほやほやだからさ。まだ。

「────ライは諦めちゃう?」
「……はい?」
「諦めたら、きらきらは消えちゃうんだよ。きらきら。闇を裂く星。諦めなかったアジェの目みたいな、綺麗なもの」

 まだ、あるよ。ここに。
 ライモンが俺を見つめる。

「【約束】する? ライも俺と、【約束】する?」

 ひどいことを持ち掛けている。
 俺の気まぐれで。
 外道に落ちろと誘うのだ。人ならずの俺が。

 アジェの死をライは受け入れてしまうのか、と。

 だって俺は[[rb:倫理観 > ふつう]]なんて知らない。
 この世界のルールだけしか知らない。

「────【対価】と【代償】如何では考えなくもないですが、私は少し複雑な生まれなので……人間の理に外れることに手を出せません」
「あのねぇ、ライ。いくら人ならずでも出来ないことはあるよ。死を覆すこととか」
「はい?」
「でも生きてるなら別なの」
「……ラズー?」
「[[rb:生きてる命なら遊んでいいんだよ > ・・・・・・・・・・・・・・・]]、俺たちは」

 人ならずだからね。
 世界はいつだってそうでしょう。
 不可視で不定形の精神体の俺たちは誰にもきっと触れられずに存在するだけだ。
 あってないようなもの。
 見えないから見逃され、見過ごされ、取り残されている。

「あのねぇ、これ、おそろしく手間のかかる魔術みたい。まだアジェの気配が残ってるから間に合うはず。……死の定義はどうなってるの、人は」
「肉体の死……心臓が動かなければ、死亡判定がでます」
「それで死んだって認められちゃうのか。ふぅん……やっぱりね。肉体なんかでねー?」
「……ラズーの世界でいう認識とは違うものですか?」
「うん。ちがう。意識さえ残っていればどんな形でもそれはまだ生きている。それに【身代わり】が釣り合う【供物】ならば、誰の命であろうと問題はないんだよ。数合わせの問題だからね。ひとつの命はひとつの命。ね、ライ。ここにはちょうどいい供物があるのに気づいた?」
「……ラズー……何を言って────」
「命の円環は数合わせなの。数を揃えてあげればどうってことはないの」

 ちょうどよいタイミングで、銀狼を殺したアジェが俺と【約束】を交わしたように。
 今も、用意されたかのようにそれはここにあるのだ。

「ねぇ……捧げる供物としては[[rb:銀狼 > ラズー]]なんてちょうどいいんじゃない?」

 ぬるいアジェの腹の上で俺は無邪気に跳び跳ねてみせた。


「ね? 俺と【約束】しよ、ライ」


…………

 数合わせなの。
 命の重さなんて釣り合わない。
 ひとつ減った分の命をひとつ、埋め合わせてあげるだけ。
 この世界の命の天秤はそうして均衡を保っている。

…………

 なるべく同じ手順で屠ってほしい、とライモンに告げるとその顔が凍りついた。
 身動きが取れないまま、抗うことも出来ずに目の前でアジェを失っただろうライモンには酷なことを求めていると俺だってわかっている。でも、そうしないと手間のかかる嫌な魔術を魔術師に返すことが出来ない。

