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★本編★あなたのタマシイいただきます!
【1-1】迷子の仔猫は呼んでいる
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どこいっちゃったんだろ‥‥
わたしの名前は、ミク。
ツインテールがチャームポイントの普通の小学生。
今は、とっっっても大事なわたしの家族を探してる。
今、手の中にあるのはパパとママが作ってくれた迷い猫のポスター。
赤い首輪をした黒猫の『ぽんちゃん』の写真が載ったその紙を両手でぎゅっと握りしめた。
ポンちゃんは昔、野良猫だったの。
わたしが迷子になった日、一緒についてきてくれた黒猫さん。
迷子になったときは、自分以外の周りの景色が黒くなって、この世界に自分一人だけになってしまったように感じて、とーっても怖かったのを覚えてる。
だから、ポンちゃんをそんな世界に帰したくなくて、ママに一生懸命お願いして、わたしのおともだちとしてミクの家に来ることになったの。
そこからはずーっと、わたしの家族。
わたしの家族になってから、お家からでることがなかったポンちゃんが、ママとパパの隙をついてとびだしちゃったみたい。
普段お外に行かないポンちゃんがどこに行くかなんて、全くわからない。
家の近くもいーっぱいさがしたし、初めて出会った川のそばにある道も探してみたけどやっぱり見つからない。
そう言えば、わたしと一緒にママを探してくれたのは、実はポンちゃんだけじゃない。
白いドレスを着た妖精さんもいたんだ。
妖精さんの話は誰も信じてくれなかったけど、もしかしたらまた会えるかもと思ってこの川の近くに来たんだけど、そんなに都合良くはいかなかった。
「もぅ‥‥ポンちゃん、どこいっちゃったのよー‥‥」
道路の側の電柱にもたれかかって溜息を吐く。
小学生のわたしが探せる範囲なんてそんな広くはなくて肩を落とした。
後は学校で噂のあの場所に行ってみるしかない!と、迷子のポスターを握りしめた。
∞ nayuta side ∞
「巽ー、つぎはこれよろしくー。」
俺は、千星那由多【せんぼし なゆた】
行ってる大学こそ偏差値は高いが、マグレで入れただけのゲームが得意な大学生だ。
ここは、俺が新しくはじめたバイト先、喫茶【シロフクロウ】
巷では、ありとあらゆる“イケメン”が勢揃いのカフェと噂されるだけあって店員の顔面偏差値が高い。
……もちろん、俺を覗いてなんだけど。
「うん。了解。
那由多、これを3番のテーブルにお願いできる?
バランス悪いから気をつけてね。」
この、全てを許してくれそうな包容力のある微笑みを携えてるのは、天夜巽【あまや たつみ】
陽にやけたようなオレンジの短い髪に太陽のように輝く瞳。人受けの良さそうな柔らかい表情の持ち主だ。
コイツとは小さい頃からの腐れ縁で幼馴染。
巽はこの穏やかな性格もあり、男女共に人気が高く友達が多い。
【シロフクロウ】でもコイツ目当てに来る客も少なくはない。
それでも、なんだかんだ、俺のそばにずーといるのはよっぽどモノ好きなんだと思う。
「あ、千星さん。それは俺が運びます。
オイ、天夜!!千星さんは、まだ慣れてねぇーんだから、こんな重たいモン持たせるなよな!」
巽がカウンターに置いた、3段になっているケーキスタンドを運ぼうとすると、横から晴生の手が伸びてきた。
この、クオーターで、金髪、翠眼。前髪で瞳が隠れているのに隠しきれない美貌の持ち主。
いかにもイケメンって顔立ちの美男子は、日当瀬晴生【ひなたせ はるき】
黙ってればモデルも顔負けのスタイルと顔面なんだが。
どうにも、口が悪い…。
俺とは高校からの付き合いで、……なぜか、懐かれている。
きっと、俺が「お手」といえば、こいつは喜んでするだろう。いや、もれなく「おかわり」もついてくると思う。
晴生は片手にケーキスタンド、とトレイに乗ったティーセットを慣れた手つきで運んでいく。
一応、俺も運べるんだけど…、たしかにあんなにスマートにはまだ運べないけどさ…。
晴生が歩くだけで、周りの女性陣の視線が釘付けになるのがここから見てるだけでわかる。
「ほーんと、日当瀬は黙ってっと、一級品だよなー」
料理の受け渡しカウンターのそばにいる、俺の肩がズンっと重くなった。
横から剣生がもたれ掛かって来たため俺の身長は5cmほど縮んだ。
今、俺にもたれかかっているのは、明智剣成【あけち けんせい】
赤茶色の短髪、で、長身。
茶色瞳は意志の強さを物語るように真っ直ぐに俺の瞳を見据えている。
コイツとも、高校からの付き合いだ。
「イケメンはいるだけで華になるよな~。」とか、言ってる剣成も、剣道有段者のまた別の意味でのイケメンで、好青年である。
ゲームくらいしか取り柄のない俺とくらべると……、やめとこう、哀しくなってきた。
「オイ!明智!!
千星さんに近づくんじゃねーよ、バカが移るだろうっ!」
「あ~、悪い悪い。って、それ、言い過ぎじゃね?
流石に俺でもバカは移せねぇなー」
晴生が客席から、剣成に、食って掛かるように戻ってくると、俺の肩が軽くなった。
晴生はいつも、剣成に食ってかかっているが、食ってかかられている当の本人は全く何も気にしていないので改まることはない。
寧ろ、二人のこの喧嘩もお客さんに対しての見世物になってる気もする。
ぎゃいぎゃいと言い合いがはじまったのも束の間。
お客さんからの呼び出しが掛かると二人ともスイッチが切り替わる。
その辺りもやっぱり俺とは違う、と、重い足取りで来客を知らせる鈴の音と共に入り口へと向かって歩いた。
Ξharuki sideΞ
喫茶【シロフクロウ】は、常連の客も多い。
マスターは昔馴染みのいけ好かねぇ野郎だけど、経営の腕は確かなことは間違いない。
何度でも足を運びたい。そう思わせるにはここは十分な内装と商品が揃っている。
この商売を一緒にしないかと、誘われたとき、俺は一度断った。
それは時給が悪いからとか、接客業が嫌いだからとかそういった理由じゃねぇ。
ただ単に、金目当てなら誰かのもとで働かなくとも充分に蓄えがあるからだ。
インターネットが発達した現代社会では、知識さえあれば稼ぐ手段は沢山ある。
株、FXから始まり、投資、仮想通過、最近はオンラインサロン、Cloud〇rontまである。
それでも、俺はここで働くことを選んだ。
それは、マスター…神功左千夫【じんぐう さちお】の隠された目的にある。
神功左千夫、艶がある漆黒の髪を編み込み赤い紐で止め、胸元へと垂らしている。
その神秘的な容姿と、色白い肌、朱い瞳〈あかいひとみ〉は嫌でも周りの目を引く。
客が帰ったあとの食器を配膳のロボットに並べながら、店中央にある、円形のカウンターの中にいる神功へと視線を向ける。
昔からそうだ。
ヤツは他人からの視線に敏感で。
盗み見、という行為が全くできない。
現時点ですら、俺の視線に気づき、犬も食えない微笑を俺に向けて来やがる。
「晴生くん。僕は少し下がりますね、ここ、おねがいします。」
そう言ってやつはカウンターから移動して、厨房の、奥へと消えていった。
一気に自分が不機嫌になっていくのがわかる。
唯一、ヤツに感謝することといえば千星さんと同じ場所で働けることになったことだけだ。
千星さんこそ、俺の癒やしであり、バイブルである。
朝焼けの空、薄い青紫の髪が無造作に遊んでいる様、そしていつもどこか気怠そうな表情、控えめな顔立ち、そして、俺を見つめる濃い青い瞳が大好きだ。
このお方となら、たとえ火の中、水の中、…どこへだってついていく自信がある。
そんな千星さんと、同じ制服を着て毎日一緒に働けるという最大のご褒美をくれたことにだけ感謝してやる。
ただ、それだけであることは間違いなく、俺はアイツが苦手なことは変わることのない事実だ。
どうやら新しい客が来たようで千星さんがお迎えにむかっている。
「いらっしゃいま────」
「あ!あの!!飼い猫が逃げちゃって!!見つからなくて!!その、ここだったらなんでも悩みを聞いてくれるって聞いて………!!だから、その…っ!」
勢い良く扉を押し開いてきたのは小学校中学年くらいの女の子か。
ここまで急いできたのか息を切らせて声を弾ませていた。
その手の中にはなにかチラシが握られている。
どうやら千星さんは困った様子でオドオドしていた、こっちに助けを求める視線を向けてこられたので俺は慌てて入り口へと向かった。
「横から失礼します。
多分それはここの、喫茶の、“お悩み相談”というシステムですかね?
生憎なんですが、そう言った物理的な、……ネコを探してほしいというご依頼は受け付けてないんです。
あくまで、悩みごとを聞かせていただくというシステムでして…。
ここで話すのもなんなのでよかったらこちらにどうぞ。」
すかさず、営業用の表情を作りながら千星さんとの間に体を滑り込ませる。
たまーに、こうやって間違えてくる客がいる。
喫茶【シロフクロウ】にはお悩み相談システムがある。
要予約、コースシステムで、個室選択もできて、相談相手も指名できるんだが、何でも屋ではない。
喫茶店のすぐ横に、願えば何でも叶えてくれると噂になってしまった、鳥居付きの賽銭箱が、パワースポットとしてあることが更に客を混乱させているようだ。
あからさまに落胆してしまった少女を見ると、周りの客のことも、この子のことも考えて俺は彼女を目立たない席への誘導を開始する。
少女は、それ以上中に入ることを迷っており、「ポスターだけでも…」と、か細い声を溢した。
そんな彼女の手を、失礼のない程度に引いて、俺は席へと誘導した。
∞nayuta side∞
びっくしりしたぁ‥‥。
入口から入ってきた女の子の切羽詰まった様子に俺はただ、キョドるしかできなかった。
晴生が横から入ってきてくれなかったら変な声を出していたかもしれない。
こう言った、想定外の事態に弱いのは昔から変わらない。
これに関しては天と地がひっくり返ったってよくならないと思う。
そもそもここのお悩み相談のコースだって、俺はまだ一人でこなす事はできないわけだし。
…いや、あれに関してはずっとできない気がする。
知識もないし、話術もない…そもそも人見知りの俺には向かない仕事内容だ。
マスターが無理しなくてもいいといってくれてるので、今は主に単純な接客と雑用しかしていない。
まだ、バクバクと鼓動している心臓をユニフォームの上から押さえながら、晴生のスマートな接客を眺める。
本当に、コイツはこうしてると、一級品なのだが、問題は相手によると長くは続かないということだ。
最悪の場合、暴力沙汰に発展しそうなこともしばしば‥‥
ま、今回は子供だし、大丈夫だと思うけど。
ここには気が利くやつしかいないので、すかさず剣成が少女にアップルジュースを運んでいた。
‥‥‥俺も、そういうイケメンスキルを持って生まれたかった。
◆kensei side◆
なんだか、訳ありの子が来た。
よっぽど焦って来たんだろう、喫茶店に入ってきたときには肩で息をしていた。
好みなんてわかりはしなかったけど、誰でも飲めると言ったらリンゴジュース!と、あくまでも俺の主観で、おしゃれなグラスに氷を並べていく。
リンゴジュースを注いでから、うさぎを象られたリンゴをグラスのフチへと並べる。
気分を落ち着かせるためには五感を癒やしてあげるのが一番だ。
グラスに、氷に、ストロー、リンゴジュースの色。
何かを提供することで、代金を得るならそういうところは気になっちまう。
マスターの、おかげもあって提供できる品に文句はないので後は俺の技術が伴うかどうか。
「どういったご用件でここへ?」
「まーまー、日当瀬。
腹ごしらえが先じゃねー?ってもリンゴジュースだけど!」
席に座った女の子の机にコースター置き、リンゴジュースをその上に置く。
カラン、と小気味良い音があたりへと響き渡り、女の子の視線がグラスに注がれるのが見て取れた。
「あ、あの、でも、私っ、急いでてお金持ってなくて‥‥っ!」
真っ赤になった女の子の口から力のない声が滑ってきた。
そっと、彼女の耳に口を寄せ、調度厨房の中へと引っ込んでいる、マスター、神功左千夫に視線を滑らせながらヒソヒソと悪戯な声を落とした。
「大丈夫。ここのマスター金持ちだから、こんくれーで何も言わねぇよ‥
まぁ、最悪は俺の給料から引かれるだろうから気にすんなっ!」
それだけ告げると、グッと親指を立て、八重歯を覗かせながら笑みを向けた。
少女は暫くアワアワしていたが、落ち着きを取り戻したように、グラスを手に取り、その冷たい側面にそっと頬を寄せた。
「えっとね。うちの飼い猫のポンちゃんがいなくなっちゃって。
お家の中でずーっと飼ってる猫ちゃんだから、心配で。
それで、ミク、いてもたってもいられなくて、探したんだけど見つからなくて。
小学校で、ここの喫茶店は何でも願い事を叶えてくれるって噂があったから来てみたの‥‥
勘違いしてたみたいで、ごめんなさい。」
落ち着きを取り戻した女の子は、今日ここへ来た事情を話し始めた。
喫茶【シロフクロウ】にはお悩み相談コースがあるし。“別の仕事”もあるが、残念ながら何でも屋ではない。
「そうですか、‥‥お力になれず、申し訳ございません。
良ければ店内の見えやすい位置にポスターを掲示させていただきますね。」
「俺らも外出たときに気をつけて見とくな。」
そう告げると少女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
俺は、黒い猫の写真が印刷された迷い猫のポスターを預かる。
その瞬間に静電気のようなものがバチッと走った気がしたが、空気が乾いているだけだと特に気にも止めなかった。
∞nayuta side∞
流石だなぁー‥晴生と、剣成。
正に接客のプロといった感じで、女の子の対応をしているのを配膳しながら、遠くから見つめていた。
女の子が持っていたポスターを剣成がレジ近くの見えやすい位置へと貼っている。
少女は、晴生に連れられて扉の方へと向かっていたが、何故か‥何故か‥俺の方へと急ぎ足で歩いてきた。
「あ、あの、さっきはいきなりごめんなさいっ!
