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新世界(New World)

魔導機関(Magus system)

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―魔導機関(Magus system)―


【東京 築地 海軍大学校 昭和201945年1月11日 昼】
 矢澤やざわ中佐が、この世の地獄と化した横須賀から東京へ戻ったのは昼前のことだった。横須賀空襲から丸一日経っていた。敵艦アリゾナ撃墜・・後、横須賀へ続く幹線道路には交通規制が敷かれたため、帰京に鉄道を使わざるを得なかった。復旧のため、警察、消防の緊急車両や陸軍の歩兵連隊、海軍の陸戦隊が根こそぎ借り出され、市街各所で救助活動を行っている。朝一の列車の窓からをその光景を臨みながら、一種の後ろめたさを矢澤は抱いた。彼に直接できることは無いが、公僕の身としてやりきれ無い気持ちがあった。
 東京駅に着いた矢澤はキオスクで朝刊を手に入れた。その一面は言うまでも無く横須賀空襲で埋め尽くされている。新聞各社は似たような見出しで紙面を飾り立てていた。

『横須賀に幽霊戦艦現る!?』
『横須賀壊滅。死傷者千名以上』
『帝国海軍、敵艦の撃沈を発表す』
『山本軍令部総長、近海の警戒強化を命ず』

 一通り目を通し、矢澤は情報統制が上手くいっていることを確認した。どこの新聞も<宵月>について触れていなかった。紙面で語られているのは、あくまでも<アリゾナ>と横須賀の被害状況のみで、その
<アリゾナ>を沈めた存在については一切書かれていない。
――さすがは少将だな。
 矢澤は自分の上官六反田の根回しの早さに舌を巻いた。後で聞いたところ横須賀空襲が始まったとき、彼の上官は山口GF長官と拳を用いた激論殴り合いの大げんかを繰り広げていた。しかし横須賀の一報が届いた時点で双方とも決着を後日へ回すことにし、それぞれ自分が成すべきために東西奔走することになったらしい。
――あの二人のことだ。そう遠くない日に再戦となるだろう。
 矢澤は頭を振りながら、海大の門をくぐり、勤務先へ向かった。海大の教室を改造した執務室オフィスに近づくにつれ、何やら騒がしいことに気づく。どうやら来客のようだ。それも招かざる客のようだ。激しい語気で誰かを責め立てていた。
――まさか、山口長官か?
 いや、そんなはずはない。あの長官がこんな流暢な罵倒を披露するわけがない。そんなことをするくらいなら、とっくに拳で訴えているだろう。だいたい何よりも異なるのは、声の主が明らかに女のそれだった。
 まさかとは思うが、痴情のもつれではあるまいなと思う。彼の上官ろくたんだは平均より明らかに容姿が下回る醜男だが、この世にはその類いの男を好む女子もごく希に居る。全く面白くないことに、六反田はその手の女との巡り合わせが不気味なほどよかった。
 ドアの前まで来てようやく矢澤は声の主の当たりをつけた。出来れば顔を合わせたくない相手だったので、回れ右しようかと思った。どの道、自分が踏み込んだところで状況は変わらぬだろう。それどこから悪化しかねないと思った。好んで修羅場に突入するような質ではない。戦場ならば話は違うが……。
 矢澤が静かに立ち去ろうとしたときだった。罵倒の音源が急速に近づき、ドアが開け放たれた。思わず相手と目が合ってしまう。
 短く整えられた金髪はカールがかかり、その身を紺の下地に白の縞模様ストライプの入った婦人用スーツに収めている。独逸人特有の彫りの深い目縁の奥には、深い蒼色の瞳が収まっており、頬骨がくっきりと浮かび上がりスマートな印象を覚えさせる。美しさと知性を両立させた顔立ちだった。その顔は怒りによるもので上気しており、柳眉は逆立っていた。