「ライ。そこの果物ナイフでいいや。両腕、両足、喉の順で刺して。最後に心臓を突く」
「…………ラズー」
「ライはアジェより腕が立つんでしょう?」

 だいじょうぶ。【約束】する。任せて。

「だって、ライも俺とおんなじでしょ?」
「おんなじ?」
「アジェがすき」

 ライモンは綺麗な顔を一瞬崩した。
 そして、握りしめたナイフを俺に向けたのだ。

…………

 肉体を捨てると意識が世界に馴染む感じがする。
 たぶん、こっちの方が俺の本質に合ってるんだ。
 アジェはきっと違うだろうけど。



 世界と交わって、
 意識を委ねて、
 俺とさよならをしようね。
 アジェ。





「アジェが好きだよ」




 だから、生きててほしい。
 きらきらしていて、俺の、[[rb:青 > アジェ]]。


……
続く
……

────────────────
騎士団長×人外、創作BL、異世界ファンタジー、、ふわふわシリアス、武骨顔圧高おっさん攻×うまれたての命ぽやぽや人外受、お別れ
………… 
ラズー……精神体の人外。一目惚れしたアジェの目のおっかけ。死んだアジェの身代わりに銀狼の肉体を捨てる。ふわふわいのち。
アジェ……騎士団長。隣国の王子に殺されかけまくるおっさん騎士。二度目の襲撃で殺された所をまたまた救われる。
ライモン……副官の色男。アジェを取り戻す為にラズーと約束を取り交わす。
シェフィ……隣国の第二王子。全部こいつが悪い。
エレピオ ……隣国の魔術師。第二王子の従者。だいたい実行犯。

騎士の王国……騎士たちによる統治国家。実力さえあれば産まれは不問で取り立てられる。魔術の後進国。
魔術師の帝国……騎士の王国の隣国。魔術師による統治国家。
────────────────
────────────────
[newpage]
[chapter:6《騎士団長、ラズーとの不本意な[[rb:ばいばいとおやすみ > お別れ]]を交わす》] 

「────今度こそ死んでくれよ? 騎士団長さま」

 それが多分────俺が最後に聞いた言葉だった。

 どこかで聞いた覚えのあるようで無いような声だった。
 確かに、今度こそ、と告げた言葉の意味を互い違えなかったとすればこいつが襲撃犯なのだろうという答えまではすんなりとたどり着けた。ただ、思考の回転はしても如何せん動かない肉体はどうすることもできない。

 外套を目深に被った細身の男は、迷うことなく俺の身体を斬り刻んだのだから。

 閃くナイフの刃に切り裂かれた喉からは息が漏れ出るだけで、もともと動ける身体ではないのだから抵抗といえる抵抗が出来ないのが悔しいが。


 せめて剣が一振りあれば。
 せめて脚が治って動けていれば。
 ────この無粋な襲撃犯に一矢報いることも出来ただろうに。


 ……ああ、これで終わりか。あいつと約束してまで生き長らえたはずだったのに、全く俺には運がないな。
 せめて、あいつが好きだといったこの目は傷つかずにいればいいが。


 騎士団長アズラクト・エル・フルーティオ・シルクハウンド・フィオンの意識はそこで潰えた────はずだった。



「あじぇ。おきて。あじぇ」



 なんとも間の抜けた危機感のない声で自分が呼ばれたことに気づいてしまうと、閉じていた目蓋はすんなりと持ち上がった。
 離れていく熱に浮かされて、ぽやぽやとしたそれを見る。
 形のない霧のようなもや。
 死にかけた自分の目にそれが映るのは二度目だ。
 やわらかく、世界に溶け損ねたそれ。

「ラズー?」

 ふわふわ毛玉のそれではないのに、思わずあいつの名を呼んだ。
 くすくすと笑うように揺れて、震えるそれがゆっくりと影のように形を取り始める。

「……なんだなんだ。なぁに笑ってんだ?」

 そもそも、ここはどこだ。
 俺はどうした。
 なんでここにいる?

「ラズー?」

 もう一度、彼の名を呼ぶ。俺が名付けた名前を。世界とひとつに溶けた輪郭をなぞるように。

「あじぇ。あじぇ、おっかしいの!世界にとけたの、あじぇなのに!」

 くふくふ。
 ラズーの屈託のない笑い声にもぞもぞとくすぐったさを感じて、つられて俺も笑ってしまう。
 多分、それどころじゃないんだろうが……知ったことかよ。
 世界に溶けた?ああそうか。人ならずの感覚だと死をそう表現するのか。 

「だからねぇ。らい、と【約束】したので、あじぇ、だいじょうぶ。おはよう、だよ?」
「は?お前こそ何言ってんだ?」
「おはよーのおじかんです」
「……」
「あじぇ、もっかい目、見せて?」
「……好きなだけ見ればいいだろうが」
「うふふ。あじぇ、きれー。きれー。キラキラ。……青いねぇ。空だねぇ?」