見つかったら連絡お願いします‥‥」
「あ、うん。もちろん‥です。すぐに、連絡いれるからね。」
人見知り爆発の俺は最初焦りはしたけど、こんなに精一杯自分より大人の俺に感情をぶつけて来る相手をいつまでも無下にはできなかった。
その場に屈んで、女の子と視線を合わせると、屈託なく笑みを浮かべて、クシャっと髪を撫でるように頭を撫でた。
実のところ、子供は嫌いではない。
こんな真っ直ぐにぶつかってくる瞳が昔の俺にもあったんだろうなぁと、思えてくる。
いや‥‥‥もしかするとなかったかもしれないけど。
そもそも、俺が興味あるのってゲームくらいだし。
女の子は「ありがとうございますっ!」と、笑みと一緒に喫茶店より出ていった。
今日はいつもの営業と違ってイレギュラーなことがあったけど、なんだかいつもより充実した気がした。
何事にも興味ないのが俺なんだけど、少しだけ女の子のお手伝いが出来ればと言う心が芽生えた。
なんだか、このむず痒い感情は少し昔にも経験したような無かったような。
そんな思考に耽っていると、よく通る巽の声が俺の名前を呼んだ。
Ξharuki sideΞ
「なーなーなー。晴生の能力でどうにか探してやんねーの?」
今日は既に店はClose済み。
俺はいつもどおり電子煙草を口に食み、計算伝票へと視線を落として今日の集計をしているところだ。
何かを確認したり、纏めている時間を俺は嫌いだとは思わない。
頭がクリアになって、一本の線が繋がって行くイメージがあるからだ。
そういう時間は、より俺を向上させていく。
いつもは誰も邪魔しない時間を邪魔してくるやつがいる。
‥‥‥明智だ。
「あん?俺の能力つったって、一般的に見たら少し耳がいいくらいだぜ?
んなもんで、猫を見つけられるかよ。」
俺達は人とは少し違った能力を持っている。
漫画みたいに言うと特殊能力といっても過言ではないかもしれないし、言い過ぎかもしれない。
ただ、そんなに使い勝手がいいものではないことは確かだ。
昼過ぎに来た少女の猫のことは確かに気になる‥。
ただ、自分に何かできることがあるかと言われればそれは別だ。
自分の定位置で、少しだけ溢れる紫煙をくゆらせながら俺は左右の足を組み替えた。
両手はとめどなく動きパソコンの集計ソフトへと数字を羅列させていく。
「俺‥‥探して見ようかと思ってるんだけど‥‥」
少し離れたところから聞こえた声に、俺は真っ直ぐに視線を向けた。
「見つからないと思うけど‥‥」と、照れ臭そうに頭を掻く姿が素敵すぎる、彼の御方〈かのおかた〉は千星さん!その人しか居ない。
やはり俺の一生を捧げる一人に選んだのは間違いなかった。この方にこそ俺のすべてを捧げるべきだ。
集計の入力を終えたノートパソコンの電源を切り、折りたたむ。
メガネを胸ポケットへ直すと、勢い良く立ち上がり、敬の眼眸〈まなざし〉を向けながら勢い良く走り寄って、彼の右手を両手で掴んだ。
「流石、千星さん!!
やはり、あなたはすばらしい!!
その爪の垢を煎じて、明智の野郎に飲ませてやってくださいっ!」
∞nayuta side∞
‥‥‥‥っきらきらが眩しい。
このイケメンから発せられるキラキラが眩しいんだが、惚れたりとかはない。
普通の女性がこれをされたら、イチコロか幻滅か二分化されると思う。
晴生は、俺に対してはいつもこうだ。
なんでこうなったかは覚えてないんだけど、「日本では尊敬する人に敬語は使うもんですよね」と、言われたことだけは覚えている。
絶っっっ対に、俺よりお前のほうが全部優れてると思うんですけど!
この問答は幾度となく繰り返したが、晴生は折れることはなかった。
寧ろ俺への忠誠はましていくばかりだ。
そして、俺も満更でもないことは事実だ。
たま──────に、ものすご──────くたま────に、鬱陶しいときもあったり、しなかったりするが。
俺の片手を掴んでる晴生の後ろに、ふっさふっさと揺れる犬の尻尾の幻影がみえる。
キラキラとした瞳が俺への期待で満ち溢れてる姿を見ると、ほんの出来心でつぶやいた言葉に少し罪悪感すら感じてきた。
そうしていると、俺の両肩へと重みがかかる。
剣成が肩を組んできたからだ。
「だってよー、なゆー。
今度爪の垢でコーヒーでも入れてくれ。」
クククッ、と、喉を揺らし楽しそうに横で剣成が笑う。
コイツはコイツで、どれだけ晴生に噛みつかれようが全く応えない鋼の精神の持ち主だ。
俺の幼馴染の巽も鈍感だけど、それとはまた違う強さを感じて仕方ない。
「天夜ー!!なゆ、借りていくからなー。
残りの片付けたのんだー!!」
剣成の声がホールへと響き渡るのとほぼ同時に、俺は剣成には肩を組まれたまま、晴生には手を握られたまま、ほぼ、拉致られたと言っても過言ではない状態で喫茶店を後にした。
「どこいくのー?」と、後ろから巽の声が聞こえた気もするけれど、とき既に遅し。
俺達は夜の街へと繰り出して行った。
Ξharuki sideΞ
風の音がする。
風の匂いがする。
風の気配がする。
酸素の量、二酸化炭素の量、窒素、水素、ネオン、ヘリウム、メタン‥‥‥。
並べだしたらきりが無い物質の数値が俺の頭の中を掛け巡る。
猫はどれくらいの二酸化炭素量を吐くのだろうか。
どれくらい耳を澄ませば、猫の声を拾えるのだろうか。
領域を広げ過ぎても駄目だし、狭め過ぎるとただの人間と変わらなくなる。
千星さん達と海沿いの道を探しながら河口域へと遡っていく。
瓦礫の下、屋根の上、塀の中‥‥
二酸化炭素濃度が高く、息遣いが聞こえるところは片っ端から探していったが膨大すぎてなかなか見つける事ができない。
それでも数をこなして行けば、犬猫、たまにイタチやたぬきくらいの小動物にしぼって場所を探索できるようになり始めた。
この自分の能力で、こんなことまで出来るとは知らなかったため、千星さんへの株は更に急上昇だ。
昔は液晶の見過ぎで落ちてしまっていた視力も今は草食動物より遥かに高度なものになってしまった。
見え過ぎるのも困るので逆に、特殊なコンタクトやメガネで視力を落とす始末だ。
「と、あちゃー。これまたハズレだぜー。
ほら、こんなとこはいんじゃねーぞ、出れなくなるだろ。」
明智が、ネズミとりの罠にハマっちまった子猫を檻から逃している。
ヤツは馬鹿力で、運動神経も鈍くはないのでのこういった時には助かる存在だ。‥‥認めたくはねぇーけど。
俺の指示通りに瓦礫を退けたり、屋根の上に昇ったり、排水口の中を覗いたりと機敏に動いている。
「お、なゆ、なーゆー!来てみろって!」
「ん?見つかったのか?」
少し遠いところで明智が、千星さんを呼んでいる。
千星さんは、自分の探していた場所の手を留め明智の方へと走っていった。
俺が探せるテリトリー外であったため、自分もゆっくりとそちらに向かっていく‥‥までは良かったのだが。
「ほら、見てみろよ、あそこ、あっつあつだぜ!!」
コソッと、千星さんへと耳打ちした言葉は、能力を解放している俺には丸聞こえで、近づいたがために、呼吸音、脈拍回数、あとは、なんと言っても、あ、あ、あ、あの、独特の発情した猫の声!!!!
それが俺の体全てを支配した習慣、何かがブチっっと切れた。
「明智!!てめぇ!!コノっ!!真面目に探しやがれー!!!」
無心で明智に向かって走った俺は、ヤツの背中に盛大なドロップキックをかましてやった。
その、せっかくアツアツだった猫達も俺達の奇行をスルーできずそそくさと逃げていくのが、数値の変化によりわかった。
剣成が、いててて‥‥と、背中を擦っているのを尻目に。制服のまま出てきたためエプロンと服を正していると、俺の耳が鈴の音を掴む。
∞nayuta side∞
剣成に呼び出され、もしかすると探していた、黒猫のポンちゃんが見つかったのかと思いきや、見たくない現実を突きつけられた俺は苦い笑いを浮かべるしかなかった。
勿論男女のリアルエッチもだけど、猫の後尾で喜ぶほど俺ももう若くない。
と言うか、俺はリア充が死ぬほど嫌いだ。
みんな消えてなくなればいいと思う。
そんなことを考えていると俺の横の剣成がふっ、と居なくなった、というかスローモーションで視界の、端に映った。
高飛込みの選手顔負けのきれいなホームで、水面、‥ではなく地面へとぶっ飛んでいく。
勿論着地は10点満点。ズザザザザザっと激しい音を立て、オリンピックなら金メダルを狙えると思う受け身を披露して、剣成は地面へと下り立った。
そして、俺の横は自分の場所だと言わんばかりに晴生がたっていた。剣成はかなりガタイがいいほうだか、その剣成を晴生は華奢な細身でぶっ飛ばしてしまう。
コイツには逆らわないで置こうと何度目か忘れてしまった誓いを俺は心の中で立てた。
「オイ、明智、‥‥‥‥あの上。」
晴生が指差したのは、この河原近くにある御神木にもなっている立派なクスノキのてっぺん付近だった。
晴生が間違えてるとは思いたくないが、ネコがわざわざ登って休んだりする高さではない。
もしかして、剣成に嫌がらせをしているのではないかと思う程の高所を指差している。
「‥‥鳥かなんかの間違いじゃないのか?」
俺が晴生に視線を投げかけると、晴生は俺の方向へと身体を向けた。
「俺もそうあってほしいんですが、どうやら違うみたいなんです。
明智、登れるか?無理なら俺が行くぜ‥‥?」
俺達は、猿ではない‥。
確かに猿から進化した人種であるが小学生の時ならまだしも、大学生の今、あの高さまで登る自信は俺にはない。
放心している俺を横目に「千星さんはここで待っててくださいね」と、いつものにっこにこした微笑みを俺へと向けてくる。
晴生が登る準備をしようと袖の裾を捲りあげようとするが、それを剣成が制する。
「日当瀬が登っちまったら、上のいる動物が逃げたときに追えなぇーだろ?
