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遠すぎた月(A Moon Too Far)
前夜祭(April Fool) 6
しおりを挟む狭間と呼ばれた少佐はシアトル港の一角へ車を止めさせると、誰も居ないはずの後部座席へ振り向き、話しかけた。
「もう大丈夫だ」
その一言を合図に、座席のシートが開かれ、中から一人の白人が出てきた。
「ずいぶんと小芝居が長かったな、オロチ」
白人は少し訛りの入った英語で、コードネームを呼んだ。
「必要なことさ、グレイ」
オロチは日本語で応えた。
「あそこの検問所が目標に一番近いんだ。私が言うのも何だが、日本人という奴は一度気を許すと相手を疑うことをしなくなる」
「そのための小芝居か?」
「そうさ。それに我々と違って、多くの人間は言葉を交わした相手に敵意を持ちにくい。言語の本質は、他者との意思疎通にあるからな。意思疎通に敵意は相反する感情となる」
「なるほど、君は学者にでもなれば良かったのにな。いや、外交官でも務まりそうだ」
グレイは至極感心したように肯き、オロチは複雑な表情を浮かべた。
その間に、彼の兵士役がトランクの隠しスペースからもう一人黒人を連れてきた。
「ったく、ひでえ乗り心地だ」
黒人は流暢な仏蘭西語を操った。彼のコードネームはオクトだった。
「奴隷船よりはマシだろう?」
グレイが茶化すように言った。オクトはむっとした顔になり、何かを言いかける。
「早く行こう。予定時刻まで猶予はないぞ」
狭間の部下役だった兵士は中国語で急かした。コードネームはサイとなっている。
それぞれ割り当てられたお互いの言語を理解し、話している。彼等はそういう訓練を受けた部隊だった。
オロチ達はそれぞれ座席に隠した武器を手にした。彼等の言語と対称的に装備は米国産で統一されていた。M1ガーランド、M1バズーカにM50短機関銃などだ。唯一、オロチだけが見慣れない拳銃を持っていた。銃身が異様に長く数カ所に穴が空いている。中国のトンファーのような形状だった。4人は武器の他に、大きな背嚢を背負っていた。彼等が目標を運ぶ際に必要な物が入っている。
「小芝居が長すぎたな。まあ、想定の範囲内だ。さあ、眠り姫を迎えに行こうか」
指揮官のオロチが先頭に立って歩き出し、3人が後に続いた。
彼等の目標は、この先の波止場で安置されているはずだった。
オロチ達は途中、数カ所で寄り道をしながら目標へ向った。万が一のときを考えてのことだった。はたして彼らの予感は的中した。
港内に警報が鳴り響いた。うなり声のようなサイレンと共に、放送が侵入者の存在を知らせた。間もなくして、あちこちで日本兵が忙しく動き始める。
オロチはオクトへ命じた。
「やってくれ」
「A vos ordres」
オクトは片方の口角を上げると、手元の起爆装置を押した。港内各所で小規模な爆発が生じ、橙色の火炎が巻き起こった。瞬く間に混乱が拡大し、あちこちで銃声が生じる。
「プランBだな」
グレイがやれやれという具合にM1バズーカを手にした。
「オクト、君は俺に付き合え。攪乱するぞ。日本人と遊ぼうじゃないか」
「二人とも油断するな」
オロチがたしなめるように言った。オクトが面白くなさそうな顔で応じた。
「それは相手が日本人だからか? 身びいきってやつかい?」
「いいや、違う。向こうに、我々の同業者がいるかもしれないからだ。そいつなら、恐らく我々の目的に感づくだろう」
「オロチの言う通りだ。東洋のことわざでも言うだろう。浅い川も深く渡れだったか?」
「まあ、そんなところだ。我々の渡る川に浅いものなどないがね。それに今回渡らねばならないのは海だ」
「はは、確かに。じゃあ、また後で落ち合おう」
グレイとオクトは港内に立ち上る炎の群れへ歩き出した。
「さあ、ここからが本番だ」
オロチ達は爆発とは正反対の方向へ向かった。
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