 いつもよりたどたどしい言葉の羅列に違和感を覚えて、眉間にシワを寄せる。ネジの切れそうなオルゴールみたいな、終わりの近い覚束なさに似ている気がして。

「どうした。ラズー、眠いのか?」
「むむ?」
「抱っこするか?」
「んーん。しない」

 拒絶ははっきりとされてしまう。ちぇ。

「いいの。これで、ばいばいだもんね。あじぇ」
「……は?」

 夢を見ているにしては嫌な夢だと思った。
 唐突すぎるラズーの言葉に返す声もなく、ポカンと口を開ける。
 別れるにしても、これはあまりにも一方的ではないだろうか。

「ンな、寂しいこというなよ……」

 ふわふわに手を伸ばしてみる。
 何かに触れる感覚はなく、けれども脆い温さがほろりと混じるような不思議な気持ちになった。おそらく人は、感触でなく温度で理解するのだろう。人ならずの存在を。
 触れもしないのに、温度はあって、気まぐれに意思の疎通もある。不可視で不可思議なもの。

「……お前、ライモンとなんの【約束】したんだ!?」

 そもそも約束なんてどうしてしたんだ……。
 あのライモンが人ならずと【約束】するはずがない。あいつは生まれの事情があるからそういうものに手を出せないはずだ。それをねじ曲げるとすればそれは……考えられる要因は間違いなく、俺、に関わることだろうが────!

「あっはは!ライ、【約束】上手だったね!ほら見て、あじぇ。お揃いだよ?」

 傷のついた身体を広げて、くるくると回ってみせるラズー。
 この無邪気で愚かで聡くて馬鹿な生き物は嘘がつけない。
 一番重要なことは上手に黙っている。
 不利益なことは何一つ教えてくれないまま世界の理にただ寄り添って、溶けて、けらけらと笑いながら馴染んでいるのだ。

 ────ラズーは嘘がつけない。

 その彼がお揃いだというのだ。
 誰と。
 なにと。
 嬉しそうに、その傷を、愛しそうに撫でながら、とろけるようにうっとりとした声で笑う。

「……俺か?」

 あのライモンが己の信念をねじ曲げるとすれば、それは。だって、そうでしか、ないだろう。

「お前、俺と同じ傷をあいつにつけろって────【約束】したのか?」

 ────俺の死を、なかったことにするためにか?

 うふふ。くふふ。
 可愛くて可愛くて嬉しそうに喉を転がす声が、響いた。

「あのねー、生きてる命なら弄んでいいんだよ。俺たちは」

 人ならずってそういうものだから。

 ────その【約束】の結果、お前はどうなる?

 あいつに問うべき言葉を俺は飲み込んでしまった。
 人である俺たちなら踏みとどまるだろう選択を人ならずのあいつはくふくふと笑いながら選べるのだ。
 生死の領域。命の行く先。
 その気まぐれで、弄ぶのを赦されている。


 ラズーは人ならずで、俺たちは人で。


 世界の理の中と外の生き物で。


────────────────

 だからねぇ。あじぇ。
 ばいばいなの。
 ……むにゃ。おやすみ。

────────────────

 次に目覚めたとき、そこは病室で、予想通りラズーの気配はどこにも見当たらなかった。
 この世界に始めから存在さえしなかったようにラズーは世界に溶けて消え去った……そんな気がした。
 そんなことはありえないと、言い切れない不安が俺の胸を塗りつぶす。


「……ラズー……お前、今どこにいるんだ?」


 世界のどこに溶けて馴染んで浮わついているんだろうか。
 早く見つけて捕らえて連れ戻さないといけない。
 そうしないともう二度と会えないような気がして、胸の奥がざわついて仕方がない。

「これでお別れなんて……寂しいじゃねぇか」

 ポツリ、と思わずこぼれ落ちた言葉が静まり返った病室に虚しく漂って、消えた。 

────────────────

 交わされた約束を思い出す。
 その代償に、これは釣り合うのだろうか。

────────────────


 後日病室に訪れたライモンに聞いたところ、ラズーは【約束】通りライモンの手によってアズラクトと同じように刃物で刺されたらしい。銀狼が息絶えたと同時に俺は息を吹き返した……つまり、そういうことだ。
 人ならずは命を弄んでいい、とは────自分の命も含めての話なのか。