俺に、任せとけって!」
──────俺の目の前には剣成‥いや、紛れもない猿がいた。
人間って枝から枝に飛び移れたっけな。
そういや、俺の周りの奴らは皆、飛び移れるんだった‥‥俺を除いて。
いや、俺もちょっとはできる、けっして、できないこともない、ないけど‥‥。
みるみる間に小さくなる、剣成を見上げて、自分の周りに“普通”と言う概念が通じないのを改めて思い出した。
◆kensei side◆
実家の敷地内に背が高い木は沢山あるので、木登りは昔馴染みの遊びに過ぎない。
ただ、日当瀬が見つけた気配は木のかなり上の方。
俺は長身で図体もでかいため枝が細くなっていく限界までしか登ることはできない。
「んー‥‥、そろそろキちぃーんだけどな、っと。
ん、あそこ、何かいるな。
おーい、ぽんちゃーーん、いませんかー??って、あれ?
あ、あ!ぁああああああ!!!!」
ミシミシと木の枝が音を立て始める。
幹から伸びている根本の方を手で掴んで周りを見渡していると黒い固まりがモゾっと動いた。
俺は携帯をライトモードにして動いたあたりを照らしてみると、黒い塊に赤い首輪をした猫が丸まっていた。
大声を出したのに、黒猫は逃げもせず。
丸まっていた体を伸ばし、グーッと全身をつかってお尻を突き出すように背伸びをしてから、俺の方へと歩いてる。
「へー、素直で、かわいいのな!誰かさんと違って!!」
太めの枝に腰を下ろして、待っていると黒猫は自然と自分の上に乗ってきた。
すり寄ってくる黒猫はここに来るまで、大変だったのか少し汚れていたが、手触りのいい毛並みにうっとりと視線を眇めた。
その瞬間、ゴツン!と激しい音が後頭部から響いた。
そういやアイツ能力開放してるから、耳、いいんだった。
「────ってぇ!っと、あぶね!
ちょ!日当瀬っ!これは、さすがにあぶねぇって」
「うるせぇ、バカヤロウ!!
見つけたなら、さっさと降りてきやがれ。
あ、あと、俺のタバコ落としたら、口聞いてやんねぇから。」
タバコ?あ、さっきのか。
俺の後頭部を強打した物体は日当瀬の電子タバコだったようだ。
日当瀬のコントロールは抜群だ。タバコは跳弾先が考えられており、俺の頭にブチ当たった後、さらに頭上に上がっていた。
しっかりと片手で猫を抱きかかえ、もう片手で日当瀬の電子タバコを受け取る。
「流石に毎日顔合わせてんのに、それはちと、困るな‥‥」
日当瀬は本気で言ってるんだが、俺の喉は自然とクツクツと揺れてしまう。
【シロフクロウ】の仲間達は高校からの馴染みだが一緒にいて飽きることがない。
猫に振動を与えないようにゆっくりめに木から降りて千星の方へと視線を向ける。
「どー?なゆ。このコで間違いねー感じか?」
「多分。つーか、ここに名前書いてるし、この子で間違いないと思う‥‥」
なゆは持ってきた迷子チラシと、俺の腕の中にいるネコを交互に見つめていたが、首輪にネームタグがついており、そこに“ぽんすけ”と、書かれていた。
こんなキレイで可愛らしい猫なのになんとも言えない名前で、あの女の子のネーミングセンスに自然と笑みが浮かんだが、ポンスケは近づいた千星の方へと移っていた。
「チラシの電話番号に連絡をいれておきますね。
千星さん、このまま届けに行こうと思うんですけど、お時間は大丈夫ですか?」
日当瀬が事務連絡をかってでてくれた。
ネコが見つかれば俺はすることがなくなるので両手を頭の後ろで組んで帰路へとつき始める。
「じゃ!女の子によろしくなー!!
俺はシロフクロウの片付けに戻るぜ」
少女の喜ぶ顔を浮かべながら、天夜だけに頼んできた後片付けを手伝うために喫茶【シロフクロウ】へと戻った。
∞nayuta side∞
剣成から黒猫のぽんちゃんは俺の方へと渡ってきた。
余り動物全般が得意ではない俺は慌てて両手でぎゅっと握りしめてしまいそうになったが、ぽんすけはとてもおとなしく、俺の腕の中でまるまってしまった。
日当瀬が迷子ポスターの連絡先に電話すると、猫の飼い主の住所がわかったようで、今から届けることに決まったようだ。
「あれだけ心配してたし、早く届けてあげないとな。」
剣成は自分の仕事が終わったかと言うように帰っていったが【シロフクロウ】の片づけも終わっていなかったので仕方ない。
特に厨房を片付けられるメンバーは“色んな意味で”決まっている。
その、いろんな意味を今は考えたくもない。
ポンスケがいた場所から、飼い主の家まではかなりの距離があった。
家から逃げた割には、ポンスケはおとなしく、たまたま家から出てしまって迷子になっただけなんだろう。
暖を取るように丸まったままの猫に視線を落とした。
「おまえ、もう、間違ってまいごになるんじゃねーぞ。」
聞こえてるのか聞こえてないのか、じっと丸まったまま猫は動くことはなかった。
「ここですね。
すいません、先程電話したものですが。」
目的の家の前まで来ると日当瀬は家の呼び鈴を押す。
するとインターフォン越しに声が聞こえ中から母親らしき人が出てきた。
「すいません‥こちらから伺わないといけないところをご丁寧に。
良かった、ぽんちゃんだわ。ほんと、どこいったのかと‥‥。」
更に奥からは父親らしき人も出てきて、ポンスケは飼い主を見るなり、俺の腕から降りて「ニャー」と、声を上げすり寄っている。
安心したんだろうどこか泣きそうな母親の顔を見ていると、晴生と剣成に手伝ってもらって本当に良かったと思う。
急だったのでお礼を用意できてないため、改めてお礼をしたいと言われたが、それは晴生が丁重に断ってくれていた。
「また、よかったらお茶しに来てください」と、ショップカードを渡しているところは流石だとしか言いようがない。
「あ、そういえばお子さん‥は、もう寝ちゃってるんですか?」
猫が見つかったと聞いたら一番にとんで出てきそうな女の子の姿が見つからなかった。
喫茶店が終わってから探したので、あたりも暗く夜も更けている。
そう告げた途端、ご両親の顔が曇るのがわかった。
「ミクをご存知なのですね。
‥‥あの子は事故にあって今、病院にいるんです。
あの子が事故にあって、ぽんちゃんまで居なくなって、‥‥‥‥。
ほんとうにありがとうございます。これで、あの子が帰ってきても怒られずにすみます。」
母親の言葉に俺は目を見開いた。
どうやら俺達は間に合わなかったようだ。
落ち込んでいる母親を前にどうして事故にあったかは聞けなかったけど、きっとあのままぽんちゃんを探して事故に合ってしまったのだろう。
もし、あの後一緒に探していたら事故は免れたのだろうか。
一緒に曇った俺の気持ちを明るくするかのように母親はお礼を言ってくれた。
晴生も俺と同じ思いなのだろうか、横で複雑そうに眉を寄せていた。
それから何度か、ご両親からお礼の言葉を貰って、俺達は帰途へとつく。
何ともやるせない気持ちでいっぱいで俺の肩は上がることはない。
横にいる晴生も心ここにあらずといった感じで難しそうな顔をしていた。
「ま‥‥‥!何はともあれ見つかってよかったよな!
晴生のすげーとこも見れたし、‥‥晴生?」
おかしい。
晴生の反応が薄い。
いつもなら俺が何か言ったら。いや、何か言わなくても俺の横に居て俺を見ないことなんかないのに。
勿論これは自惚れではない、ただの事実、だ。
名前を呼び、顔を覗き込むと晴生は初めて気づいたようで、めちゃくちゃ謝罪してきた。
ちょっと、考え事をとか、せっかく千星さんから話しかけてもらったのにとか色々言ってた気がするけど、いつもの晴生に戻ってくれてよかった。
喫茶【シロフクロウ】に戻ると、巽と剣成が俺達の分の賄いを作って待ってくれていた。
腹ぺこだったのでいつもよりうまく感じた飯を掻き込んだけど、気分は少しセンチメンタルだった。
Ξharuki sideΞ
辻褄が、あわねぇ‥‥‥
喫茶【シロフクロウ】に、帰ってきた後。
俺の頭は一つの矛盾にずっと悩まされていた。
女の子の母親は『あの子が事故にあって、ぽんちゃんまで居なくなって』と、言った。
それが指し示す先は、少女が事故にあったあとに、黒猫が居なくなったと言うことだ。
だが、俺達は実際に“黒猫を探す無傷の少女”に会っている。
子供と猫。同時に災難にあった母親が混乱してそう告げてしまっただけなのかもしれない。
閑散としたシロフクロウのホールは一部だけ明かりがついている。
行く前に入力しきれなかったデータを入力しながらマグカップへと視線を向けた。
コツン‥‥‥
入口から小さな音がする。
その方向へと向けた視線が自然と大きく見開かれた。
そこには、先程届けた筈の黒猫、ポンスケがいたからだ。
「にゃあー」
慌てて椅子から立つと入り口へと向かった。
締めてある鍵を開くと隙間から黒猫が入ってくる。
「おい!なんで──────‥」
「おや、どうしましたか?」
焦った俺の声に被さるように低く、透き通った声が静まり返ったホールへと響く。
奥からマスター、神功左千夫【じんぐうさちお】が出てきた。
黒猫は俺の足元をするりと通り抜けると、やっと見つけたと言わんばかりに真っ直ぐに神功の野郎の足へと擦り寄る。
「にゃぁ‥‥」と、小さな声を落とし、また扉へと戻ってくるが、その視線はついて来いと誘導するかのようになんどもこっちをうかがっていた。
「どうやら、行かなければならないようですねぇ……晴生くんも、一緒に来ますか?」
まるで事の顛末がわかっているかのような瞳が俺を見透かす。
思わず視線を逸らしてしまい、舌を打つ。
「チっ、……ッたりめーだろ!
おい、さっさと行くぞ。」
他のメンバーは既に喫茶の上にある自室で寛いでいるだろう。
何よりまた、逃してしまうと見つけた意味がない。
黒猫はこっちを伺いながらも、速いペースをたもって移動している。
俺とコイツであれば遅れることはない。
例え、このポンスケが本気で逃げても俺はついていく自信がある。
先程探していた川岸へ着くと、ポンスケはぴたっと動きを止めて、「にゃあー」と、鳴き声を轟かせた。
「ぽんちゃん!!!!
もー!!どこいってたの!さがしたんだよー!」
急に俺の耳に少女の声が木霊する。
その姿を探すように視線を各方向へと向けるが俺の視界に映るのは火の玉のように揺らめく《紅い魂》であった。
「ミク‥‥?」
そう、この声は昼過ぎに来た小学生、ミクの声そのものだった。
俺がその名前を言葉にした瞬間、《紅い魂》が歪み、人の形へと変わっていく。
ポンスケのすぐ側に屈んだミクの姿を瞳の水晶体が捉えた。
「あ!お兄さん!お兄さんが見つけてくれたんですね!
ありがとうございま───」
「おい、テメェ!こんな時間にこんなところで、何してんだ‥‥‥よ‥」
もう完全に宵の闇だ。
小学生がこんなところにいていい時間ではない。
ましてやこいつは事故で怪我‥‥怪我?
