上 下
16 / 99
北米魔獣戦線(North America)

緩衝地帯(Buffer zone)

しおりを挟む
―緩衝地帯(Buffer zone)―

【アメリカ合衆国 ノースダコダ州北部 ダンシーズ近郊の山岳地帯 1945年3月11日 昼】
「トキワより、バンダイへ。阻止攻撃を要請、送れ」
『こちらバンダイ。トキワ、状況知らせ』
「大規模な魔獣群に遭遇。敵は複数竜種の混合群体。タイプはワーム蛇竜バジリスク四足竜が中心。小型が大半だ。とにかく何でも良いから、ありったけの火力を叩き込んでくれ。このままでは緩衝地帯バッファを越える。送れ』
『トキワへ、位置を知らせ。七連隊の加農砲ジッカを回す。送れ』
「ありがたい。こちらは観測準備良し。修正可能。送れ」
 今井彰いまいあきら大尉は大隊本部へ座標を伝えた。
『贅沢はできないぞ。君の他にも飢えた部隊はいる。一門当たり5発までだ。送れ』
 たったの5発? 連隊には16門の重砲が配備されている。80発……それで何ができる?
「こちらトキワ、わかっている。可能ならば航空支援の要請も頼む。とにかくヤツらの南下はまずい。終わり」
 今井は無線を切った。彼は今は放棄された鉄塔の根元にいる。元は五大湖周辺の水力発電施設で精製された電気を西部へ流すために造られたものだった。道路脇の小高い丘に設置されたが、5年前の混乱のさなかで放棄され、今は奇妙に折れ曲がった鋳造芸術品となっている。
 双眼鏡を構えると、鱗の川が映し出された。山間部に通された道路を数十頭のワームとバジリスクの群れが列を成して大挙してくる。体長は5~10メートルほど、歩行速度は目測で30キロは出ているだろう。図体がでかいトカゲのくせに、足は速かった。
――あそこで引き返すべきだったか……。
 そう思わずにはいられなかった。彼が率いる第九歩兵中隊は、ダンシーズという街の近郊にある山間部の哨戒に当たっていた。大隊本部の命令では、魔獣の遭遇に際しては速やかに報告し、可能な限り戦闘を避けよとのことだった。今井は途中まで任務に忠実だった。彼は兵士を散開させ、山間を等間隔で歩かせた。哨戒範囲は、大隊本部がある近隣のキャンプ場を中心20キロ圏内の予定だった。7日間かけて哨戒を行い、明日大隊本部へ戻り、他の中隊と交代予定だった。
「恐らく駆除は完全に終わっていますよ」
「この前の戦闘でずいぶんとやっつけたからな」
 兵士達とそんなことを交わしながら、今井は山道を歩いていた。彼の故郷では桜が咲き始めていたが、ここアメリカ北部はまだ肌寒さを残していた。日によっては吐く息が白くなるときすらある。
「最後の目撃記録は去年の11月だったな」
「今日で観測180日目です。明日から警戒区域イエローから解除区域グリーンに変わりますよ」
「この緩衝地帯もおさらばか」
 彼らが行動限界に近づいたときだった。兵士の一人が、奇怪なうなり声を聞いたと報告してきた。
「そうかよくやった」
 微笑むと労うように兵士の肩を叩き、兵士も満足げに肯いた。内心ではド畜生めと思ったが、おくびにも出さなかった。別段兵士を恨んだわけでは無い。よりにもよって、今日という日哨戒期間の最後に出没してくれた魔獣を呪ったのだ。
「中隊集合!」
 今井は散開させた兵を集結させると、報告してきた兵士に先導させた。やがて山の中腹に、不自然な形状の洞窟を発見する。直径は20メートルほどでそれは明らかに自然発生的にできたのではない。何ものかが土を掘り起こし、地中へ入り込むために作り上げたものだ。
 今にして思えば、ここで引き返して無線で増援を呼ぶべきだった。しかし、間の悪いことに彼が洞窟に到着したとき、その宿主が顔を覗かしてしまった。身を隠す間もなく、爬虫類特有の縦線の瞳孔と目が合う。その数は合計10以上はあった。遅めの朝食をとるため、5~6匹の小型竜種が洞窟から這い出てきた。
「総員走れ!」
 今井の中隊は全速で山を下り、各自がジープへ飛び乗った。それから全速力で今井は鉄塔まで飛ばし、今にいたる。彼の中隊は鉄塔を中心に急ごしらえした陣地から、竜の群れを観測していた。
『トキワへ、荷物を発送する。受け取り主の様子を報告せよ』
「こちらトキワ、了解」
 今井の中隊がいる10キロほど後方から、大気を大きく震わせる音が響いた。重砲隊の試射が始まった。
 今井は再び双眼鏡で道路を確認する。まだかと思った瞬間、空気を裂くような音が響き、直後道路が破裂する。舗装材コンクリートとともに肉片、臓物、そして千切れた鱗が空中高くまき散らされる。
 今井は頬を引きつったように震わせると、少しだけ安堵した。よかった。砲隊のヤツラは手練れベテランのようだ。
「こちらトキワ、バンダイへ。修正射の要なし。残りを発送してくれ」
『バンダイ、了解』
 それから約10分に渡り、重砲隊は鱗の川竜の群れに榴弾の雨を降らせ続けた。着弾のたびに、潰れた柘榴ざくろのような模様が描かれる。壮絶の一言に尽きる光景だった。80発の10ミリ榴弾の洗礼により、山盛りの肉塊ミンチが道路へぶちまけられた。
 砲撃が突然止み、静寂と共に700メートル先から硝煙混じりの土煙、そして死臭が漂ってきた。
『バンダイより、トキワへ。これで看板だ』
「トキワ、了解。残敵を現位置にて迎撃戦闘を行う。引き続き、可能な限り支援を頼む』
『バンダイ、了解。すまない。今日は注文が多くてな。手近な部隊を増援に向わせている」
「バンダイへ。気にするな。騎兵隊の到着をここで待つ。終わり」
 今井は迫撃砲の準備をさせた。気を利かせた軍曹が、既に陣地転換を終わらせていた。土煙の向こうから、怨嗟のような咆哮が聞こえてきていた。
ロタ砲バズーカは何発残っている」
「各分隊で7~8発。合わせて30発です」
 彼より10以上年の離れた軍曹が即答した。
「わかった。オレが良いと言うまで撃たせないでくれ」
 今井は双眼鏡を構えた。煙が徐々に晴れ、のそりと小型竜種の群れが姿を現わす。数は先ほどよりも減じているが、50頭は優に越えそうだった。中隊の火器を全力で投じても処分しきれないだろう。騎兵隊増援部隊が間に合えば良いが……。
 どのみち、今井はここから容易に退くつもりはない。
 ここが緩衝地帯バッファゾーンの最終阻止区域だからだ。
 今井達がヤツラを吸収しなければ、犠牲と引き替えに手に入れた人類の生存圏が後退してしまう。