「傷がお揃い、とは……なんともあの子らしいですけどねぇ」

 検死に回されたラズーの遺体を俺はまだ見ていないので正確なことは又聞きで推測するに留まるが、ライモンの報告からすれば彼との【約束】については俺自身が推理したものとほぼ変わらないものだった。生と死を取り替えてしまうほどの【約束】は人ならずのラズーでしか成しえない。
 結局ラズーに守られたこの身体には同じような刺し傷があったものの出血は止まり、どれも致命傷にはならない深さになっていたらしい。俺の体の回復は見込めるもののまだまだ病室からは出られそうにない。
 ラズーが身代わりになってくれなければ、俺は間違いなく死んでいたはずだ。
 凄惨な現場を見た者たちは騎士団長が生きているとは信じがたいと口にしたので、よもや襲撃犯も彼を殺し損ねたとは思わないだろう。……おそらく。

「いやー! しぶといですねぇ、団長どの!あっはっは!!────つーか、ほんっとうに何回殺されるんだよあんたは!!!!!」
「すまんな、二回も襲撃されるとは。……ラズーはまだあの体を取りに戻ってないのか」
「ああ、はい。……銀狼の身体は冷暗所に残ったままです」
「……おかしいな。人ならずの供物にしたなら取りに戻るはずだ。戻ってこれない事態になっているとしたら────」
「人ならずをどうこうしたい奴ってかなりイカれてますよ!」
「……心当たりがあるだろうが……」
「ああ、なるほど。あの人かぁ、ちょっと参りますよね」
「王に伝えろ。なるべく早く俺の国葬を大々的に執り行うようにと!各所に通達を出せ!あのくそ王子をこの国から逃がすな!!!!」
「えええええ!?!?」 
「ヤられたままでいられるかよ!!!!この騎士の国の騎士団長は誰だ!?!?」
「……アズラクト・エル・フルーティオ・シルクハウンド・フィオン団長です!」
「そうだろ、行け! お前は俺の手足だろ? ────ライモン、いや、ライモンダ・ヴィシス・ギュンターワルド・シオントリアム・ディキシス殿下」
「はっ! 懐かしい名を出して来て……あなたは人を使うのがうまい御方だ……!」
「もっと褒めろ称えろ!」


 青い目に光が煌めく。
 あの愚かな人ならずが惚れ込んだその青は一切の濁りもなく澄みきっていて、確かに綺麗な空がそこにあった。


「……まぁ、別に褒めてはいないんですけどね?」


[newpage]
────────────────
[chapter:7《人ならずの俺、顔だけ腹黒王子に囚われる》]
──────────────── 

 ────嫌な臭いがした。

 うげぇ、と吐きそうになりながら辺りを見回す。
 うっえぇ、これ、アジェの病室で嗅いだことのある臭いだ。お花にこびりついてたやつだ!
 ああ、嫌だ嫌だ。捨てて!はやく、ポイして!ねぇ、アジェ、ライ!これ嫌い!
 ぷんかぷんか苛立っても、俺の呼び掛けに応える人はいない。そうだ。ライとの【約束】でお別れしたんだった。
 アジェとお別れしてしばらくはぼんやりと風に身を任せてゆらゆらとその辺を漂っていたというのに、腐りかけの果実のように甘ったるくて、口にすればアルコールのように酩酊させてしまうような、虫を誘うには甘過ぎる罠のような……思惑にはまって近寄ったら囚われそうだと理解したできるからアジェには絶対に触らせたくない臭いがする。アジェには嗅いでほしくもないソレ。だいっきらいな臭い。
 いつもより世界に馴染んでふわふわした俺を苛立たせるには優秀な異臭に気を取られてしまったのが、運のつきだった。

「へぇ、こんなところに面白いのがいるじゃないか」

 ぐん、と身体の端を引っ張られた感覚があった。
 薄い光の膜が、クモの巣のように俺にべたりと張りついている。魔力の膜だ。不可視なはずの人ならずを切り取るための手段としては高等な手だった。
 世界から浮かび上がる俺の輪郭を白い指が俺のはしっこを掴んでいる。