俺の目の前にいる少女は怪我をしているようには全く見えなかった。
しかも俺はこの目で確かにココに《紅い魂》が存在するのを見た。
怒鳴ってしまったせいで女の子は萎縮し、ハラハラと瞳から涙を溢した。
「だ、だって……ゴメンな……、さい。
お昼くらいまでは、お家に入れて、たんだけど……なぜか入れなくなって‥お父さんと、おかあ……さんも、呼びかけても全然気づいてくれないし……ミク、どうしたらいいか、わかんなくて…………」
ここまで来てやっと、俺の中の矛盾が解決した。
そう、この子は人間ではない。
いや、元は“人間だった”と言ったほうが正しいか。
今は《紅い魂》と言われる存在だ。
「晴生くんが、実体化して見えるのは珍しいですね。」
後ろから神功の声が降り注ぐ。
ヤツは既に“もう一つの仕事”をするときの正装へと着替えていた。白い服に包まれ夜の闇には不似合いな仕事着。
河川敷を吹き抜ける風が彼のマントを揺らし、緩やかに携えている笑みがより一層、存在を際出させる。
チっ、と舌打ちすると同時に、腰に巻いていたエプロンを背中へと翻す。
俺達のカフェの制服は特殊素材でできている。
耐火、防弾、ステルス機能も携わっており、スボンの色も黒から白へと変化する。
全ての機能を解放してしまえば、目の前の少女に実体、‥‥肉体がないことがわかった。
彼女の肉体はきっと病院の、ベッドに寝ているのだろう。
少女は事故にあい、そのときにその体から“魂”が抜け出してしまったんだ。
本人は自分が魂だけになったことに気づかずに家に帰り、猫が居なくなったことを知り探していたんだ。
その間に“魂”の純度が失われ《紅い魂》になったのであろう。
そこには人の体の温度が存在していない。
俺の、もう一つの仕事はこの《紅い魂》を処理すること。
非常に問題なのは、俺は《紅い魂》から、人体に戻すことができる《蒼い魂》へと変換させるような細かいことは苦手だ。
どーでも良い、《紅い魂》‥‥通称《紅魂ーあかたま》なら直ぐに取り込んでしまうのだが。
少女の魂を、彼女の体に戻す方法を探っているうちに、神功がゆったりとした足取りで少女へ向かって歩いていった。
「オイっ!コイツは死んでるわけじゃねぇぞ!」
「勿論。分かっていますよ。
余り大きな声を出さないでください、怯えてしまう。」
神功は、少女の前に跪くと、ゆっくりと頭を撫でてやっていた。
少女が泣き止むのを待ってから、地上にいるポンスケを抱き上げ彼女の腕の中へと返してやっている。
ここに無いものの腕の中に、ここに存在するものを与えている。
それはとても高度な技術で俺にはできないことだ。
しかも、俺は普段、《紅い魂》の実体化を見るなんてことはできない。
声や、気配や、数値でその存在を知るだけだ。
だが今日は不思議とくっきりと見える。
「さて、お嬢さん。
お父さんと、お母さんも心配してることですし。
そろそろ体に帰りましょうか?」
「体?ミク、お家に帰れるの?
アナタは誰?お兄さんのオトモダチ?」
少女本人は自分に起きた出来事は理解してない様子だが、神功は笑みを携えたまま、ネコを抱っこしている少女を横抱きへと抱え上げる。
わぁ‥と驚きに小さく声を上げるも、少し顔が赤くなった少女は腕の中で神功を見上げていた。
「そうですね。妖精さん、とでも言っておきましょうか。
さて、お家に帰りましょう。
僕がこのまま連れて行って差し上げますので、もう眠ってしまって大丈夫ですよ。
今日は沢山歩いて疲れたでしょう‥‥‥?」
神功の朱い瞳が妖しく揺れる。
少女と神功の周りに〈漆黒く、朱いーくろく、あかいー〉気配が立ち籠める。
少女の唇が「妖精さん‥‥?」と、小さく疑問を模るが腕の中の温かさに、安堵したかのように少女の瞼が重くなり、神功の唇が少女の、瞼へと重なった。
その瞬間に少女から紅い光が溢れ出し、呼応するように神功の周りにも漆黒く、そして朱い、炎が渦を巻く。
そう、《食霊ーしょくれい》が始まったのだ。
眠ってしまったかのように少女の体から力が抜けると、神功は彼女を抱きしめる腕の力を強くする。
“パンッ”と弾けるように、紅い光が霧散し、そのまま跡形もなく神功の、体へと吸収されていった。
腕の中に残ったのは、彼女の猫のポンスケと、神功の片手の上に火の玉のように揺らめく彼女の《蒼い魂》のみであった。
「───────────ご馳走様でした。
……さて、僕はこの子達を元の場所に届けてから戻るので。晴生くんは気をつけて帰ってくださいね。」
食えない笑みを浮かべながら、神功は歩き出す。
俺にはまだあんなキレイに《食霊ーしょくれいー》して、《紅い魂》だけを自分の体に吸収することばできない。
できない事を目の前でやってしまわれるイライラと助かってよかった安堵感とで複雑な気持ちになり、電子タバコに手を伸ばすとそこで初めて気づいた。
俺のタバコは明智が、持ったままであった。
∞nayuta side∞
今日は色々あったな……
久々に歩き回ったので足が棒を通り越して、鉛だ。
喫茶【シロフクロウ】と、同じマンションに俺達従業員の部屋はある。
自室のベッドにうつ伏せにダイブするとスプリングが軋む音が響き渡る。
「はぁー……今日も疲れた。
ミクちゃん大丈夫かな……ちゃんと、ポンスケにあえたるかな……」
直ぐそこにあるゲームのコントローラが俺を呼んでいるが、今日はこの睡魔と靄がかったに思考に勝てそうにない。
既に重い瞼が落ちようとしたとき、自室の電気が、カチカチ‥と、付いたり消えたりと点滅した。
「あれ、おかしーな。ここ入ったときに変えたんだけどな‥‥‥‥ ──────ひぃ!!ミ、ミミミミクちゃんなんで、ここにっ!!!!!」
うつ伏せから仰向けに転がった俺の視界には映ってはいけないものが映ってる。
いや、もしかしたらありがとうを言いに来たのかもしれない、こんな時間だけど、部屋の鍵締めたはずだけど、ここ割とセキュリティしっかりしてるけど、んでもって、ミクちゃん飛んでるけどぉぉぉぉー!!!!
テンパった俺は慌てて起き上がるとベッドの隅に枕をしっかり抱いて逃げた。
昼間会ったときよりもかなーり、彼女は透けているように見える。
透けているように見えると言ったら、アレしかない。
俺達の“もう一つ”の仕事に関連あることだが、まだその仕事に関わったことがないんだ。
そんな俺をよそに、視界の少女は宙に浮かんで笑みを浮かべていた。
『おにーちゃん、ありがとう。わたしのことを、入れてくれて』
え、どーいうことだ?
これは俺が呼んだってことか?
思い出せ、俺。
ミクちゃんと、会ったとき俺はなんて言った?
俺はただ、いらっしゃいませって言った、言った‥言った?
‥‥ ──────言ってるー!!!?
俺、いらっしゃいませって、言ったぁぁあああ!!!
そのまま声にならない悲鳴を上げて、完全に固まってしまったが、少女はクスクスと笑い声を立てた後窓をすり抜けて出ていってしまった。
もう、意味わかんねぇ……、泣きそう、と思っていると部屋扉がノックされる。
再び口から心臓が出そうなほど驚いたが、「那由多、どうしたのー?大丈夫??」と、巽の抜けた声が聞こえて俺は胸を撫で下ろした。
もしかしたら疲れ過ぎて白昼夢でも見たのかもしれない。
そう思いたかったのだが、翌日、晴生から少女の事の真相を聞かされ、俺は顔面蒼白になったのは言うまでもない。
少女が、事故にあったのはネコのポンスケが失踪する前だったらしい。
と言うことは、俺達が接客していた相手は‥‥。
全身に鳥肌が立ったのは言うまでもない。
お化けが嫌いな俺にとって“もう一つの仕事”は難関中の難関だと改めて気付かされた。
頼むから巻き込まれませんように!
後日。
元気になったミクちゃんがご両親と、一緒に【シロフクロウ】へと来てくれたが、俺は彼女と目を合わすことはできなかった。
◉何者でもない誰か(語り部)◉
漆黒の闇の中に無数の鳥籠が羅列している真っ白い部屋が、喫茶【シロフクロウ】の地下にはある。
明かりは仄かにしかなく、鳥籠のなかで揺らめく炎のようなエネルギーの塊“idea-イデアー”が辺りを薄っすらと照らしている。
部屋の奥には赤いワンピースのドレスを身に纏い、ブロンドのショートボブの少女を模ったヒューマノイドが、椅子へと腰掛けている。
今にも人として動きそうなほど精巧な作りであるが、その瞳には光がなく、暗く淀んでいる。
部屋にエレベーターが開く、擦れるような機械音が響くと共に、神功左千夫〈じんぐうさちお〉がこの部屋へと降り立った。
コツコツと靴の底の音がだけが響く空間に、妖しく彼の朱い瞳が揺らめく。
「お待たせしました、イデア‥‥」
真っ直ぐに少女のヒューマノイドを見詰めたまま。
神功は、彼女の名前を呼ぶ。
彼女の名前は、イデア、正式名称はイデアロスという個体だ。
今は動かぬ人形に、まるで同じ人として接するかのように神功は話しかけ、微笑みを浮かべる。
神功は無数にある精巧な鳥籠の中から何も入っていない空の鳥籠の前で歩みを止める。
鍵を鍵穴へと差し込み右に回すと、カチャと、音を立てながら扉が開いていく。
神功はまるで水を掬うかのように両手を丸め、鳥籠の入口へと差し出す。
彼の体が、朱〈アカ〉と漆黒〈クロ〉の炎に包まれていくと、パチンと胸の辺りまで結っていた三つ編みを結んでいた赤い糸が切れ、長く艶のある髪が四方に靡き踊り始める。
掬うように差し出された手の中には、円を描くような球体が造形されていき、大きな球体が小さく、小さく、圧縮されていく。
赤く輝く高エネルギー体が形成され、その形で凝固しそうな瞬間に、──パンッと音とともに弾けとんだ。
「おや……、おかしいですね。
今まで失敗したことは無かったのですが。」
弾け飛ぶ瞬間に神功の瞳には、先程《食霊ーしょくれいー》したはずの少女の面影が見えた。
悩ましげにその瞳は細められるが、次の瞬間には自然と微笑みが浮かぶ。
「どうやら、那由多くんにお礼を言ったようですね」
神功はここではない、千星那由多〈せんぼしなゆた〉の部屋で起こった出来事をまるで見透かすかのような言葉を落とした。
「流石ですね、那由多くん。
また、僕を愉しませてくれるんですね、君は……」
神功の口から静かに言葉が滑ると、どこからとも無く、赤い霧が立ち籠める。
彼の白く透き通った右手指の腹が、怪しく揺らめく朱い瞳を一撫でしてから空中へと掲げられる。
再び、周りに立ち籠めた赤い靄が瞳とその手を中心に集まり瞬時にして綺麗な球体が模られる。
「おかえりなさい、idea-イデアー……」
“idea-イデアー”は“霊”ではない。
ただの高エネルギー体だ。
意志など持つはずはないものに起きた不可解な現象を愉しむの様に神功の、口角は上がる。
長く黒い睫毛を伏せるかのように視線を細めると、エネルギーの塊“idea-イデアー”を鳥籠の中へと閉じ込めた。
白い指先が鍵を締め、鳥籠の柵へと指を滑らせ、朱い瞳で見詰めるが、もうそのエネルギー体には少女の面影はどこにも覗えない。
朱色の瞳はそのままヒューマノイドのイデアに向けられ数度瞬きを繰り返す。
「おあがりなさい、イデア。」
血となり、肉となり、彼女が再び動き出すことを祈って───言の葉は白い空間へと溶け込んでいった。
End
わたしの名前は、ミク。
ツインテールがチャームポイントの普通の小学生。
今は、とっっっても大事なわたしの家族を探してる。
今、手の中にあるのはパパとママが作ってくれた迷い猫のポスター。
赤い首輪をした黒猫の『ぽんちゃん』の写真が載ったその紙を両手でぎゅっと握りしめた。
ポンちゃんは昔、野良猫だったの。
わたしが迷子になった日、一緒についてきてくれた黒猫さん。
迷子になったときは、自分以外の周りの景色が黒くなって、この世界に自分一人だけになってしまったように感じて、とーっても怖かったのを覚えてる。
だから、ポンちゃんをそんな世界に帰したくなくて、ママに一生懸命お願いして、わたしのおともだちとしてミクの家に来ることになったの。
そこからはずーっと、わたしの家族。
わたしの家族になってから、お家からでることがなかったポンちゃんが、ママとパパの隙をついてとびだしちゃったみたい。
普段お外に行かないポンちゃんがどこに行くかなんて、全くわからない。
家の近くもいーっぱいさがしたし、初めて出会った川のそばにある道も探してみたけどやっぱり見つからない。
そう言えば、わたしと一緒にママを探してくれたのは、実はポンちゃんだけじゃない。
白いドレスを着た妖精さんもいたんだ。
妖精さんの話は誰も信じてくれなかったけど、もしかしたらまた会えるかもと思ってこの川の近くに来たんだけど、そんなに都合良くはいかなかった。
「もぅ‥‥ポンちゃん、どこいっちゃったのよー‥‥」
道路の側の電柱にもたれかかって溜息を吐く。
小学生のわたしが探せる範囲なんてそんな広くはなくて肩を落とした。
後は学校で噂のあの場所に行ってみるしかない!と、迷子のポスターを握りしめた。
∞ nayuta side ∞
「巽ー、つぎはこれよろしくー。」
俺は、千星那由多【せんぼし なゆた】
行ってる大学こそ偏差値は高いが、マグレで入れただけのゲームが得意な大学生だ。
ここは、俺が新しくはじめたバイト先、喫茶【シロフクロウ】
巷では、ありとあらゆる“イケメン”が勢揃いのカフェと噂されるだけあって店員の顔面偏差値が高い。
……もちろん、俺を覗いてなんだけど。
「うん。了解。
那由多、これを3番のテーブルにお願いできる?