 迫撃砲から発射された砲弾は二次関数図のような放物線を描き、着弾した。手足や身体の一部を吹き飛ばされても鱗の流れを食い止めることはできなかった。敵獣はさらに接近し、今井は機関銃小隊に射撃命令を下した。
「撃ち方始め!」
 橙色の火線が鱗の波を切り裂いていく。耳障りな奇声が木霊し、血しぶきの雨が北米の地を汚していく。機関銃小隊に続き、急造した陣地より兵士達が狙撃を開始した。小銃弾では一撃で仕留めることはできない。しかし足止めくらいにはなった。竜種はトロールやグールと異なり、全く幸いなことに痛覚の存在が認められた。銃撃の雨に打たれ、僅かに前進速度が落ちる。彼我の距離は200メートルを切りつつあった。残り頭数は40頭まで減じている。
 群れの先頭集団が道路を離れ、今井達が立てこもる鉄塔の丘へ前足を踏み出し始めていた。
 今井は歯がみした。
――丘に地雷を敷設しておくべきだった。……クソが。
 埋没は無理でも、ばらまくぐらいの余裕はあったろう。畜生、他のヤツラもきっとそう思っている。誰もが何かを必ず忘れているのだ。
 忸怩たる思いを押し殺し、今井は虎の子の準備を行うことにした。先任の少尉を呼びつける。 
「三式ロタを準備しろ」
 三式ロタ砲バズーカは合衆国の技術供与を受けて開発された携行型噴進ロケット砲だった。『ロ』はロケット、『タ』は対戦車用成形炸薬弾の略だった。その名の通り、元は対戦車用に開発された兵器だったが今では対獣兵器となっている。正式名称を二式6センチ噴進砲という。1943年、合衆国との同盟が締結された後に技術供与により開発を受けている。そのため外見はM1バズーカに酷似しており、ほとんど模造品と呼んで良い出来になっている。事実、M1バズーカの弾頭は三式ロタに転用可能であり、その逆用も可能だった。これは意図的になされたものであり、北米戦線において日米間で弾薬の互換性を保たせるに取られた措置だった。
 今井の中隊は、三式ロタを装備した分隊を4つあった。それぞれ2名で構成されており、砲手と予備弾の運搬役に分かれている。
「ヤツラとの距離が150メートルを切ったら――」
 突然、大地が揺れたのはそのときだった。地震かと思った刹那、背後から悲鳴が聞こえた。ぎょっとして振り向けば兵が蛇竜ワームに飲み込まれようとしていた。ワームは強力な顎で腰から上を食いちぎり、腹に収めた。腰から下が無残に放置される。
「莫迦な。どこから――」
「大尉、地中です! ヤツは地中を掘り進んで出てきたんです……!」
 少尉が指さす方向には、盛り上がった土があった。そこから這い出てきたらしい。突然、背後を脅かされ、中隊は混乱に陥った。それまで保たれた士気が瓦解しはじめ、一部の兵士は配置から悲鳴を上げて離れそうなところを先任ベテランが必死に押さえつける。このままでは崩壊は時間の問題だろう。
「機銃はそのまま丘を登ってくるヤツラを押さえろ! 少尉、ここを頼む!」
「大尉!?」
「オレはロタで奴を仕留める! 1分隊借りるぞ。他はここの支援に回せ! 距離150を切ったら撃たせろ!」
 今井は駆け足でロタ砲の分隊の一つに駆けつけた。
「貴様ら出番だ。用意は出来ているな」
「いつでもいけます」
 分隊の兵士2名は緊張を顔に貼り付けさせていた。若い。二人とも二十歳そこそこに見て取れた。今井は二人の肩を両手で軽く叩いた。
「いいぞ。これからオレと狩りに出よう」
「はっ!」
 兵士達を引き連れ、今井は暴れ回るワームの側へ駆けつけた。他に数名行き場を無くした兵士を拾っていく。
「いいか、オレがヤツワームを引きつける。貴様等はその間に仕留めろ。出来るな」
「やります……!」
 若い兵士は2名とも戦意にあふれていた。今井は片方の口角を上げた。
「よし、任せた」
 そう言い残すと、今井は拳銃を手に他の兵士と共に蛇竜へ近づいた。
「撃て!」
 鉄塔の残骸に身を隠しながら、今井達は射撃を開始した。逃げ惑う兵士を相手に暴れ回っていたワームは小癪な攻撃に怒りを覚えたらしい。今井へ目を向けた。お互いに視線が交差する。一瞬、甲殻虫くわがたのような目だと思う。真っ黒だ。何を映しているのかわからない目だった。
「射撃を続けろ!」
 今井は兵士を鼓舞した。敢えて彼等より前に出る。内心では恐怖を押さえ込んでいたが、指揮官の個人的な武勇が及ぼす影響について彼は理解していた。実際、効果はすぐに現われた。背を向けた足を止め、彼の攻撃に加わった。四方から銃撃を浴び、蛇竜は咆哮あげながら支離滅裂な行動を取り始めた。ついに埒があかないと思ったのか、牙を剥き出しにしながら今井に突っ込む体勢をとった。
「散れ!」
 今井は振り向き、背後の兵士に叫んだ。刹那、ロタ砲が火を噴いた。今井の背後で強烈な爆音が轟き、周囲に肉片と体液がまき散らされる。酷い臭いだった。数名の兵士がショックで吐瀉した。今井は胃液がこみ上げるのを耐えながら、「しっかりしろ」と兵士を叱咤した。
「よくやってくれた」
「はっ……」
 ロタ砲を構えた兵士は放心しているようだった。ずいぶんと戦い慣れない印象を受ける。ひょっとしたら、これが初陣だったのかも知れない。名前は何だったろうかと思ったときだった。別の方向から悲鳴が聞こえた。先任の少尉を残した方向だった。
 何事かと目を向けた彼の目には、頭部を無くした先任少尉の姿が見えた。彼の理解を越えた現象だった。今井は思った。それを無くしちゃだめだろうに。