「野良の人ならず? へー! もっとえげつない形をしてると思ったら人型かぁ……!」

 は? はぁあ? 俺の許可もなしにお触りするなんて常識がないんじゃないの、こいつ?
 こんなこと、アジェだってしないしライだってやらないと思う。
 分別を知らない好奇心旺盛な子供が虫をつつくような無遠慮さだ。
 それが余計に俺の神経を逆撫でしている。
 いらっときてしまって俺はそいつの手をバシッと払い退けた。

「や!!!!」

 汚い。ばっちい。いらない。勝手に俺に触んな、ぼけが。

「……どいつもこいつも、私を拒否するっていうのか? ……第二王子の私を……!」

 自分で王子さまだとかほざくお目出度い頭のこいつは確かに顔は整っているかもしれない。でもあとはダメだ。何よりも臭いし、きんきん高い声が気に食わない。
 性格も破綻してそうだし気位の高そうな態度から察するにきっと性根が歪んで腐りきって我が儘で独り善がりで……俺が好きになれそうな要素が見当たらない。
 アジェの目のように俺を引き寄せる魅力が全くない。全然ダメ。お呼びじゃないってことだ。
 辛辣なライのほうがよっぽど面白いし、何よりもアジェの綺麗なあの目は俺と【約束】するくらいには価値があったもの。 

 無視を決め込んだ俺にそいつは睨みをきかせて、「お前!なんとかしろ!」と叫ぶなり異様な影を一蹴りした。影は呻き声をあげて、形を崩しているようだ。その腐敗臭に俺はぎょっとして動きを止める。……あっ、こいつ!

「アジェの血の臭い……するけどなんで!?」

 腐りきった肉と脂と黒い魔力といくつもの呪いが蠢いて縛ってようやく存在しているようなその影は、ぼろぼろの外套を真新しい血に染めていた。
 その血に覚えがある。
 彼の、血だ。
 絶対にそう。
 だって間違えたりしない。
 俺は一時だけどアジェの脚が腐らないようにあの肉の中に宿って留まったのだ。
 僅かな時間だけ、アジェと俺は混じっていた。
 だから、間違えたりしない。

「それは騎士団長を仕留め損なった役立たずのゴミだが」
「……ふぅん?」
「確実に殺せと命じたのに……ははっ!やり返されてこの様では」
「でもさ、こいつのがあんたよりはマシかも?」
「……なにを!?」

 だって。ああ。やっぱり。

「きれー、だし?」

 ぐずぐずにとろけた影が、動きを止めた。

 色の濃い影は強い光から生まれる。
 じりじりと焼かれて、焦げて、焦がれて、その影を濃く深くする。
 光が強ければ強いほどに闇は深く深く底のない空虚に育つ。

「光から離れなかったんだ。……ああ、そうか。お前も」

 好きなんだね。
 離れられないくらいに。
 手離せないくらいに。

「きれー、ね?」

 その感情は夜に泳ぐ星の瞬きのように、綺麗で。
 ちかちかして、ほら、濁って澱んだ混沌の中でさえその光は煌めいて。
 
「……お前もあの騎士もどうかしている……。これよりも私の方が、美しいだろうが……っ」
「あんたがゴミみたいに捨てたものにも俺には価値があるってことだよ」
「こんなものに何の価値があるというんだ……!」
「おっかしいの! 捨てるまでは価値があったから側に置いてたんでしょ?」

 ぎりり、とつり上がる目は切れそうなくらい鋭利な光を放っている。
 怒ってる?怒ってるの?そう。俺も怒ってるよ。きっとずっとあんたよりも腹が立って苛立っている。

「あんたが捨てたものが俺の大事なアジェの血にまみれてるの。俺はそっちが気になってるだけだし。俺は基本的にアジェにしか興味ないんで────」

 王子さまはお綺麗だと自負している自慢の顔を凍てつかせて、すらりとした白い小指を口に持っていくと、がりっ、と歯をたてて噛んだ。赤い血がポタリとこぼれ落ち、足元のそれが赤い花を咲かせる。