バランス悪いから気をつけてね。」
この、全てを許してくれそうな包容力のある微笑みを携えてるのは、天夜巽【あまや たつみ】
陽にやけたようなオレンジの短い髪に太陽のように輝く瞳。人受けの良さそうな柔らかい表情の持ち主だ。
コイツとは小さい頃からの腐れ縁で幼馴染。
巽はこの穏やかな性格もあり、男女共に人気が高く友達が多い。
【シロフクロウ】でもコイツ目当てに来る客も少なくはない。
それでも、なんだかんだ、俺のそばにずーといるのはよっぽどモノ好きなんだと思う。
「あ、千星さん。それは俺が運びます。
オイ、天夜!!千星さんは、まだ慣れてねぇーんだから、こんな重たいモン持たせるなよな!」
巽がカウンターに置いた、3段になっているケーキスタンドを運ぼうとすると、横から晴生の手が伸びてきた。
この、クオーターで、金髪、翠眼。前髪で瞳が隠れているのに隠しきれない美貌の持ち主。
いかにもイケメンって顔立ちの美男子は、日当瀬晴生【ひなたせ はるき】
黙ってればモデルも顔負けのスタイルと顔面なんだが。
どうにも、口が悪い…。
俺とは高校からの付き合いで、……なぜか、懐かれている。
きっと、俺が「お手」といえば、こいつは喜んでするだろう。いや、もれなく「おかわり」もついてくると思う。
晴生は片手にケーキスタンド、とトレイに乗ったティーセットを慣れた手つきで運んでいく。
一応、俺も運べるんだけど…、たしかにあんなにスマートにはまだ運べないけどさ…。
晴生が歩くだけで、周りの女性陣の視線が釘付けになるのがここから見てるだけでわかる。
「ほーんと、日当瀬は黙ってっと、一級品だよなー」
料理の受け渡しカウンターのそばにいる、俺の肩がズンっと重くなった。
横から剣生がもたれ掛かって来たため俺の身長は5cmほど縮んだ。
今、俺にもたれかかっているのは、明智剣成【あけち けんせい】
赤茶色の短髪、で、長身。
茶色瞳は意志の強さを物語るように真っ直ぐに俺の瞳を見据えている。
コイツとも、高校からの付き合いだ。
「イケメンはいるだけで華になるよな~。」とか、言ってる剣成も、剣道有段者のまた別の意味でのイケメンで、好青年である。
ゲームくらいしか取り柄のない俺とくらべると……、やめとこう、哀しくなってきた。
「オイ!明智!!
千星さんに近づくんじゃねーよ、バカが移るだろうっ!」
「あ~、悪い悪い。って、それ、言い過ぎじゃね?
流石に俺でもバカは移せねぇなー」
晴生が客席から、剣成に、食って掛かるように戻ってくると、俺の肩が軽くなった。
晴生はいつも、剣成に食ってかかっているが、食ってかかられている当の本人は全く何も気にしていないので改まることはない。
寧ろ、二人のこの喧嘩もお客さんに対しての見世物になってる気もする。
ぎゃいぎゃいと言い合いがはじまったのも束の間。
お客さんからの呼び出しが掛かると二人ともスイッチが切り替わる。
その辺りもやっぱり俺とは違う、と、重い足取りで来客を知らせる鈴の音と共に入り口へと向かって歩いた。
Ξharuki sideΞ
喫茶【シロフクロウ】は、常連の客も多い。
マスターは昔馴染みのいけ好かねぇ野郎だけど、経営の腕は確かなことは間違いない。
何度でも足を運びたい。そう思わせるにはここは十分な内装と商品が揃っている。
この商売を一緒にしないかと、誘われたとき、俺は一度断った。
それは時給が悪いからとか、接客業が嫌いだからとかそういった理由じゃねぇ。
ただ単に、金目当てなら誰かのもとで働かなくとも充分に蓄えがあるからだ。
インターネットが発達した現代社会では、知識さえあれば稼ぐ手段は沢山ある。
株、FXから始まり、投資、仮想通過、最近はオンラインサロン、Cloud〇rontまである。
それでも、俺はここで働くことを選んだ。
それは、マスター…神功左千夫【じんぐう さちお】の隠された目的にある。
神功左千夫、艶がある漆黒の髪を編み込み赤い紐で止め、胸元へと垂らしている。
その神秘的な容姿と、色白い肌、朱い瞳〈あかいひとみ〉は嫌でも周りの目を引く。
客が帰ったあとの食器を配膳のロボットに並べながら、店中央にある、円形のカウンターの中にいる神功へと視線を向ける。
昔からそうだ。
ヤツは他人からの視線に敏感で。
盗み見、という行為が全くできない。
現時点ですら、俺の視線に気づき、犬も食えない微笑を俺に向けて来やがる。
「晴生くん。僕は少し下がりますね、ここ、おねがいします。」
そう言ってやつはカウンターから移動して、厨房の、奥へと消えていった。
一気に自分が不機嫌になっていくのがわかる。
唯一、ヤツに感謝することといえば千星さんと同じ場所で働けることになったことだけだ。
千星さんこそ、俺の癒やしであり、バイブルである。
朝焼けの空、薄い青紫の髪が無造作に遊んでいる様、そしていつもどこか気怠そうな表情、控えめな顔立ち、そして、俺を見つめる濃い青い瞳が大好きだ。
このお方となら、たとえ火の中、水の中、…どこへだってついていく自信がある。
そんな千星さんと、同じ制服を着て毎日一緒に働けるという最大のご褒美をくれたことにだけ感謝してやる。
ただ、それだけであることは間違いなく、俺はアイツが苦手なことは変わることのない事実だ。
どうやら新しい客が来たようで千星さんがお迎えにむかっている。
「いらっしゃいま────」
「あ!あの!!飼い猫が逃げちゃって!!見つからなくて!!その、ここだったらなんでも悩みを聞いてくれるって聞いて………!!だから、その…っ!」
勢い良く扉を押し開いてきたのは小学校中学年くらいの女の子か。
ここまで急いできたのか息を切らせて声を弾ませていた。
その手の中にはなにかチラシが握られている。
どうやら千星さんは困った様子でオドオドしていた、こっちに助けを求める視線を向けてこられたので俺は慌てて入り口へと向かった。
「横から失礼します。
多分それはここの、喫茶の、“お悩み相談”というシステムですかね?
生憎なんですが、そう言った物理的な、……ネコを探してほしいというご依頼は受け付けてないんです。
あくまで、悩みごとを聞かせていただくというシステムでして…。
ここで話すのもなんなのでよかったらこちらにどうぞ。」
すかさず、営業用の表情を作りながら千星さんとの間に体を滑り込ませる。
たまーに、こうやって間違えてくる客がいる。
喫茶【シロフクロウ】にはお悩み相談システムがある。
要予約、コースシステムで、個室選択もできて、相談相手も指名できるんだが、何でも屋ではない。
喫茶店のすぐ横に、願えば何でも叶えてくれると噂になってしまった、鳥居付きの賽銭箱が、パワースポットとしてあることが更に客を混乱させているようだ。
あからさまに落胆してしまった少女を見ると、周りの客のことも、この子のことも考えて俺は彼女を目立たない席への誘導を開始する。
少女は、それ以上中に入ることを迷っており、「ポスターだけでも…」と、か細い声を溢した。
そんな彼女の手を、失礼のない程度に引いて、俺は席へと誘導した。
∞nayuta side∞
びっくしりしたぁ‥‥。
入口から入ってきた女の子の切羽詰まった様子に俺はただ、キョドるしかできなかった。
晴生が横から入ってきてくれなかったら変な声を出していたかもしれない。
こう言った、想定外の事態に弱いのは昔から変わらない。
これに関しては天と地がひっくり返ったってよくならないと思う。
そもそもここのお悩み相談のコースだって、俺はまだ一人でこなす事はできないわけだし。
…いや、あれに関してはずっとできない気がする。
知識もないし、話術もない…そもそも人見知りの俺には向かない仕事内容だ。
マスターが無理しなくてもいいといってくれてるので、今は主に単純な接客と雑用しかしていない。
まだ、バクバクと鼓動している心臓をユニフォームの上から押さえながら、晴生のスマートな接客を眺める。
本当に、コイツはこうしてると、一級品なのだが、問題は相手によると長くは続かないということだ。
最悪の場合、暴力沙汰に発展しそうなこともしばしば‥‥
ま、今回は子供だし、大丈夫だと思うけど。
ここには気が利くやつしかいないので、すかさず剣成が少女にアップルジュースを運んでいた。
‥‥‥俺も、そういうイケメンスキルを持って生まれたかった。
◆kensei side◆
なんだか、訳ありの子が来た。
よっぽど焦って来たんだろう、喫茶店に入ってきたときには肩で息をしていた。
好みなんてわかりはしなかったけど、誰でも飲めると言ったらリンゴジュース!と、あくまでも俺の主観で、おしゃれなグラスに氷を並べていく。
リンゴジュースを注いでから、うさぎを象られたリンゴをグラスのフチへと並べる。
気分を落ち着かせるためには五感を癒やしてあげるのが一番だ。
グラスに、氷に、ストロー、リンゴジュースの色。
何かを提供することで、代金を得るならそういうところは気になっちまう。
マスターの、おかげもあって提供できる品に文句はないので後は俺の技術が伴うかどうか。
「どういったご用件でここへ?」
「まーまー、日当瀬。
腹ごしらえが先じゃねー?ってもリンゴジュースだけど!」
席に座った女の子の机にコースター置き、リンゴジュースをその上に置く。
カラン、と小気味良い音があたりへと響き渡り、女の子の視線がグラスに注がれるのが見て取れた。
「あ、あの、でも、私っ、急いでてお金持ってなくて‥‥っ!」
真っ赤になった女の子の口から力のない声が滑ってきた。
そっと、彼女の耳に口を寄せ、調度厨房の中へと引っ込んでいる、マスター、神功左千夫に視線を滑らせながらヒソヒソと悪戯な声を落とした。
「大丈夫。ここのマスター金持ちだから、こんくれーで何も言わねぇよ‥
まぁ、最悪は俺の給料から引かれるだろうから気にすんなっ!」
それだけ告げると、グッと親指を立て、八重歯を覗かせながら笑みを向けた。
少女は暫くアワアワしていたが、落ち着きを取り戻したように、グラスを手に取り、その冷たい側面にそっと頬を寄せた。
「えっとね。うちの飼い猫のポンちゃんがいなくなっちゃって。
お家の中でずーっと飼ってる猫ちゃんだから、心配で。
それで、ミク、いてもたってもいられなくて、探したんだけど見つからなくて。
小学校で、ここの喫茶店は何でも願い事を叶えてくれるって噂があったから来てみたの‥‥
勘違いしてたみたいで、ごめんなさい。」
落ち着きを取り戻した女の子は、今日ここへ来た事情を話し始めた。
喫茶【シロフクロウ】にはお悩み相談コースがあるし。“別の仕事”もあるが、残念ながら何でも屋ではない。
「そうですか、‥‥お力になれず、申し訳ございません。
良ければ店内の見えやすい位置にポスターを掲示させていただきますね。」
「俺らも外出たときに気をつけて見とくな。」
そう告げると少女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
俺は、黒い猫の写真が印刷された迷い猫のポスターを預かる。
その瞬間に静電気のようなものがバチッと走った気がしたが、空気が乾いているだけだと特に気にも止めなかった。
∞nayuta side∞
流石だなぁー‥晴生と、剣成。
正に接客のプロといった感じで、女の子の対応をしているのを配膳しながら、遠くから見つめていた。
女の子が持っていたポスターを剣成がレジ近くの見えやすい位置へと貼っている。
少女は、晴生に連れられて扉の方へと向かっていたが、何故か‥何故か‥俺の方へと急ぎ足で歩いてきた。
「あ、あの、さっきはいきなりごめんなさいっ!