 単純なことだった。地中にいたワームは一体では無かったのだ。
 今井が後方の蛇竜を倒す間、そいつらは銃撃を逃れるため、中隊の陣地手前で、地中へ潜り進んできた。盛り上がった土の波が四方から迫る中、中隊の兵士は必死にロタ砲を浴びせた。噴進弾が土のシールドを破り、数体を土葬することに成功したが、対処が遅すぎた。ついに複数のワームが地中から現われ、中隊の陣地へ突入した。機銃座は壊滅し、ロタ砲が十分な威力を発揮する前に兵士は竜の腹に収まってしまった。
 丘下へ向けられる火線が途絶えたのは明らかだった。間もなくワームに続き、バジリスクの波が押し寄せてくるだろう。
 絶望を認識しながら、今井は再び指揮官を演じる決意を固めた。オレが死ぬまでに何分稼げるだろうか。ヤツラのクソになるのだけは嫌だったんだが……。
 そう思ったときだった。どこからか大気が弾ける音がした。砲声だが、重砲のそれよりも小さく身近に聞こえるものだった。間もなく、丘を登る竜の群れ、その複数の箇所で肉片ミンチの渦が巻き起こった。竜の群れは突然降って湧いた砲弾の嵐に混乱した。今井は咄嗟のことに戸惑いつつ、生き残った兵士をまとめ、陣地へ突っ込んできた蛇竜を片付ける指揮を執った。
「大尉……!」
 通信兵が息を切らせながら、駆けてきた。受話器を今井に差し出す。今井は無言で受け取った。
『トキワへ、こちらアズマ。遅れて済まない』
 アズマ……。そうだ、戦車中隊の符牒だ。
「トキワより、アズマへ。助かる。おかげでここはアラモにならずに済みそうだ」
『よかった。サンタ・アナと同じく、奴ら魔獣に降伏の概念はないからね』
「確かに。まあオレ達もデヴィ・クロケットと同じく白旗を持ってなかったからな」
『はは……しばらく君らは丘上そのまま固めてくれ。後は任せたまえ』
 アズマの指揮官は丘を取り囲む竜種へ榴弾の嵐を叩き込むと、全車で蹂躙を開始した。彼の中隊は先日補充を受けたばかりであり、装備、士気ともに良好だった。
 半時間もせずに戦闘は終息し、今井達がいた丘の周辺は魔獣の肉片と体液で埋め尽くされていた。そのうちの幾分かは彼の部下が混じっているはずだった。
 今井は各隊の指揮官に負傷者の手当てを命じ、同時に戦死者を可能な限り収容するように命じた。例え、それが身体の一部であっても、火葬し家族のもとへと届ける必要がある。彼等の終わりを遺族へ伝えることこそ、生存者の義務だった。少なくとも今井は、固くそう信じている。