「お前に最後の役目を与える、エレピオ・ベルフェルト・ラヂラトラム。その人ならずを私のために捕らえろ!」

 命じれば応えるのが主従である。魂の核までそれが染み着いて離れることはなかったのか。それとも真名を呼ばれたことで拒否権すらなく命令に殉じてしまうしか出来なかったのか。
 呪いと混ざりあった黒い影はとっくに人の個を保てず、目の前の俺に襲いかかってきた。まるで泥だ。べとべとと身体の外側にまとわりついて気持ちが悪い。

「やぁだ!!!!」

 暴れる俺はあっという間に泥に飲み込まれてしまう。泥の影は俺を飲み込んだまま姿を変えていく。

 ────そして、つるりとした黒い指輪が残った。

 シェフィ・トゥーリ・バルジャルイスは拾った指輪を迷うことなく自分の人差し指に嵌めて、一人満足そうに微笑んだ。

「よくやった、エレピス。今回は褒めてやろう!」

 歓喜に浮わつくシェフィの声にも黒い指輪は何の反応もなく、ただ白い指に大人しく鎮座しているだけだった。

────────────────
────────────────
8《第二王子、国葬への参加で足止めをくらう》

「お待ちください、シェフィ殿下」

 急な出立の準備に騒がしい貴賓用の離宮に現れたのは一人の騎士だった。顔の整ったその騎士には見覚えがある。あの団長の副官だからだ。アズラクト・エル・フルーティオ・シルクハウンド・フィオン、あの男の側にいた騎士。
 シェフィ・トゥーリ・バルジャルイスはいつものように麗しのかんばせを綻ばせる。内心は苛立っているがそれを外に漏らすような下手は打たない。

「……まだ何かあるのだろうか?」

 花の開くような微笑みは他者を魅了する。警戒心を抱かせないように、シェフィは心を配る。

「見ての通り我々は緊急要請が届いて今日中には自国に戻らねばいけないのだが、それ相当の理由があって我々を引き留めているのか?」

 だってもうあとはこの国に用事はない。
 すべての下準備が終わった。あちこちに張り巡らしたシェフィの魔術式は遠隔で発動できるし、魔術師が必要なら潜伏させているものが代行するだろう。友好を深めるために派遣された大使の扱いとしては厚遇過ぎて、こちらは任務がやりやすくてしかたがなかった。いつだってこの騎士の国を蹂躙することができる。
 我が国は友好など最初から求めていないのだから。
 
「……先ほど我が国の騎士団長が襲撃にあい、亡くなられました。あの方は国防の要であり、剣であり盾であった。二日後に生前の功績を称えて国葬が行われますのでシェフィ殿下にも魔術師国の代表としてご列席いただきく存じます」
「────国葬?」
「今は各国から参列の受け入れに忙しく出国は認められません。すみませんが、貴殿らの出立は英雄の国葬が終わってからになります」
「……なるほど」

 そうきたか、とは口には出さない。あれが死んだ。死んだ?そんなはずがない。そうであればエレピオは今もシェフィの側にいたはずなのだ。このようにこの指を飾っているものが存在するわけがないのだ。あれは自分の影で。
 指輪を撫でる。いとおしむような仕草にふと目の前の男の視線が落ちる。

「……素敵な指輪ですね」
「はは。そうだろう。こいつは特別なものでね、私の指にしか填まらないお気に入りなんだ。……綺麗だろう?」
「ええ、王族の身につける指輪が黒とは珍しいです。白いものの方が殿下のイメージに合っていると思うのですが」
「これは特別なものだと言っただろう?……いいんだ、これはこれの色で。生まれ持った色はなにものにも染まらずにそこにあるのが自然なのだから……」

 もう一度、指輪を撫でるシェフィに男は思い入れのある代物なのだろうと納得したようだった。シェフィもこの話は終わりだと笑ってみせる。陰りのある微笑こそシェフィの色香をもっとも匂わせるものであり、ふと香る花の匂いに動きが止まるようにシェフィが相手を黙らせたいときには有効な手だった。