 彼女は矢澤が逃亡を謀ろうとしていたことに気づいたらしい。これ以上ないほどに鮮烈な笑みを浮かべた。
「これはこれは矢澤中佐、ごきげんよう」
「どうもフロイライン・リッテルハイム」
 キールケ・リッテルハイムは豹のような視線を浴びせてきた。不用意なことを言いようものなら精神をずたずたに引き裂かれそうだ。矢澤は相手の反応を待つことにした。
「あなたの上官は軍人では無く商人になるべきだわ。こんな世界で、この国が潤っている理由も納得よ」
「はあ、それは……」
 矢澤は敢えて言葉を濁した。どうやら彼の選択は誤りでは無かったらしい。
失礼エンシューディグン
 そっけなく言い放つと、その独逸人は出て行った。
 遠ざかるヒールの足音を背後に聞きながら、矢澤は額の汗を拭った。
「ただいま戻りました」
「ご苦労」
 室内の書類の山奥から六反田の声が聞こえる。昨日よりも一層散らかっているのは、山口と交わした激論・・のせいだろう。
「君はいつも一足遅いな。もう少し早くくれば、面白いものが見られたぞ」
「何があったのです? あの女史リッテルハイムがここまで足を運ぶなんて。まだ演算機の件を根に持っているのですか? ものすごい剣幕でしたよ」
「ずいぶんと殺伐とした評価だな。君は誤解しているぞ。我々は極めて有意義な取引を行ったのだからな」
 六反田はわざとらしく鷹揚に肯いて見せた。恐らくあの女史にとって碌でもない取引だったのだろうと確信する。
「取引? なんです?」
「まあ、そいつについては後回しだ」
 六反田は煙草に火をつけた。「まあ、座れ」と矢澤に椅子を勧める。パイプ椅子を占拠している書類の束をデスクに積み、矢澤は腰を落ち着けた。
「<宵月>は想定以上に活躍したそうじゃないか」
「想定外にもほどがあるってもんですよ」
 改めて見ると、六反田は左目付近に青あざをつくっていた。恐らく山口によるものだろう。
「閣下も奇襲を受けられたようで」
「莫迦を言え。オレの場合は想定内だよ」
 六反田は、椅子の上でふんぞり返り、ふてぶてしい嗤いを木霊させた。二重あごが揺れる。
「あれが無事に稼働してくれたのは喜ぶべきことだ。それもこれ以上にないほど劇的センセーショナル初陣デビューだ。便所で俺たちの論評を垂れた莫迦どもも、少しはおとなしくなるだろうさ」
「まあ、ただ飯食らい予算泥棒の汚名は返上できそうですが……」
 矢澤は複雑な心境で同意した。確かに<宵月>の上げた戦果は、軍内での月読ツクヨミ機関の地位を押し上げるだろう。だが、それは横須賀の犠牲の上に成り立っている。
 矢澤の心境を察したのか、六反田は表情を切り替え、笑みを消した。
「矢澤君、我々には時間が無い。君はわかっているだろう? この戦争に銃後なんてないんだ。BMはどこにでも現われる。そして現出すればそこは地獄と化す。5年前の東京湾決戦を忘れたか?」
「忘れるはずがないでしょう。なんのために我々が必死になって、あの装置を開発したと思っているのです」
 矢澤は語気を荒げた。彼の身内も少なからず魔獣の犠牲に遭っている。姪っ子は片腕を持って行かれた。
「そうだ。オレ達が相手にしているのは魔の軍勢だ。そして残念ながら、我々の世界に英雄はいない。黙示録のごとく神の使徒が降臨してくるわけでもない。ヤツラの始末はオレ達人類がつけるしかないんだ。向こうが魔導この世ならざる力で、この世界の法則を変えてくるなら受けて立つしかなかろう。そのための月読機関であり……そして魔導機メイガス艦<宵月>だ」