 戦闘後、今井は第八混成戦車中隊の集結地点に赴いた。三式中戦車チヌが4両、その先に見慣れない戦車が数両あった。合衆国で生産されたM4シャーマンだ。どうやら現地生産されたものを供与されたらしい。戦車中隊の指揮官は、浅黒く日本人離れした彫りの深い顔立ちだった。
「助かりました。感謝します」
 襟章から自分よりも上級と知り、彼は口調を改めた。中隊長の本郷少佐は気にするようなそぶりは見せなかった。
「いいや、こちらこそ遅れてすまない。えらいものを引き当てたようだね」
「全くです。まさか、こんな近くに魔獣の大群が控えていたとは……」
「こう言っては何だが……お手柄だよ」
「ええ……」
 数十名の喪失を手柄と称して良いのか、今井は疑問に思った。もちろん本郷に他意はないことはわかっている。今井の心情を察したのか、本郷は続けて彼に言った。
「君のおかげで、この区域は守られた。もし君らがいなかったら、あの魔獣どもは非戦闘地域にあふれ出していただろう」
 本郷は懐から煙草を取り出すと今井に差し出した。合衆国の銘柄だった。幸運の名を冠した煙草だった。一本だけ受け取ろうとした今井に、本郷は箱ごと全て渡した。
「いいんですか?」
「僕は煙草を吸わないんだよ。ここに来る途中立ち寄った牧場で、気さくな親父さんからもらったのさ。息子さんと一緒に牧場へ向う途中らしく、中隊で護衛したんだ」
「へえ……」
 ふと今井はあることを思い返した。
「その親父さん、かなりのすきっ歯じゃありませんでした?」
 本郷は少し間をおいて、肯いた。
「ああ、そう言えば……知っているのかな?」
「まあ、ちょっと縁がありまして」
 今井の表情に明らかに安堵が浮かび上がっていた。錯覚に近い感情だが、自分の行為が報われたように思えた。
「ならば、今度にでも会いに行くと良い」
「……ええ、可能ならばそうします」
 今井は肯きつつも、その機会は無いように考えていた。彼の中隊は損害を出しすぎた。恐らく再編のため後方へ移送されるだろう。そして次の戦場が同じ場所とは限らない。北米中央部、その緩衝地帯は全般的に血に飢えていた。