「騎士団長どのにはこちらの生活でいくぶんか世話になっていたな。花のひとつでも手向けてやらねば人理に反するだろう。……国葬の件、承知した。我々は離宮でとどまることにしよう。だが国葬が終わり次第、早急に出立の手続きをしてくれるな?我々も多忙なのだ、そこは理解をいただきたい」

 美しい男たちは綺麗な顔で儀礼的なやり取りを交わす。互いの腹の底にあるものを微塵も見せることはない。王公貴族とはそういう生き物なのだった。美しい所作、儀礼的なやりとり、互いの利害をどこまで呑み込ませるか。血の流れない戦場とはそこかしこにある。
 男は踵を揃えて礼を取る。美しい所作に無駄はない。

「ええ。それはもちろんです。こちらの要請にご協力感謝します。シェフィ殿下」


…………
 続く
…………
────────────────
────────────────
9、《人ならずの俺、ぎゃん泣きしてアジェによちよちされる》

 闇魔術の網で捕縛された俺はうとうとと微睡んでいた。
 絡み付く闇と光が俺の輪郭を作って縛り付けている。形のないはずの俺の外側を練り上げる魔術は俺の思考を削り取っていく。
 そのうちもっと小さいものになりそうだな、とぼんやりしてるうちに指輪の中もまぁまぁ居心地がいいかもしれないなって思い始めるくらいには、俺はぼけぼけしていた。
 そもそも、人ならずは世界に興味をもつやつなんてあまりいない。どうでもいいのだ。だって世界が俺たちに興味を持たないで放置してるんだから。好きなように流れて流されてときどき手を出して、かき混ぜて、混じって、またどこかに移り変わって。

 そうやって、漂うだけだったのに。

 アジェの青が恋しい。あれが見たい。きらきらのやつ。この指輪の中は静かな暗闇でどこまでも暗くて眠くなる。目を閉じても、開けても同じ暗さだ。寝てるのか起きてるのかもう曖昧になってる。

「あじぇ」

 名前を呼ぶ。俺の青。俺の空。俺のきらきら。俺をこの世界に呼び寄せる約束。

「……かえらなくちゃ」

 あじぇ。あじぇ。
 あなたのそばに。
 かえらなくちゃ。

 ぴき、と殻の割れる音がする。
 小さいヒビはそこから崩壊をはじめる。
 卵から孵化する雛が嘴で殻を内側からつつくように、眠らされていた俺の感情が闇と光の網の目を掻い潜って傷をつけていく。

 裂け目から覗く世界に写し出されたのは、綺麗な花に埋もれたアジェの顔だった。

 白い指先が、白い花を手向ける。
 大きな棺の中に敷き詰められた花の白さが眩しい。
 焼けた肌には色の濃い花が合いそうなのに、と思う。
 手向ける花の色は白。白だけだった。

「……っ」

 雑音が煩いくらいに湧いて、俺を絡めとる闇と光の網が邪魔だった。ばりばりとひび割れていく指輪を割って、壊していく。だって、俺はあそこに行きたい。いかなきゃ。アジェ。なんで花に埋もれて眠ってるのかわかんない。わかんない。ライは?だって、約束。あれ、どうなった?なんでこうなってんの。

「……ちっ! 捕縛しろエレピオ!」
「やだ!!!やだ、なんでだよ、なんでぇぇ!?!?」
「っく、大人しく寝てろよ人ならず!!!!」
「やぁだ!!!やだやだやだぁぁぁぁアジェなんで寝てるのお寝坊なのおめめみしてぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 光の甲殻に縛られた俺は子どもの姿で棺のアジェに飛び付いた。
 泣きわめく子どもが突然降って湧いて英雄の国葬に現れたのでその場は悲喜交々の大騒ぎになってしまった。