 魔導機メイガスはハワイ沖で回収されたカプセルを元に月読機関が開発した装置だった。それは、あらゆる碩学体系から外れた理論ことわりによって、構成されている。
 あるものは呪術と言い、別の国では魔法マジックとも言われ、千年前ならば我が国では陰陽道と呼ばれていた。いずこにしろ、いつであれ、この世ではまやかしの類いとされ、多くの著名人ペテン師を輩出してきた分野だった。この世の法則を科学で定義してきた人類にとって、それらは地平の彼方へ追いやったはずの理論だった。よもや20世紀に入って、そのまやかしに頼らざるをえなくなるとは誰も思わなかっただろう。そう真珠湾に黒い月が現われるまで。
 六反田は煙草の火を灰皿でもみ消すと、立ち上がり背後の窓の外へ目を向けた。透き通るような青空が広がっている。
「御調少尉から報告があったよ。儀堂大尉へ魔導機関メイガスシステムのことを明かしたらしい」
「当然でしょう。隠しきれるものではありませんから。それで彼はどんな反応を?」
「納得したそうだ」
「……納得? それだけですか?」
「ああ、さして驚きもせず、疑問も挟まずに彼は事実を受け止めた。オレは意外に思わんよ。何せ彼はあの装置を用いて、横須賀を救ったのだから」
「それは確かに、その通りですが――」
「矢澤君、君を含め多くの人間は自身が思っている以上に素直なものだ。事実を突きつけられたとき、それが自分にとって不都合な内容で無ければ、すんなりと受け入れてしまう」
 矢澤は六反田に魔導の存在と月読機関の目的を知らされたときのことを思い出した。彼は上官の話を聞いたとき、ついに気がおかしくなったと確信した。実際、腕の立つ精神科医を紹介したほどだった。だが、すぐに矢澤は認識を改めさせられることになった。六反田は矢澤を宮内省に連れて行き、そこで魔導に関して極秘に研究が続けられていることを明かした。そして実際に、魔導師と呼ばれる存在が超常の術を行使する瞬間を目の当たりにしていた。
「かく言うオレとて、五年前ハワイに黒い月が現われるまで、そんな外法の存在なんぞ知りもしなかったさ。BMの報告書を目にしたとき、オレは正直なところうらやましいと思ったよ」
「うらやましい?」
 矢澤は目を剥いた。
「考えてもみろ。高度な防護機能と機動力を有し、ただ空中に方陣を描くだけで兵力魔獣を無尽蔵に送り込んでくるんだぞ。言ってしまえば、あれは移動可能な策源地、兵站とコストを度外視で陸海空を制覇可能な超弩急空母だ。畜生、こんな反則があってたまるか。魔獣は御免だが、BMは欲しいと本気でオレは思った。だから、宮内省の連中から日本に似たようなわざを行使できるヤツラがいると聞いたとき、迷いなんぞ無かった。向こうが反則技を使ってくるのならば、こっちも同様に応じてやらねば不公平アンフェアも甚だしい」
 六反田に宮内省直属の魔導師を紹介したのは、彼を月読機関に推挙した宮家の大将だった。その大将は六反田に、魔導の存在を明かし、軍事転用を進めるよう彼に命じた。その結果、開発されたのが魔導機関だった。魔力を増幅し、通常では行使できない奇跡と呼ばれる業魔法を実現する装置だった。
「……魔導機メイガス
 <宵月>に搭載された秘匿兵器を口にし、改めて業の深さを感じ入る。魔獣に対抗するためならば、外法の力を利用し、それに何ら痛痒すら感じない。人類とはかくも生存に貪欲な生き物なのだ。
 矢澤は近代哲学者神を彼岸に追いやった男の言葉を思い返した。
――深淵をのぞかば……か。
 ふと矢澤は誰かの視線を感じ、周囲を見渡した。
 矢澤君と呼ばれ、彼は上官の方へ向き直った。
 その面持ちに恐怖に近い感情と抱く。
「ヤツラが化け物なら、オレは戦争の怪物だ。<宵月>のおかげでようやくオレ達は同じ土俵へ立つことができる。連中の首魁が何だか知らん。魔王サタンだろうが、閻魔だろうが、何だってかまわん。オレ達に喧嘩を売ったことを絶対に後悔させてやる。ああ、実にこいつは楽しみじゃないか」

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