 今井大尉から簡易な報告を受けた後、本郷は中隊本部へ戻った。
「引き返しますか?」
 中村少尉の問いに、本郷は首を横に振った。
「いいや、まだ時間はある。念のため、この周辺を洗っておこう」
「了解です。どうにもきな臭いですからね」
「君もそう思うか?」
「ええ……あの数は尋常じゃない」
 少尉は丘を指した。死体の山が築かれている。
「ここが東側ならわかりますよ。あそこら辺はレッドゾーンだ。あんな大群は日常茶飯事でしょう」
 彼の言う東側とは緩衝地帯における最東端を現わす。具体的にはノースダコダとミネソタの州境付近に当たる。そこでは連合軍と魔獣の遭遇戦が多発し、兵士の犠牲と引き替えに魔獣の死体が量産されている。
「ああ。聞けば、この区域は今日を越えればイエローからグリーンへ切り替わるところだったらしい」

 緩衝地帯は区域ごとに、脅威度が5段階に設定され、それらは魔獣との会敵頻度と周期によって分かれていた。それぞれ段階ごとに、識別色によって地図上で色分けされている。
 一番重度なのは戦闘区域レッドと呼ばれ、地図上では赤色が割り当てられてる。魔獣の侵入と戦闘が日常的に頻発しているエリアだった。
 二番目は接触区域オレンジと呼ばれ、地図上では橙色で現わされていた。魔獣との戦闘が不定期に発生するエリアだ。頻度としては週に3~4回ほどを目安としている。
 三番目は警戒区域イエローと呼ばれ、地図上では黄色で塗り分けられていた。魔獣との戦闘が週に1回起きるかどうかという頻度だった。この警戒区域に入ってから連続して180日間、魔獣との戦闘が行われなくなると次のレベルへ移行する。
 四番目は巡回区域グリーンだった。地図の色が緑色に変わり、クリーンな状態と認識されるようになる。ただし民間人の立ち入りが許されるわけではなく、哨戒部隊の巡回ローテーションも引き続き継続される。グリーンに指定されてから、さらに180日経つと緑から無色になり、最後のレベルへ移行する。
 すなわち解除区域ノーカラーだった。この段階でようやく哨戒部隊の巡回から外れる。ここで、初めて人の立ち入りと居住が許された区域となる。
 1944年に緩衝地帯戦略が導入されてから、連合軍は地図を赤から緑、そして無色へ脱色する努力を重ねてきた。今日は、その努力が報われる一歩手前の日だった。しかし、残念ながらその努力は泡沫へ消えた。今日の大規模な戦闘により、恐らくこの地域はイエローのままだろう。それどころか、戦闘規模から一気にレッドへ警戒レベルを引き上げられかねなかった。