見つかったら連絡お願いします‥‥」
「あ、うん。もちろん‥です。すぐに、連絡いれるからね。」
人見知り爆発の俺は最初焦りはしたけど、こんなに精一杯自分より大人の俺に感情をぶつけて来る相手をいつまでも無下にはできなかった。
その場に屈んで、女の子と視線を合わせると、屈託なく笑みを浮かべて、クシャっと髪を撫でるように頭を撫でた。
実のところ、子供は嫌いではない。
こんな真っ直ぐにぶつかってくる瞳が昔の俺にもあったんだろうなぁと、思えてくる。
いや‥‥‥もしかするとなかったかもしれないけど。
そもそも、俺が興味あるのってゲームくらいだし。
女の子は「ありがとうございますっ!」と、笑みと一緒に喫茶店より出ていった。
今日はいつもの営業と違ってイレギュラーなことがあったけど、なんだかいつもより充実した気がした。
何事にも興味ないのが俺なんだけど、少しだけ女の子のお手伝いが出来ればと言う心が芽生えた。
なんだか、このむず痒い感情は少し昔にも経験したような無かったような。
そんな思考に耽っていると、よく通る巽の声が俺の名前を呼んだ。
Ξharuki sideΞ
「なーなーなー。晴生の能力でどうにか探してやんねーの?」
今日は既に店はClose済み。
俺はいつもどおり電子煙草を口に食み、計算伝票へと視線を落として今日の集計をしているところだ。
何かを確認したり、纏めている時間を俺は嫌いだとは思わない。
頭がクリアになって、一本の線が繋がって行くイメージがあるからだ。
そういう時間は、より俺を向上させていく。
いつもは誰も邪魔しない時間を邪魔してくるやつがいる。
‥‥‥明智だ。
「あん?俺の能力つったって、一般的に見たら少し耳がいいくらいだぜ?
んなもんで、猫を見つけられるかよ。」
俺達は人とは少し違った能力を持っている。
漫画みたいに言うと特殊能力といっても過言ではないかもしれないし、言い過ぎかもしれない。
ただ、そんなに使い勝手がいいものではないことは確かだ。
昼過ぎに来た少女の猫のことは確かに気になる‥。
ただ、自分に何かできることがあるかと言われればそれは別だ。
自分の定位置で、少しだけ溢れる紫煙をくゆらせながら俺は左右の足を組み替えた。
両手はとめどなく動きパソコンの集計ソフトへと数字を羅列させていく。
「俺‥‥探して見ようかと思ってるんだけど‥‥」
少し離れたところから聞こえた声に、俺は真っ直ぐに視線を向けた。
「見つからないと思うけど‥‥」と、照れ臭そうに頭を掻く姿が素敵すぎる、彼の御方〈かのおかた〉は千星さん!その人しか居ない。
やはり俺の一生を捧げる一人に選んだのは間違いなかった。この方にこそ俺のすべてを捧げるべきだ。
集計の入力を終えたノートパソコンの電源を切り、折りたたむ。
メガネを胸ポケットへ直すと、勢い良く立ち上がり、敬の眼眸〈まなざし〉を向けながら勢い良く走り寄って、彼の右手を両手で掴んだ。
「流石、千星さん!!
やはり、あなたはすばらしい!!
その爪の垢を煎じて、明智の野郎に飲ませてやってくださいっ!」
∞nayuta side∞
‥‥‥‥っきらきらが眩しい。
このイケメンから発せられるキラキラが眩しいんだが、惚れたりとかはない。
普通の女性がこれをされたら、イチコロか幻滅か二分化されると思う。
晴生は、俺に対してはいつもこうだ。
なんでこうなったかは覚えてないんだけど、「日本では尊敬する人に敬語は使うもんですよね」と、言われたことだけは覚えている。
絶っっっ対に、俺よりお前のほうが全部優れてると思うんですけど!
この問答は幾度となく繰り返したが、晴生は折れることはなかった。
寧ろ俺への忠誠はましていくばかりだ。
そして、俺も満更でもないことは事実だ。
たま──────に、ものすご──────くたま────に、鬱陶しいときもあったり、しなかったりするが。
俺の片手を掴んでる晴生の後ろに、ふっさふっさと揺れる犬の尻尾の幻影がみえる。
キラキラとした瞳が俺への期待で満ち溢れてる姿を見ると、ほんの出来心でつぶやいた言葉に少し罪悪感すら感じてきた。
そうしていると、俺の両肩へと重みがかかる。
剣成が肩を組んできたからだ。
「だってよー、なゆー。
今度爪の垢でコーヒーでも入れてくれ。」
クククッ、と、喉を揺らし楽しそうに横で剣成が笑う。
コイツはコイツで、どれだけ晴生に噛みつかれようが全く応えない鋼の精神の持ち主だ。
俺の幼馴染の巽も鈍感だけど、それとはまた違う強さを感じて仕方ない。
「天夜ー!!なゆ、借りていくからなー。
残りの片付けたのんだー!!」
剣成の声がホールへと響き渡るのとほぼ同時に、俺は剣成には肩を組まれたまま、晴生には手を握られたまま、ほぼ、拉致られたと言っても過言ではない状態で喫茶店を後にした。
「どこいくのー?」と、後ろから巽の声が聞こえた気もするけれど、とき既に遅し。
俺達は夜の街へと繰り出して行った。
Ξharuki sideΞ
風の音がする。
風の匂いがする。
風の気配がする。
酸素の量、二酸化炭素の量、窒素、水素、ネオン、ヘリウム、メタン‥‥‥。
並べだしたらきりが無い物質の数値が俺の頭の中を掛け巡る。
猫はどれくらいの二酸化炭素量を吐くのだろうか。
どれくらい耳を澄ませば、猫の声を拾えるのだろうか。
領域を広げ過ぎても駄目だし、狭め過ぎるとただの人間と変わらなくなる。
千星さん達と海沿いの道を探しながら河口域へと遡っていく。
瓦礫の下、屋根の上、塀の中‥‥
二酸化炭素濃度が高く、息遣いが聞こえるところは片っ端から探していったが膨大すぎてなかなか見つける事ができない。
それでも数をこなして行けば、犬猫、たまにイタチやたぬきくらいの小動物にしぼって場所を探索できるようになり始めた。
この自分の能力で、こんなことまで出来るとは知らなかったため、千星さんへの株は更に急上昇だ。
昔は液晶の見過ぎで落ちてしまっていた視力も今は草食動物より遥かに高度なものになってしまった。
見え過ぎるのも困るので逆に、特殊なコンタクトやメガネで視力を落とす始末だ。
「と、あちゃー。これまたハズレだぜー。
ほら、こんなとこはいんじゃねーぞ、出れなくなるだろ。」
明智が、ネズミとりの罠にハマっちまった子猫を檻から逃している。
ヤツは馬鹿力で、運動神経も鈍くはないのでのこういった時には助かる存在だ。‥‥認めたくはねぇーけど。
俺の指示通りに瓦礫を退けたり、屋根の上に昇ったり、排水口の中を覗いたりと機敏に動いている。
「お、なゆ、なーゆー!来てみろって!」
「ん?見つかったのか?」
少し遠いところで明智が、千星さんを呼んでいる。
千星さんは、自分の探していた場所の手を留め明智の方へと走っていった。
俺が探せるテリトリー外であったため、自分もゆっくりとそちらに向かっていく‥‥までは良かったのだが。
「ほら、見てみろよ、あそこ、あっつあつだぜ!!」
コソッと、千星さんへと耳打ちした言葉は、能力を解放している俺には丸聞こえで、近づいたがために、呼吸音、脈拍回数、あとは、なんと言っても、あ、あ、あ、あの、独特の発情した猫の声!!!!
それが俺の体全てを支配した習慣、何かがブチっっと切れた。
「明智!!てめぇ!!コノっ!!真面目に探しやがれー!!!」
無心で明智に向かって走った俺は、ヤツの背中に盛大なドロップキックをかましてやった。
その、せっかくアツアツだった猫達も俺達の奇行をスルーできずそそくさと逃げていくのが、数値の変化によりわかった。
剣成が、いててて‥‥と、背中を擦っているのを尻目に。制服のまま出てきたためエプロンと服を正していると、俺の耳が鈴の音を掴む。
∞nayuta side∞
剣成に呼び出され、もしかすると探していた、黒猫のポンちゃんが見つかったのかと思いきや、見たくない現実を突きつけられた俺は苦い笑いを浮かべるしかなかった。
勿論男女のリアルエッチもだけど、猫の後尾で喜ぶほど俺ももう若くない。
と言うか、俺はリア充が死ぬほど嫌いだ。
みんな消えてなくなればいいと思う。
そんなことを考えていると俺の横の剣成がふっ、と居なくなった、というかスローモーションで視界の、端に映った。
高飛込みの選手顔負けのきれいなホームで、水面、‥ではなく地面へとぶっ飛んでいく。
勿論着地は10点満点。ズザザザザザっと激しい音を立て、オリンピックなら金メダルを狙えると思う受け身を披露して、剣成は地面へと下り立った。
そして、俺の横は自分の場所だと言わんばかりに晴生がたっていた。剣成はかなりガタイがいいほうだか、その剣成を晴生は華奢な細身でぶっ飛ばしてしまう。
コイツには逆らわないで置こうと何度目か忘れてしまった誓いを俺は心の中で立てた。
「オイ、明智、‥‥‥‥あの上。」
晴生が指差したのは、この河原近くにある御神木にもなっている立派なクスノキのてっぺん付近だった。
晴生が間違えてるとは思いたくないが、ネコがわざわざ登って休んだりする高さではない。
もしかして、剣成に嫌がらせをしているのではないかと思う程の高所を指差している。
「‥‥鳥かなんかの間違いじゃないのか?」
俺が晴生に視線を投げかけると、晴生は俺の方向へと身体を向けた。
「俺もそうあってほしいんですが、どうやら違うみたいなんです。
明智、登れるか?無理なら俺が行くぜ‥‥?」
俺達は、猿ではない‥。
確かに猿から進化した人種であるが小学生の時ならまだしも、大学生の今、あの高さまで登る自信は俺にはない。
放心している俺を横目に「千星さんはここで待っててくださいね」と、いつものにっこにこした微笑みを俺へと向けてくる。
晴生が登る準備をしようと袖の裾を捲りあげようとするが、それを剣成が制する。
「日当瀬が登っちまったら、上のいる動物が逃げたときに追えなぇーだろ?