「────ったく、ぎゃんぎゃんうるせーな」

 腹の上で暴れて泣きじゃくって手のつけられない獣のようになっていた俺を二本の腕が抱き上げる。

「人の腹の上で暴れるなって散々言ったろうが。ラズー?」

 青が揺れる。ぽろぽろにこぼれていく涙で歪む視界の向こうで、俺の青が、揺れている。アジェの青。アジェの目。きらきらのやつ。

 棺の中で何事もなくのっそりと起き上がった英雄の凱旋に、こんどこそ歓声が沸き上がって世界を揺らした。

「アジェ!!!!!!!」

 ひんひん鼻を啜りながら、圧の強い顔に手を伸ばす。べしょべしょのほっぺたを擦り付けて、うおおん、と吠えるとさすがに呆れたようにべりっと身体を引き剥がされた。

「なーんでガキなんだよ。いつものワンコじゃねーから戸惑うだろうが……」
「これはそこの王子さまの趣味だから文句はあっちにいって」
「……そうだな。どうしてこんな事態になったかの説明責任はそこの殿下にあるわけだから……きちんと話してもらわないと、なぁ?」

 既に逃げ場を失っていたシェフィを拘束するのは騎士団長の配下の騎士たちで、その筆頭にはライモンの姿もあった。

「……国葬などと謀って、こちらを嵌めたのか。さすが野蛮な騎士の国のものどもだな?」
「はは。ご協力感謝します、殿下」
「一介の騎士が王族の私に何が出来る?」
「一応私も王族の端くれ。騎士団が私の私兵なので」
「……あー。うちの国はそちらさんよりも規律が緩くてな?」
「寛容だと言うべきでは?」
「そうだな。身分で言えば、そこのライモンは王子なんで殿下とも格は釣り合うんですよ。これマジでそうなんで申し訳ない」

 こちらを睨み付けるシェフィの美貌はそれでもおぞましいほどに綺麗だった。

「シェフィ殿下には国家転覆罪の疑いおよび騎士団長襲撃にも関与の疑惑があります。身柄の拘束と七日の拘留は私、ライモンダ・ヴィシス・ギュンターワルド・シオントリアム・ディキシスの名において執行されますがご了承下さい」

……
続く
……
────────────────
────────────────
10、《人でなしの俺、旦那様に正式な名前をつけてもらう》

「さすがに処刑までは持ち込めなかったかぁ」
「あの国葬擬きでは、死んだ騎士団長を生き返らせた奇跡の光魔術師ですから自分の尻拭いさせるのと恩を売るだけでもよしとしないと」
「戦争回避もな……二回も死に損なった価値はあるか?」
「ないとこちらも困りますよ。ねぇ、ラズー?」
「んんん????」

 アジェの膝の上でうつらうつら船を漕いでいた俺は急に話を振られてきょとんとライモンを見上げる。
 光魔術の網が馴染んでしまった俺はあれから子どもの姿のままアジェのそばに居ることになってしまったのだ。アジェの預り、ということらしい。その辺はアジェとライモンにお任せしてる。人の世界には疎いので。

「養子縁組が一番理にかなっていると思いますけど」
「親子じゃ嫁に出来ねぇだろうがボケ」
「嫁? 嫁に? このぽけぽけ人でなしを?」
「まー。しゃーねぇ。こいつとは何かの縁だったと思うしかねーって」

 アジェがわしわし頭を撫でてくれる。それが気持ちくてふあふあとあくびが出た。二人の話しはよくわかんなくて、聞いても心の整理がつくまで待ってくれってライモンが言うから待とうと思う。待てる俺はすごい。

 アジェは俺の空だから、アジェが生きてる限りまた会えるから大丈夫って思ってたけどお別れしないでいいらしい。ふうん。そうなん?
 これからの生活はアジェが面倒みてくれるからなんの心配もないし、アジェと俺の約束は果たされるまで続くんだって。 

「あじぇ」

 大好きな俺の青。
 甘えるように名前を呼べば、アジェの低くてお腹に響く声が俺を呼んだ。


「ラズーライト・エル・フルーティオ・シルクハウンド・フィオン」


 呪文のような長い長い名前を俺はこれから名乗っていくようだ。

 これが隣国の王子に命を狙われてる騎士団長のアジェと俺の話。
 これからの話? そりゃアジェと俺のらぶらぶ夫婦生活ってやつになるんじゃないかなぁ?

……
終わり
……
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……番外編に続く(かも?)……
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