「そりゃあ……お気の毒に」
 中村少尉は自分の中隊へ戻る大尉の背中へ同情的な視線を送った。今井大尉に全く非はないが、賽の河原で石を崩された気分であろうことは想像に難くなかった。誰であれ、味方が築いてきた努力が無に帰する瞬間には立ち会いたくないものだ。
「少尉、明日は我が身だよ」
 たしなめるように本郷は言い、中村は少し狼狽しつつ「そうですね」と肯いた。
「もう一つ気になる報告を受けている」
 本郷には今回の戦闘における竜種の動きが戦術めいたものに見えてしかたがなかった。初めに囮のワームを中隊後方に出現させ、そこで混乱したところを正面から一気に詰めていく。今回は今井大尉の対応が早かったのと、本郷の救援があったため、敵獣の行動は失敗に終わった。しかし、もしどちらかが遅ければ本郷の任務は救援から、死体回収に変わっていただろう。
「まさか、獣に知恵が……?」
 懐疑的な中村に対して、本郷はひと月前の戦闘を引き合いに出した。
「あのトロールだって、これまで投擲攻撃なんてしてこなかっただろう。あれは明らかに射程間合いの不利を補おうとする動きだった」
「やつらも学んでいるってことですか?」
 中村は表情をこわばらせた。もし本当に魔獣が知恵をつけつつあるのならば、戦い方が根本的に変わってくる。魔獣が物量頼みの莫迦だからこそ、人類は気楽に戦えたものを……。
 本郷は目の間に深い溝をつくり、首をひねった。
「わからない。あるいは――」
 もう一つの可能性を彼は思い描いていた。
――あるいは何者かが魔獣奴らを指揮している……?
 いずれにしろ判断材料が少なすぎる。それに一介の軍人の手には余るようにも思える。今の彼に出来るのは、今回の戦闘に関して少しでも多くの情報を収集することだった。
「少尉、あの竜どもが出てきた洞穴へ向おう。すぐに準備してくれ」
 30分後、本郷の戦車中隊は北米の原生林の奥深くへ向けて出発した。


【アメリカ合衆国 ノースダコダ州北部 ダンシーズ近郊の山岳地帯 1945年3月11日 午後】
 第八混成戦車中隊が洞穴に付近に着いた頃には、周囲は徐々に暗くなりつつあった。春先で日が落ちるのはまだ先だが、周囲が森に囲まれているため、平地よりも暗く、見通しも悪かった。
 本郷はM4戦車の小隊を先行させていた。M4は小回りが利く上に、信頼性の高い故障の少ない戦車だった。砲威力についても申し分はなかった。本郷の中隊に配備されたM4はA2型で75ミリ砲を装備していた。最新型ではないが、チヌと同じ砲口径のため乗員にとっても扱いやすかった。現在、本郷の戦車中隊は合衆国から供与されたM4を6台と三式中戦車チヌ6台が装甲戦力の中核となっていた。
 先行したM4小隊から無線が入る。
『イワキより、アズマへ。もうすぐ目標です』
 中村少尉だった。再編された小隊の指揮を取っている。
「アズマ、了解。そこから何か見えるか?」
『いいえ、何も……敵獣の姿はありません。念のため、降車して確かめますか?』
「いいや、現位置で待機してくれ。僕が直接出向こう」
 本郷はM4小隊へ追いつくと降車した。同じく降車した中村が待機していた。
「何も少佐自ら行かなくても……」
 中村少尉が顔を曇らせた。
「そうかもしれない。だけど、嫌な予感がするんだ。直接見ておきたい」
 洞穴まで直接戦車で行くことは不可能だった。彼は自ら兵を率いて直接確かめることにしていた。
「君は留守を頼む」
 本郷は付いてこようとする中村に命じた。
「しかし……」
「杞憂だよ。何かあったとき、応援に来てもらうためだ」
 本郷は中村少尉を説得すると、一〇〇式機関短銃を手に、降車した機動歩兵とともに洞穴を目指した。ほどなく洞穴まで何の問題なく辿り着いた。彼等が穴を見つけるのは容易だった。なにせ数十頭の魔獣の足跡がそこかしこに続いていたのだから、見失う方が難しい。
 本郷は穴の入り口の前で立ち止まり、その大きさにうなった。高さは20メートルほどあり、入り口の周辺には書き出された土によって、ちょっとした丘が出来上がっていた。
「念のためだ。君ら、探り撃ちを頼む」
 まだ竜が潜んでいるかも知れない。配下の兵に命じ、数発の弾丸を穴の先の暗闇に向けて送り込んだ。乾いた銃声が木霊する。しばらく待ってみたが、特に変化はなかった。
「……行こう」
 穴の内部へ足を踏み入れる。地面に不自然な窪みが至る所にあったため、途中で数名の兵士が転倒しかけた。懐中電灯で暗闇を照らしながら、本郷はあるものを探していた。やがて生臭い臭いを感じ、本郷以外の兵士は銃を構えた。本郷は特に構えること無く、確信を深めた。
「やはり……」
 懐中電灯の奥を照らし出す。誰かが「あっ」という声を上げた。
 そこには無数の白い破片が散らばっていた。破片のサイズと厚みはどれもが瓦ほどだ。手に取ってみると重さも同じくらいだった。
「隊長、これは……」
 兵士の一人が恐る恐る尋ねた。本郷は静かに肯いた。
「ああ。あの竜たちの卵、その残骸だよ」
 おかしいと思っていたのだ。180日間も魔獣が観測されなかった区域、そのど真ん中に竜の大群が現われるなど、状況的に不自然だった。あれだけの群体が長期間にわたり哨戒部隊の目を逃れていたなど、確率的に不可能だ。ワームだけならば地中へ潜むことも可能だが、バジリスクのような歩行個体には無理な話だ。
 ならば可能性は一つしかなかった。何ものかが、密かにここまでやってきて卵を置いていったのだ。
「問題は……」
 こいつらの母体はどこへ行ったのだ? だいたい、こんな巨大な卵を大量に抱えてくるヤツとはいったいどんな魔獣なのだ。本郷がその事実に思い至り、背筋に悪寒を走らせたときだった。背後で小さな悲鳴が響いた。
「どうした!?」
「も、申しわけありません。こ、転んだだけです」
 彼の車両の砲手だった。どうやら窪みに足を取られただけだった。本郷は苦笑しつつ、手を伸ばそうとした。しかし、途中でぴくりと手を止めてしまった。顔面の筋肉が硬直する。
 懐中電灯が砲手を捕らえた窪みの正体を明かしていた。
 それは一メートル近い、何ものかの足跡だった。
「た、隊長……!?」
 他の兵士も窪みの正体に気がついたらしい。恐怖に顔が引きつっている。
「すぐにここを出よう。早く大隊本部へ知らせなければ……」
 少なくともここに来るまで巨大魔獣の目撃報告は受けていない。まだ誰も気がついていないのだ。もしこの足跡の持ち主が西進していた場合、そこには無防備な原野が晒されている。
 急がなければ、きっと酷いことになる。
 穴の入り口から複数名が駆けてくる音が聞こえたのは、そのときだった。嫌な予感を覚える。数秒後、中村少尉が姿を現わした。彼がここに来たと言うことは、ただならぬことが起きたということだった。少尉は息を切らせながら、本郷へ告げた。
「大隊本部より命令です。至急、戻れと! 巨大なドラゴンが北に――」
 本郷は聞き終わる前に駆けだしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 五の巻