俺に、任せとけって!」
──────俺の目の前には剣成‥いや、紛れもない猿がいた。
人間って枝から枝に飛び移れたっけな。
そういや、俺の周りの奴らは皆、飛び移れるんだった‥‥俺を除いて。
いや、俺もちょっとはできる、けっして、できないこともない、ないけど‥‥。
みるみる間に小さくなる、剣成を見上げて、自分の周りに“普通”と言う概念が通じないのを改めて思い出した。
◆kensei side◆
実家の敷地内に背が高い木は沢山あるので、木登りは昔馴染みの遊びに過ぎない。
ただ、日当瀬が見つけた気配は木のかなり上の方。
俺は長身で図体もでかいため枝が細くなっていく限界までしか登ることはできない。
「んー‥‥、そろそろキちぃーんだけどな、っと。
ん、あそこ、何かいるな。
おーい、ぽんちゃーーん、いませんかー??って、あれ?
あ、あ!ぁああああああ!!!!」
ミシミシと木の枝が音を立て始める。
幹から伸びている根本の方を手で掴んで周りを見渡していると黒い固まりがモゾっと動いた。
俺は携帯をライトモードにして動いたあたりを照らしてみると、黒い塊に赤い首輪をした猫が丸まっていた。
大声を出したのに、黒猫は逃げもせず。
丸まっていた体を伸ばし、グーッと全身をつかってお尻を突き出すように背伸びをしてから、俺の方へと歩いてる。
「へー、素直で、かわいいのな!誰かさんと違って!!」
太めの枝に腰を下ろして、待っていると黒猫は自然と自分の上に乗ってきた。
すり寄ってくる黒猫はここに来るまで、大変だったのか少し汚れていたが、手触りのいい毛並みにうっとりと視線を眇めた。
その瞬間、ゴツン!と激しい音が後頭部から響いた。
そういやアイツ能力開放してるから、耳、いいんだった。
「────ってぇ!っと、あぶね!
ちょ!日当瀬っ!これは、さすがにあぶねぇって」
「うるせぇ、バカヤロウ!!
見つけたなら、さっさと降りてきやがれ。
あ、あと、俺のタバコ落としたら、口聞いてやんねぇから。」
タバコ?あ、さっきのか。
俺の後頭部を強打した物体は日当瀬の電子タバコだったようだ。
日当瀬のコントロールは抜群だ。タバコは跳弾先が考えられており、俺の頭にブチ当たった後、さらに頭上に上がっていた。
しっかりと片手で猫を抱きかかえ、もう片手で日当瀬の電子タバコを受け取る。
「流石に毎日顔合わせてんのに、それはちと、困るな‥‥」
日当瀬は本気で言ってるんだが、俺の喉は自然とクツクツと揺れてしまう。
【シロフクロウ】の仲間達は高校からの馴染みだが一緒にいて飽きることがない。
猫に振動を与えないようにゆっくりめに木から降りて千星の方へと視線を向ける。
「どー?なゆ。このコで間違いねー感じか?」
「多分。つーか、ここに名前書いてるし、この子で間違いないと思う‥‥」
なゆは持ってきた迷子チラシと、俺の腕の中にいるネコを交互に見つめていたが、首輪にネームタグがついており、そこに“ぽんすけ”と、書かれていた。
こんなキレイで可愛らしい猫なのになんとも言えない名前で、あの女の子のネーミングセンスに自然と笑みが浮かんだが、ポンスケは近づいた千星の方へと移っていた。
「チラシの電話番号に連絡をいれておきますね。
千星さん、このまま届けに行こうと思うんですけど、お時間は大丈夫ですか?」
日当瀬が事務連絡をかってでてくれた。
ネコが見つかれば俺はすることがなくなるので両手を頭の後ろで組んで帰路へとつき始める。
「じゃ!女の子によろしくなー!!
俺はシロフクロウの片付けに戻るぜ」
少女の喜ぶ顔を浮かべながら、天夜だけに頼んできた後片付けを手伝うために喫茶【シロフクロウ】へと戻った。
∞nayuta side∞
剣成から黒猫のぽんちゃんは俺の方へと渡ってきた。
余り動物全般が得意ではない俺は慌てて両手でぎゅっと握りしめてしまいそうになったが、ぽんすけはとてもおとなしく、俺の腕の中でまるまってしまった。
日当瀬が迷子ポスターの連絡先に電話すると、猫の飼い主の住所がわかったようで、今から届けることに決まったようだ。
「あれだけ心配してたし、早く届けてあげないとな。」
剣成は自分の仕事が終わったかと言うように帰っていったが【シロフクロウ】の片づけも終わっていなかったので仕方ない。
特に厨房を片付けられるメンバーは“色んな意味で”決まっている。
その、いろんな意味を今は考えたくもない。
ポンスケがいた場所から、飼い主の家まではかなりの距離があった。
家から逃げた割には、ポンスケはおとなしく、たまたま家から出てしまって迷子になっただけなんだろう。
暖を取るように丸まったままの猫に視線を落とした。
「おまえ、もう、間違ってまいごになるんじゃねーぞ。」
聞こえてるのか聞こえてないのか、じっと丸まったまま猫は動くことはなかった。
「ここですね。
すいません、先程電話したものですが。」
目的の家の前まで来ると日当瀬は家の呼び鈴を押す。
するとインターフォン越しに声が聞こえ中から母親らしき人が出てきた。
「すいません‥こちらから伺わないといけないところをご丁寧に。
良かった、ぽんちゃんだわ。ほんと、どこいったのかと‥‥。」
更に奥からは父親らしき人も出てきて、ポンスケは飼い主を見るなり、俺の腕から降りて「ニャー」と、声を上げすり寄っている。
安心したんだろうどこか泣きそうな母親の顔を見ていると、晴生と剣成に手伝ってもらって本当に良かったと思う。
急だったのでお礼を用意できてないため、改めてお礼をしたいと言われたが、それは晴生が丁重に断ってくれていた。
「また、よかったらお茶しに来てください」と、ショップカードを渡しているところは流石だとしか言いようがない。
「あ、そういえばお子さん‥は、もう寝ちゃってるんですか?」
猫が見つかったと聞いたら一番にとんで出てきそうな女の子の姿が見つからなかった。
喫茶店が終わってから探したので、あたりも暗く夜も更けている。
そう告げた途端、ご両親の顔が曇るのがわかった。
「ミクをご存知なのですね。
‥‥あの子は事故にあって今、病院にいるんです。
あの子が事故にあって、ぽんちゃんまで居なくなって、‥‥‥‥。
ほんとうにありがとうございます。これで、あの子が帰ってきても怒られずにすみます。」
母親の言葉に俺は目を見開いた。
どうやら俺達は間に合わなかったようだ。
落ち込んでいる母親を前にどうして事故にあったかは聞けなかったけど、きっとあのままぽんちゃんを探して事故に合ってしまったのだろう。
もし、あの後一緒に探していたら事故は免れたのだろうか。
一緒に曇った俺の気持ちを明るくするかのように母親はお礼を言ってくれた。
晴生も俺と同じ思いなのだろうか、横で複雑そうに眉を寄せていた。
それから何度か、ご両親からお礼の言葉を貰って、俺達は帰途へとつく。
何ともやるせない気持ちでいっぱいで俺の肩は上がることはない。
横にいる晴生も心ここにあらずといった感じで難しそうな顔をしていた。
「ま‥‥‥!何はともあれ見つかってよかったよな!
晴生のすげーとこも見れたし、‥‥晴生?」
おかしい。
晴生の反応が薄い。
いつもなら俺が何か言ったら。いや、何か言わなくても俺の横に居て俺を見ないことなんかないのに。
勿論これは自惚れではない、ただの事実、だ。
名前を呼び、顔を覗き込むと晴生は初めて気づいたようで、めちゃくちゃ謝罪してきた。
ちょっと、考え事をとか、せっかく千星さんから話しかけてもらったのにとか色々言ってた気がするけど、いつもの晴生に戻ってくれてよかった。
喫茶【シロフクロウ】に戻ると、巽と剣成が俺達の分の賄いを作って待ってくれていた。
腹ぺこだったのでいつもよりうまく感じた飯を掻き込んだけど、気分は少しセンチメンタルだった。
Ξharuki sideΞ
辻褄が、あわねぇ‥‥‥
喫茶【シロフクロウ】に、帰ってきた後。
俺の頭は一つの矛盾にずっと悩まされていた。
女の子の母親は『あの子が事故にあって、ぽんちゃんまで居なくなって』と、言った。
それが指し示す先は、少女が事故にあったあとに、黒猫が居なくなったと言うことだ。
だが、俺達は実際に“黒猫を探す無傷の少女”に会っている。
子供と猫。同時に災難にあった母親が混乱してそう告げてしまっただけなのかもしれない。
閑散としたシロフクロウのホールは一部だけ明かりがついている。
行く前に入力しきれなかったデータを入力しながらマグカップへと視線を向けた。
コツン‥‥‥
入口から小さな音がする。
その方向へと向けた視線が自然と大きく見開かれた。
そこには、先程届けた筈の黒猫、ポンスケがいたからだ。
「にゃあー」
慌てて椅子から立つと入り口へと向かった。
締めてある鍵を開くと隙間から黒猫が入ってくる。
「おい!なんで──────‥」
「おや、どうしましたか?」
焦った俺の声に被さるように低く、透き通った声が静まり返ったホールへと響く。
奥からマスター、神功左千夫【じんぐうさちお】が出てきた。
黒猫は俺の足元をするりと通り抜けると、やっと見つけたと言わんばかりに真っ直ぐに神功の野郎の足へと擦り寄る。
「にゃぁ‥‥」と、小さな声を落とし、また扉へと戻ってくるが、その視線はついて来いと誘導するかのようになんどもこっちをうかがっていた。
「どうやら、行かなければならないようですねぇ……晴生くんも、一緒に来ますか?」
まるで事の顛末がわかっているかのような瞳が俺を見透かす。
思わず視線を逸らしてしまい、舌を打つ。
「チっ、……ッたりめーだろ!
おい、さっさと行くぞ。」
他のメンバーは既に喫茶の上にある自室で寛いでいるだろう。
何よりまた、逃してしまうと見つけた意味がない。
黒猫はこっちを伺いながらも、速いペースをたもって移動している。
俺とコイツであれば遅れることはない。
例え、このポンスケが本気で逃げても俺はついていく自信がある。
先程探していた川岸へ着くと、ポンスケはぴたっと動きを止めて、「にゃあー」と、鳴き声を轟かせた。
「ぽんちゃん!!!!
もー!!どこいってたの!さがしたんだよー!」
急に俺の耳に少女の声が木霊する。
その姿を探すように視線を各方向へと向けるが俺の視界に映るのは火の玉のように揺らめく《紅い魂》であった。
「ミク‥‥?」
そう、この声は昼過ぎに来た小学生、ミクの声そのものだった。
俺がその名前を言葉にした瞬間、《紅い魂》が歪み、人の形へと変わっていく。
ポンスケのすぐ側に屈んだミクの姿を瞳の水晶体が捉えた。
「あ!お兄さん!お兄さんが見つけてくれたんですね!
ありがとうございま───」
「おい、テメェ!こんな時間にこんなところで、何してんだ‥‥‥よ‥」
もう完全に宵の闇だ。
小学生がこんなところにいていい時間ではない。
ましてやこいつは事故で怪我‥‥怪我?