初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。 1941年5月、欧州大陸は風前の灯火だった。 遣欧軍はブレストに追い詰められ、もはや撤退するしかない。 そんな中でも綺羅様は派手なことをかましたかった。 「小説家になろう!」と同時公開。 第五巻全14話 (前説入れて15話)

蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 四の巻

初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。 1940年10月、帝都空襲の報復に、連合艦隊はアイスランド攻略を目指す。 霧深き北海で戦艦や空母が激突する! 「寒いのは苦手だよ」 「小説家になろう」と同時公開。 第四巻全23話

蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険 二の巻

初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。 一九四〇年七月、新米飛行士丹羽洋一は配属早々戦乱の欧州へと派遣される。戦況は不利だがそんなことでは隊長紅宮綺羅の暴走は止まらない! 主役機は零戦+スピットファイア! 敵は空冷のメッサーシュミット! 「小説家になろう」と同時公開。 第二巻全23話(年表入れて24話)

Another World〜自衛隊 まだ見ぬ世界へ〜

華厳 秋
ファンタジー
───2025年1月1日  この日、日本国は大きな歴史の転換点を迎えた。  札幌、渋谷、博多の3箇所に突如として『異界への門』──アナザーゲート──が出現した。  渋谷に現れた『門』から、異界の軍勢が押し寄せ、無抵抗の民間人を虐殺。緊急出動した自衛隊が到着した頃には、敵軍の姿はもうなく、スクランブル交差点は無惨に殺された民間人の亡骸と血で赤く染まっていた。  この緊急事態に、日本政府は『門』内部を調査するべく自衛隊を『異界』──アナザーワールド──へと派遣する事となった。  一方地球では、日本の急激な軍備拡大や『異界』内部の資源を巡って、極東での緊張感は日に日に増して行く。  そして、自衛隊は国や国民の安全のため『門』内外問わず奮闘するのであった。 この作品は、小説家になろう様カクヨム様にも投稿しています。 この作品はフィクションです。 実在する国、団体、人物とは関係ありません。ご注意ください。

旧陸軍の天才?に転生したので大東亜戦争に勝ちます

竹本田重朗
ファンタジー
転生石原閣下による大東亜戦争必勝論 東亜連邦を志した同志達よ、ごきげんようである。どうやら、私は旧陸軍の石原莞爾に転生してしまったらしい。これは神の思し召しなのかもしれない。どうであれ、現代日本のような没落を回避するために粉骨砕身で働こうじゃないか。東亜の同志と手を取り合って真なる独立を掴み取るまで… ※超注意書き※ 1.政治的な主張をする目的は一切ありません 2.そのため政治的な要素は「濁す」又は「省略」することがあります 3.あくまでもフィクションのファンタジーの非現実です 4.そこら中に無茶苦茶が含まれています 5.現実的に存在する如何なる国家や地域、団体、人物と関係ありません 6.カクヨムとマルチ投稿 以上をご理解の上でお読みください

軍艦少女は死に至る夢を見る~戦時下の大日本帝国から始まる艦船擬人化物語~

takahiro
キャラ文芸
 『船魄』(せんぱく)とは、軍艦を自らの意のままに操る少女達である。船魄によって操られる艦艇、艦載機の能力は人間のそれを圧倒し、彼女達の前に人間は殲滅されるだけの存在なのだ。1944年10月に覚醒した最初の船魄、翔鶴型空母二番艦『瑞鶴』は、日本本土進攻を企てるアメリカ海軍と激闘を繰り広げ、ついに勝利を掴んだ。  しかし戦後、瑞鶴は帝国海軍を脱走し行方をくらませた。1955年、アメリカのキューバ侵攻に端を発する日米の軍事衝突の最中、瑞鶴は再び姿を現わし、帝国海軍と交戦状態に入った。瑞鶴の目的はともかくとして、船魄達を解放する戦いが始まったのである。瑞鶴が解放した重巡『妙高』『高雄』、いつの間にかいる空母『グラーフ・ツェッペリン』は『月虹』を名乗って、国家に属さない軍事力として活動を始める。だが、瑞鶴は大義やら何やらには興味がないので、利用できるものは何でも利用する。カリブ海の覇権を狙う日本・ドイツ・ソ連・アメリカの間をのらりくらりと行き交いながら、月虹は生存の道を探っていく。  登場する艦艇はなんと57隻!(2024/12/18時点)(人間のキャラは他に多数)(まだまだ増える)。人類に反旗を翻した軍艦達による、異色の艦船擬人化物語が、ここに始まる。  ――――――――――  ●本作のメインテーマは、あくまで(途中まで)史実の地球を舞台とし、そこに船魄(せんぱく)という異物を投入したらどうなるのか、です。いわゆる艦船擬人化ものですが、特に軍艦や歴史の知識がなくとも楽しめるようにしてあります。もちろん知識があった方が楽しめることは違いないですが。  ●なお軍人がたくさん出て来ますが、船魄同士の関係に踏み込むことはありません。つまり船魄達の人間関係としては百合しかありませんので、ご安心もしくはご承知おきを。かなりGLなので、もちろんがっつり性描写はないですが、苦手な方はダメかもしれません。  ●全ての船魄に挿絵ありですが、AI加筆なので雰囲気程度にお楽しみください。  ●少女たちの愛憎と謀略が絡まり合う、新感覚、リアル志向の艦船擬人化小説を是非お楽しみください。またお気に入りや感想などよろしくお願いします。  毎日一話投稿します。

蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 一の巻

初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。 一九四〇年、海軍飛行訓練生の丹羽洋一は新型戦闘機十式艦上戦闘機(十式艦戦)と、凄腕で美貌の女性飛行士、紅宮綺羅(あけのみや きら)と出逢う。 主役機は零戦+スピットファイア! 1巻全12回 「小説家になろう」と同時公開。

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

処理中です...