俺の目の前にいる少女は怪我をしているようには全く見えなかった。
しかも俺はこの目で確かにココに《紅い魂》が存在するのを見た。
怒鳴ってしまったせいで女の子は萎縮し、ハラハラと瞳から涙を溢した。
「だ、だって……ゴメンな……、さい。
お昼くらいまでは、お家に入れて、たんだけど……なぜか入れなくなって‥お父さんと、おかあ……さんも、呼びかけても全然気づいてくれないし……ミク、どうしたらいいか、わかんなくて…………」
ここまで来てやっと、俺の中の矛盾が解決した。
そう、この子は人間ではない。
いや、元は“人間だった”と言ったほうが正しいか。
今は《紅い魂》と言われる存在だ。
「晴生くんが、実体化して見えるのは珍しいですね。」
後ろから神功の声が降り注ぐ。
ヤツは既に“もう一つの仕事”をするときの正装へと着替えていた。白い服に包まれ夜の闇には不似合いな仕事着。
河川敷を吹き抜ける風が彼のマントを揺らし、緩やかに携えている笑みがより一層、存在を際出させる。
チっ、と舌打ちすると同時に、腰に巻いていたエプロンを背中へと翻す。
俺達のカフェの制服は特殊素材でできている。
耐火、防弾、ステルス機能も携わっており、スボンの色も黒から白へと変化する。
全ての機能を解放してしまえば、目の前の少女に実体、‥‥肉体がないことがわかった。
彼女の肉体はきっと病院の、ベッドに寝ているのだろう。
少女は事故にあい、そのときにその体から“魂”が抜け出してしまったんだ。
本人は自分が魂だけになったことに気づかずに家に帰り、猫が居なくなったことを知り探していたんだ。
その間に“魂”の純度が失われ《紅い魂》になったのであろう。
そこには人の体の温度が存在していない。
俺の、もう一つの仕事はこの《紅い魂》を処理すること。
非常に問題なのは、俺は《紅い魂》から、人体に戻すことができる《蒼い魂》へと変換させるような細かいことは苦手だ。
どーでも良い、《紅い魂》‥‥通称《紅魂ーあかたま》なら直ぐに取り込んでしまうのだが。
少女の魂を、彼女の体に戻す方法を探っているうちに、神功がゆったりとした足取りで少女へ向かって歩いていった。
「オイっ!コイツは死んでるわけじゃねぇぞ!」
「勿論。分かっていますよ。
余り大きな声を出さないでください、怯えてしまう。」
神功は、少女の前に跪くと、ゆっくりと頭を撫でてやっていた。
少女が泣き止むのを待ってから、地上にいるポンスケを抱き上げ彼女の腕の中へと返してやっている。
ここに無いものの腕の中に、ここに存在するものを与えている。
それはとても高度な技術で俺にはできないことだ。
しかも、俺は普段、《紅い魂》の実体化を見るなんてことはできない。
声や、気配や、数値でその存在を知るだけだ。
だが今日は不思議とくっきりと見える。
「さて、お嬢さん。
お父さんと、お母さんも心配してることですし。
そろそろ体に帰りましょうか?」
「体?ミク、お家に帰れるの?
アナタは誰?お兄さんのオトモダチ?」
少女本人は自分に起きた出来事は理解してない様子だが、神功は笑みを携えたまま、ネコを抱っこしている少女を横抱きへと抱え上げる。
わぁ‥と驚きに小さく声を上げるも、少し顔が赤くなった少女は腕の中で神功を見上げていた。
「そうですね。妖精さん、とでも言っておきましょうか。
さて、お家に帰りましょう。
僕がこのまま連れて行って差し上げますので、もう眠ってしまって大丈夫ですよ。
今日は沢山歩いて疲れたでしょう‥‥‥?」
神功の朱い瞳が妖しく揺れる。
少女と神功の周りに〈漆黒く、朱いーくろく、あかいー〉気配が立ち籠める。
少女の唇が「妖精さん‥‥?」と、小さく疑問を模るが腕の中の温かさに、安堵したかのように少女の瞼が重くなり、神功の唇が少女の、瞼へと重なった。
その瞬間に少女から紅い光が溢れ出し、呼応するように神功の周りにも漆黒く、そして朱い、炎が渦を巻く。
そう、《食霊ーしょくれい》が始まったのだ。
眠ってしまったかのように少女の体から力が抜けると、神功は彼女を抱きしめる腕の力を強くする。
“パンッ”と弾けるように、紅い光が霧散し、そのまま跡形もなく神功の、体へと吸収されていった。
腕の中に残ったのは、彼女の猫のポンスケと、神功の片手の上に火の玉のように揺らめく彼女の《蒼い魂》のみであった。
「───────────ご馳走様でした。
……さて、僕はこの子達を元の場所に届けてから戻るので。晴生くんは気をつけて帰ってくださいね。」
食えない笑みを浮かべながら、神功は歩き出す。
俺にはまだあんなキレイに《食霊ーしょくれいー》して、《紅い魂》だけを自分の体に吸収することばできない。
できない事を目の前でやってしまわれるイライラと助かってよかった安堵感とで複雑な気持ちになり、電子タバコに手を伸ばすとそこで初めて気づいた。
俺のタバコは明智が、持ったままであった。
∞nayuta side∞
今日は色々あったな……
久々に歩き回ったので足が棒を通り越して、鉛だ。
喫茶【シロフクロウ】と、同じマンションに俺達従業員の部屋はある。
自室のベッドにうつ伏せにダイブするとスプリングが軋む音が響き渡る。
「はぁー……今日も疲れた。
ミクちゃん大丈夫かな……ちゃんと、ポンスケにあえたるかな……」
直ぐそこにあるゲームのコントローラが俺を呼んでいるが、今日はこの睡魔と靄がかったに思考に勝てそうにない。
既に重い瞼が落ちようとしたとき、自室の電気が、カチカチ‥と、付いたり消えたりと点滅した。
「あれ、おかしーな。ここ入ったときに変えたんだけどな‥‥‥‥ ──────ひぃ!!ミ、ミミミミクちゃんなんで、ここにっ!!!!!」
うつ伏せから仰向けに転がった俺の視界には映ってはいけないものが映ってる。
いや、もしかしたらありがとうを言いに来たのかもしれない、こんな時間だけど、部屋の鍵締めたはずだけど、ここ割とセキュリティしっかりしてるけど、んでもって、ミクちゃん飛んでるけどぉぉぉぉー!!!!
テンパった俺は慌てて起き上がるとベッドの隅に枕をしっかり抱いて逃げた。
昼間会ったときよりもかなーり、彼女は透けているように見える。
透けているように見えると言ったら、アレしかない。
俺達の“もう一つ”の仕事に関連あることだが、まだその仕事に関わったことがないんだ。
そんな俺をよそに、視界の少女は宙に浮かんで笑みを浮かべていた。
『おにーちゃん、ありがとう。わたしのことを、入れてくれて』
え、どーいうことだ?
これは俺が呼んだってことか?
思い出せ、俺。
ミクちゃんと、会ったとき俺はなんて言った?
俺はただ、いらっしゃいませって言った、言った‥言った?
‥‥ ──────言ってるー!!!?
俺、いらっしゃいませって、言ったぁぁあああ!!!
そのまま声にならない悲鳴を上げて、完全に固まってしまったが、少女はクスクスと笑い声を立てた後窓をすり抜けて出ていってしまった。
もう、意味わかんねぇ……、泣きそう、と思っていると部屋扉がノックされる。
再び口から心臓が出そうなほど驚いたが、「那由多、どうしたのー?大丈夫??」と、巽の抜けた声が聞こえて俺は胸を撫で下ろした。
もしかしたら疲れ過ぎて白昼夢でも見たのかもしれない。
そう思いたかったのだが、翌日、晴生から少女の事の真相を聞かされ、俺は顔面蒼白になったのは言うまでもない。
少女が、事故にあったのはネコのポンスケが失踪する前だったらしい。
と言うことは、俺達が接客していた相手は‥‥。
全身に鳥肌が立ったのは言うまでもない。
お化けが嫌いな俺にとって“もう一つの仕事”は難関中の難関だと改めて気付かされた。
頼むから巻き込まれませんように!
後日。
元気になったミクちゃんがご両親と、一緒に【シロフクロウ】へと来てくれたが、俺は彼女と目を合わすことはできなかった。
◉何者でもない誰か(語り部)◉
漆黒の闇の中に無数の鳥籠が羅列している真っ白い部屋が、喫茶【シロフクロウ】の地下にはある。
明かりは仄かにしかなく、鳥籠のなかで揺らめく炎のようなエネルギーの塊“idea-イデアー”が辺りを薄っすらと照らしている。
部屋の奥には赤いワンピースのドレスを身に纏い、ブロンドのショートボブの少女を模ったヒューマノイドが、椅子へと腰掛けている。
今にも人として動きそうなほど精巧な作りであるが、その瞳には光がなく、暗く淀んでいる。
部屋にエレベーターが開く、擦れるような機械音が響くと共に、神功左千夫〈じんぐうさちお〉がこの部屋へと降り立った。
コツコツと靴の底の音がだけが響く空間に、妖しく彼の朱い瞳が揺らめく。
「お待たせしました、イデア‥‥」
真っ直ぐに少女のヒューマノイドを見詰めたまま。
神功は、彼女の名前を呼ぶ。
彼女の名前は、イデア、正式名称はイデアロスという個体だ。
今は動かぬ人形に、まるで同じ人として接するかのように神功は話しかけ、微笑みを浮かべる。
神功は無数にある精巧な鳥籠の中から何も入っていない空の鳥籠の前で歩みを止める。
鍵を鍵穴へと差し込み右に回すと、カチャと、音を立てながら扉が開いていく。
神功はまるで水を掬うかのように両手を丸め、鳥籠の入口へと差し出す。
彼の体が、朱〈アカ〉と漆黒〈クロ〉の炎に包まれていくと、パチンと胸の辺りまで結っていた三つ編みを結んでいた赤い糸が切れ、長く艶のある髪が四方に靡き踊り始める。
掬うように差し出された手の中には、円を描くような球体が造形されていき、大きな球体が小さく、小さく、圧縮されていく。
赤く輝く高エネルギー体が形成され、その形で凝固しそうな瞬間に、──パンッと音とともに弾けとんだ。
「おや……、おかしいですね。
今まで失敗したことは無かったのですが。」
弾け飛ぶ瞬間に神功の瞳には、先程《食霊ーしょくれいー》したはずの少女の面影が見えた。
悩ましげにその瞳は細められるが、次の瞬間には自然と微笑みが浮かぶ。
「どうやら、那由多くんにお礼を言ったようですね」
神功はここではない、千星那由多〈せんぼしなゆた〉の部屋で起こった出来事をまるで見透かすかのような言葉を落とした。
「流石ですね、那由多くん。
また、僕を愉しませてくれるんですね、君は……」
神功の口から静かに言葉が滑ると、どこからとも無く、赤い霧が立ち籠める。
彼の白く透き通った右手指の腹が、怪しく揺らめく朱い瞳を一撫でしてから空中へと掲げられる。
再び、周りに立ち籠めた赤い靄が瞳とその手を中心に集まり瞬時にして綺麗な球体が模られる。
「おかえりなさい、idea-イデアー……」
“idea-イデアー”は“霊”ではない。
ただの高エネルギー体だ。
意志など持つはずはないものに起きた不可解な現象を愉しむの様に神功の、口角は上がる。
長く黒い睫毛を伏せるかのように視線を細めると、エネルギーの塊“idea-イデアー”を鳥籠の中へと閉じ込めた。
白い指先が鍵を締め、鳥籠の柵へと指を滑らせ、朱い瞳で見詰めるが、もうそのエネルギー体には少女の面影はどこにも覗えない。
朱色の瞳はそのままヒューマノイドのイデアに向けられ数度瞬きを繰り返す。
「おあがりなさい、イデア。」
血となり、肉となり、彼女が再び動き出すことを祈って───言の葉は白い空間へと溶け込んでいった。
End
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